百三十四章《普遍的》
「制約の言語回路」百三十四章《普遍的》
交大の、綺麗と琉璃の代の同窓会が北城市であった。
幹事がみんな北で働いていたから。
博士まで進んでいた琉璃は、和諧号に乗って北城市まで来た。綺麗に会いに。
ホテルでの一次会の後、琉璃は綺麗の部屋に泊まった。
綺麗の北城市のアパートは、地価が下がっていることもあって、広いものだった。
ベッドルームにソファを倒してベッドをもう一つ作り、タピオカミルクティーで乾杯すると、夜更けまでこんこんと話し続けた。
「北城市は、滅多に来ない」
「隣町のこともわからない、典型的な都市だよ」
「それは、海城市もそう。私は雨情しか知らないから」
「博士号はもうすぐ?」
「もう少しかかるかな。アメリカでちょっと修行してこようと思っているけど」
「へえ。せっかくの持ち味を消さないでね」
「消さないよ。でも、アジア人は差別されるって聞くから」
「琉璃は大丈夫。可愛いから」
「もしそうなら、それこそ差別の理由じゃないのか?」
「琉璃の誠実な英語なら、嫌われないよ。元カレのところに顔を出すの?」
「元カレではない。今カレだよ」
「続いているんだ」
「彼氏の家族には、いろいろ便宜を図ってもらう予定」
「留学するんだからそれくらいはね」
ちゅーっとタピオカを飲む琉璃の仕草は、まだ高校生くらいに見える。
「綺麗は、高校の先生」
「中学も教えているよ」
「よさそうに思える。厳しい先生になりそうだけど」
「毀誉褒貶はあるね」
「でも、実力派」
「そりゃ学力はね。知ってるでしょ?」
「知ってはいる。でも、綺麗らしくないね。知ってるでしょ、なんて」
綺麗は、空咳をして笑った。
「確かに、私らしくないかも」
「新しいタイプの高校」
「まあね。悪くないよ。生徒も可愛いし」
「術式は?」
「今の子には無理だよ。私もそんな演算能力ないし。第二の頃は、そりゃできたけど。軍にでもいない限り。……、懐かしいな」
「受験の本当の意味って、術式演算能力の涵養でしょ? 私も、先生を裏切った」
「私の先生は、術式できたよ」
「そうね。雨情の先生も、三十年前の人なら、って言ってたけど」
「でも、術式なんて、大陸なら第四か第二じゃないと」
「もう、昔ほどの評判はないね。雨高も、新しいタイプの高校に、ごそっと持ってかれたみたい。流行らないのね」
「世間が、エリートを求めてない」
「というより、エリートの独占寡占を、とうとう崩す、そのタイミング……」
琉璃は窓を開けてベランダに出ると、タバコを吸った。
まるで、そういう彫刻なのかと思うくらい、見栄えのする格好だった。
琉璃がタバコを吸っている間に、綺麗はシャワーを浴びた。
綺麗の部屋には、いろんなキャラクターのフィギュアが置いてあった。ぬいぐるみもたくさん。少しホコリをかぶっているところが、綺麗の性格を表しているようで、微笑ましかった。
ベッドの横のライトスタンドの台には、本が何冊か積み重ねてある。
フクロウのように、琉璃は体を動かさず、頭だけ動かして部屋のものを見た。
シャワーから出た綺麗が、琉璃にシャワーを浴びるよう促す。
下着を掴んでシャワーを浴びると、短い時間で琉璃は出てきた。
寮の生活と同じこと。それも、懐かしい。
二人は眠り、早い時間に起きると、日曜日の朝に、公園に出て朝ごはんを買った。
韮饅を食べながら、散歩する。
「科学史家だっけ?」
「できるなら」
「今、何を?」
「鏡像異性体」
「だいぶ前だね」
「何となくワクワクする」
それ以上、綺麗は深掘りしなかった。
「北城市では、何を見るべきかな?」
「うちの高校に遊びに来る?」
「いいよ。でも」
「日曜日はやってない?」
「いや、そんなことないか。課外活動もあったし」
「うちの高校は、部活が盛んなの」
「部活? 島国的な?」
「向学心にあふれてて。誠に結構なんだよー」
***
高校の建物に中庭がないのは珍しい。もったいないとすら思う。
赤茶けたレンガの門。
広いガラスの五階建て。
入ると大きなエントランス。
「綺麗先生」
門衛が頭を下げる。琉璃も、それにつられて頭を下げる。
「綺麗先生!」
廊下を走っていた女生徒が振り返る。
「おはよー」
「おはよう先生! っ、お客様ですか? こんにちは」
「こんにちは」
琉璃は軽く手を振った。
「先生の知り合い?」
「大学の寮のルームメイト。今日は、化学部は、実験?」
「いえ、今日は座学です」
「実験室でやってるの?」
「いえ、教室です」
「わかった。ありがとう」
パタパタと女生徒は遠ざかっていく。
ガラガラと教室の扉を開ける。
数人の生徒が振り返り、広げられている文献が自然に閉じた。
「綺麗先生」
「なんか、わからないところある?」
「後ろの……」
琉璃は頭を下げた。小さい声で、こんにちはと言った。
「こんにちは」
「私の、寮のルームメイト。交大の博士課程。可愛いでしょ?」
生徒たちは顔を綻ばせた。曖昧に笑い、それを自分で戒めるようになんとか引き締めようとする。
「緊張しないで」
緊張しないで、というせりふは、通常教師か警察しか使わない。
「たしか、その教科書を書いている先生。交大の化学科の先生だよ。私の教官の一人」
それが、どういう意味を持つのか、生徒たちにはよくわからなかった。
「琉璃、この子たちには、それは実にどうでもいい話みたい」
「アカデミックな話が嫌いなのは、いいことだと思うよ。化学的真理は、人に依らない。たとえ重要な発見をしたとしても、人はそれを媒介しただけ」
琉璃はしばらく考えた。「でも、……。そうね、研究室の伝統っていうのは有形無形にあるけどね。人は介在するだけだけど、携わる人がいなければ、真理は発掘されない」
「琉璃。難しすぎるよ。この子たちはまだ高校生かそこらだよ?」
「先生!」
「先生! 大丈夫です。僕たちはわかります!」
「要約して?」
「誰かが、真理を発見する。真理は、普遍的だ。ということです」
「それは、矛盾していない?」
「綺麗。矛盾していないよ。彼らはよくわかっている。普遍的っていい言葉ね。高校生の私が、その言葉をチョイスできたか、私はちょっと覚えてないけど」
柔らかい物腰に、丸い言葉遣い。小さな体に小顔な女の子。琉璃はやはり高校生くらいに見えた。