百十四章《御堂御子》
「制約の言語回路」百十四章《御堂御子》
西国。……西都や堂王、棚坂といった、歴史ある島国の都市領域を束ねた呼称。
寺社が多い西都は、学術都市でもある。
綺子たちは、棚坂の外資系ホテルに泊まり、島国の本を探すべく、堂王の「百貨書店」に足を向けた。
印刷・製本技術に優れた島国の書籍は、旅行でなければ何冊でも買い求めたいくらいだった。
龍井府で苦労して手にする本が、そこには山と積まれていた。
「宝の山だ……」
綺子は、大陸と島国の物流のやり取りによく使われる、「故南一時取り置き」を利用し、持ち切れない本を故南へと送った。
「二十万円……」
***
「そういえば、西都におばあちゃんがいるんだよね」
「え、そうなの? 綺子の祖母ってこと?」
「そう。会いに行っていいかなぁ」
「もちろんだよ! 大陸語話せるの?」
「おばあちゃんは頭いいの。なにせ西都大を出てるから」
「島国の交大的なやつだよね?」
「うん。大陸語話せると思うよ。使ってないから忘れてるかもだけど。ほとんど会ったことはないんだ。たまに、本当にたまに、手紙を書いていたの。お父さんに言われるがままに。お返事が、本当に綺麗な手で書かれていて、美しい言葉で励ましだったり、気づきだったりを文にしたためてくれるの。小さい頃は、その凄さがあんまりわからなかったけど」
西都の旧市民街、邸宅が並ぶ高級住宅地に、バスで向かう。
メモしていた住所に着くと、そこは「御堂図書室」と表札があり、その表札の下に「御堂御子」と記されていた。
インターフォンを押す必要があるのかはよくわからなかった。図書室に繋がる道は開放されている。
じたーっとインターフォンを眺めていると、後ろから声をかけられた。
「どうしました?」
高校生。制服を着ている。背の高い男の子だった。
「今日は、御堂さんはいるのかなって」
綺子は答えた。
「ついてきて、ください」
敷地を二分する建物。一つは二階建てのコンクリート造りで、図書室と呼ばれているもの。もう一つは天井の高い一階建ての木造屋敷。
「御堂先生ー。お客さんですよー」
「はーい、はいはい。どなたー?」
パタパタと小走りに今から縁側へ出てくる音がする。
「あら、あなた……、だれ?」
「あの、私……」
「冗談よ、綺麗。お友達と来たの? よくもまあこんな遠くまで。欲しいゲームでもあったの? お茶でも呑みなさい。お菓子を出すわ」
「先生のお孫さんですか?」
男子高校生は聞いた。
「会わなくてもわかるもんよね。息子にそっくりなんだもん。ごめんね縁林。今は席を外して、勉強しててくれる?」
「もちろんです先生。失礼します」
***
「あらあら、ようこそねぇ。どうやって来たの?」
「故南から。パスポート偽造して」
「聞かなかったことにしようかしら。まあなにせよ、ようこそ。私のこと覚えていてくれたのね」
御子は急須から日本茶を注ぐ。緑の香りがするお茶に、雨猫は興味津々だった。
カステラをお茶請けに出す。カステラも雨猫は見たことがない。
「いくつになったの?」
「二十歳手前です」
「お友達も?」
「そうです」
「お名前は?」
「琉璃です。あだ名は雨猫です」
「大学生? どこの大学?」
「海城交通大学」
綺子は言った。「交大です」
「どこ? ……なんてね。立派ね。第二に入ったって聞いた時、もう七、八年前だけど、その時は、あなたのお父さんも城市大にって、期待したでしょう。でも、あなたの選択は間違っていないわ。学部で五年。しっかり勉強して頂戴。……、お友達は、島国の言葉は解さないの?」
雨猫がうんうんとうなずく。
「大陸語の方がいい?」
「おばあちゃん、話せるの?」
「モチのロンよ。昔は西都大の中文研にいたのよ」
少し古い感じ、ゆっくりしたスピードで、御子は話した。
熱いお茶のおかわりは、雨猫の体を温めた。
インターフォンが鳴った。
「お客さんかしら、ああ、言雅さんが来るって言ってたっけ」
「お暇した方がいいですか?」
「まあ、そう早合点しないで。西都大の先生よ。少しお話していったらいいじゃない」
***
「こんにちは。西都の冬は寒いですね、っと、先客ですか。若い、大学生で?」
「孫とその友達」
「御堂先生のご家族は、大陸にいると聞いたような」
「わざわざ来てくれたの。突然ね」
「へえ。你好。言雅と言います。わざわざ、と言うと簡単そうだけど、かなり肝の座った密入国だよね」
「ご内密にお願いします、言雅先生。私は綺麗」
「友達の琉璃です」
「私は昔年下の男の子と仲が良くてね、戦争で向こうに行ったり、帰って来たりで捕まえられたためしがないんだが、戯れに……、緻里って知ってる?」
「高校で、島国の言葉を教わっていました」
言雅はニコリと笑った。小気味いい、愉快だと、漏らす息の音で表現していた。
もう四十は過ぎている。なのに言葉の感じは若々しい。皮肉が好きそうな雰囲気なのに、親切そうな感じも併せ持っている。
「早く帰ってくるように伝えておいてくれないかな」
「緻里先生は大陸が好きなんですよ」
御堂図書室から、数人学生が渡って来た。
先ほど、案内してくれた高校生もいた。
「図書室の休憩時間。暇な子はこうやっておしゃべりするのよ」
御子が言った。
言雅は大学生との自主ゼミの資料を揃え、高校生は仲間うちで受験について駄弁る。
「綺麗さん」
「縁林くん、だっけ。高校生?」
「そうです。二年生です」
「どこ大狙ってるの?」
「西都大です。……地元なので」
縁林は、少し口ごもる。目線はクッと綺子を見つめている。
「どうしたの?」
「え?」
「なんか気になった?」
「いえ、その」
「綺子のことが気になってるんじゃない?」
雨猫は言った。
「へ?」
縁林を見るととても恥ずかしそうにしている。そう見えるのは、雨猫に言われたからか。
綺子は美人だが、恋愛をしたことは全くない。雨猫とて恋愛は得意とは言えないが、女の子にモテまくった経験はある。
「ほら、私、大陸人だし、島国の高校生のことなんてほとんどわからない。私のこと好きでも、楽しいことなんて」
慌てふためく綺子。ナンパをふっかけられる時は、毅然と断るのに、高校生の直感には、うまく断る言葉が見つからない。
縁林は綺子が美人だから気になっているわけじゃない。明るい雰囲気や言葉遣い、異国めいたところのある幅広の肩や長い脚に、総合的な印象として、好意の先触れを感じているのだ。
「好きとかは、ちょっとよくわからないですけど……」
自分が前のめりになっていることに、縁林は気づいていなかった。
「なによ、もう」
無口気味な縁林は、素朴な質問をいくつも聞いた。本人は何を聞いたか全く覚えていない。質問することが、その時の縁林には重要なことだった。大陸的な綺子に対する興味が、大陸への好奇心を刺激した。
こんなふうに男の子に「突き上げられる」経験はしたことがなかった。いつも上から押し潰してきたから。
「雨猫、どうすればいいの?」
「そんなふうに大陸語で逃げない方がいい。綺子、彼はそのうち大陸語をマスターするんだから。ね? そうでしょ?」
雨猫は縁林にウィンクした。縁林はポカンとしていたけれど。