百五十六章《一月》
「制約の言語回路」百五十六章《一月》
一月、寧婷は第一都市へ新幹線に、狂廊と乗って向かっていた。
新幹線や第一都市行きに、慣れているわけじゃなかったから、狂廊に案内してもらったというのもある。
あとは単純に狂廊のことが好きだったから。恋愛にはならない、純粋な好意。というと、感情がくっきり腑分けできるように聞こえるけれど、そうでなくとも寧婷は少なくとも割り切っていた。
「『平凡的世界』なんて読むんだ」
「結構難しい」
「狂廊さんって、本読むの苦手でしょ」
「病気だからね」
「難しいね。あなたは、素敵な人なのに。……嬉しそうにしてもいいのよ?」
「女の子には、十分構ってもらってる」
「彼女いるの?」
「大陸の女性は二十歳から六十まで同じことを聞くんだね」
「ババアと言いたいわけね?」
「何か違いある?」
寧婷は狂廊の膝を叩いた。
大陸語と島国の言葉が混ざる会話は、とても音楽的で、寧婷の言葉は感情的で、狂廊はとても抑制的だった。
二人の荷物は驚くほど少なく、ポケットに全て入れているのかと、冗談めいて覚えてくる。
新幹線が第一都市に着くと、真珠市まで、狂廊は寧婷に同行した。
午後四時だった。
「ありがとう、狂廊さん。あなたのご実家は近いの?」
「ここから数駅」
「大概シティボーイなのね」
駅で別れた。
***
ホテルに流命を呼んだ。
抱きしめてあげたのは初めてだったかもしれない。
唇を重ね、少し恨み言を言った。
流命は笑った。
「俺も同じようなことを思っていた」
そう言って抱きしめ返してくれた。
差し入れは、ドーナツチェーンのドーナツだった。
寧婷はそれをあっという間に食べて、それから腹が減っていたことに気づいた。流命の気遣いに怖くなる。
「これ」
「なんだ?」
「サークルで書いたの。私のは「月曜日の安楽死」。七万字」
「暇か?」
「忙しいわよ!」
「ありがとう。読むのを楽しみにしている。いい装丁だな。本当の本みたいだ」
「なんか他にお土産はないの?」
「そうだった。龍井茶を買ってある」
「流命。私、あなたが好きよ」
「龍井茶と聞いて目がハートになるくらいだからな」
「だって、本当に美味しいんだもの」
「夜はうちのご飯でもいいか?」
「お邪魔していいの?」
「ああ、妹が楽しみにしている」
「奏子ちゃん」
流命がうなずいた。
***
「お姉さん、こんばんは。西都からですよね。わざわざありがとうございます!」
「こんばんは、奏子ちゃん。お母様も、お父様も、お招きくださりありがとうございます」
「今夜は、カレーです」
流命の母親が言った。
「奏子は、冷英に上がるのか?」
「んー。たぶんそう。やだよ、第一学府とかに行って、府学の人にマウント取られるの」
「冷英には友達も多いものな」
「女子は趣味が合う人もいるし」
「もしかして、奏子ちゃん、腐ってる?」
「お姉さん! わかる人?」
「サークルの人をモデルにして、腐向けのドリーム小説書いてるの。女も絡むドロドロものだよ」
寧婷の頭の中には「狂廊×梓知×ユキナ」の黄金方程式が輝いている。
「見せて! 読みます!」
「しょうがないなぁ、奏子ちゃんは。奏子ちゃんも、書いてるでしょ」
「お兄ちゃんの前では、とてもとても」
そのせりふに、怖気を催す流命。
にこにこしながら、端末で、互いの小説を交わす。
「そういえば、寧婷さんの御母堂様から、お手紙をいただきました。英語で書いてくださって、こちらでも内容が読めて、本当に良かったです」
「結婚式は、後でもいい。でも、銀行は継いでほしいと」
流命の母、父が、言葉をリレーする。
「銀行なんかほっておけばいいんですよ。私は島国に住みたいです」
「でも、お父上の思いもわかります。優秀な娘に、ぜひ継いでほしいと、念入りに言及されていました」
寧婷は黙った。
「幸い、流命は大陸に抵抗がありません。私たちは島国の生活を支えるのにやぶさかではありませんが、大陸で事業をするのも、悪くないと思いますよ」
***
「車の運転なんてあんまりやらないから、少しゆっくりになるけど」
流命は寧婷をホテルまで送る。
「ゆっくりしていってねー」
奏子はにこにこしながら見送った。
「奏子ちゃんも、名残惜しいよ。車に乗ったら?」
「お邪魔しちゃ悪いですよー」
「気を遣わなくても」
「いえいえ、ごゆっくりー」
奏子はガレージまで来て手を振った。
「イギリス車なんだ」
「お父さんの趣味だよ。運転しにくい」
「カレー美味しかった。あんなもの食べてるのね。いいなぁ」
「お母さん気合い入れていたよ。いつもはもうちょっと手を抜いている」
「大陸に来る?」
「ああ、一緒に銀行を繁盛させようぜ」
「島国との取引銀行になろうかしら。今ならまだ、大手しかやってないし」
「嬉しそうだな」
「そう?」
「きっとお父様の期待に応えられるのが嬉しいんだろう」
質問ではなく推量の語尾で、寧婷は少し間を置いて、笑った。その通りなのかもしれないが、自分ではわからない感情に「だろう」と当てられるのが、たまらなく面白かった。