百五十三章《結婚》
「制約の言語回路」百五十三章《結婚》
寧婷の父親は、娘の唐突な結婚相手の紹介に、面食らった顔をしていた。でも、その相手の島国の男を見て、少し安心したように笑みを見せた。
妻に振り回された自分と、同じ顔を見たからだった。
「愛しているのか?」
「それは、」
「それはよくわかりません」
流命は寧婷の言葉にかぶせた。
「ただ、言葉以上のものはあると思います」
「そんなことで、一人娘をやるわけにはいかんな」
「お父さん。それ『お父さん構文』だよ。前、その構文だけは使わないでってお願いしたと思うんだけど」
苦々しい顔で娘を見る。
「大学はどうするんだ? お前は、ちゃらちゃらと島国で政治なんか勉強して、私の銀行を継ぐのは、お前なんだぞ?」
「新情報だ」
「流命、私もよ」
「お前は、頭がいいんだ。私より銀行の舵取りに相応しい」
寧婷は父親から目を逸らした。
流命には、寧婷が、父親の過剰な期待に、恥じらいと戸惑いを覚えているように見えた。自負でも、野心でもなく、小さな恐怖と、無関心になってはいけないという父親への忖度が、彼女の喉を締めつけ、痒みを覚えさせていた。
「それとも、お前が継ぐか? 少年」
「お父さん、それって」
ぽろりとこぼした父親の冗談に、寧婷はそれとわかってあからさまに喜んだ。
「流命はきっとうまくやるわ」
「いやこれは」
「お父さん、ありがとう」
***
「お前、本当に良かったのか?」
「何が?」
「いい。島国に戻るなら第一都市経由で」
「流命のお母さんはなんて言う?」
「美人だ。お前はよくやった。孫が楽しみだ」
「そんなに美人かな?」
「またまた。わかってるくせに」
「ところでさ」
「ん?」
「さっき、レストランの店員、可愛いって思ったでしょ?」
「何の話だ」
「だーからー、あなたの視線が腰に行っていたやつよ」
「見てたからどうした?」
「これは嫉妬じゃないからね? どっちが上かってのを、あなたにはわきまえてもらわないと」
「お前、めっちゃいい性格してんな」
「どういうこと?」
「すごい可愛いってこと。容姿だけじゃない。性格も、俺好みだ」
寧婷は目をぱちくりさせた。
「それは、ッ、ありがたいけれども」
「そういうふうな反応があるなら、少しくらい浮気するのも悪くないよな?」
「あなたねぇ」
「冗談だよ。悪かったな」
「認めるのね?」
「すみません」
「何よ。拍子抜けだわ」
***
第一都市に着くと、二人はすぐに佳倉に身を寄せた。
祖母に結婚の報告をした。
祖母は二回うなずいて、何も言わなかった。
流命は家族に連絡を取った。
「第一都市に来てるの? おにーちゃん」
父親と母親に連絡を取ったはずが、なぜか妹からチャットが来た。
冷英高等部に通っている、かなりのコミュニケーション強者だ。
「なんで奏子が最初に連絡くれるんだ?」
「結婚ー? 何でそんな相手がいるって妹に相談してくれないかな。藪から棒、唐突、青天の霹靂だよぉ」
「俺も困惑している。急転直下なんだ」
「お母さんがレストラン予約してくれたって。楽しみだなぁ。ねえ、写真ないの?」
そう言われて、流命は寧婷の写真を撮った。
「それ、何に使うの?」
「妹に送る」
「妹がいるの?」
「奏子」
「奏子ちゃんね」
第一都市車座のステーキ屋に集合する。
母親は一旦帰ったのか、かなり極まった服装で、父親もネクタイをしていた。
奏子は制服で来たが、寧婷と会うとすぐ打ち解けた。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん、すっごい美人。やばぁ。騙されてない? でもこんなに綺麗だったら、騙されててもいいよねえ」
「寧婷は島国の言葉がわかるぞ」
「お兄ちゃん、先言ってよ。とてもすみません」
「騙してごめんね、奏子ちゃん」
「お姉さん! よろしくお願いします。奏子です!」
「私は寧婷です。西都大に留学しています」
「どこで知り合ったの?」
「どこだっけ? 府月高校で? 佳倉を案内してもらって」
「いいねいいね。何年かぶりに再燃したんだ」
「再燃の使い方合ってるか?」
流命が苦言を呈す。奏子、完全無視。
ただただ奏子が話しまくる。
父も母も、ただにこにこして、ちょっとしたことを小さな声で話した。「奏子が気に入るなら大丈夫だろう」と。
「お国の、御母堂はなんと?」
父親が聞いた。
「お墨付きを得ました。大丈夫です!」
寧婷が快活に答える。
「うちらとしては、問題はないけれど」
母親がつぶやいた。「御母堂様の連絡先をいただける?」母親は続けて寧婷に聞いた。
「ええ、もちろんです」
「結婚のタイミングとか、式の挙げ方とか、住む場所とか、仕事のこととか。まだ、大学生だから。私たちの方で調整してみます。西都に戻るまで、しばらくゆっくりしていってください。うちらは歓迎します。ホテルは、真珠市に取りました。流命、本屋でも連れていってあげなさい」
***
「すごい美味しいステーキだった」
「和牛ってやつだよ」
「あなたたちって不思議ね。大袈裟にしないのね、奏子ちゃんを除いて」
「ノリってやつだよ」
「ノリって? やつだよ?」
「空気に乗るのもノリ、あえて外すのもノリ」
「つまり事実ではなく雰囲気に基づいた意思決定ということね?」
「妹ってのはそのためにいるんだ」
「あなたねえ」
寧婷は笑った。
「あなたって、超然としてるわね。大陸にもいるわ。背が高くて、眼鏡をかけていて、綺麗な顔で、優しくて、頼り甲斐のある男」
「どこにでもいるさ」
「でもあなたがいいわ」
「そりゃどうも」