百二十七章《お飾り》
「制約の言語回路」百二十七章《お飾り》
アメリカ。
昔ながらの大国は、かつて自由と繁栄を享受した栄光を、過去のものにしていた。
鋭いピラミッド型の格差構造は、格差を肯定する少数の声が影響力を持ち続けたことで、今も維持されていた。
とても、皮肉なことに、自由なはずの国が、ある種の財の蓄積と、そこからもたらされる封建的な権力の分配を呼び、流動的だったはずのピラミッド層間の垂直移動は、遥かに困難になってきている。
世界の富が集積するはずだったアメリカという国は、しかし、大陸と島国の戦争で、多大な武器を輸出することで、再び、好景気と雇用の創出を可能にし、何の倫理的な制約も受けず、昔と変わらない死の商人を、自認するまでに至っている。
「それにしても、弾薬って何のためにあるのかな?」
琉璃は、マルニに聞いた。
「殺すためでは?」
「何で殺すの? 憎いからじゃないでしょ?」
「戦争だからですか?」
「火薬を詰めてコーティングして、銃と一緒に売る」
「お金のため、ですか?」
「虚しいと思わないのかな」
「大陸は、言論は、どうなんですか?」
「上位者であればあるほど自由だよ?」
「つまり、都市民であるほど自由で、地方人であるほど制約を受ける」
「そんなのどこだってそうだけどね」
「それは、少し違うのではないですか?」
マルニは言った。「地方人の制約された言論は、単に地方が封建的だからではないですか?」
「アメリカは自由なの?」
マルニはそこで初めてハッとした。
琉璃は、わからないふうを装わないでも、わかっているふうに気取らないでも、質問することができた。
答えを、予期しているわけでも、何の気なしに聞いているわけでもなかった。
それはおそらく、間口は広いが出口は狭い、底の深い湖の底にある問題だった。
「わからないです」
「なんで? アメリカは自由の国じゃないの?」
「アメリカが自由であっても、アメリカ人は自由じゃないかもしれない」
「大陸が不自由な国でも、私たちが自由なように?」
「琉璃さんは、自由ですか?」
「不自由だよ。でも、若者っていうのはいつも、不自由だと思うからさ」
「そうは見えない」
「簡単に手に入る自由に、価値なんてないから」
「そんなふうに、断言していいんですか?」
「何か問題でも?」
琉璃は、とてもチャーミングな笑顔で、言葉を閉じた。
マルニは、もう少し質問したかった。琉璃もそれを望んでいた。でも、うまく言葉にできなかった。答えのない問題ではないが、答えのない問題でも、あった。
立場によって答えが変わるという側面性ではなく、流動性の問題だった。掴みかねるところがある。
「どれだけくどれだけ下らないことをやっても、それで世界を支えるのは、僕なんですよ」
「それが?」
「生きるために、戦争を商売にしている。倫理はないんです。僕が大学にいるというのは、巡り巡って」
「南北問題のようなロジックを持ち出すのは、あまりに不健全」
「ではどのように?」
「道義的であれ、利益供与的であれ、遠くの人と近くの人を、同列に扱うことはできない。私のことが好き」
「そうです」
「だから、大陸のことが好き。う、違うな。大陸のことが好きだから、私のことが好き」
「完全にそれは逆です」
「そんなことないと思うよ。島国のことが好きなら、島国の人が好きになる」
「それは、完全に逆です」
「私も、そう思う。でも、そう言ってみただけ。つまり、人では見ていない。何人かで見ている」
マルニは言葉を詰まらせた。
「遠いか近いかは、完全に任意で、恣意的なものでしょ?」
「好みなんて」
「でも、好みは、倫理に優越する」
「大陸人というのは、もっと伝統的で、頑固なものだと思っていました。さっき琉璃さんが言っていた。あなたは思想的に自由だ」
琉璃は、嬉しそうにもしなかった。
「昔落ち着かせた、近代教育の賜物。あの時のアメリカの影響はとても大きかった。その自由さは、伝統でしかない」
「高考は?」
「あんなものは、お飾りでしかない」
「究極の受験競争が、お飾りですか」
「みんなそう思っている、……そんなことはないか? よくわからないけど」
琉璃は何度か首をひねり、タバコを取り出して火をつけた。
「アメリカの映画を観ると、女優さんは実に優雅にタバコを吸うよね」
「どうでしょう?」
「あんなふうに吸いたいとは、思わないけど」
タバコを口にくわえながら、顎を少し前は向ける。
「どういう意味ですか?」
「あんな顔だけ様になったような、成熟の振る舞いが」
「それは、少し的外れです」
「お、ごめん」
「未熟なように見える個体は、淘汰されてしまうんですよ。そういう文化です」
「私はどんなに成熟しても、十三歳にしか見えない。ということは、マルニはロリコンなのか?」
「十三歳には見えないですよ。せいぜい十四歳……」
「もう口きいてやるものか。冗談だとしたら悪趣味だし、本気なら、ちょっと怖い」
「嘘です。でも、琉璃さんが二十歳を前後する年齢なのだとしたら、大陸の神秘と呼んでも、差し支えないかと」
「嘘、なんじゃないのか?」
「すみません。十三歳にしか見えない」
「マルニ、問題だぞ」
「東洋の神秘なんですよ」
「未熟であることが讃えられる文脈がないのは、少し競争的すぎるとは思う」
「受験で全てが決まるのは?」
「学力以外に学問するのに何が必要なんだ? その学問をあらかじめ全て修めている必要があるのか?」
「意志は、重要だと思いませんか?」
「能力だろう。無能な強い意志の持ち主を、私たちは、バカか、あるいは蛮勇と呼ぶ」
「実に中国哲学的ですね」
「我々は離れているようでいて連帯しながら物事に向かっている。基準は能力であり、個人の野心は、そこではコップのあふれた水のように余分だ。決定的なのは、こういう質問で締めくくられる。なぜ学ぶんだ?」
琉璃は人差し指の腹を上に向けて、マルニを指した。
「私の幸福な人生のために」
「バカが。仲間を助けるためだろう?」
マルニの目に映る、琉璃の目は、わずかに潤んでいた。口調は淡々としているが、こんなふうに思いを人に向けたことがないのだろう。唇はかすかに震えていた。「個人主義なんて、流行るのは、大陸ぐらいにして欲しいものだ」
と、その言葉で、琉璃の属している派閥が、大陸では少数派であることを、マルニは認識した。
恋人を作ることはいいことだ。その国のことをよく知ることができる。マルニは、その最上級の素材を、目の前にしていた。
「まいったな」
「何がです?」
「口にすると、怖くなってしまう。残念ながら私の思想に、裏づけはなんかないんだ。一人で考えた、独歩の」
「高校の授業を受けながら、考えていた」
「そうだ。自分の考えを述べる教育なんか受けてない。全部暗記するんだよ。いいだろ別に、思想なんか後で修正がきくんだ」
「でも大切な青春時代が、あなたのものではないんですよ?」
「不完全で不正確な知識に基づいて、意思決定をして、満足して人生が終わりなら、それでもいいさ。でも私の人生は、残念なことに、二十歳で終わりではない。全てが、成熟への準備であり、成熟は本質的に決して訪れない。もう一ついいことを教えてやろう。人の人生は、その人のものではない。自分の人生が自分のもので、コントロール可能なら、どうしてアメリカ人は宗教を信じるんだ?」
「それに対する答えは簡単です。神の導きに従って、私の人生を正しく、コントロールすることができる。それが、成熟した人間です」
「残念ながらそれでは、一般的な大陸人と、考えていることはそう変わらない。ハロー、マイ・フレンド」