百四十章《寧婷》
「制約の言語回路」百四十章《寧婷》
雨情高校に着いたのは、午後二時くらいだった。
高校の授業が終わって、星声がホームルームに行こうとする時に、琉璃から連絡があった。
「今から行ってもよい?」
「先輩、何かご用事で?」
「島国から高校生が来ている。大陸語が話せるから、ちょっと交流でも」
「今から。ふむ。いいですよ」
「島国のエース級だ。気を抜くなよ、雨情」
「それは楽しみ。島国に興味のある生徒も多いですから、きっといい会になりますよ」
***
「皆さん、こんにちは」
星声のホームルームで紹介された月雪は、自己紹介をした。「月雪と言います。家族旅行で来ました」
「島国の故郷は?」
男の子が質問した。
「第一都市です」
「どうやって大陸語勉強したの?」
今度は女の子が聞いた。
「大陸に留学していた先生に、教えてもらいました」
「何系に興味があるの?」
同じ女の子が聞いた。
「語言系です」
ほわほわした緊張感のない顔。スタイルは、大陸人にも負けていない。
「島国に行く時、何を気をつければいい?」
「列に並んでください」
爆笑。
「並ぶよぉー」
「空港から乗った電車は、カオスでしたが?」
「ごめんて」
「おすすめの観光スポットは?」
「買い物をするなら、私の地元の真珠市も、悪くないです。真珠市駅の乗降客数は、世界一。つまり、たくさん人がいます」
「大陸語は通じる?」
「ここで島国の言葉が通じます?」
「英語は?」
(あいつ、英語ができる気でいるみたいだぜ)
「三割くらいの人は、まともに喋れると思います」
質問は引きも切らなかった。
「島国の人は、戦争についてどう思っているの?」
「誰が始めたんだろうって思ってるし、どうして終わったんだろうとも思ってます」
「うちらもそうだわ。わかるなぁ」
「勝ったと思う? 負けたと思う?」
かなり真面目な口調だった。
「わからない。でも、私はここに来れて、嬉しい。戦争中なら絶対に来れなかった。そういう意味では、皆さんもいくらでも島国に来れる」
にたにたしている生徒を睨む、真面目な生徒。
「なんで、大陸語勉強したの?」
「理由はない!」
「おおおー」
拍手が沸いた。
「北城市には行きましたか? 海城市と、どちらがいいとかあります?」
「向こうは寒くて、こちらは暑い」
「ご飯は?」
「今日の夜食べてから決めます!」
「カントは読みますか?」
聞いた男の子がペシっとされていた。
(読みもしねえのに聞くなよ)
「好きです。ヴァイオリンの響きみたいですよね。母がよく、イギリスのカント受容の話をします。私的には、ヘーゲルよりわかりやすいから……」
「すみませんでした」
(まじで恥じかいた)
(言わんことない)
「島国は、自由ですか?」
ひんやりとした空気が、逆に心地よかった。そういうものを、雨情は共有しているのだと、誇らんばかりの雄弁な表情。
「お名前は?」
「寧婷です」
「私は、守られているから、自由だと感じます。寧婷さんは?」
「この場所が答えです」
交錯する視線にお互いの意志が宿る。「文革では親を売った私たちも、友達まで売ることはできません」
綺麗な笑顔だった。そのレトリックは、高校生としては傑出していた。
(寧婷らしいな)
「もし、私の国が自由だとしたら、好意に対して好意が報われ、悪意には相応の悪意がつきまとうところです。大陸でもそれは、逆ではないと思います」
「一つ、注意をしておきます、つきゆきさん。怒りは、時間が経てば虚しさに変わります。私たちの政府は、それをよく知っている」
「どうするんですか?」
「陶淵明の時代からそうなんです。どうする、どうするのでしょう? それは、悪いことだと思いますか?」
「一つの文化として、ということですか?」
「天と地がある国なんです。大陸というのは。個人の憂愁も、下層の貧しさも、等しくわたしたちを作っている。きっと島国で、そう感じる人は少ないんじゃないかと思いまして」
「どこか文学的ですね。素敵です。でも、答えではない」
寧婷は息を吸って笑んだ。
「答えはない、というのは、卑怯だと思いますか?」
「全くそんなことはありません。単に言葉を紡ぐだけでも、噤むより価値があります」
「おそらくそれは、つきゆきさんだからそう思う。選ばれた人だから」
「単純すぎます」
「ははは、そうかもしれない。物怖じしないのはいいことですよ。ありがとうございます。寧婷です。よろしく、つきゆきさん」