百五十八章《女優》
「制約の言語回路」百五十八章《女優》
寧婷が起きた時、ユキナはシャワーを浴びていた。
部屋のシャワーの音が聞こえて、ユキナの裸を想像した。
朝、港で錨を下ろした艦船を見て、落ち着いた、静かな気分に浸った。
「寧婷、シャワー空いたぞ」
ユキナはバスローブ姿でシャワー室から出ると、髪を乾かし始めた。赤百合は起きなかった。深く眠っていた。
寧婷もシャワーを浴びて、ちょうど髪を乾かし終えたユキナからドライヤーを受け取った。
ユキナは軽くメイクをして、朝食を食べに先に部屋を出た。
できるな、と思わせるところが憎いが、彼女がやると、自然で嫌味がなかった。
追いかけるように、寧婷も朝食会場に行く。赤百合はまだ寝ていた。
男子の方で朝が早いのは安珠と梓知だった。朝少し散歩したと言っていたから、健康そのものだ。
「狂廊さんは?」
「まだ寝てるよ」
梓知が言った。
ユキナはトレーにソーセージとスクランブルエッグ、ポテトサラダを盛りつけ、白米を山盛りにして、バクバク食べていた。
寧婷も朝カレーを敢行。
二人の席に梓知と安珠も座った。
安珠はかなり品数を揃えて、ユキナ以上に大喰らいだった。梓知はトーストとサラダとヨーグルト。朝ごはんにも個性が出る。
部屋に戻ると、流石に赤百合も起きていた。髪をとかして、服を着て、ユキナが「朝飯は?」と聞くと、おずおずと「待たせてしまいませんか?」と逆に聞いた。
「たぶん狂廊くんも今起きたところだから一緒に食べてくるといいよ」
バタバタと外に出る。狂廊と出くわしたのか、声が聞こえた。ユキナは安心したように、顔を綻ばせた。一回生が可愛いみたいだった。
***
昼に海鮮を食べた。軍港から離れたところに漁港があり、バスに揺られてそこまで向かった。
そこの食堂で刺身定食やら海鮮丼やらを馬鹿みたいにかき込んだ。
「うまいよぉ」
寧婷は感興を催した。わさびもたっぷりつける島国文化への染まり様。
海老の味噌が出汁になっている味噌汁を、何杯もおかわりする。
「何が美味しい?」
「イカ。甘すぎる」
「私も同感だ」
ユキナは、カキフライをふた皿用意して、テーブルの真ん中に置いてみんなに振る舞った。
会計はユキナと梓知がほとんど払い、赤百合は支払いを免除された。
「ユキナさん。支払いが良すぎるよ」
狂廊が文句を言う。
「気にするな。文句は受け付けない」
「梓知さんもすみません」
安珠が頭を下げた。
海都には、城があり、その麓に文化施設(美術館や庭園)が位置していた。
城は戦間期は格好の標的で、それゆえに天守閣のある城の広場には、高度な防衛設備が稼働していた。
ミサイルもドローンも「蚊すら通さない」と言われるほどの、優れた対空設備だった。
海都の戦争の歴史が、城ではパネル展示されていた。
「不快になる?」
狂廊は寧婷に聞いた。
「いいや。私の国とて同じだから。それに、城を守るために国の威信をかけて対空防御をするなんて、素敵なことと思うわ」
「あの時はきっと火星に行けた」
「冷戦の時代の月面着陸みたいに?」
「それだけ、科学技術は隆盛を誇っていたし、頭脳は集結していた。大陸もそうだったんじゃない?」
狂廊が聞いた。
「軍人が一番賢い時代なんて、いつ来ても最悪だわ。シビリアン・コントロールはどうなるのよ」
「名目だけだよ。そんなもの」
「狂廊さん。あなたってもしかしてアナーキストかコミュニストなの?」
狂廊は間を置いて大笑いした。
「なんで笑うの?」
「あんまり政治に興味がないだけだよ。政治っていうのは光にとってのガラスで、僕は光みたいに通り抜けてしまうことができるんだよ」
「西都大生にしては、珍しい」
「寧婷さんは、政治学科だもんね」
***
帰りの電車ではどうやらユキナが本を読み終えたみたいだった。その本を赤百合に渡した。
「奥義書だ」
パラパラとめくって、赤百合はそう断じた。「わかりますか?」
「全くわからない。でも、一流のヒーラーであるところの嬢憂先生が、自分の心の空白までは癒せなかったのがわかる。それは実に印象的だった」
「借りてもいいですか? この本、古い図書館にも置いていない」
「いいよ」
「どこで買ったんですか?」
「高校の恩師にもらった」
火曜休日の面々は、それぞれ眠ったり、本を読んだりしていた。
安珠と狂廊は、囲碁をやっていた。
「囲碁じゃん」
「やだなー、寧婷さん、絶対強いでしょ」
安珠が苦々しく笑った。
「え、普通につおいお? みしてみ?」
「絶対嫌ですねー」
安珠は手元を翻して、狂廊と囲碁を続けた。
ユキナは眠り、梓知も目をつむっていた。
西都駅に着いたのは、午後七時を回ったところだった。
西都駅のレストラン街で適当な店を見つけ、夕食にし、それぞれ帰路に着く。
夕食の時、赤百合は北白川に実家があると言っていた。
寧婷がタクシーを使おうとすると、同乗した。寧婷はまさか、無遠慮なやつだとは、思わなかった。そういうことは大陸ではかなり普通だ。
西都駅からの車中、赤百合は寧婷に指輪のことを聞いた。
「島国の人と結婚するの」
「冗談ではなくてですか?」
「卒業したらね」
「もっと、恋愛を楽しむ方かと思っていました。でも、そこまで美人だと、逆にモテないか」
「結婚してからが、恋愛の本領発揮だと思ってる」
「親を見ても、そう言えます?」
「赤百合は、どう?」
「どうとは?」
「恋愛したい?」
赤百合はくすくす笑った。
「全然です」
「西都大かい?」
タクシーの運転手が聞いた。
「二人は軽く笑って、答えなかった。でも、それが西都大の女子の模範解答だった」
河原町丸太町で寧婷は降りた。手を振って赤百合を見送る。
「あの人、大陸の人かい?」
「ええ。先輩です」
「綺麗な島国の言葉だったねえ」
「そうですね。あの人の島国の言葉は、きっと一人の人のために磨き上げられたものなんでしょうね。なんてもったいない」
「言語を学ぶってのは、そういうことな気もするけどね」
「社会の役に立ってこそですよ。私的な人間は嫌いです」
「でもお姉さん。あの大陸のお姉さんのこと、嫌いじゃないでしょ?」
「ほとんど知らない人です」
王都としての西都に生まれた自負は、大陸の才媛を矮小化した。運転手はおおらかに笑い飛ばした。
「でも、あれなら女優になればいいのに。それも、もったいないなぁ」