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百二章《第二》

「制約の言語回路」百二章《第二》


 レストランで火鍋を囲んだ。


 思純の方を見る。もう四十近いはずなのに、そうは見えない。真っ黒な髪がストレートに落ちていて、片耳だけのぞかせていた。


「戦争とは関係なく、島国のことが好きな子がいるの。まあ第二だから、親御さんも知識人だったりするのかも。お話ししてあげて」


「僕に何か話せることがある?」


「あなたは大陸贔屓だものね。ところで」


 思純はペットボトルの水を飲んだ。「孤独な子を救う方法ってあると思う?」


「誰かに何かを教えたり、ものを書いたりするのは?」


「そういう感じなのね。大陸の子は、とにかく勉強ばかりだから、アイデンティティを失う子が多いの。鼻で笑う? 私もそうだけど」


 山椒からくる痺れに嗅覚を持っていかれる。「笑ったわけじゃない」と緻里は言った。


「美味しい」


「そう? よかった。たまに友達と来るの」


「思純の友達、なんか強そうだ」


「どうでしょうね」


 思純は箸を休めて鉄観音茶をすすった。


「強そうとか、緻里はまだ高校生なの?」


 ひんやりとした口調で言った。思純のそのせりふは、もしかしたら冗談だったのかもしれない。


「高校生のころから、何一つ変わらないよ」


「指輪、してくれていたの嬉しかった。最近で一番嬉しかったことかも。好きだったから。それを、利用して撃墜したことは、悪かったと思うわ。でも、もう大陸にずっといればいいのよ」


「それもいいかもしれない」


「本当にそう思ってる?」


 声は幾分か幼くて、遠慮がなかった。


「嘘かもね」


「そうでなくては」


 お会計をして、また車に乗って、第二中高に向かった。


「省明さん黒玉さんは、思純が厳しい先生だと言っていた」


「あまり頭が良くないの。格好だけでも整えないと」


「ご冗談を」


「あいにく、本当のことよ」


 車を駐車場に停めると、緻里は二十年ぶりに第二の敷地に足を踏み入れる。


 あの時は気づかなかったが校門の内側には十重二十重に術式が刻まれていた。敵対的なものも、祝福的なものもあり、さまざまだった。昔流行ったスプレー缶のアートのようだった。そう言ったら思純は「落書き」と斬って捨てた。


「古い言語で書かれている。びっくりするね」


「緻里、あなたそれがわかるの?」


 振り返って思純は聞いた。「やっぱり、天才的ね」


「大したことじゃないよ。島国的に表現すると、候文みたいな?」


「和漢混淆文、だっけ?」


「そんなやつ。まあ、仮にも大学教員だったこともある。一通りの教養はあるさ」


「島国では当たり前の水準が高いことが多い」


「そんなことないさ。莫大な人口の粋を集めた第二が、それに劣るわけがない」


「道綾もそう言ったわ。島国が大陸に勝てるわけないって」


「僕はそうは言ってないけど」


「お生憎さま」


「先生こんにちは」


「はいこんにちは」


 生徒一人と廊下ですれ違った。詮索する雰囲気も見せないのに、ふんわりと解析をかけてくる。音を媒介にしたフィールド系の術式。


 思純が苦々しい顔でその術式をはじいた。


「悪いわね、彼女手癖が悪いの」


「そうすることが自然なんだろうね、僕は気にしない」


「子供というのはすごいものだと思う。あの頃の私が敵わない、まさかそんなことがあるのかって、いつも振り返るんだけど、私全然大したことなかったんだって思う。悔しいわ。舐められているの」


「それは嘘だよ。無理に優しくしているだけなんじゃない?」


「どういうこと?」


「あの時の思純は、すごかったよ。僕はいつでも本気だったけど、敵わないから」


「本気? 緻里は誰にも本気を出したことないのが自慢なんじゃないの?」


「誰がそんなこと言ったの?」


 応接間に緻里を通す。生徒が三人座っていた。


***


「こんにちは、思純先生。初めまして、緻里先生、綺麗と言います」


「初めまして、暦了です」


「燦といいます。暦了は美少年ではないですか?」


 暦了れきりょうは肘でさんをつついた。


「そうだね。初めまして、緻里です。みなさんの島国の言葉は、とても自然ですね」


 と言いつつ緻里は、少しわかりやすい構文を選択する。「誰に教わったんですか?」


「思純先生」


「へえ」


「緻里は、大陸語も深く理解しているから、わざわざ島国の言葉を使う必要はないのだけど」


「練習ですよ、思純先生」


 燦が言った。


 燦は、この三人の中では最年少の十五歳。暦了は十六で、綺麗は十七歳だった。燦は背が小さく、暦了は確かに美少年で、綺麗は背が高かった。


「みなさんはどうして島国に興味があるんですか?」


「アニメとか漫画とか」


 燦はニコニコしながら言った。


「島国ものが流通しているの?」


「綺麗の家にコレクションされているんです」


「どやぁ」


「綺麗って、お父様もお母様も島国の人なんだよね」


「そうだよ。でも、北城市の市民権は持っている。だから、島国系って感じかな」


「島国に来たことはないのかな?」


 緻里は聞いた。


「ないです、あ、そうそう島国と言えば、省明先輩は、ご家族が島国系なんですよね」


「省明さん、今僕は城市大で教えているよ。第二は、島国と関係が深いんだね」


「昔からそうよ」


 思純が言った。


***


 綺麗と暦了と燦は、昔から同じ塾に通っている。


 第二にいて、それだけで高級の大学に入れればいいが、そう甘くはない。


 彼女らには島国の言語という、他の人が持たない強みがある。ただそれはそれとして受験がある。


 綺麗は留学を考えている。大陸の大学に入って、それから留学するか、それとも直接留学するか、悩ましい。


 留学先はフランスが最有力。島国の文化を程よく流入させた、思想界の雄だ。


 単に彼女は漫画が欲しいだけかもしれない。


 綺麗は、アンダーグラウンドでの島国文化の旗振り役でもある。「自炊」して、ゲーティッド・インターネット・コミュニティに撒いている。


 大陸語の字幕をつけるのは、島国の言葉がわからないとできない。驚きの言語習熟度だった。


 情報系の知識にも明るく、今企業に入ったとしても即戦力となりうるくらい。


 父親が話してくれる、昔の漫画の話を聞くのが、彼女は一番好きだった。


 暦了は、本当に見目がいい。背が高くて、よく「踊ってみた」でアニソンに合わせて踊っている。マスクをして踊っているのは、さすがにバレると怒られるから。


 歌もうまくて、「歌ってみた」にもよく登場する。


 カメラを回してプロデュースまでするのは綺麗なので、まずバレない。


 勉強させるのはもったいないくらいの美形なのに、第二でも有数の頭脳を誇る。文・芸両道の秀才だった。


 燦は明るい子供で、子供という方がまだ少年というよりは正しい。かなりのギフテッドで、言語以外にも書や美術に秀でていた。


 彼女が生み出す書画は、すでに大陸の一部の好事家に、高値で取引されていた。少年宮(芸能天才養成施設)に通っていたこともある。


 彼女たちは受験なんかに飲み込まれたりしない。しなやかでしたたかで、無邪気だった。


***


 高校が終わると、近くの激辛拉麺を食べによく三人で繰り出す。本当はあまりよくないのだが、彼女たちは少し不良なのだ。


 店主は愛想が悪いことで有名だったが、彼女らが連れ立ってくると、わずかににこやかになった。


 ゴッド、デビル、エンジェルといった辛さレベルで、彼女たちは必ず最高のゴッドを選択した。


「辛いね」なんて一言も漏らさない。


 彼女らの話す大陸語は、いわゆる北城方言で、アル化したり奥鼻音が綺麗に発音されたりする。アナウンサーばりの流暢さで、文化資本が背後に透けて見える。


 綺麗と暦了と燦は紫松公園ししょうこうえんを囲む集合住宅群に住んでいる。


 朝は公園で太極拳をやり、夜はダンスに明け暮れる。


 休みの日は公園を周回するランニングで汗をかき、それから塾に行って勉強を詰め込む。


「ゲームをやる時間がないって? チッチッチッ。わかってないですね、深夜0時からが人生なんですよ」

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