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百十八章《綺麗と琉璃》

「制約の言語回路」百十八章《綺麗と琉璃》


 島国の国際空港から、故南の空港まで飛び、故南から海城市へと二人は帰った。


 三日もすれば大学が始まる。


 二人は寮に戻ると、ぐっすりと眠った。


 適当な時間に起き、食堂でパンや肉まんを買い、互いにご飯を用意しつつ寝た。


 海城市は暖かい。


 二人とも軽く風邪にかかったみたいで、熱っぽく、シャワーも浴びなかったから、部屋はむせかえるほどの女の匂いだった。


 琉璃は風邪にかかり慣れているのか、小さい体を起こして、食事を二人分用意して、自分の分を食べると、水を飲み、それから寝た。


「るりー」


「お嬢様、何かご所望?」


「のど飴」


「はいよ」


 琉璃は自分の風邪をほとんど苦にしていない。大学のコンビニでバナナとのど飴と温かいタピオカドリンクを買って、部屋に戻る。けほっと咳き込むけれど、問題でないみたいだった。


「お嬢様、とりあえずタピオカ飲んで、バナナ食べて」


 琉璃は気合いで洗濯をする。苦にしないとはいえ、体力は落ちている。本を読むほどの集中力はない。意識は朦朧としていて、考えなくてもできることだけ、ゆっくりやっていた。


 琉璃はフォトフレームに雨猫としてメイド服を着た写真を送った。


 フォトフレームなんて古いことをするのが琉璃は好きらしい。


 洗濯したベットシーツを替えると、それだけで少し元気になった気がした。おそらく、それは気のせいではなかったが、どういうカラクリなのかは、琉璃もよくわかっていなかった。


「お嬢様、シーツ替えてあげる」


「琉璃、ありがとうー」


 綺麗はゲーム機を握ったまま、ベッドから起き出した。


 琉璃はゲームを手放さない綺麗に、苦言を呈することはなかった。まずどうでもいいし、琉璃は母親ではない。


 部屋の換気をする習慣は、琉璃にはなかったが、あまりにむせる室内を危惧して、冷気(というほど冷たくはない)で室内を撹拌した。


 微かに春の匂いがした。


 喉を締めるような暖房の効いた部屋に、涼しげな風。


「シャワー浴びてきたら?」


 琉璃は綺麗に言った。


「風邪悪くならないかな?」


「きっと体が軽くなるよ。上がる時、冷やさないように気をつけてね」


 琉璃は窓を開けてタバコを吸った。


 大学の一建物である学生寮からは、外の学生の様子が見て取れた。


 のどかなことこの上ない。


 まだ風邪が喉に引っかかる。タバコを吸わずにはいられなかった不健康への依存。


 タバコを咥えながら、髪を後ろで結ぶ。あまりにぞんざいに結んで、それで外に出るのだから、美人も残念というもの。化粧もほとんどしないから、雰囲気は少年のようなものだった。


 綺麗は、そつなく化粧をする。綺麗は琉璃にもたまに化粧を施すけれど、琉璃自身が手を動かすことはない。


 でも琉璃はとても化粧映えする。


 大陸には極上の美人というのが存在する。


 大陸内の少数民族との間に生まれた子は、美男美女が多い。


 琉璃の少し浅黒い肌、赤銅に近い肌は、血筋のどこかにイラン系あるいはウイグル系がいると思われる。両親は漢民族だから、隔世遺伝だった。


 メガネをかける。大陸風の、小さい丸メガネ。度は入っていない。毛糸のセーターにジャージ下、サンダルを履いて、かなり不格好だった。整った顔と服装がチグハグで、一周回って隙がない。


 そういう格好をしているからといって、琉璃がファッションに疎いわけではもちろんなかった。


 綺麗と出かける時は、通常仕様とは違う、凝った服を着ていくこともある。


 それはとても珍しいことだけれども。


***


 琉璃が、いつものように、適当な格好で大学を歩いていると、琉璃と仲が良かった雨情高校の同級生が、前にいることに気づいた。


 向こうはこちらに気づいて手を振って、琉璃も手を振りかえした。


「久しぶりじゃない」


 茶樹が言った。雨情聚会以来。


「島国に行ってきた」


 琉璃はドヤ顔でメイド服の写真を見せる。


「かわいぃー。向こうで? 他のメイドさんともめっちゃ仲いい感じじゃん」


「そうだろ? 彼らは優しいんだ」


 その言葉は、戦争の敵国人に向ける言葉としては、素直すぎる響きを帯びていた。


 大学の喫茶店に入り、ミルクティーを買うと、二人は連れ立って川そばを歩いた。


「彼女と一緒に行ったの?」


「そだよ。おんぶにだっこ。コミュニケーションは全部お任せした。ぶどうジュース買っただけ」


「ぶどうジュース? まあいいけど」


 ところどころ花が咲き、川辺には蝶も飛んでいた。


「そろそろ、主専攻の予備調査だな」


「琉璃は何にするの?」


「哲学か、科学史」


「哲学だとあまりに広すぎない?」


「美学か、あるいは現象学」


「古臭いものが好きなのね」


「そうかな、私は読んでて一番面白いけど。転倒があり、伝統は浅い。茶樹は?」


「数学かな。交大は実学志向の理系大学だから、数学なんて全然主流じゃないけど」


 ふうむと琉璃は考えた。


「最近圏論をやろうと思っているんだけど、適当な講座が見当たらなくて、一緒にやらないか?」


「圏論? いいよ。教科書買って輪読でしょ?」


「そだ」


「もちろんよ。じゃあ図書館の談話スペースの予約しとくね。週一四時間とかどう?」


「合わせる。教科書買いに行こ」


***


 綺麗は情報系を専攻して、副専攻は日本文学で固めることにした。


 大陸の情報系の技術力は、世界でも群を抜いている。


 工業技術力は島国とトントンくらいだが、情報技術は世界一と言っても過言ではない。


 大陸のコミュニティに対する支配に対抗するために、若者たちは様々な情報技術を開発していった。


 その先鋒に綺麗もいた。島国エンタメに限りない愛を注いでいる綺麗は、ブラックマーケットでそれを普及ささるのに、高校時代、青春を捧げていた。


 大きなことをしてみたい。


 綺麗はそう思う。企業とか、世の中の人のためになるサービスを、一から考えてもいいじゃないかと思った。


 念頭にあるのは島国と大陸の人的交流だった。もちろん、ただの旅行代理店ではつまらない。戦争を止める力を持った、民間の人的交流。それを構想していた。


 なんとかして島国と繋がりたい。そういう窓口、そしてサイバースペースを構築することが、綺麗の課題だった。


 高校時代に作り上げた島国エンタメサイトは、もうすでに綺麗の手から離れた。


 知り合いに譲ったから、メチャメチャになっているとかはないだろうけど、それにしても寂しい。


 その時得た経験や知識は血肉になっているけど、そういう末端で、楽しくやれたら、それでも全然良かった。


 でも、綺麗は大学にいる。大義を掲げてもいいだけの、多くの人が羨む正規教育を受けている。


 悪びれて散々な成績を取っても良かったが、第二の女らしく、優等を取っても、誰も文句は言わないだろう。


 琉璃とは毎日図書館に通い、生活を共にして連帯した。


 綺麗も勉強する時は眼鏡をかけていた。ブルーライトカットは死活問題らしい。


***


 茶樹との勉強会は、一人二人と参加者が増えていった。特段政治をしなくても良かったのに、少し政治味を帯びてきて、琉璃は少し不満だった。男子は二分された。一方はガリ勉系。他方はカジュアル勉強系。


 カジュアル勉強系の目的は、基本的に琉璃と話すことであり、その侵入を許したことについて、琉璃は茶樹に苦言を呈した。


 と言っても、大陸の大学生のカジュアルさなんてたかが知れている。口実がなければ話しかけることもできない、臆病者の集まりなのだ。


 琉璃は特に男子に興味がない。女の子コミュニティの中で祀られる存在であり、男子と繋がることは、その清浄性を毀損する行為だからだ。


 琉璃からガリ勉系に話すこともしない。ノー世間話。


「琉璃さんはどう思う?」


 ともし聞かれても、とつとつと答えるだけ。笑顔を返すこともない。


 夕食を一緒に取ることもある。


 でも琉璃は、夜も勉強するからと、食べ終わればすぐに席を離れた。


 勉強会はしかし有効だった。かなり速いスピードで概観を掴むことができ、思い込みは徹底して排除された。


 優れた理系人材がいる交大で勉強会することは、優れた理系人材と接するいい機会だった。


 琉璃は綺麗と違い、一人で淡々と勉強するタイプではなく、意外にも授業で成長するタイプだった。人の声の音色と一緒に、授業の内容を記憶する。


 先生からの評価も高い。毎回の提出物は、完成度の高いものを作成している。


 大学に対する態度は、綺麗と琉璃ではかなり異なっている。それにしても琉璃は優秀な交大生だった。

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