百三十二章《鳳来》
「制約の言語回路」百三十二章《鳳来》
わらわらと、先生たちが綾衣と飾絵を見にやってきた。
「暇なの?」
「会いたくても会えない、試験官の先生がいるから、代わりに会いにきてんだよ」
「顔も出さないで、二人でイチャイチャか? まだ二十代だよな」
「三十には、なりましたけど」
ぼそっと、飾絵が言う。
校長先生は、飾絵と綾衣の担任だった人だ。
綾衣は、当代一流の頭脳だ。
「そろそろ准教授?」
「そこまでじゃないですよ」
「府月にも教えにくるか?」
「いやですよ、自分の子どもを教えるなんて」
「そりゃそうか。受験の手ほどきは?」
「私も、飾絵も、全然。勝手にやってた。私と一緒」
先生たちはみんな笑った。
「でも、さすがに綾衣ほどではないよな?」
「私なんか大したことないし、正直、子供の学力はよく知らない」
「でも、府月に入れるんだ」
「それは、……」
「子どもがその気になったから、ですよ」
飾絵は後ろから補足した。
「飾絵は?」
「語学学校で講師を。留年したのと、あんまりスキルが身につかなかったこともあって、できることだけ」
「お前たちが、一番乗りだ」
「当然」
「当然ですよ」
***
「わからない問題あった?」
「二個くらい。でも、とりあえず埋めた」
綾衣は月雪の頭を撫でた。背の高い綾衣を月雪は見上げる。
「お母さん。府月なんだ」
「お父さんもね」
「先生も知ってる」
「そりゃあね」
「そっか。もう少し、頑張らないと」
***
小学校の卒業式に、飾絵は出られなかった。綾衣が写真撮影担当になり、月雪の門出を祝った。
文佳のお下がりの小さな振袖を着て(振袖に着られて)月雪はとても可愛らしかった。
ミニ野球仲間からは、たくさんのサインボールをもらい、カバンに詰めていた。
「受かったのかよ」
「うん?」
「府月、受かったのかよって、聞いてんの」
唯酒はつっけんどんに聞いた。振袖に圧倒されていた。
「受かったよ?」
「そうかよ」
唯酒のことを素通りして、母親の元へ行く。「唯酒は?」とも聞かない。
肩を叩くのは鳳来だった。
「受かったんだってねー」
「まぁね。鳳来は?」
「冷英。受かってた」
「冷英って、冷英大学の?」
「そう。でも、府月からはやっぱり第一学府よね?」
「お母さん、第一学府なのかな……」
「お母さん?」
「お父さんもお母さんも府月なんだって」
「それだったら、聞いてみたら?」
「いつも、秘密って言う。高卒なのかと思ってた」
「家族みんな府月なんだ。すごぉい。月雪ちゃん、いつ勉強してたの?」
「図書室で」
「内職ってやつ?」
「さあ、ちょっとわからない」
ママコーデをするには少し若い。綾衣は、ヒールを履いていたから、かなり身長があった。
母親の前で、月雪は恭しく礼をした。
「お疲れ様」
綾衣は言った。それは、この式典に対してなのか、小学校生活に対してなのか、それとも受験に対してなのか、月雪にはわからなかった。
月雪はもう一度礼をした。
「帰る?」
と、綾衣が聞こうとした時、鳳来の母親が綾衣に合図した。
「こんにちは」
綾衣は少し緊張した面持ちで、短く口を動かした。
「鳳来が、月雪ちゃんの連絡先を聞きたいんだって。月雪ちゃん、でも、端末持ってないよね?」
「今日買います」
「そしたら、これ、鳳来のアカウントIDだから」
鳳来は、母親を揺さぶって甘えた。ごはん、と一言。
「もしよければ、月雪ちゃんママ、ご飯とか」
「いいですよ。いい、月雪?」
月雪はうなずいた。
***
小綺麗なイタリア料理店。鳳来の母親が知っていた。
月雪と鳳来は、受験で出た問題の話をしている。検討会だ。
「月雪ちゃんママは、府月なんですってね。第一学府?」
「それは……」
「お母さん、もうわかってるよ。私をバカにしないで」
月雪が膨れた。
「いいお家ね。子どもに、余計なことを教えないのは、とってもいいこと。ちなみに私は冷英。中高もね」
「じゃあ、麻依さんを知っている」
「懐かしい名前ね。クラスが違かったから、あんまり話さなかったけど。どうして?」
「友達だから。彼女は今、たぶん編集者をやっている」
「冷英の氷の女王。水晶の肌。こんなところに、恋人を隠していたなんてね」
「恋人じゃないです。友達、です」
「冗談よ。でも、案外、冗談じゃないかもしれない。まあ、なんでもいいけど。何やってらっしゃるの?」
「英文学を教えています」
「大学の先生?」
「え? そうなの?」
月雪が振り返って綾衣を見た。綾衣は少し考えて、「そうだよ」と言った。
鳳来の母親は、満足そうにうなずき、「旦那さんは?」と聞いた。
「私と大して変わりません。語学学校で、外国語を複数種教えています。彼の方が、語学はできる。お名前を伺っても?」
「鳳来ママでいいわ」
「鳳来ママは?」
「私は、ライター。稼ぎは少ないけど、楽しくやってる」
パスタがやってきて、取り皿にわける。
配られた瞬間にガツガツと、月雪は犬のように食べた。お腹が空いていたらしい。
ピザやメインも続々と運ばれてくる。
ご飯を食べ終わった後の、晴れ渡る空。鳳来は月雪を公園に誘った。
ママはママ同士で二次会をやる。
鳳来ママは、途中タバコを吸った。
***
間をおかずに、中学の入学式があり、かさむ出費に、綾衣は頭を悩ませた。
払えないわけじゃないが、これからどんどん金がかかる。
准教授ポストの公募は、何回も落ちていて、それも悔しい。やはりまだ若くて、実績も足らないからだろう。
月雪が寝た後、ベッドの上で、綾衣は飾絵に「もう少し、生活費を出してもらえないか」と聞いた。
「いくらくらい?」
「もう五万円くらい」
「いいよ」
お互いがいくら稼いでいるのか、二人は知らない。お金を供出して、生活費を賄う。
「月雪も中学だもんね」
「うん。それに」
「それに?」
「もし、准教授になれたら、せっかくだからもう一人くらい」
綾衣は笑いで恥ずかしさを誤魔化した。