百四十九章《鞍馬山》
「制約の言語回路」百四十九章《鞍馬山》
寧婷の二回生の五月。
履修登録も終わり、本格的に授業が始まる。
ゴールデンウィークの一日に、文芸サークル「火曜休日」の面々は、鞍馬山登山を敢行するらしい。
適当なチラシで、何の面白みもない文面。
「だいじょぶか? 文芸サークルだろ?」
と思いつつ、寧婷はそのサークルの掲げた日に、出町柳の駅に行ってみた。
五人くらいの男女が「文芸サークル火曜休日」と段ボールに紙を貼った案内板を掲げていた。
(まじで手作りだな、おい。本当に島国の双璧をなす大学生かよ)
「こんにちは」
「こ、こんにじわぁー。おい、梓知さん。来たでしょ!? ほらぁ、見てくれる人いるんだぁ。嬉しいなぁー。火曜休日はようこそ。僕は狂廊。文学部の二回生。あれ? 大陸系。你好」
「你好同学」
「僕は、中文系だよ。よろしくね」
「おいって、なんだよ。ぼかぁ先輩だぞ、狂廊」
「彼は梓知先輩」
「こんちゃ。梓知仏文科三回です」
「私は寧婷です。本科の二回生です。みなさまどうぞよろしくお願いします」
「私は、ユキナ。医学部医学科四回生だから、標準的には老害だけど、医学科は六回まであるから。老害って言ったら殺す」
「ユキナ先輩は《冷血のユキナ》と異名されているらしい」
「小説のタイトルみたいですね」
寧婷は微笑んだ。
「安珠くんとオルセナさん。二人とも理系。学部は、何度となく教えてもらっているんだけどね。覚えられないんだ」
「オルセナです。理学部物理学科、イギリスからの留学生です」
「安珠です。工学部化学科」
「この二人はいつも、計算している」
狂廊がこの会の司会らしい。
「それにしてもよかったよー、新歓なのに誰も来ないかとおもっだもんー」
「まあ、それにしても」
ユキナが寧婷の顔を覗いた。
「すごい綺麗ね」
***
叡山電車に乗って、かたことと揺られていく。
「このサークルは、どんなサークルなんですか? 私、サークルに所属していないので、サークルそのものがよくわかっていないかもしれないのですが」
「読書会をしたり、小説を執筆したり、映画を見たり、こうやって折に触れて旅行したりするサークルだよ」
狂廊が柔和な笑顔を見せる。
(あ、こいつら、やばいかも)
寧婷の直感が告げていた。
(私が美人かどうかなんて、どうでもいいって顔してる。島国に来てからこういうのばかりだ)
「どうしたの?」
「いえ」
「敬語じゃなくても大丈夫だよ。僕たちは同学年だよ?」
「でも、少し年上ですよね?」
「! わかるの?」
「なんとなく」
「僕は二浪しているからね」
「二浪?」
「大陸でいう再受験だよ」
「頭悪いの?」
ユキナが笑った。
「あんまり良くない。大した記憶力じゃないしね」
「狂廊くんはだから私と同い年だ」
ユキナが言った。
「ふうん」
(甘えちゃダメってわかってても、素が出てしまう)
「狂廊くんは、頭いいよ。ダメですよ、ユキナさん。きちんと言っておかないと」
安珠が言った。
「悪い悪い」
「まあ、ユキナさんは医学科だからな。桁違いだ」
「桁違いってのは嬢憂先生のことを言う。戦間期の先生は、実にね。狂廊くん、体調は?」
「全然いけます」
「ため息ついちゃうほど明るいけど、君と話すといつも、底の抜けた闇を見るよ」
「まあ、病の薫陶を得たということですよ」
狂廊とユキナが、寧婷と向き合って話す。
狂廊が話を振って、梓知が返事をする。
理系の安珠とオルセナは、込み入った数学の話をしていた。
***
「ちょうど一時間ばかり歩いて、貴船に出る。そしたら川床でお昼ごはんだぁ! 新歓は奢りですからね」
「大丈夫です。私の家お金があるので」
「それでもだよ!」
狂廊が笑顔を向けた。ため息をついてしまうほど明るい。
「ほい。ほい。ほい」
ペットボトルの水を配るのは梓知。
「悪いね、梓知くん」
ユキナは早速開けて口につけた。
「じゃあ、登ろうか」
***
「山登りって、結構大変なんですねっ」
「その割にはハイペースじゃないか。狂廊くんがはるか後方に置いてかれてるぞ」
「狂廊さんが遅いだけです」
ユキナと寧婷が先頭。少し遅れてオルセナと安珠。後ろに狂廊と梓知。
「ユキナさんって、出身どこですか?」
「北尾道。北の果てだよ」
「雪が降るんですか?」
「ああ、何メートルも積もる。寧婷さんは、南の方?」
「海城市ですから、気候区分は島国の本州と変わらない。元租界ですから、建物も悪くない。自然はないですが」
「そうか。梓知くんと安珠くんは堂王。オルセナさんはイギリスで、狂廊くんは第一都市だったと思う」
「へえ、第一都市なんだ。府月とか?」
「府学を知ってるんだ。ここで府学出身なのは、私だけだよ」
「さっき桁違いって言ってましたもんね」
「君も、大陸では名のある高校の出身だろう?」
「私は雨情という高校の出身です。大陸では、少し有名ですけど。島国の人はほとんど知らない」
「まあ、学力ってのは入試で測るから単一の基準があるように思うけど、知能はそうではないからな。狂廊くんは、脳が相当痛めつけられているが、よく本を読むし、よく考える。あの呪いは、何とかしてあげたいよ。あの底抜けの明るさは、知能の発達の一種だ」
「後方でへばってますけど」
***
「と、おちゃーく。はあはあはあ」
「ユキナさん、汗一つかいてない」
オルセナが笑った。「さすが、冷血」
ユキナはペットボトルの水を飲む。
「なんだ、もう空か? ほら、狂廊くん、飲めよ」
「あ、ありがとう、ございます」
「気に入られているのね」
寧婷が狂廊に笑いかけた。
「同い年だから」
「貴船の川床を予約しているんだっけ?」
安珠が言った。
「うん」
***
ひんやりした空気。霊性のある空間。
「タバコ吸ってくる」
ユキナが言った。
「タバコ吸うの?」
「悪い?」
「いや。男が嫌がるかなって」
「そりゃナンセンスな基準だ」
「でもそうでしょ?」
「迷惑はかけない」
そう言うと、ユキナは席を立った。
せせらぎの音を聴き、梢の擦れる音に耳をそばだてる。
水の流れはトビウオの背のようになだらかで丸く、なのに鋭さを持って下流に流れていった。
「アイスもあるよーぉ」
心から笑ってしまった。
「おかしな人たち」