百六章《龍井府》
「制約の言語回路」百六章《龍井府》
青いのに限られた広さの空。冬、雨が降る北城市。飾らないが高価な羊のコートを着て、綺麗が歩く。
大きめのダウンジャケットに包まれた燦は、ニコニコと綺麗に話しかける。
新作のゲームを買いに、「龍井府」電気街へとむかう。
綺麗はコートのポケットに手を入れて、颯爽と歩くものだから、美しすぎて、誰もが振り返る。
綺麗はさながら風で、燦はふわふわとした白雲だった。
今年の新作も命懸け。電気街の地下、会員制のサロンのさらに奥。地下カジノが併設されている区画にカードキーで入る。
「ようこそ、綺麗様、燦様。今日は新作でございますか?」
「こんにちは。今日も盛況ですね。そう、島国の。入荷してますか?」
「もちろんです。でも不思議ですね、綺麗様なら、それを取り寄せることくらい児戯に等しいと思いますが」
「こういう背伸びは大切なの」
「新作のライトノベルと漫画は、いつものところにあります。少し手間がかかったので、値は高めについていますが」
「いいえ、大丈夫。いつもありがとうございます」
ニコリと笑う。その笑顔がくすぐったかったみたいで、サロンのボーイはため息と笑いを同時に漏らした。
燦は、綺麗が何度もやめておけと言ったのに、また卓に座ってかけ麻雀をしていた。黒子が贔屓にしているおかげで見入りは良く、これでは病みつきになるだろうなと、綺麗は心配していた。
燦の麻雀のうち筋は、それでもかなり整っていて、プロっぽいというよりはイカサマ師のような老練な感じ。手先が器用で打牌が滑らかだった。
一通り買い物を終えると、声をかけられた。
第四の落ちこぼれ、布是と清澄。
「綺麗、またかい?」
布是が聞いた。
「布是、あなたこそお父様の財布を握りしめて?」
「いつも当たりが強いね、綺麗さん。燦ちゃんが終わったら、どうだい、四人で」
「麻雀? 神経衰弱の方がよっぽど面白いと思うけど」
「麻雀だって神経衰弱みたいなものだ」
清澄はチップを綺麗に渡した。綺麗は受け取りたくなかったが、彼らと戦うには、綺麗の軍資金では足らない。彼らは、鼻持ちならないほどの金満な家柄なのだ。
嫌な顔でチップを受け取る。
およそ10万元。100万円を優に超える額。
借りのようなものだ。第四と第二の力関係は、これに尽きる。第四の落ちこぼれは、第二の中堅くらいが相場。落ちこぼれて城市大は行けなくとも、南都大や海城交通大には余裕で手がかかる。
天才的な第四と、努力型の第二は、戦うといつも第四に軍配が上がる。
「燦ちゃん、こんにちは」
「おっ、清澄さんじゃないですかー」
「どう? 勝ってる?」
「おかげさまで」
「じゃあその分は、まるっと僕らがいただこうかな」
パタンと燦が手を倒す。
親っかぶりの倍満を喰らった客が、ギリギリと歯を食いしばって、チップを燦に手渡した。無言で席を立つ。
黒子たちも席を立つと、対面に第二と第四の面々が座った。当然ながら彼らは、ここのサロンの年少者筆頭で、見目麗しく、客もチラチラ見物を始めた。
***
「そういえば、月書さん、陽成さんと結婚したらしいぜ」
布是が手牌を揃えながら、清澄に話しかけた。
「月書さん。有名だったねえ。美しい人だったし、話し方も独特で。布是くんは話したことある?」
「どうだったかな。清澄は、仲良かったっつうか」
「とんでもない。第四末席の僕としては、お顔が拝見できるだけでも嬉しかったよ。ツモ。二千四千」
「最初から飛ばしますね」
燦は楽しそうに点棒の代わりのチップを払う。
ことりと、飲み物がサイドテーブルに置かれる。好みはもう伝えてある。
こういうところで、誰もイカサマはしない。思念通話も、もしできたとしてもやらない。
サロンのマスターが取り締まっているし、そもそも楽しくない。
大物手は、当然ながら誰の手にも降りてくる。ただ、第四組は絶対に振り込まない。押し引きの妙を弁えている。
打牌で会話するのに長けていて、押して彼らが振り込むのは決まって二千点。
清澄は灰皿をもらってタバコを吸い始めた。
こいつらが自分より格上なのだと思うと、綺麗は悔しくなってくる。そういう空気作りが、彼らは大得意で、負けても腹は痛まないから、余裕のうち筋。心理的な駆け引きを、安全圏でやる。
一半荘で、綺麗は箱下まで追い込まれる。
「楽しい?」
「ええ、とても」
正面から来る布是はどうでもいいとして、清澄は心理的に「来る」からめ手をよく使う。リーチはかけないし、鳴くのも得意。上がれないとわかれば布是のサポートを徹底する。
タバコの煙は上に吐く。手元には梅ジュースソーダ割り。
燦は可愛らしく「ちぇ、もうちょっとで上がれたのになぁ」と不貞腐れている。
第四組は、アガリ役が布是でトス役が清澄。第二組はアガリ役が燦だったが、なかなかいい手がこない。
いい手がきても、第一打が4筒切りとかで、迷彩を施す気もなく、逃げられてしまう。アガリ役に気を取られて、布是の手に注意して牌を切ると、闇で待ち構えていた用意のいい清澄に喰われてしまう。
色々気を回すが故に、裏目に出て、また綺麗は箱下に沈む。
計三回の半荘で、綺麗は4、4、3着。資金が尽きて場を投げた。
「金、こんなことで使っていいの?」
「結局、僕の元に戻ってきますから。……それに、僕たちは、第二の麗しい姫君と、麻雀をしたという栄誉を勝ち取れるんです。最高では?」
「清澄、やっぱりこういうところに向いている。褒めてないよ」
「いえいえ、恐縮です」
こういう、普通じゃないメンバー、端的に言って「悪」が、第四にも第二にも一定数いる。こういう手合いとやり合うと、かなり消耗する。
「綺麗さん。ほらほらそんな顔しないでください。可愛い顔が台無しですよ」
聴衆もくすくすと笑った。水商売でもやっているような気分になる。
「はあ、漫画買いに来ただけなのに、燦が麻雀に走るから」
「またぜひ地上でも」
「第四の女の子は、付き合ってくれないの?」
「奴らはバカなんですよ。勉強ばかりしている」
「それは、賢い選択なんじゃないの?」
「綺麗さん、こんなところに来ていて、そういうセリフが吐けるんですね。賢い? それは第四では貶し言葉ですよ」
「清澄、自分に都合が良すぎるんじゃない? 私は、遊びと仕事はいつでも半々よ」
「まあ、僕は、小学生の時に少し算数ができたから、第四にいるだけです。中身はゴミクズですよ」
「自覚あるんだ」
***
燦は、囲碁は遠慮した。逆に布是も清澄も、燦がどれくらい強いかよくわかっていた。有名なのだ。
こういうところで打ったことがわかったら、燦は祖父の逆鱗に触れることになる。
囲碁で賭けたら、燦の人生は暗いものになるだろう。
プロというわけではないが、かなりの腕前で、アマチュアではもう、強豪と言って差し支えない。
外で顔が売れている。同じ名前の人が書画を書いているとは、誰も思わないらしいが。
同じ理由で、誰も綺麗と象棋をしない。
麻雀のような運が介在するゲームはほどほどでも、第二の二人は実力ゲーでは無類の強さを発揮する。小さなコツだったら、いつも思純先生が教えてくれる。
第四の二人は駆け引きの達人ではあっても、論理的思考の分野では、綺麗や燦には決して敵わない。
麻雀で負けたところで、お遊びなのだから、嫌な気持ちにはなるけれど、応えることはない。
「タバコなんか吸っちゃって、坊やが。いたいたしい」
そんな心境なのだ。
地上に出ると、空はもう曇っていた。でも昼前に見た青空より、ずっと広く、ずうっと遠くまで続いている気がした。