百五十四章《遠距離》
「制約の言語回路」百五十四章《遠距離》
西都と浙京市は海を隔てた位置にある。
二年の間、卒業するまで会えないということはないけれど、正月や春節、夏休みや春休みの、わずかな期間しか会うことはできなかった。
流命の指には寧婷から贈られた指輪があった。その指輪を見るたびに、流命は笑ってしまう。
「るーめーいッ!」
電話先で月雪が声を響かせた。
「月雪。久々だな」
「久々だな、じゃないでしょ! どういうこと? 寧婷と結婚? はぁーあ?」
「感謝してるよ。伴侶になる人を紹介してくれたんだから」
「報告遅くない?」
「だから、わるか、」
「悪かった? 良し悪しで言ったらめでたいことでしょ。でもさ、確か流命って私と同い年じゃなかった?」
「最近、月雪のお母様のことを少し調べたが、大学一年生の時にはもう入籍されている。俺は三年生だ」
「それでも早いでしょー、って言いたいの!」(子どもでもできたの?)
「残念ながらお手つきはしてない」
「まあ、流命ならそうでしょうね」
「……」
「黙るなよ。寧婷を、幸せにするんだぞ!」
「わかってるよ」
「浙京大はどう?」
「島国とは訓練の仕方が違う」
「たとえば?」
「高考を通ってるから、なかなか手強い。彼らは、文章を書くのが好きだ。筆跡も自信があってブレない」
「筆跡?」
「あくまで例示だよ」
「流命は?」
「あまり俺は叩かれない」
「昔からそう」
「流命が浙京市にいるから、ちょっと旅行して案内してもらおうと思ったのに。女の子、流命に紹介しようと思ってたのにーっ! 既婚者じゃしょうがないか。またの機会にする」
「そうしてくれ」
「昔から、流命に回すと、女の子は喜んでくれたのにな」
「女衒か?」
「はは、違いない。おめでとう。結婚式のスピーチは、やってあげるね」
「ありがとう。楽しみにしている」
***
あくびをしながら、龍井茶を淹れて、ラジオで大陸のニュースを聴く。
古本屋で目についたハガキなんかを買って、エアメールで流命に送る。
センスがいいな、とだけ返事が来る。流命が使うのも結構凝ったレターセットで、流命の筆跡が、どんどん大陸じみてくるのには、笑ってしまう。
「あなた、さては私より大陸人やってるな?」
「寧婷こそ、平仮名が島国の人間より上手いのは、どうなってるんだ?」
「そいつは結構。学業はどう?」
「無為なく、無駄なく、無理なく、だな」
「良好。そいつは結構」
「サークルは?」
「最近指輪に気づいた男がいた」
「指輪が役に立っている」
「そういう言い方するの? でもそうね」
「そいつは、いい男か?」
「まあ、いいやつよ。病気をしていなければ、一流。今のままでも、大したやつだけど」
「そういうやつは、本当にいいやつだからな」
「わかるの?」
「病気があるのに西都にいるんだろ? 浪人はしているだろうけど、人の痛みがわかる。俺とは違う」
「あなた、確かにモラハラしそうだものね」
「それは言わないでほしかったな」
「次の正月は、流命のご実家」
「最近、寧婷のお母様から、お茶に呼ばれるんだ」
「へえ」
「お前、愛されてるんだな」
寧婷は、そのメッセージを見てしばらく考えた。愛されてる?
「何で?」
「だって、どうでもいい娘だったら、結婚相手もどうでもいいだろ?」
「あなた、頭いいわね。そういう演繹、嫌いじゃない」
「結構楽しいよ。仏頂面は親子でそっくりだけどな。小さい口が閉じ切ってさ」
「楽しそうね」
「そう聞こえるか?」
「うん」
「悪いけど、めちゃくちゃ楽しい。寧婷、お前のおかげだよ」
***
「指輪」
「気づいた?」
「結婚するの?」
「卒業したらね」
狂廊はしばらく唖然としていた。
「フィアンセとか?」
「ううん。島国の人」
狂廊はまた、押し黙った。
「深いこと考えてるでしょ?」
「深いことって?」
「結婚とは、みたいな」
狂廊は自嘲気味に笑った。
「結婚、できるかなぁって、いつも思うよ」
「でもしたいでしょ?」
「うん」
「だいじょーぶだよ、狂廊さん。あなたはとても魅力的な人だから」
「どんな人と結婚するの?」
「大した男じゃないよ。今、浙京大に留学している。昔つきゆきに紹介してもらったの」
ここでも月雪か、という顔をしていたら、寧婷は笑った。「狂廊さんは、幸せが何かっていうのをわかってる人だよね」
狂廊は、笑みを浮かべて首を振った。
「落ちてくるのは不幸のカケラばかりだよ」
「ちゃんと傘、さしてるの知ってるよ」
「ユキナさんみたいなこと言うんだね」
「ユキナさんのこと、好きなんでしょ」
「いいや。その推理は外れている」
「仲いいのに?」
「釣り合わないんだよ」
「そんなこと気にしちゃダメだよ、なんて、言っても伝わらない顔」
寧婷が悲しそうな表情をした。それは真なる表情だったから、狂廊にもすぐに伝わった。狂廊の顔が表情を消して、その後「ごめん」と詫びた。
「たぶん、狂廊は頑張りすぎている。特別な人になるために。今でもあなたは特別なのにね」
「そんなことないよ」
「そんなことなくない! 何でそんなふうに自分を傷つける」
「それだけが、手応えなんだ」
「そんなの無意味だよ。リストカットじゃない!」
「なんで、そんなふうに言う? 僕のこの手応えは、本物かもしれないだろ?」
「ちゃちな文学に傾倒しているだけよ! そんなものが人生なはずがないじゃない」
涙目になって寧婷は反駁した。
「何でそんなに親切なんだ?」
「あなたが『と・も・だ・ち』だからでしょぉ?」
寧婷が見た狂廊の目は、それでも冷たくどんよりと濁っていた。
「寧婷」
「ユキナさん。すみません、聞こえていましたか?」
「大陸語はさっぱりだ。すごいな、狂廊くんは。と・も・だ・ち、だけ。はっきり聞こえた。そいつにはその言葉だけは通じないんだ。友達というカテゴリーがないんだ。単に寧婷のことは寧婷と。ユキナはユキナと認識している」
「狂廊さん、あなたのことをユキナさんはよく理解している」
狂廊は、柔らかい笑みを浮かべて、唇を閉じた。
「映画が始まる。それと、寧婷」
「ん?」
「結婚おめでとう」
「本当に、めざとい人ばかりで、嫌いです」