百三十九章《訛り》
「制約の言語回路」百三十九章《訛り》
「どこもいいですけど、ここは、家族とも行きます」
決めたのはその綺麗のレビューから。
飾絵から店に入る。
「三位-san wei-」
「どうぞ」
一階建ての広いレストラン。天井は本屋と違って低めだった。
「私が注文する」
七歳の少女が文字を覚えたのと同じような、主張だった。
月雪が注文するのを、飾絵はじっと見ていた。その発音は、硬くてぎこちないところもあったけど、語学の才能を感じさせる「つながり」を保っていた。
「您是从日本来的?」
「是。我是日本人」
「よう、こそ。大陸は、どうですか?」
「很大的建筑。我想学在中国的大学」
「嬉しいです。料理を楽しんでください」
***
「北京ダックは肉まで食べてね」
綺麗はチャットにそう書いていた。
月雪は北京ダック食べマシーンと化していた。
羊のしゃぶしゃぶ「涮羊肉」も用意してある。
北京ダックをあらかた平らげると、月雪は羊に取りかかる。
ちょっとして、月雪はメニューを開くと、飲み物を注文した。
いかにも甘そうな梅ジュース。酸梅湯。
飲むと、甘味に喉が焼ける。羊を食べる。
月雪がお腹いっぱいになると、飾絵は綾衣と一緒に、羊の皿をおかわりして、ゆっくり食事を楽しんだ。
店内は、がやがやとしてきた。
「旅行なんて、珍しい。なんで?」
「また、戦争になるかもしれないだろ?」
「へ?」
飾絵は、月雪を見ずに言った。
「冗談だよ」
「飾絵は、冗談を言わない」
羊をもきゅもきゅと食べながら、綾衣はかぶせた。
「戦争、だからどうして?」
「いい国だと思う」
「そうね。綺麗さんも燦さんも」
月雪は、首を傾げた。「敵なら、知らない方がいい」
「逆だね。殺すなら、知っている必要がある。戦争の倫理だ」
「何を言っているのかよくわからない。殺す人のことを知ってたら、戦争が嫌になっちゃうよ」
「それだけが戦争を倫理的にする」
「倫理って何?」
飾絵に対してすぐに喰ってかかった。
「死ぬ人に対する責任のことだよ」
綾衣は即座にそう答えた。
もきゅもきゅのリズムは崩れない。真剣にしゃぶしゃぶをつついている。
「責任? 泣けるかってこと?」
世代を感じさせる応答だった。そんな直截的な物言いは、緻里も飾絵もしない。
「それは少し違う。自分の死は、悲しめないものよ。自分の死を悲しんでくれるのは、常に自分以外だから」
「じゃあ? 倫理って?」
「私も、明確な定義は知らない。定義できない意味の不在を、倫理と呼ぶんじゃない?」
「お母さん、それだよ! 最初からそう言ってよ。余計な勉強しちゃったじゃない!」
***
海城市に降りると、その蒸し暑さが島国と違うことがわかる。
綺麗に紹介された琉璃は、待ち合わせ場所に、親切に月雪たちが泊まるホテルのロビーを指定した。
ホテルで荷物を下ろして軽装でロビーに降りると、月雪の写真を綺麗からもらっていた琉璃から、挨拶があった。
「こんにちは」
そのたどたどしい島国の言葉を聞いて、月雪は大陸語で話せますよ〜、と、したり顔。
「英語でもいいですか? みなさま、英語は解されると思うのですが」
「大陸語でもぃいのですよぉ?」
「私の大陸語は海城訛りで、結構聞き取りにくいです。英語ならそんなに訛りもありません」
「そう、ですか……」
「綺麗は語尾に儿-er-をつけるでしょう。北城方言はうるさいですよね」
真面目に言っているのか、冗談なのか、感情の起伏がない琉璃の表情を窺ってもわからなかった。
「僕は結構アル化しますね」
飾絵はつぶやいた。
「いいんです、それ自体は。自然なことですから。問題は北城市が首都であることです。彼らと言ったら、たまたま一時代の遺産を継承しているだけなのに、それを当然と思っている」
「結構確執があるんですか?」
「ええ、海城市は二番手ではないですし、先ほどは便宜的に訛りという単語を使いましたが、訛ってるのはそっちだっつーの」
綾衣はケタケタ笑っていた。
「琉璃さんは英語が上手ですね。桁違いに」
「アメリカ人と結婚したので」
「え!?」
「まあ元々、英語は好きでしたから」
琉璃は、三人を先導して、ホテルを出た。
「どこか行きたいところはありますか? 車を出しますよ」
「え、それは悪いですよ」
綾衣は声を上げた。
「まさか。私は大学教員ですから、概ね暇なんです。車はつけてあります。申し訳ないのですがアメリカ車です。夫が譲らなくて」
車に乗り込むと、琉璃は手慣れた操作で発進した。「夜ですが、もしよければ、同僚が話したいと言っているのです。島国に興味がある方ばかりです。綾衣さんは教員でもありますし、飾絵さんと月雪ちゃんは大陸語が話せる。素晴らしいことです。私は雨情という地区の高校出身ですが、これも、もしよければ高校も見ていかれませんか? お父さんお母さんはつまらないかもしれませんが」
「ぜひ!」
と言ったのは綾衣だった。