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百四十五章「流命の佳倉2」

「制約の言語回路」百四十五章《流命の佳倉2》


 佳倉の中央社殿を参拝する。


 源氏の系統を祀る、由緒のある神社だ。


 大きな社。配置はいかにも宗教的で、隙がなかった。


 雨が降り始めていた。けぶる山の影。


 流命が傘をさすと、寧婷はその中に入った。流命の腕を取る。


 下から流命の顔を見た。表情が変わらないのを見て、寧婷は笑顔になった。


「女慣れしているのね」


「お前ほど綺麗な女には慣れていない」


「はは、それでもよ。綺麗なお社ね。ここにはよく来るの?」


「昔は友達と参拝した。今はもう廃れた街だ。綺麗なのはここだけだよ」


「ふうん」


 寧婷は端末を取り出して写真を撮った。


「あなたも入るといいわ」


「お前が濡れる」


「傘は残しなさいよ」


「傲岸不遜だな」


「知ってる」


 そう言うと、傘を手で払ってから、寧婷は三歩下がって、写真を撮った。「記念だから。ごめんね」


「構わない」


「あなたは、月雪が好きなの?」


「まさか。寧婷、お前の方がよっぽど綺麗だ」


「あなたねぇ、私、本気になったことなんてないのよ?」


「俺もない。初めてだ」


「そう。大陸語が堪能でよかったわね。私は上玉よ」


「見ればわかる。侮るな」


「次はどこに行くの?」


「海と山、どっちがいい?」


「どっちでもいい。強いて言うなら海」


「倉島電車に乗る」


「変な名前」


***


「海、綺麗ね」


 海風が寧婷の髪を梳く。


「ああ。雨が止んでよかったな」


「雨も、悪くなかった」


「ならいい」


 寧婷は岬を指して名前を聞いた。


 大陸語で言ってもわからないだろうと、流命が言うと、寧亭は「私も島国の言葉はわかるのよ」と笑った。


「音畑岬だ」


「うまく漢字に変換できない。なんだっけそれ、畑、tian、だっけ」


「多分そうだ。海辺、少し歩くか?」


「あなたって、何考えてるのかわかんないわよね」


「寧婷はわかるのか?」


「さっぱり。私に対する下心なら、目をつぶって耳と口を閉じてても、嗅ぐだけでわかっちゃう」


「口紅は、実にいいな」


「いまさら?」


「上品だ。実にいい」


「あのねえ、私だってこういう日は本気で来てるの! 誰と仲良くなりたいかなんて、私もわかんないんだから」


 寧婷は流命の腕に手をかけた。「大陸語はどこで習ったの?」


「父親からだ。誠実に生きるために絶対に必要だからと。父は戦争中に死ぬ気でやったんだ。記憶力が衰えても、本気なら何でもできるんだな。平和なら、もっとできるようになると言っていた。それが本当かどうかは知らないが」


「立派よ。あなたは戦士の子どもなのね」


「殺したことはないけどな」


「私の父は下衆よ。金で人を殺している」


「それが嫌なのか?」


「まさか。私だって同じ穴の狢よ。嫌いな奴はいじめ抜くし、人を石ころのように蹴り飛ばすことだってある」


「でも、月雪はお前を気に入っている。俺たち府月の生徒は、月雪のことが好きなんだ。その月雪が大陸で見つけてきた仲間だ。……なんだ?」


「はあ、つきゆき、つきゆき。つきゆき、つきゆき。まるで女神ね」


「気に食わないか?」


「彼女をいじめる絵面が想像できないだけ」


「そうか?」


「でも、流命、あなた、私と寝」


「寧婷、悪いけどお前の悪趣味には付き合えない」


「わかる?」


「月雪に対する意趣返しだろ? 月雪が気にするかよ」


 寧婷は流命の腕を引っ張ると、文句を言うように笑った。流命のメガネを丁寧に外す。


「キスくらいいいでしょ?」


「黙ってろよ」


「バカね、っ、ン」


***


「どこが捨てられた街よ。綺麗じゃない」


「刺身食えるか?」


「なんでも食べるわよ。あなたを信頼しているから」


「祖母に連絡した。佳倉の家に行く」


「まさか、襲う気?」


「祖母に怒られる。レストランがいいか?」


「家庭料理ってこと?」


「島国のおばあちゃんを舐めるなよ」


「そう。楽しみにしている。その前に唇拭いた方がいいよ」


 歩いて行くとすぐについた。


「流命にい、おかえ、え、彼女!?」


「こんにちは、私は寧婷と言います。島国に旅行で来ていて、彼女じゃないですよ」


「蛍、来ていたのか」


「蛍です。流命にいのいとこで、中学生です。大陸の方ですね。流命にいほどは大陸語は話せませんが、歓迎します。おばーちゃーん、流命にいが彼女連れてきたよー!?」


「ですってよ、流命さん」


***


「おばあさまの作る料理はとても美味しいですね」


「本当かい? 腕を振るった甲斐があったねえ」


「この味噌汁の出汁は」


「蟹ですよ。寧婷さん」


「すごい贅沢。刺身も、白米も、本当にとろけてしまう」


「ここは太平洋に面しているからね。魚は美味しいのさ」


「煮魚もあるんですね」


「流命が来るって聞いたからね」


「愛されているんですね、流命さん」


「祖母はいつも美味しいご飯を作ってくれる。一緒に食べるのも悪くはないかなと」


「お昼のビストロも良かったですが」


「え、あそこ行ったの。いいなー、ってそれ、デートじゃん。流命にい、いいなー」


「蛍、お前彼女いるだろ」


「お母さんには内緒にしてよな。でも寧婷さんほど美人じゃないぜ」


「そんな。私別に美人じゃないですよ」


 流命の祖母は、じっと寧婷を見て、それからおもむろに口を開いた。


「無理してるんだろうな。あふれる力の使い方がわからんのだろう。そういうことはよくわかる。若い子どもが、あふれる力を持て余して、十年二十年を棒に振った。無理しているんだろうよ」


「無理なんて、私は」


「程度の低い輩とは付き合うなかれ。上位者としての矜持を持つべきだ。まあ、食べえ」


(矜持って何?)

(誇りのことだ。自尊心だよ)


「とんでもない。上位者なんて」


「まあ、気づいたら遥かなる高みに立っていることもあるか。また会えるのを楽しみにしておるよ」


***


 祖母は電話でタクシーを呼び、流命と寧婷を放り込んだ。


「駅まで」


「いつもありがとうございまーす」


「あなたのおばあちゃんは、すごい人ね」


「たぶん、すごかったんだけど、家庭に入って、すごくてもすごくなくてもやることは一緒だということに気づいたんじゃないかな」


「ああ、そういう。なるほどね。それは、なかなかの知見だわ」


「ほら、それだとお金もいらないだろ?」


「島国の哲学ね。とても参考になる。って、もう駅?」


「観光かい?」


 運転手が聞いた。


「ええ。とてもいいところで驚きました。友達が、彼を紹介してくれて、半信半疑で来たけど、満足です」


「島国の言葉がうまいねえ。大陸から?」


「ええ。彼が大陸語を話せるので、甘えてしまいました」


「あの家は、漢籍の知識を絶やさずに代々やってきているからね。流命様も」


「様づけはやめてよ」


「流命様だよ。流命様」


「流命、ここの支払いくらい私が、っ、撫でるなよ!」


「もうアプリ決済した。帰るぞ」


「お気をつけて」


***


「少し眠っていい?」


「都心まではしばらくかかる」


「肩借りるわよ」


「強気なのか甘えているのかわからんな」


「強気に甘えているの! まったく」


 寧婷は、左手で流命の手の甲に手のひらを当てて指を絡めた。


「右手が使えない」


「文句言うな、バカ」


***


 ホテルの前で、寧婷は言った。


「あなた、本当に私と寝る気がないのね」


「お前、誰とでも寝ますって女と寝れて嬉しい男がいるか?」


「いる」


「即答かよ」


「せっかく、ホテルがあるんだし、誰も怒らないと思うけど」


「俺はお前のこと」


「好きじゃない? 私もそうよ。でも、私は」


「好きじゃなくても寝る?」


「悪いかな? そんなに悪いこととは思わないけど」


「海でキスした時の、冷たい唇の感触が、お前を忌避する理由だ。なんとなくだけどお前の体、冷たそうだからな」


「ひんやりしてて気持ちいいよ?」


 流命も寧婷も笑った。ホテルの前で、天まで届く響きだった。


「じゃあな」


「うん、ありがと」


 寧婷は、流命のメガネを丁寧に外した。


 もう一度唇を重ねると、メガネを戻した。


「冷たかった?」


「俺の方が冷たかったかもな」


「海城市に来たら聯信で連絡して」


 そう言うと、ぱらぱらと手を振って、ホテルのロビーに入った。

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