百五十九章《式》
「制約の言語回路」百五十九章《式》
あっという間の留学期間だった。
卒業する時、狂廊が留年したと聞いて、残念だったのを寧婷はよく覚えている。
海城市の空港に着くと、流命が迎えてくれた。流命もまた、浙京大学を卒業した。
父親が用意した、二人住まいのマンションに落ち着くと、婚姻届を出した。
寧婷は、それからずっと、流命の愛に浴した。
流命は寧婷の父親の銀行で、一騎当千の仕事ぶり。それは、寧婷の面子を保ち、その信頼を培う最高の働きだった。
真面目で、自信を持った振る舞いは、もちろん流命の評判も上げた。頭取は娘婿で株を上げた。
寧婷は瞬く間に妊娠し、第一子をもうけた。男の子で歳籍と名づけられた。
子供ができても、寧婷は流命を愛し続けた。
寧婷の父親は、孫を可愛がった。瞳は純真で、聡明であることがすぐにわかる。
流命は、島国に帰る暇などなかったが、冷英を卒業した奏子は、実に頻繁に大陸へ通った。
それは、もしかしたら平和になったからかもしれなかった。
***
海城市のホテルで挙げた式には、実に多くの人が来た。
スピーチは月雪が務めた。
実に流暢な大陸語で、ユーモアがあり、知的でもあった。
和服を着てきたのは、ちょっとしたサービスだったのかもしれないが、大陸側の面々には大ウケだった。
「新郎新婦の最初のデートをセッティングしたのは、私です」
彼女は、何人もの大陸人のハートを鷲掴みにしていた。
何にも増して、その大陸語は、「綺麗」のような才媛を思い起こさせるほど、美しかった。
式の最中、歳籍は奏子が責任を持って世話をした。
月雪のスピーチの時、歳籍は少しぐずったが、月雪はそれをちゃんと拾い、誰一人置いていくことがなかった。
二次会に、月雪は和服を着替えて、スーツとハイヒールで現れて、奏子と一緒に新しい人脈を着々と作った。
新郎新婦は傍目にも美しく、「この世のものとは思えない」ほどだった。
「どう?」
「綺麗だ」
「あなたも精悍よ。素敵だわ。でも、残念ね」
「何が?」
「特別な日なのに、特別な言葉は出てこない」
流命は、微笑んだ。その感覚は実によくわかった。互いをよく知っているから、殊更特別なイベントはない。でもそれが、これからの人生の風なのだ。
ホテルに泊まった流命の家族を、寧婷は訪ねた。例によって奏子が、笑顔で迎えた。
預けていた歳籍を引き取ると、歳籍は奏子に懐いていたからか、また少しぐずった。
寧婷は、流命の家族に長旅の労を詫びた。
「いいものが見れました」
流命の母親は深々と礼をした。
「租界のころの建物なのに、設備はとても現代的で、最高の結婚式でしたね」
「ありがとうございます」
同じ頃、流命も寧婷の父母を訪ねた。
酔ってすっかり気分を良くした寧婷の父親は、簡単な言葉で流命を労った。
「私も、島国に行きたくなった。君の友達、高校の同級生、月雪さんのスピーチは、最高だった。北城方言なのが少し残念だったがな」
「寧婷は、綺麗でしたね」
「ああ、ああ、本当にそうだ。美しい。本当に自慢の娘だよ。歳籍の世話をしてくれていた、君の妹さんに、礼を言いたい。折に触れてお手紙をくれた、君のご家族にも、感謝を伝えたい。もし時間があったら、君のご家族に海城市を少し案内したいものだ」
「もちろん、家族は喜ぶと思います。でも」
「君は忙しいだろう? 私がやっておく。連絡先は……」
「妹の奏子のアカウントを共有します。妹は、私の家族の官房長官なので」
「それは心強い。ゆっくり休んでくれ。今日はありがとう」
***
ホテルの部屋で、体に巻きついていた服をほどき、寧婷はキングサイズのベッドの上で、歳籍の寝顔を見ていた。
流命が帰ってきて、ペットボトルのミネラルウォーターを開けて飲んだ。
「お父さんはなんて?」
「明日、俺の家族に、海城市を案内してくれるそうだ」
「気合いの入り方が違うわよ」
「絶対会計でもめる」
「違いないわ。私から、きちんと全部払いなさいってお父さんには送っとく」
「それが一番もめるんだが」
「冗談よ。私、島国では島国の言葉を話していたけど、大陸語通じるの?」
「父親はだいたいわかるな。母は嫁だから漢籍の系統ではない。奏子は、大陸語にあんまり興味はないみたいだけど、少しはわかる」
「最悪英語話せばいいしね」
「まあ大丈夫だ。奏子のコミュ力を舐めてはいけない」
「それはそう。そういえば、月雪とは、話せなかったわね」
「ああ。今、三次会くらいか。和服で来たの、すごいよな。あいつ着付けできたんだ」
「たぶんいろんな人に絡まれているでしょうね。流命、なんで本を開くの? お嫁さんが同じ部屋にいるのよ?」
「読みかけなんだ。茶でも淹れようかと思っていた。寧婷もどうだ?」
「いただく。あと何人欲しい?」
「合計三人くらいでいいんじゃないか?」
「考えてあげる」