百三十三章《一起加油》
「制約の言語回路」百三十三章《一起加油》
批判的思考。類推。情報処理。
綺麗や琉璃は、そういうものとは無縁の教育を受けてきた。
無縁というか、部分部分ではそれを適用してきた。
でもそれを、学業の「タイトル」に掲げたことはなかった。
知識は主に一対一対応であり、その背景に思想をしのばせることを、彼女たちの世代はやらなかった。
それに、なんとも陳腐に聞こえるのだ。
批判的思考が働くためには、その対象について多くのことを、あらかじめ知っていなければならない。そうでなければ、批判的思考は、我々をミスリードしてしまう。
わからないことは、わからないなりに愚直に当たる。
そうしなければいけないことを、綺麗は身に染みてよくわかっていた。
***
あらかじめ身につける知識と、試行錯誤の上に身につける知識は、両輪で回さなくてはならない。
本を読み、授業を受けても、本に全てのことが書いてあるわけじゃない。
だからといって本を読まないわけにはいかない。
簡単な感想を書かせるのから始めて、終わりは濃厚なディスカッションを目論む。
綺麗は、大陸の標準的なカリキュラムでは到達できない、複雑妙味な思考を、同僚とともに生徒に移植した。数学や古典の、基礎的な技術を曖昧にしたまま。
語学のレッスンは、課外活動でそれを間に合わせた。語学に興味を持つ生徒は、少なくなかった。
一部の生徒には、想定以上。ほとんどの生徒は、卒業段階で、並の高校生程度にしか、教えられなかった。
向き不向き、得手不得手があることはわかっていたけれど、それでも、苦手な科目を苦しそうに飲み込ませることをしなかったのは、よかったかどうか、綺麗はわからなかった。
若竹のように真っ直ぐ育っていく子もいれば、枝葉を茂らせていく子もいる。
長い時間かけて幹を太らせる子もいれば、短い時間花を咲かせる子もいる。
芽が出なかった子も、たくさんいた。
「反省。難しいことやりすぎた」
「俺も空回りばっかりだよ」
追仙と綺麗はいつものように火鍋を囲んでいた。
一年が経ち、二年が過ぎる頃、やはり一般的なカリキュラムも重要なんじゃないかという議論があったりもした。
でも、アメリカ帰りの先生たちは、そういうことはできない。
「短期的な利益は短期的に醸成できる」
「そうね。長期的な成長の因子を、なんとか植えつけないと」
「まずいよなぁ」
「そうねぇ」
「綺麗は、うまくやってんだよ。問題は俺だ」
「昔の先生の顔がチラつく?」
「よくわかるな。そうだよ」
「逆だったよね。基礎を固めて、後から味つけ」
「ああ。中高生に気持ちよくなってもらっても、嬉しくないぜ」
「同感だけど、仕事だからねえ」
綺麗は、クッとビールをあおる。
「生徒には慕われてる」
「そりゃ、お姉さんだからね。私は先生じゃないんだよ。友達。そろそろだね」
「何が?」
「高考受けたいって子出てくると思う」
「あー、そういうクラスを編成するのね」
「私か、追仙か。どっちかが担任。やっぱり、自称進学校になっちゃうね」
「豹変するの、生徒ビビると思うけど」
「余裕余裕。お尻から逆算すれば、課す宿題の量は簡単にわかる」
「まだ、間に合うか」
綺麗は追仙に笑顔を向けた。にっと歯を見せる。
「学校に来たくなくなるかもね」
「そりゃ突然微分方程式だもんな」
「味付けというより具材が変わる感じ」
追仙はからんとレンゲを投げた。
「お前、Sだろ」
「追仙、わかりきったことを言わないで」
***
持っていた学年が中三になるタイミングで、「進学班」ができた。
二クラス分の人数が、受験に舵を切るという。
「あんなに優しかった綺麗先生が!?」
「追仙先生、マジで鬼畜なんですが」
半ば、思考力に振っていただけ、詰め込みへのアレルギーはひどかった。でも。
「大学行きたいなら、ついてきて」
綺麗は、最初難易度の高い考え方を徹底的に教え込み、その後演習をひたすら重ねる。新しい単元ごとに、高難度の概念を教え込む。演習を重ねる。それを繰り返した。
手綱を締めたり、緩めたりする。しかし、綺麗は一拍も休符を入れなかった。
少し前までの、間延びして、わかりやすい頭の体操とは、全然違う。笑いや冗談が、一つもなかった。
脱落する生徒とは、面談をした。
「どこの大学に行きたい?」
家族は後ろでナイフを構えているかもしれない。そんな生徒に、圧をかけていく。
「城市大です」
「ナンバースクール蹴ったんだっけ?」
生徒は目を泳がせてうなずいた。
「なら、大丈夫。土日にゲームをやる時間を潰せば、この量の課題をこなせれば受かる。こなせばじゃないよ、こなせればだよ。つまりー、その能力が備わっていれば、ね。そりゃ受かるよ。だから、こなせるようになってね。私と話している時間は無駄だよ? 勉強は楽しくをモットーに? それは、過去のお話。それじゃ、がんばー」
綺麗先生は、どうやら鬼畜らしい。
「またまたぁ、先生の授業、めっちゃわかりやすくない?」
留学クラスの生徒は、進学班の生徒の言うことを信じなかった。
「勉強なんて、本読んでればいいって、先生言ってたよ?」
「二重人格か、何かだと思う。僕らを教えてる時、違う人かなって思っちゃったもん」
「またまたぁ。美人でいい先生じゃん」
「そうなんだけども。今度、授業撮ってくるよ。めっちゃ当てるから。一授業三回は指名回ってくる」
「俺らだってそれくらい」
「間違えると、にっこり笑ってなんか帳簿につけてんだよ」
「そりゃ、ポーズだろ? 綺麗先生の記憶力を舐めてると痛い目に遭うぜ。それはブラフ」
「ブラフでも、こっちゃずーっと緊張しっぱなし。やばすぎるわ」
「でも、先生も不思議だよな」
「何が?」
「だって、優しく教えても、厳しく教えても、結果は変わらなくない?」
「焦らせてるのかもな」
「なんで?」
「留学クラスにいた時、あまりにもリラックスしてたから」
留学クラスの生徒は、それを聞いて鼻で笑うと、ご苦労様とばかりに、進学班の生徒の肩を叩いた。
「逆に、苦手だった追仙先生の授業は、全然変わらない。ほっとする。つまり……」
「良し悪しってことよな」
「そゆこと」
「一起加油!」
「一起加油!」
一緒に頑張ろう。大陸の中高らしさが出てきたようだった。