百七章《海城市》
「制約の言語回路」百七章《海城市》
英詩を乗せたポップスを聴いた。
暦了は最近そればかり聴いている。
よくよく聴くと、実に味わいがあって、英語の勉強をしていて良かったと思う。
ちょっと調べてみると、その音が、島国の作曲家によって書かれたものだと知る。
英詩を嗜む人は、どの国にもいる。
音楽が越境することは誰にも止められない。
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少し古いマンションの、窓から見える煙で霞んだ空。雨が降っているものと勘違いすることが多い。でも今日は勘違いではなく、本当に雨が降っていた。
暦了は自室の机に向かって勉強していた。
美少年のアンニュイな表情に、本人は自覚がないらしい。
コツコツとボールペンで机を叩く。数学の問題を解いている最中だった。
島国でいうところの男の子の字とは違う、大陸の男の子の字。先生に評判がいい。
高校生の時の雨ほど、物憂いものはない。
空を仰げば、どんよりとした雲があって、空気は冷え冷えとしていて、喫茶店にでも寄ると、たちまち孤独にふさぎ込む。
冷える臓器が、じんわりと体の液を集中させる。
たまらなく孤独で、何もかもが映画の情景のように、エモーショナルな無感動を乗せて走っていく。
こちらとしては、いくらでも感傷的になれる。そういう音楽を聴いているのだから。
落ちていく。沈んでいく気持ちの中で、息できるはずもないのに深く息を吸う。それは、すなわち、死ではないのか。
自分を意識するなんて、それは死ではないのか。無化されていた感情と肉体に、内外必要十分に触れ接続する。
まさか情景と一体になることで自分を知れるなんて思いもしなかった。
暦了は自分の書く数式に自分を見る。
気づいたら、ずいぶん集中していた。
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綺麗は、島国のラノベを寝転がりながら読む。一人でくすくす笑う。本当に楽しんでいるらしい、無邪気で、雰囲気も良い。
父親は、サブカルチャーに親和性があるから、放っているが、母(教育ママ)は、かなりピリついている。「また漫画買って、どこからーッ!?」「漫画じゃないです。ラノベですー」というやり取りは無限に繰り返される。
学部から四年留学するのは、少し手間だと思ったらしく、綺麗は、ゆるゆる受験勉強を本格化させていた。
城市大と海城交通大でしばらく悩む。南の方にある海城交通大の方が、難易度では少し劣るが、美しい街並みと自由な空気に、定評があった。
島国の文献は、確実に城市大の方が多い。それを考えると、城市大だが、学部で遊ぶには、交大の方がいい。
親元から離れられるのも、条件として魅力的に映る。
北京的女の子というよりは、海城市のたおやかな女の子という路線の方が売れるかとか、そんな打算が働く。自分が北城っ子として北城市に染まっていることを一切自覚していない。
よく男を泣かせていた。何をするにも秀でた綺麗にアプローチする男のメンツを、残虐に潰してきた。綺麗は第二の顔だった。思純の時とは全然違う風土が培われて、一周回って北京的だった。
男も女もある意味「野蛮」だったから、思純はそれを御するのに苦労した。
勉強が進むにつれて、大学が既定路線に入ってくると、綺麗はそれに抗いたくなった。
好きなことが何一つできない。大学に入ってやりたいことなんて、何もない。
でも勉強はできるものだから、学校では煽り散らしていた。その資格があるのは誰もが認めていた。でも、綺麗は日に日にやつれ、孤立していった。
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受験の日を迎えて、思純も緻里も、他の多くの教員も、誰も何も綺麗に声をかけなかった。うまく励ましの言葉を与えることが、極めて難しかった。
彼女の心は世界で一番凍りついて、何の感情の起伏もなかった。
漫画とラノベでケラケラ笑い、ノートに小説を記し、受験勉強をする自分が、ことごとく分解され、綺麗は統一体としての自我を失っていた。
冷酷で冷徹に、冷ややかという言葉では表現しきれないくらい、熱情が失われた心で、受験に臨んだ。
綺麗は勘違いしていた。愛されていないと思っていたのだ。誰も共感してくれないから、孤立したと思っていたのだ。美しいためだけで、周りの人は好意を寄せてくれているのだと、表面的な理解でいたのだ。
その勘違いは、受験の成功によって固められた。凍えた心を運びながら、彼女は海城市の海城交通大に合格した。
引越しの際の大きな荷物の中に、もう漫画もラノベもなかった。
暦了と燦が卒業に際してくれた、プリントした写真のアルバムを大事に持って、飛行機に乗ったのだ。
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海城市の海城交通大は、多くが南方の地域の学生で占められる。
北城市のナンバースクールはほとんど知られず、「雪花」「雨情」「風寂」「雷格」の「天空四強」と呼ばれる海城市の高校から多くが進学していた。
北城市のナンバースクールが詰め込み型なのに対して、海城市の「四強」は教養重視。
海城交通大も、専門は三年からで、卒業は一年遅く五年間大学の学部に所属することになる。
五年の年限は、大陸では唯一で、なおかつ人材育成の観点での評価も、大陸では随一だった。
綺麗は、海城市の美しさ、交大の情景に、すぐに心を奪われた。
写真で暦了と燦に景色を送った。
いつも薄暗い雲で覆われている北城市の景色と違い、海城市は暖かく、青空は澄み渡っており、白い大理石で化粧された図書館は、あまりに空に映えた。
人の「あたり」は柔らかく、多くの人が柔和で、そして少し背が低く、話しやすい印象だった。
人と話す機会があると、綺麗はすぐに北城っ子と看破された。
交大の自由な学風は、不自由な勉強を強いられて競争させられていた高校時代を、一挙に置き去りにさせてくれた。
専門をどこに置くか決めていなかった綺麗にとって、教養学部はまさに晴天の霹靂で、教養の授業ですでに中級語学の授業を取るのだから、先生の覚えもめでたかった。
日系の先生は、綺麗という名前を見ると、こっそりと日本語で聞いてきた。そのこっそり感が何とも言えず好きだった。別にこっそりしなくても誰も聞き咎めないだろうことが、雰囲気からわかったから。
島国の書籍は、あるところにはある。先生同士の繋がりで、分散して所蔵してある。繋がりというのは、専門である。
島国の優れた建築の意匠や設計はホニャホニャ先生。哲学美学はナントカ先生。言語学ならホニャララ先生。法学なら、カントカ先生。
北城市が戦争のために禁書に近いことをやっているのに対し、海城市はむしろ、それを厚みにしていた。敵を知り味方を知らば、百戦危うからず。
外国人の居住者数の多い海城市は、どこか中立地域的で、中央からの圧力も心なし少ない感じがした。
もとは、島国とのやりとりは、北城市より海城市の方が盛んだったらしく、「創作料理」などと看板を掲げて日本料理屋も通りに店を出している。
入ると「いらっしゃい」と言われる。島国の人間も何人も住んでいる。それでいて平和だった。