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十六章《再会》

「制約の言語回路」十六章《再会》


 吸い込まれる。唇に。


 大学四年、春に見た夢は随分前の記憶だった。


 緻里が嬢憂に抱いていた感情は、とても複雑だった。


 恋愛をしてはいけないという「禁止」が、何よりもまず働いていた。


 それなのに嬢憂の体は緻里を誘惑する。


 ぷっくらと膨らんだ唇に吸い込まれる。


 自信に満ちた嬢憂の笑顔、無邪気なその笑顔を、台無しにすることはできないから、膨らんだ唇に唇を重ねることはできない。


 気のいい仲間だったから、夢の中でも安心して夢だと思えた。仮想空間の中でも緻里は冒険しない。


 ただその肉体が、夢のテーマとして象徴化し、触れるというよりはむしろ触れられる、プールの水に浸かるような感覚が心地よかった。


 第一都市の繁華街を、風を切るように駆ける。


「私たちは何者なんだと思う?」


「宇宙人か、あるいは高校生なんじゃないかな」


 口が言葉をかたどるために、始終動くのが、虫眼鏡で見ているかの如く拡大されて映像化された。


 唇を重ねたかった。嬢憂の肉体への渇望。でもそれを夢の中ですら思いとどまるのは、思純のことを心の片隅で捉え続けているから。


***


 寝ぼけたまま端末を開き、いくつかの事務的な連絡を済ませた後、メッセージアプリに嬢憂の名前で通知が来ていることに、緻里は少し嫌になる。


「海都にいるんだっけ」


「そうだよ」


 しばらくするとすぐに着信があった。昔登録した「電話番号」から。「もしもし」という声を届けたのは、緻里が先だった。


「卒論書けた?」


「開口一番にしては挨拶だな」


「まあ、どうでもいいけど。ねえ、海都にいるんだよね」


「そうだよ」


「また焼肉連れてってよ」


「西都大学の医学部に入学される才媛を、焼肉にお連れできるのは光栄ですよ」


「決まりね。海都水城の駅で待ち合わせ。いい? 時間は追って連絡する。それじゃ。ところで、『才媛』って、美人でもあるってことよね」


「……」


「なんか言ってよ」


「昔から、嬢憂は美人だよ」


 電話口の向こうで口の端が上がる音が聞こえた。


「楽しみにしてる。彼女がいるなら別れてから来てね」


 五年ばかり連絡がなかったのに、高校の時と変わらない声のトーンで、ニコニコしている。肉感のあるボディは、きっと健在なのだろう。制服から浮き上がってくる胸の膨らみには、悩まされたものだ。


 緻里は夢のことを忘れた。嬢憂の連絡がタイムリー過ぎて、また会えることににじむ喜びとともに、さまざまなことが押し流されていった。


 日々は小説を読むことで過ぎ去る。


 何にも予定がない日も、景色の輪郭がはっきりしていく気がする。内からこんこんと湧き出す活力に孤独が慰められる。


 大学中心の裏手の山を越え、嬢憂を海都水城の駅で迎える。


 改札向こうの雑踏の中、彼女だけくっきりと浮き上がって見えた。


「何人殺したの?」


「さあ、数え切れないよ」


 二人は笑った。笑った。笑ったのだ。


 空を飛んで撃ち落とした敵は数知れず。自分の命がかかっていたら、手加減なんてできるはずもない。緻里は海都ではエースだった。撃ち落とすたびに心が麻痺していく。大陸語の呪詛が聞こえる分だけ、まだマシなのかもしれなかった。


「可哀想に。髪が真っ白になってる」


「悩めるだけ幸せなんだと思うよ」


「卒業したら、何をするの?」


「言語将校になるよ。少尉から始まる。給料も悪くない」


「緻里、……ごめん、何でもない」


「一貫性に欠けて、論理矛盾が起きていると思うんだろ?」


「何でもないって言った。聞いてなかったの?」


「本当だったら、大陸と島国の架け橋になりたかった」


「それがあなたの望みなんでしょ?」


「?」


「会いたい人がいるから、最前線に立つ。知ってる。ねえ、言ったよね、彼女がいるなら別れてから来てねって」


「彼女なんかいないよ」


「バカなの? そういうことじゃないよ。そういうことじゃ、全然ないのに」


 大学中心は徐々に地下化し、対空要塞と化していた。


 大学を案内し、砂州公園から青空と蒼海の間の水平線を指差す。それが緻里の小さな自慢だった。


 海都の港としての歴史は長いが、空母が入れるほどの水深はない。


 海警と呼ばれる小型の巡航船舶が、半島が曲がった内側に、何隻かつけている。それでも威容だった。


 砂州公園の後ろに広がる基地は、大学の敷地を十分に使い、最新の設備を揃え、大陸を狙い弾道ミサイルを発射する。


 対空防衛網もこの数年で拡充され、西都でも採用されている防御シールドも展開していた。波はとても静かだった。


 地下のカフェテリア街で、ちょっと高い焼肉屋に入る。


 緻里が入ると何人かが振り返って見た。


「注目されてるね」


 嬢憂は緻里の片耳にささやいた。それはとても「「彼女らしい」」振る舞いで、何人かの学生は二人の関係を誤解した。


「緻里さんの彼女、やっぱ可愛いんだなぁ」


「てか、恋人いたんだ。不思議ないけど、なんか意外」


「え、やばい。泣きそう」


 緻里は大学では不動の主席で、知らない人はいなかった。


 緻里は、賑やかな焼肉屋の中だから全く気にしなかったが、標準語と少し異なる、緻里の第一都市のアクセント(それは五年も前の古びたアクセントだが)が、嬢憂との間だと自然にこぼれてきて、二人ともマシンガンのように会話の応酬をした。そのアクセントは間違いなく島国一級の高校に所属していたものの、洒落たフレーズにあふれていて、聞いているだけで惚れてしまうような、「かっこよさ」が随所に散りばめられていた。


 野郎言葉なはずなのに、どこか洗練されている。粗野かと思えば特級の学術用語が嫌味もなく並べ置かれる。


 二人の間の会話で出てきた「府学」という固有名詞を聞いて、勘のいい人は「府学ね」と膝を打つ。


 島国の高校は「府学」というカテゴリーに属する七校が頂点だった。


 緻里と嬢憂は府学に所属していた。


 とりわけ第一都市の府学は「府陽」と「府月」の二校があり、緻里たちは府月の出身だった。


 緻里が「こんな風に」打ち解けて笑うのを、中心の学生は誰も見たことがなかった。安心して思ったことを打ち明けると、嬢憂も笑顔でそれに応える。


 何歳も若返ったように、(実際に旧友と再会した喜びにあふれ)話したいことは尽きなかった。


 緻里は気づかなかったが、焼肉屋には大勢の学生が詰めて、緻里の「彼女」を一目見ようと列を作っていた。


「府学のやつらは、どこにいったんだ?」


「知らんの?」


「全く知らない」


「どこかで府月の同窓会をやれればね。でもみんなバラバラだから」


「第一都市にはいるんだろ?」


「緻里、信じられないかもしれないけど、みーんなみんな優秀だったの。地頭ーとか、才能ーとかに頼ってたあなたとは違うの。努力してるの。海外に行った人もたくさんいるし、官僚だって、研究者だって、だって私たち府学なんだもん」


 緻里はパチパチとまばたきして、しばらく考える仕草をした。


「もちろん多くの学友たちが、大学中心も西都大も目じゃない第一学府に通ってる。緻里は、そういうのには興味がなかったんだね」


「第一学府には、文学部がなかった。それに、僕の実力では受からない」


「それは知らないけど、元気そうね」


「おかげさまで」


「ずいぶん有名みたいだし」


「たまに空を飛んでるから。もの珍しく思われているだけだよ」


 コツコツコツと革靴のかかとが床を叩く音がする。そういう音が聞こえる時は、大概こちらに意図が向いている。嬢憂は視線だけずらして、俯いた。


「緻里先輩」


 声をかけたのは無付なづくという後輩だった。

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