百三十章《味方》
「制約の言語回路」百三十章《味方》
「べんきょーしたくない」
勉強したくない宣言は、月雪から綾衣へ。
十歳。強烈な反抗期だった。
そもそも授業を聞いていない。
友達は多い。
友達が作った丸「月」印のカカシを席に置いて、図書館に入り浸る。
司書さんは、何にも言わない。
基本的に漫画を読んでいるが、とうとう読む漫画がなくなると、仕方なく小学生向けの物語本を読むようになった。
男の子に「ばーか」と罵られても、全く気にならない。図書館が閉まる時間になると、泣いて退出させられることもあった。
父、飾絵の妹の文佳が好きで、猫のはまなを撫でに、よく飾絵の実家に行く。綾衣には当然ながら連絡はしない。
綾衣は困惑していた。
「え、あんなんじゃ府学にいけない」
「いいんだよ綾衣さん。別に府学じゃなくても」
「でも、あんなんじゃ、大学だって」
「大学なんていくらでもあるんだから、気にしなくてもいいんだよ」
「でもッ」
「お母さんに甘えているだけなんだ。飽きたら勉強し始めるさ」
「私、心配で……」
「無用だよ。心配無用」
***
完全放任の父、飾絵は、語学学校で講師をやり、教育ママ系の綾衣は、いろんな大学で英文学の講師をしていた。
飾絵は夜に出講することが多い。
帰ってくるとリビングでゲームをやっている月雪と出くわす。
「おかえりー」
「ただいま」
飾絵は実に嬉しそうで、瞳は愛にあふれていた。
ご飯を作った後の綾衣は、ここ最近はずっとヘトヘトで、爆睡していることが多い。
学校のカカシの話で、毎回盛り上がる。
その無邪気さは、昔、憧れていた、小さな綾衣そのものと言ってもなんら差し支えなかった。
「おかーさんが、全然勉強してないって怒る。怒ってるのはこっちだっつーの!」
「まあまあ」
くすくすと笑いながら、飾絵は妻の作ったご飯を温めて食べる。「でも、お母さん、ゲームは取り上げない」
「そんなことしたら戦争だよ?」
「戦争は嫌だね」
「お父さん、もちろん私の味方だよね????」
「残念ながら、綾衣さんの味方だよ」
「えええー??? なんで? なんでなの???」
「そりゃ、当たり前のことだよ」
「どうして当たり前なの?」
「どうしてだと思う? はい、宿題。考えてきて。またあした、おやすみ」
月雪は、特徴的な考える仕草をした。
ゲーム機を手に取らず、ずっとずっと考えていた。
翌日は当然のように起きれず、遅刻して、飾絵が車で学校まで送り届けた。
***
今日は、なんとなく飾絵の実家に寄る。
祖父母の前では、なんとなく宿題をやったりする。あくまでもなんとなく。なぜやるのかはわからない。ただ、宿題をやっていると、なぜかお菓子がもらえるのだ。
試したことがある。お菓子は、宿題をやり始めて一時間ほどした時にしか出てこないことがわかっている。
月雪は、聡明だ。
驚くべきことに、月雪は、ほとんど授業を聞いていないにも関わらず、宿題の正答を出すことができた。
類推の材料は、両親の会話であり、ちょっとした文佳のアドバイスだった。
ほとんどわずかと言っていいヒントを繋ぎ合わせる、独特の勘が、月雪には生まれつき備わっていた。
彼女の中には他にも、様々な情報がたくさん浮かんでいる。
塾に行くこともないから、不思議なことだらけだ。
「うーん?」
しかしどうして、お父さんは私の味方をしてくれないのだろう? 不思議だ。
いくつかのキーとなる考え方が、頭に浮かんできた。
関係の長さは、確かにお母さんの方が、長い。でも、可愛いのは私の方なのでは?
でも確かに、お母さんは可愛い。背も高いし、美人だ。でも、私の方が可愛いのでは?
まさか、お母さんの方が頭がいいからとかなのだろうか? まあでも、潜在能力では負けていない。
不思議だ。
「どうしたの? 月雪」
文佳がオレンジジュースをくれた。ちょっと口をつけて話す。
「お父さんが、私よりお母さんの方が好きだって」
「そりゃあそうだよ」
「なんで?」
「だって、お兄ちゃんが綾衣さんを好きじゃなきゃ、月雪は生まれてないんだよ?」
「順序の問題ということですか?」
「ううん。きっとお兄ちゃんならこういうね。『月雪が死んだら、また子供を作ればいいんだ』って」
ショックだった。代替可能性に完敗。
飾絵は、数日帰ってくる時間が遅かった。
ゲームをやって寝落ちしているのに、起きるのはベッドなのが不思議だったが、そんなことはどうでもいい。
朝バタバタと一限の授業に出る綾衣を見送り、続けて月雪にいってらっしゃいをする飾絵。
とてとてと、学校に行くと、男子の塊にぶつかる。
月雪は、ミニ野球のエースなので、かなり尊敬されている。
校庭か、図書館にしかいないから、話すとなるとこういうタイミングでしかない。
最近、周りの子はみんな「塾」とやらにいっているらしい。聞くところによると、塾は、第二の学校ということだ。狂ったような場所だ。
気の毒に。と、胸で十字架を切る。
親の学歴も、なんとなく気になる。ませているシティ小学生。
当然ながら、その話のメイン会場であるところの教室にいないのだから、月雪は、完全に出遅れている。それでもいい。だって、あのお父さんとお母さんが、高学歴のはずはない(言ってることがたまに一貫してないんだよな)。
ただ、ちょこっと塾で勉強しているだけのガキが、わけ知り顔でマウントを取ってくるのはうざい。
悩ましい。勉強はしないはずだったのに、いつの間にか、勉強する羽目になっている。
***
「なんか、最近勉強してるね」
「学校でなんかあったんじゃない?」
リビングテーブルに、学校で配られたドリルを何周もした後、事切れている月雪がいた。
飾絵が、抱きかかえても、眠りは途切れなかった。熟睡。
「リビングに書き置きよ、飾絵」
《お父さん。わたしの味方をしてください》
「何これ?」
「ああ、僕が、綾衣さんと月雪のどちらを味方するかって聞かれて」
「ふうん。当然よね?」
「ん? そりゃそうさ」
「何年付き合ってるんだって話よね」
「月雪が死んでも、子どもは、また作ればいいから」
「サイコパス」
「冗談だよ。単に、僕は綾衣さんの方が好きってこと」
「なにそれ。バカみたい」
と言いつつ、綾衣は満更でもなさそうだった。