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一章《思純》

「制約の言語回路」一章《思純》


 昔は、というほど前のことではないけど、緻里ちさとは強い男だった。


 男、というか男の子。


 冷静沈着、冷酷とすら言えるかもしれない。

 文武に秀で、「完璧」だと恐れられた。


 気流を読み、風を操る異能。年を追うごとにその能力は極まり、難癖をつける輩も、緻里には手を出さなかった。


 父は偉大な風の術師。母は雷を体に宿していた。術師というのは大学教授みたいなもので、雷は天才の証。

 血筋的にも、努力を続ける点でも、緻里は完全無欠だった。


 緻里の周りには一癖も二癖もある学友が集まった。その中でも、緻里は抜きん出ていた。


***


 この、緻里の生きる島国は、海を挟んだ対岸にある大陸と、緊張状態にあった。


 人的交流は、現代において加速していたが、国家対国家のライバル関係は、少なくとも千年は続いていた。


 国費の留学生として、高校二年に大陸の首都北城市ほくじょうしに派遣された緻里は、乾いた風を捕まえるのに苦労しながら、大陸語を学び、来るべき「衝突」に備えていた。


 一年、留学した緻里は、その期間に大陸に心奪われた。留学するまでは敵対的なムードが蔓延していると聞いていたのに、緻里のことを留学先の高校は歓待してくれた。


 生真面目な緻里の気質は、これまた生真面目な大陸の人たちととても親和性があり、何人も友達ができ、島国にいるよりずっと、緻里はリラックスしていた。


 緻里の留学した学校は、北城市第二中学といった。「第二」と呼ばれる序列第二位の高校で、極めて優秀な生徒が軒を連ねるように並んでいた。


 大陸語を早々にマスターし、島国でいたのとは打って変わって、柔和な笑みを浮かべ、交友関係を広げた。


 第二の生徒は能力を隠すことがなかった。誇るように、でも驕らずに、術を披露し、術を学んだ。


 島国の術式と、大陸の術式は異なっていた。異なっていたというか、体系が完全に違っていた。


 緻里は、最初それが何を「言って」いるのかわからなかった。文字の呪力、音楽的に特別な音階、大陸から文物を輸入してきた島国に、現代の大陸の術式はもたらされていなかった。


「僕にそれを教えてもいいんですか?」


 第二の老師は、にっこり笑って言った。


「没問題-Mei wen ti-。これは科学技術ではないんです。詩なんですよ」


 島国にいた頃に抱いていた大陸の人々の印象と驚くほど乖離があり、温かく、親身で、そのような人たちと未来にあって争うなんて、考えられないくらいだった。


 第二の生徒の中に、龍を操る者がいた。

 龍鹿りゅうかという名前の男の子で、緻里の一学年下だった。


 現代的な世界観からすると、龍なんて時代錯誤に思われるかもしれない。確かに龍を単なるおもちゃだと揶揄する生徒もいないではなかったが、風を操る緻里からすると、その存在はとても大きかった。


「龍が天を這うように飛び、鹿が大地を叩くように駆ける」


 龍鹿とは剣を交えたくないと、緻里は心から思った。


 龍鹿の周りには常に微細な霧が立ち込めていて、ほとんどの人はそれに気づかなかったが、エネルギーの微粒子がチリチリと摩擦していた。


 素朴な風貌で蚊も殺せないような雰囲気と、どこか英国紳士風の人の良さが、第二での彼の立ち位置をひどく平凡なものにしていた。


 誰も見ていないところで飛ぶなんてことも、リズムに乗るくらいの意味でしかなく、龍鹿の本領を知っている人は、実際には彼自身しかいなかった。


 龍の話はまことしやかな噂でしかなく、何が本当なのかわからない緻里は、高校の授業を受けている、寝ぼけた時間に窓の外を見ていた。


 窓が開いていて、外から乾いた冷たい風が入ってきた。旋風が横切ると遠くに飛行機雲の根元から出来上がって、ぼんやりとそれを眺めている。緻里は無意識のうちに飛行機雲ができる気象の理論を緻密に計算していた。


 ハッと顔を上げると、もうすでに飛行機雲は「完成」していた。あり得ない値が計算結果として出ると、もうこの近くに龍がいた。


「すみません、ちょっとお手洗いに」


 と言ってバタバタと教室を出ると、屋上へ通じる階段の扉にかかった錠を風圧で開け、屋上から垂直に飛び立った。


 緻里の飛行スピードはまだそんなに速くない。音速を超える速度で飛ぶ龍を、追跡できるわけでもなかった。


 追いかけるのを諦めて、飛び立った屋上にため息をつきながら戻ると、龍鹿が大鹿とともに緻里を待っていた。


 穏やかな眼の中に、強い意志を感じさせる大鹿に、まだあどけなさが残る少年の佇まい。


「飛行機に勝つことはできません。今のところは」


 龍鹿は大鹿の背中を撫でながら、大陸語で言った。


「人間が龍に勝った世界線も、僕は知らない」


「嫌だなぁ、緻里さん、島国のライトノベルにはドラゴンキラーはあふれんばかりにいるでしょうに」


「今のところラノベの主人公として登録しているのは、僕の両親だけだ」


「それは知りません。でも、あの龍はまやかしですよ」


「まやかし?」


「影のようなものです。残滓ですよ。龍はそこにはいません。知っていたのではないですか? あなたなら、本物の龍が現れて、気づかないはずがない」


「どういうことだ?」


「緻里さん。あなたの空間認知能力は大したものだと思いますよ。あの飛行機雲は、視認できるとはいえ、優に十キロメートルは離れた場所にあります。あなたの対空レーダー網は、能天気な(と言うと怒られますかね)僕の同級生たちのものとは違います。さすが、島国のエリートなだけありますよね」


 くすぐるような龍鹿のセリフに、緻里は苛立ちを覚えた。能ある鷹は爪を隠すと言うが、そういうタイプのはずの龍鹿が自分の切り札を覗かせるのだから、つまりそれは挑発されているということだ。


「あらら、先客」


 気配を全く感じさせずに緻里の後ろを取るのだから、これもただものではない。


 思純しじゅん。実質的な第二のトップ。文芸に通じていて、言葉を操る。


 長い髪と、細長い手脚、楚々として美しい容貌に反して、笑みは数倍化して不敵で、自信満々だった。


 柔和な可愛いさに加えて隙がある感じで、仲間は多い。大陸の女の子のありがちなパターンで、何人もの男子を配下に置いている。もちろんその男子たちの誰よりも強く、実力がある。


「男の子を侍らせてないなんて、珍しい」


 思純はぷっと吹き出した。


「そうね、確かに珍しいかも。緻里くんは、いつも私たちと仲良くやってくれる。嬉しいわ。でも、もうすぐお別れよね」


「僕に話しに来たの?」


「島国の男の子はみんなサムライなの?」


「そうとも言えるし、そうじゃないとも言える」


「場合による?」


「そういうことになる」


 思純は一歩も動いていないのに、遠近感が狂う。


 龍鹿の大鹿が、後ずさった。


「これは賭けなのよね」


 小さい声でつぶやいた思純の声が、小さくても明確な合図になった。


 シュインという音がしてガラスの割れる音がした。


 緻里は飛んで、攻撃を避けた。


 重力がかかった空間が、歪んで爆縮した。


 その術式は島国にはない。でも、第二で学んだ術式の構造解析から、緻里は大まかに「何があったのか」を理解した。


 第二で主席といえど、習ったことしかできないのなら、「地頭のいい」緻里の敵ではない。


 応用力で負けるものか。


「ところで緻里くん。あなたに好きな人はいる?」


 戦いの中の戯れだ、聞く耳など持たない。でもそれが、決定的な伏線だったことに、緻里は気づかなかった。


「私たち友達にはなれないでしょ? あなたが私の好朋友-Hao peng you-になることはない。集団の中の一人になれないなら、主人公でいるのなら、緻里くん、あなたは私の……」


 御託を並べている間にも、思純はいくつも布石を敷いた。術式の計算速度で緻里は思純に敵わない。「動けない」場所が増えていく。そういう「呪い」だった。


 飛んで思純の支配領域から脱すると、緻里は呼吸を落ち着けて、天を仰いだ。


 それが第二での、緻里の最初の「雨乞い」だった。


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