十四章《気持ち悪さ》
「制約の言語回路」十四章《気持ち悪さ》
雨がしとしとと降る、爆薬の臭いが静かにくすぶる。
瓦礫の片づけには人手がいる。
重力を操る理維は、ヘルメットをかぶって最前線でお片づけ。
蒸した空気に汗を拭う生徒たち。
若い教官が声を張って指示する。
ガラスが割れた図書館は、風に焼けた紙が吹かれて外に散る。
学生の態度は二手に分かれた。強硬に報復を主張する一派と、やられちまったな、しゃーなしという呑気な一派。
理維は前者であり、緻里は後者だった。
上空を飛んだ緻里は、呑気な気分もそこそこに、敵の将校とやり合ったことを「評価」されて、上位クラスへの編入が決まった。
近々徴兵があると聞く。目立ちすぎたな。緻里は反省する。
その反面、高校の時考えていたエリートとしての国家主義に奉じることができるのは、緻里を奮わせた。忘れていた単純な感情、単純な理想、単純な思想に思わず傾きそうになる。
魔女と戦ったのは楽しかった。それはまるで第二中学での演習のようであり、純粋な競技に思えた。魔女との短い会話も、大陸でのあかつきの日々を思い出させる。
国家主義を「使う」ことができるのは、ひどくコスパがいい。
わかるものに寄りかかるのは、考えなくて済むから。
連帯に価値を見出し、排外を以て旨とする。それは一見わかりやすいが、連帯すべき味方と殺すべき敵という内外の境界をどこに引くのかは、極めて難しい問題だった。緻里が悩むのは、大陸が緻里の中に存在しているまさにそのためだった。
時たまに思い出すのは、大陸の風の荒涼とした感じ。この島国の首筋をかきたくなるような湿った空気とは違っている。
図書館が滅茶滅茶になってしまい、学生は行き場を失っていた。
教室の机を運び出し、キャンパスのそこかしこで臨時のカフェが開店し、知る人も知らぬ人も一緒にテーブルを囲み、これからのことについて話した。
兵士になるという人も少なくなかった。
大陸への無関心と無知がそれに拍車をかけた。大陸の軍隊が島国を攻撃したのだって、大陸人が島国のことをよく知らないからだ。
緻里のように、大陸人を少しでも知っていれば、その人たちを殺すことを安易に選び取ることはできないはずだった。
藝適が留置されていることを聞いたのは、まさにそこで外国語のコミュニケーションが必要とされていたからだった。
藝適はスパイの疑惑がかけられていた。というか十中八九スパイだった。
「你好」
緻里は留置所で少しやつれた藝適に声をかけた。
「你好。緻里。なんだか安心しましたよ」
「僕は、任務を帯びてきているから、あまり無駄話はできないかもしれない」
「構いません」
「君の持つデバイスは、大陸の情報機関と繋がっている。そうだね?」
大陸語で質問する。
「情報機関とは知りませんでした。どれも、公にされている情報を、島国の紹介のつもりで配信していただけです。私の文章は拙いものですから、たまたま情報機関という存在が、私のブログを参照していたのではないでしょうかね」
あまりにも典型的なスパイの文句だった。
「細かい数字まで精確に書かれているね。大陸の人が島国の情報を探る際の困難は、やはり言語だよね。今回の夜襲では、選択的に研究棟ばかりが狙われていた。実測した地図を公開しているよね」
「実測なんてとんでもない。ただ測るのが楽しいだけです。それに、空襲の時、私は私の安全をどうやって確保するんですか? このようにスパイの疑惑をかけられて、私の身の安全を考えたら……」
「公のために自分を犠牲にする」
「そういうように見えますか?」
長いまつ毛に覆われた藝適の目は奥深くに光を灯した黒い瞳があって、緻里はその目に吸い込まれそうだった。
ハッとして、緻里は自分が、藝適のスパイの疑惑を打ち消そうとしていることに気づく。
術式の展開された気配がなかったのに、藝適は緻里の心理に働きかけていた。藝適は全く表情を変えない。
自然に心理が移っていったのか、他に術がかけられているのか、解析をかけてもわからない。あるいは、解析の深度以下に潜伏する、特殊能力なのかもしれない。
「解析、されてますね。すごく洗練された術式展開。美しい文学です。私と緻里は同じですよね。どちらも片足を取られている。私はこの島国のことが好きですし、この国の人たちが好きです。その逆のことが、緻里にも言えるのではないですか?」
緻里はこのやりとりから、一つのことを考えた。藝適を捕虜として抑留しなくてはならない。藝適が蓄えた島国の情報は、極めて多岐に渡る。その頭脳を、大陸に帰してはならない。そう感じた。
モヤモヤしたまま、教官に抑留の継続を申し出て、壊されなかった寮棟に戻り、シャワーを浴びてから炊き出しのご飯を食べに出かけ、電気の通らなくなった街灯にセンチメンタルな感情を抱いた。豚汁をすすり、おにぎりを頬張った。なんだか泣きそうになった。
思純もおそらく、島国の人間を殺すために、武器を磨いていることだろう。それは緻里も一緒だった。
空爆で死傷した学生や教職員がいないわけではなかった。緻里はそのことを努めて考えないようにしていた。脂の塊が焼ける臭いというのは、気持ち悪さ以外の何ものも引き起こさない。
***
いろいろなところで声をかけられる。「がんばれよ」と。何を頑張れば良いのか、緻里はわからない。「たくさん殺せよ」ということなんだろうか。
理維とは様々な場面で話すことになるけれど、曖昧な自分が曖昧な応答に終始してしまう。
どんどん孤立していく。凄まじい孤独を感じる。誰に聞けばいいのかわからない。緻里は思純が好きなのだ。大陸が懐かしいのだ。でもそのことを口にすることは許されていない。大いなる禁止、抑制であり、制約だった。
機識が図書館の絵を描いていた。壊れた図書館の尖ってばらけた端の辺を、ナイフで鋭く刻みつけていた。
淡々と描いているけれど、一種の鎮魂なのだと緻里は理解した。
でも、そういう被害者の側面だけでないことは、続いて到着した知らせによって、明らかになった。
島国の第一都市のお歴々は、「報復」することを決意し、多くの軍隊を大陸に向けて送り込んだ。
***
……事実はもしかしたら「報復」ではなく「侵略」だったのかもしれない。大陸の軍隊の空爆は、それに先立って行われた島国の先制攻撃により引き起こされたの「かも」しれなかった。事実の確認はすこぶる困難で、国際的な仲裁や調査を、どちらの国も受け入れなかった。
それは深刻な戦争だった。操り手のいない人形劇が、時間とともにただ進行するだけ。方向性を失った歴史の中に、島国も大陸も組み込まれていく。そういう時代だった。