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百三十八章《本屋》

「制約の言語回路」百三十八章《本屋》


 昔はぴょんぴょん跳ねてたのに。


 背が高くなった燦は、深々と腰を曲げて礼をした。


「燦です。こんにちは。おおー、高校生?」


「はい。島国の言葉、どうしてできるんですか?」


「昔教えてもらったの!」


「城市大の先生ですか?」


「私は、特任研究員。書家なの。城市大には修士までいました」


 月雪たちは自己紹介をした。


「見学だよねー。あ、すみません。最近こそ島国の言葉は聞きますけど、なかなか話さないもので、ちょっと変かな」


「燦は少し敬語の勉強をした方がいい」


「綺麗姉、それはないよー」


「私は全然、島国の言葉綺麗だと思います」


 月雪は上がり気味に声を上げた。


「ありがとう、月雪ちゃん。ではね、姉さん。ようこそ月雪ちゃん御一行。ご案内しまーぁす」


***


 北門のゲートには警備員が何人も立っていて、パスキー見せて、大陸語でのやりとりがあった。


 燦の語調は極めて事務的で、さっきの柔らかくて賑やかな島国の言葉からは、想像ができないほどだった。


 こちらを向いて、にこっと笑うと、燦は月雪御一行を呼び寄せた。


「綺麗さんは、大学教員でいらっしゃる」


「ええ。英文学をやっています」


「それは、なぜですか?」


「たまたま、得意科目だったってだけです」


「英文科も覗いて行かれますか?」


 敬語できるじゃん、と月雪は思った。


「いえ。それは大丈夫です」


「島国の美人に会えるのは、先生方も喜ぶはずです」


「飾絵がいるので」


「そうですね。確かに。失礼しました」


 月雪は、にまにましていた。飾絵は、何にも聞いていないという、澄ました顔で、キャンパスを眺めていた。


 図書館に寄る。


「二十四時間やってます」


「すごーい」


「大陸人は基本的に、勉強することが好きですね」


「すごいなぁ。いいなぁ」


「月雪ちゃんも、もしよければ城市大に」


「うん。ぜひ!」


 綾衣が言うことを予測して、飾絵は笑い声を抑えていた。


「そんな金あるぅ?」


「書店によってもいいですか?」


 飾絵が口を開いたのは、自己紹介以来だった。「大陸の書店に来るのは、初めてなんです」


「いいですよ。学内の本屋もありますけど、学外にも一店、いい本屋があります。っと、皆さんの顔つきが変わりましたね」


「私は、月雪が何冊欲しいって言うかだけ心配なの」


「七さっ」


「三冊ね」


「おかぁさん。間を取って五冊」


「じゃあその間を取って四冊で」


「おがぁさん。……お父さんわ?」


「わ? とは?」


「せっかく北城市に来たんだし、本たくさん買いたい」


 甘えっ子なところを見せる。


「じゃあ僕は二冊買うよ」


「飾絵、甘やかすのは」


「甘やかしじゃないっ! 正当な権利ですー」


***


 大学構内の書店で、飾絵は三冊本を買った。月雪が手を伸ばした本に、綾衣は苦言を呈した。


「難しくない?」


「おかぁさん。わかってない。難しいのがいいんじゃん」


「生意気な」


「お母さんは本を買わないの?」


「買うけど」


 待ち時間で燦も本を選んでいた。


「はい。月雪ちゃん」


「? えええー。くれるんですか?」


「燦さん。それは、悪いですよ」


 綾衣は即座に遠慮した。


「でも、買ってしまいましたし」


 にこっと笑う。「最近『論語』が流行っているんですよ」


***


 広大なキャンパスには湖まである。


「音読している……」


「大陸人は、音読が好きですね。暗記しなきゃいけないので。島国は受験文化がある中で、暗記はどうですか?」


「暗記は必要最小限です」


 月雪は胸を張った。


「大人になって、使わないことも多いから」


 綾衣は言った。


「大陸の人材に関する懸念は、多くそれに付随するものです」


「でも、綺麗さんや燦さんには、その懸念は当てはまらない」


「私たちは、なんというか、趣味人なので」


 大学のカフェに寄る。


 かなり安い値段で、コーヒーが飲めた。


「ん、すみません。私少し用事ができました。チャットに、その本屋の場所を記載しておきますね、そういえば、その本屋、私が懇意にしていて、看板は私が書いたんです。見てみてください!」


 燦は立ち去った。


 大学の食堂で包子を買い、もふもふと月雪は食べた。食べながら学生の姿を見て、しみじみと思うことがあったらしい。


「おいしい」


 飾絵も綾衣も、それを耳にしながら、彼女の未来に思いを馳せた。


「お父さんは、この人たちが言っている大陸語を聞き取れるの?」


「七割方ね」


 飾絵は底を見せまいと曖昧にした。


 風のざわめきのような大陸語の響きの端々を捉えて、月雪は何か本質的なことを掴みかけていた。


 学びの階梯を通底するリズムに触れたような気がした。


 城市大に刺さる陽は、徐々に傾き、陽が焼くキャンパスは、賑わいを増しているように思えた。


 寮はその窓から光をこぼし、図書館は浮き上がるかのように発光していた。


 北門を出て、燦が懇意にしているという書店へ向かう。


 広々とした道路を渡り、洒落た造りの建物を見上げる。


 島国では見たことのない天井の高さの書店。綾衣は綺麗にいくつか本の候補を挙げてもらうようにチャットで聞いた。


 すぐに返事は長いリストになって返ってきた。


 それには、大陸の英文学研究の書籍も含まれていた。大陸がまだ中国だった時代、多くの知識人が貪るように洋書を読んだ記録があった。


 家族三人はばらけて本を探した。


 お会計をしようとしたら、現金は使えないと言われて、とりあえず綾衣がカードを切った。飾絵が金額を支払おうとすると、綾衣はそれを受け取らなかった。


 月雪は、看板をパシャリと写真に収める。


「晩御飯は飾絵が出して」


「お母さん高いもの食べようとしている」


 とりあえず三人はタクシーに乗ってホテルまで戻った。


 帰宅ラッシュの時間はわずかに逃れ、スムーズにタクシーは龍井府のホテルに漕ぎ着けた。


 チェックインを済ませ、荷物を整理すると、簡単な持ち物だけ持って三人は龍井府に降りた。


 高級なレストランに入るか、街のレストランに行くか、綾衣は迷っていた。


 一つ候補を挙げて、飾絵が予約しようと電話をすると、忙しいのか、電話は応答がなかった。


 綺麗がいくつか挙げたレストランの中で、ホテルに近いところに、とりあえず足を向けた。


 島国の言葉は聞こえない。それは騒々しい静寂だった。

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