表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
163/180

百六十三章《楚々》

「制約の言語回路」百六十三章《楚々》


 優衛は、中学三年になる頃に、日本の第一都市にある冷英中学に短期留学した。


 留学の期間はひと月で、その間ホームステイすることになった。


 麻依という、冷英出身の母を持つ楚々という男の子が、ホームステイ先の友達になった。


 楚々は同い年で、大陸語は話せなかったけれど、英語は堪能だったから、困った時は英語で話した。


 真珠市の近くに家があり、冷英までは電車で通った。


 麻依はシングルマザーで、帰りが遅かったから、楚々と優衛は外で食事をした。


 面倒を見てくれる人、ということで、月雪が駆り出されることもあった。


 優衛は、月雪とは大陸語で話した。それは実に安心する配慮だった。


 第一学府で博士号を取った月雪は、二人を第一学府に連れて行ったり、電波塔に案内したりと、親切の限りを尽くした。


 休みの日に、麻依は綾衣を呼び、綾衣と麻依の家族は、美味しいレストランに優衛を連れて行き、楽しませた。


 優衛の島国の言葉は、めきめき上達した。


 第一都市有数のターミナル駅近くにある書店で、麻依は和書を買い揃え、優衛の家に送った。


「課題図書だよ」


「そんな。悪いですよ」


「そう思うなら、私の家に大陸書籍を送ってくれ。きっと月雪が読む」


「月雪さんの大陸語は完成されています」


「君はまだ島国の言葉を完成させていない」


 優衛は言葉を詰まらせた。


 楚々は優衛をよく散歩に誘った。


 真珠市だけでなく、雰囲気の異なる街々を歩いた。


 月雪が車を出してくれることもあった。


 佳倉の、三人の小さな子どもがいる、流命の家に寄ると、そこには島国の男と結婚した大陸の寧婷がいた。


 こんなふうに人がつながっているとは、優衛には想像がつかなかった。


「浙京大に行っていたんだ」


 流命は穏やかな口調で優衛に言った。美しく実直な大陸語だった。月雪の大陸語より文語的で、流暢ではないが、慣れている感じがした。


「いつもは海城市で働いている。うちの奥さんは、そういえば雨情だったな」


 月雪の車は、佳倉からさらに西に行く。


 雷紋に月雪が建てた別荘は、府月生の合宿所になっていた。


「麻雀はできる?」


「もちろんです」


 土日は月雪の広い顔でいろんな人が集まった。


 じゃらじゃらと牌が混ざる音がする。


 キッチンでは料理する音。


「へえ、楚々くんの家にいるんだ」


 同卓になった府月生が言った。


「はい。大陸から来ました」


「お名前は?」


「優衛です。よろしく」


「島国に来たのは?」


「交換プログラムです」


「北城市?」


「いえ、僕は海城市。あ、それ当たりです。一万二千」


「上手いね」


「それに振り込むのあなただけ」


 同卓の別の女の子が笑って言った。


 麻雀がひと段落すると食事の時間になった。


「刺身だ」


「苦手?」


「いや、食べたことないだけ」


「醤油とわさびつけて食べるの、あ、わさびつけすぎかも」


「んー、ー、ー」


「ごめん。もっと早めに言えばよかった」


「いや、おいしいです」


「醤油に溶かすのがオーソドックスかもね」


 わいわいしながら、食事をする。総勢八人はいた。


 その後で深夜まで勉強した。


 優衛も辞書を使って買ってもらった本に書き込みを入れていった。


「ハーフ?」


 隣に座った少し年上の女の子が聞いてきた。


「そうです」


「どことどこ?」


「アメリカと大陸」


「英語も話せるの?」


「ええ」


 それだけ聞くと、機嫌良さそうにその女の子は勉強に戻った。


 勉強、楽しそうにやるんだな。


 合宿での勉強会で、時折煽り合うようなせりふと、それを楽しむ笑顔が見られた。


 かなりくだけた日本語だったから、音だけしか脳内に残せなかった。でも、ネイティブな日本語の、野蛮な感じに、優衛はゾクゾクした。声に乗る感情の起伏が、その周囲の人たちの、際立って高い表現力を物語っていた。


「実にいいな」


「ん?」


「いえ。なんでもないです」


***


 楚々と冷英に通うと、いろんな人から声をかけられる。


 古典の授業では文法がちんぷんかんぷんで、楚々他クラスメイトに泣きついた。


 英語では、文法用語に苦しめられたが、内容自体はすんなり把握できるから、敵は「和訳」ということになる。


 そして国語である。


 島国の言葉が染み入って来たのは、国語の授業だった。漫画やアニメといった娯楽作品ではなく、文学や評論などを読み込み、クラスメイトと話したのは、凄まじい刺激だった。


 冷英のクラスメイトは、言葉こそ柔らかく手加減してくれたが、わかりやすい言葉で複雑な概念を伝えてきた。それはそのまま、優衛の語彙になった。


 数学はそれこそ角逐の場だった。


 冷英も雪花も、進学校の御多分に洩れず、数学大好きっ子の集まりだった。進度もほとんど変わらない。


 優衛の解答は誰よりも速く、正確だった。


「正解。すごいな」


 優衛の自信は、この機会に強化された。分野的な隙もなかった。


 悔しそうにする冷英の生徒たち。


 楚々が解説してくれた。


「島国の中学受験では、府学っていう天才集団の、一歩後ろについているのが冷英。この前、月雪さんの別荘にいたのが、府月っていう府学の一派だよ」


「府月の人たちは、姉と同じ匂いがした」


「お姉さんは優秀なの?」


「僕は負けねえけどな」


「そいつあ結構」


「月雪さんは、島国の同世代で七番目に頭がいいらしい。そのお母さんの綾衣さんは、世代三番目なんだと」


「府学ね。手強そうだ」


「冷英も相手してくれよ」


「そうだよな。ごめん」


「んー? 楚々、完敗ぃ?」


「そうだよ、母さん」


「あんた勉強嫌いだもんね」


「綾衣先生みたいな化け物基準で言わないでよね。割と好きな方だよ」


「お疲れ様、優衛くん。大陸の名誉を背負って緊張したでしょ」


「ええ。本当に。こんなことは、二度とあって欲しくない」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ