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百六十一章《市立図書館》

「制約の言語回路」百六十一章《市立図書館》


「おねーちゃん」


「何?」


「コンビニ行くけど、何か買ってくるものある?」


「酸梅湯」


「好きだねー」


「あなたは?」


「僕もそうしようかな」


「お母さんにも聞いたら?」


「なんて言うかな?」


「酸梅湯」


 休みの日の昼過ぎ、琉璃は家にいて、リビングで本を読んでいた。


「おかあさん」


 琉璃は、返事をする代わりに顔を上げた。


「コンビニ行ってくるけど、なんか買う?」


「酸梅湯」


「わかった」


 優衛は、交大近くのマンションの十四階からエレベーターで降りて、小区を出てコンビニに向かった。


 梅ジュースを入れるトートバッグを肩にかけていた。


 コンビニの店員と会話をし、梅ジュースを受け取り鞄に入れる。


 家に帰ると、まず琉璃のかたわらに梅ジュースを置いた。


「ありがとう、優衛」


「いえ、全然」


(全然こっち向かないじゃん)


「おねーちゃん」


「あなたも?」


「この家の人みんな酸梅湯好きみたい」


「ありがとう」


「おねーちゃん、明日暇?」


「何か用でもあるの?」


「今日図書館でオール」


「悪くない」


 姉のいい顔を見て、優衛は楽しそうに体を動かした。


「おかーさんに、夜飯代もらおうぜ。勉強するぞー」


 海城市中央図書館は、海城市民でないと入れない、二十四時間営業の要塞。


 二人はしばしば図書館に籠り、勉強していた。


「おねーちゃん。持ってくリュックサック大きすぎだろ」


「あなたが少なすぎるのよ」


「登山者かって」


「わかった。少し荷物を少なくする」


「でも、意外ね。優衛から勉強のお誘いなんて」


「そろそろテストだから」


「あなたは机の上に教科書を積んでないことで有名らしいけど」


「誰に聞いたの?」


「あなたが連れてくる友達」


「路淑?」


「あなたのこと好きみたいね」


「秘密だぜ? 恋愛なんてするつもりはないんだ」


「ひどい人。あの人、不安げにあなたを見ていた。優衛の振る舞いに惹かれる自分が怖いのね」


「おねーちゃん。洞察を働かせるのはいいけど、全然荷物減ってないぜ?」


「少し待って。今考えてる」


「まあ、おねーちゃんが持っていってくれたら、俺はそこから借りればいいんだけどな」


***


 地下鉄に乗って、香街という駅で降りる。


 時間は午後二時。ゲートで市民証を提示して、中に入る。


 姉弟は二人とも数学に取りかかる。


 中学受験を突破した二人は、数学が得意だった。


 梅ジュースを机に置き、大テーブルに二人で隣り合わせに座る。土曜日はそういう学生が多いけれど、姉弟で来ているのは、珍しい。


 数学を二時間ばかりやって、それから理科に移る。美衛は理科が得意で、優衛は少し苦手にしていた。


 美衛にいくつかの質問をする。美衛は端的に答えた。


「なるほどね。ありがとうおねーちゃん」


 また数学をやる。


 姉は、弟のやる科目に合わせて勉強していた。


 こういう時優衛は島国の言葉や英語をやらない。


 テスト勉強という、日常と異なる勉強に合わせるように、違うスイッチを入れる。


 雪花の雰囲気もそんな感じだった。天空四強の中では、雪花はかなり緩いとされている。交大や浙京大に行く生徒は多いけれど、城市大に行ける生徒は少ない。いわゆる海城市の進学校で、再受験する生徒も少なくなかった。


 雨情が美衛のように優等生なら、雪花の雰囲気はいい意味で型破りだった。


 いわゆる地頭系。優衛がそこを選んだのは、まず間違いではなかった。


 地頭系が勉強しだすと、手がつけられないことがある。集中力と、吸収力が桁違いで、姉から見ても引いてしまうほどのことがしばしばあった。


 勉強オールに関して、美衛は完全に副に回っている。ペースメーカーのような役割だ。並走して転ばないか見ている。


***


 美衛の、優衛に対する距離感は、琉璃より一歩だけ前に進んだところにあった。


 会話がそれほど多いわけではないけれど、見てあげる。それは優衛も感じていることで、今回姉を誘ったのも、その安心に浴するためだった。


 優衛にとって姉は、母のように高貴で、母より少しだけ近い存在だった。優しさは、優衛にははっきり感じられた。たとえそれがひんやりとした言葉の上にあったとしても、受け取り損ねることはなかった。


 一度、図書館を出て、食事をする。


 チェーン店の麺屋に入って、コーラと一緒にガツガツ食べる。


 勉強にカロリーが要ったのか、二人とも無言で食べ尽くした。


 飲み物を買い、また勉強を再開する。


 科目はまた数学に戻る。


 時間が経つに連れてシンとしてくる図書館で、姉弟は、着実に課題をこなしていった。


***


 深夜三時くらいに、優衛は軽く頭を伏せて眠った。その間、美衛は勉強の手を止めなかった。それもまた一つの、姉としての思いやりだった。


 姉が手を止めないとわかっているから、安心して優衛は眼を閉じることができた。


 微かな甘えであり、姉の高邁な精神への信頼でもあった。


 午前四時に眼を開けると、優衛は勉強を再開した。あくびをして眠気を飛ばし、膨大な範囲が指定されている数学を、解き切った。


 息を吐き、姉を見た。


 美衛と一瞬視線を交わすと、美衛はすぐに手元に視線を戻した。口元に笑みが浮かんでいて、優衛はまた、じんわりと幸福感を味わった。


 朝六時くらいに図書館を出て、朝ごはんを食べた。韮マントウ。


 動き出した地下鉄に乗って、家へ帰る。地下鉄で、優衛は漫画を読んでいた。美衛は軽く下を向いて、眼を閉じていた。


「おねーちゃん」


「ん? ごめん。寝ていたかもしれない」


「虎海に着く。あと、電話鳴ってるよ」


 美衛は地下鉄の駅を出ると、かかってきた電話にかけ直した。


「美衛、これから図書館で勉強しない?」

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