百十九章《雷格高校》
「制約の言語回路」百十九章《雷格高校》
雷格高校は、海城市の高校「天空四強」の一つ。海城市にあるのに、北城市の城市大に行く人が多いことで有名だった。
天空四強の中に優劣はほとんどないが、雷格高校だけは、やや別格に扱われることが多い。
高校で釣り合うのは第二ではなく北城市第四で、城市大でも一つの派閥を形成していた。
南の穏やかな気候と、北と比べると緩やかな受験環境が、優秀な学生を育てる。
雷格高校は学生寮があり、全国から優秀な中学生を募り、まるで小さな大学だと称されることもある。
雷格高校の図書館は設備がよく、夜遅くまで開いていた。面白いのは、図書館で、「勉強する」生徒より、「本を読む」生徒の方が多いということ。学生寮暮らしの雷格生は、その図書館の蔵書を徹底的に利用する。
雷格高校「読書科」と呼ばれるくらい、皆総じて本を読んだ。多くの生徒が読書科に所属していた。
雷格生が南に残るのは、結構珍しい。
雨情高校が、交大の予備校になっていることとは事情が違っていた。
読書量が多いことは、各大学各学部のどこに行ってもアドバンテージになった。
図書館では本を読むことが体に染みついている彼らは、図書館に一日中いて、日に何冊も本を平らげる。
綺麗や琉璃が図書館で勉強するのとは、根本的に利用方法が異なる。渉猟するのだ。
読書から得た広範な知識や、思考方法は、他の追随を突き放して、大陸でも有数の頭脳集団を形成する。
彼らが城市大を目指すのは、そこが大陸一の蔵書数を誇るからだった。
系統的に本を読む雷格生は、極めて優秀な学者になることが多く、理系分野でも文系分野でもそうだった。
雷格高校では語学の授業も凄まじく、英仏独語を修めることは、ほとんど必須だった。
第二中高が文学や詩で世界を把握しようとし、また戦争に深く関係しているのに対して、雷格高校は戦争とは微塵も関わりを持たない。
大学図書館並みと称される雷格高校の図書館は、いつも静寂で、それでいて百人を超える生徒が、じたぁっと本を読んでいた。
雷格生は仲間意識が強く、学生寮で生活をともにしていたからか、一緒に食事をしたり、おしゃべりをするのが好きな人は多い。
まるで礼拝日か何かのように、本を読まない日が十日に一回あり、レストランで卓を囲み、爆食するのが習慣で、連帯はかなり強力。
一緒に勉強するのとは少し違う。読んだ本の内容を共有し、知識の裏付けを取ることが目的だった。
目的は、本の内容を要約し、血肉にすべく、暗記すること。彼らの多くはノートを取らないのだ。
暗記することで、各学術で優れた成果を得ることができる。宗教教団のような、独特の勉強法だった。
だが、綺麗の行うような、アウトプットをしないから、知識は知識のまま堆積する。
雷格高校がやろうとしていることは、雷格の生徒たちで、知識の正確な体系化とマッピングを行うことだった。そういう教条に基づいているのだから、実際宗教的なんだろう。
雷格の学生はすぐにわかる。
***
九曇は雷格高校出身の男子交大生。理工学部化学系に所属している。
学部四年生で、物理化学の専門書を、月に十冊読むことが最近のタスクだった。
高校の頃からペアを組んで、読書の成果を共有していたのは、路淳という女子交大生。
路淳は原子物理学を研究している。
九曇の故郷は西の方で、中学から雷格で寮生活を送っていた。
路淳も海城市育ちではなく、月齢島という南方の出身だった。
彼らは、北城市育ちの綺麗や、海城市育ちの琉璃と異なり、文化資本のようなものは特段なく、実力でここまで上がってきた存在だった。
九曇の少年時代は、さまざまなことに怯えて生活する日々だった。
さして頭の良くない自分が、故郷の期待を背負って雷格に来て、その独特の読書文化に慣れるまでには数年の時間がかかった。
本を買うお金がなかったから、図書館の本がありがたかった。
雷格の文学コーナーは、禁書もされておらず、島国の本もたくさんあり、多くは翻訳本だったが、敵とされている国の知について、一通りの知識を得られた。
島国の地方出身の人が、刻苦勉励して第一学府に入ることは、そう珍しくないと知ると、なんとなく励まされた気がした。
島国の東北や南西に生まれた人への共感は、その風景を想像するしかないにしても、禁じ得なかった。
雷格は、それほど競争しなくても良かったことも、ありがたかった。
貧乏だったけれど、家族親戚の支援でなんとか塾に行き、もちろん故郷では一等だったけれど、海城市にくれば、それもありふれている。そんなことは、想像すればすぐわかることで、自分がそれほど才能があるわけじゃないことを、九曇はよくわかっていた。
それでも食らいついていったのは、ひとえに故郷への恩返しをするためであり、当然ながら、自分の知識欲のためではなかった。
傷を負った猫のように、落ち着いて生活するためには、時間が必要だった。
同じような境遇の生徒も少なくはなかった。むしろ、海城市出身の生徒は少数派だった。
雷格に、地方からの生徒を受け入れる土壌があることは、大陸でもかなり有名だった。
そして、多くの卒業生が、有名大学に進学する。
そういう雷格に、なんとか潜り込むことができたことに安堵したのは、つい最近になってから。最近まで客観的に自分を見つめることはできなかった。余裕がなかったし、精一杯だった。
路淳と仲良くなったのは、たまたま高校の読書会で一緒になったからだった。
路淳は月齢島という南方の島出身で、貧乏ではなかったが、彼女に合う中高が島になかったため、国内留学をすることになった。
背はそんなに高くないが、小さな体ではなかった。
路淳はよくたくさん本を入れたカバンを抱えて、九曇を喫茶店に連れ出した。
そこでコーヒーを飲みながら、本を読むのが好きだった。いつも安いお菓子を持っていて、九曇に渡して一緒に食べた。
路淳の少女時代は、九曇の少年時代と違い、豊かで、幸せに満ちたものだった。
幸せという点では、路淳の今も昔も変わらない。
幸せな場所にしか存在しない。幸せ以外の感情を知らない。
路淳は少し勉強で落ちこぼれていたから、よく九曇を頼った。九曇も、別に優等生ではなかったから、一緒に悩んで考えた。
城市大に行くことを、路淳が考えていたわけではない。成績的には、わずかに及ばないことがわかって、志望をすぐに交大にした。
理系の専門書を読むようになったのは、二人が交大一年生の頃で、同じものは読まず、要約して読書経験を共有し、成果を二倍にする方式を採った。
大学でも、図書館で本を借りれば、すぐ二人で時間を作って、カフェで読む時間を共有した。
本を読む生活を続けて、もう十年になる。
二千冊は読んでいるかもしれない。高校も大学も、彼らが本を読むことを妨げない。
***
九曇が故郷に帰ると、誇らしいと父母は歓待する。その故郷が一体何であったのか、九曇はわからないでいる。そこに本はないし、高校も大学もない。路淳もいない。父母は息子の学歴をただただ礼賛する。
「すごいねえ」
「頑張ったねえ」
博士になるのだ。そうして、彼らの期待に応えるのだと、思わないわけにはいかなかった。
わかりやすい肩書きを持って、父母や故郷の仲間を安心させてやりたかった。
***
月齢島に戻ると、路淳は海で泳いだ。
水泳は路淳の好きなことの一つで、プールよりずっと海が好きだった。
昔の仲間と、水着を着て遊泳する。
月齢大学に通う友達と、ビールを飲んで、バーベキューをする。
誰も、路淳が交大生であることを気にしない。
気楽な生き方を、路淳の体は覚えている。
***
九曇は船長であり、路淳は優秀な参謀だった。
路淳は適切な情報を常に供給する。意思決定を妨げるものは排除し、補助線を引いて、物事の理路をわかりやすくする。
さまざまな制約に囲まれている九曇は、それゆえに二人のコミュニティの進む道を、慎重に決定する資質を有していた。
学科選択は、二人で相談して決めたことだし、その選択は、二人が将来その道で優れた成績を残すために必要な能力を、深謀遠慮して考えたものでもあった。
九曇は、好きだとか、向いているとか、そういうエビデンスのない意思決定を嫌った。
これまで読んできた本が材料となって、二人は理工学部を選んだ。
なんとなく、ではない進路選択は、雷格だからこそできる。もちろん間違えても、少し手前に戻れば、そこには読んだことのある本があるのだ。