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「どういう、こと?」
ボブヘアでスーツ姿の知的な若い女性が、怒りを露わにした表情と声で私達を見た。
私には一切見覚えの無い人。
隣にいる先生を見上げると、前を向いて不思議そうな顔をしていた。
「仕事帰りだが」
「そうじゃない!なんで私を放っておいてこんな、こんな若い女と!」
女性は身体を震わせ先生を睨み付けながら私を指さした。
誤解されてる?!もしかしてこの人先生の彼女なんじゃ。
これはまずい。私はバイトです、と言おうとしたとき、
「君に、関係ないだろう?」
静かな先生の言葉に女性の顔が一瞬でカッとなって、バチン!という音が静かなビルの間に響き渡る。
「やっぱり最低な男だったわ!!」
振り上げた手を下ろし女性は大きな声でそういうと、私の肩に勢いよくぶつかってそのまま横を通り過ぎた。
よろけた私を先生が大きな手で私の肩を掴み受け止め、私は斜めになったまま呆然と過ぎ去っていく女性を見てしまったが我に返る。
「先生!早くあの人を追わないと!」
「なぜ?」
先生は私を立たせると、訳がわからない、という感じで叩かれた自分の頬をさすっている。
「何故じゃ無いでしょう?!彼女さん、私のこと誤解したんだと思いますよ!
早く誤解を解きに行かないと!」
「彼女?・・・・・・あぁ付き合いは終わってるが」
何か噛み合わない話しに、私は必死に冷静になろうと先生を見上げる。
「終わってる?もう交際してないってことですか?
でもあの女性、とてもそんな感じじゃ無かったですよ。
絶対交際していると思っているからこその怒りです!」
「だがもう彼女とは数ヶ月連絡をしていない」
「なんで連絡してないんですか?!」
先生はううむ、と眉を寄せて記憶をたぐり寄せているようだ。
「あぁ、仕事が忙しいから当分連絡しないでくれ、と俺から言った気がする」
そう言えばそんなこともあったな、と軽く話す先生に段々怒りがわき上がってきた。
「なら!あの人は、先生が仕事が終わったら連絡をくれると待っていたって事でしょう?!」
「だとしても、彼女が必要と思うなら連絡すれば良いじゃ無いか」
「だから!先生の仕事の邪魔をしないように控えていたんですよ!
耐えて待っていたら、見知らぬ女と彼氏が一緒に歩いているのを見れば勘違いして、いくらその相手が子供でも怒りますよ!」
先生はポケットに手を突っ込み、面倒そうな顔をした。
「なるほど。でももう俺の方は彼女に何も感じない。忘れていたくらいだし」
余計に怒りそうな私に対して先生はため息混じりに、
「彼女だって、忙しいから連絡してこないで、なんて俺に何度も言ってきたが?」
「・・・・・・日頃からまめに連絡してました?」
「してないな。面倒だし」
「もしかして初めて付き合った人、さっきの人じゃ無いですよね?」
「当然だ」
この俺様がモテなかったとでも?というお怒りを感じたが知ったことじゃない。
彼女がおそらくそんな事を何度も言ったのも、今回怒った理由も、今まで交際経験の無い私だってわかることだ。
「彼女の連絡してこないでなんて言ったのは、おそらく先生を試したんですよ!
まめに連絡しない間柄でも、流石に寂しくなって会いたいとか言ってこないかなって!」
「仕事の邪魔だから連絡するなと言う意味なんだから、わざわざそれを破ってまで連絡する意味がわからん」
「さっき自分で連絡するなと言った時には、彼女が必要なら連絡してくるだろうというのと矛盾しませんか?!」
「本気度の差、だろ」
何も罪悪感とかが無い。
本気で不思議がっている顔を見て、理解不能な生き物と対峙している気がする。
自分中心で物事が回っていて、彼女の想いに気を回せていない、それが無性に腹が立つ。
「なんで出雲が怒ってるんだ?」
「先生がサイテーだからです!」
キッ!と睨んでも、先生は動じない。
「まぁ、そうだな。
さっきのでわかった。俺は特に彼女にそこまで本気で好意を抱いてはいなかったんだろう。
向こうから誘われて付き合うことにしたが、もう彼女を見て欲情すら起きないんなら終わりにするほうがいい」
よく、じょう。
『浴場』、違う、『欲情』だ。
何?それが先生の好きになる尺度なの?!
わからない、この人本気で彼女を大切にしたことあるんだろうか。
そういや遊んでるとか言ってたし、きちんとした恋愛なんてこの人には無理なのでは?
「おい、そのゴキブリを見るような目、やめろ」
「すみません、根が正直な者で」
「出雲は子供だからわからないんだ」
「いえ、そうじゃないですね、絶対先生の方がおかしいです。
あんな風に彼女を扱ってると、地獄に堕ちますよ」
先生が、地獄?と口にして、しまったと思ったが、
「ふぅん、そういうのがあると思っているのが子供の証拠だな。
それとも見てきたことでも、あるのか?」
急に鋭い目がより鋭くなったような気がして、私はどう取り繕うべきか頭を回転させる。
「そういうのも大事だと言うことです。
地獄に堕ちるぞーとかいう脅しでストッパーになったりするじゃないですか」
先生はじっと私を見下ろしたままだったが、軽く笑う。
「そんなので道徳的に生きる人間が増えれば楽だな。
実際に罰則のある法律があるのに、それがストッパーにならない人間なんざ山のようにいるのに」
まぁ、そうかもしれないけれど、と考え、気が付くと話が脱線している事に気づく。
「とりあえず!さっきの女性に先生はとても失礼なことをしたんです!
フォローなりしておくべきです!」
「そろそろ終バス、来るんじゃ無いか?」
え、と時計を見ると10時近い。
東京とは違って、路線によっては早く最終バスが来てしまう。
「ちゃんとフォロー、しておいてくださいね!」
「お疲れ」
私が急いで走り出した時にそう言っても、先生は面倒そうにそう言っただけで、これは何も言わないのではと心配になりながらバス停に走った。
帰宅して鞄からスマホを取り出すとLINEの表示が出ている。相手が一之森先生だったので先ほどの彼女との報告かもしれないと開けば、
『明日暇か?』
という短い文に、明日は土曜日ですが仕事でしょうか?と返信すると、
『今日の詫びに観光に連れて行ってやる』
と返信が来て私はううん?と悩む。
痴話げんかに巻き込まれたからそのお詫びだろうか。
でもまずは彼女さんに謝るべきで、いや、既にそれが上手く収まったから私に気を遣う余裕が出たのかもしれない。
まさか先生にこんな気遣いが出来るとは思わず感動する。
『ありがとうございます。お気持ちだけで十分です』
なんて優しい私。返信して悦に入るとすぐさま返信が来た。
『『六道珍皇寺』に興味は無いか?』
ばくん、とスマホを持ちながら心臓の音が聞こえた。
その文字だけ浮かんで見える。
どうして急にその場所を先生は言うのだろう、他に有名な寺なんて京都に沢山あるのに。
『どこですか?そこ』
わざとそんな返し方をすると、
『家が違いのに知らないのか?地獄と言えばまずはそこだろう。
ちょうど特別拝観をしているから連れて行ってやる』
そのあとに六道珍皇寺前に集合することとその時間が送られ、私が、何でですか?と送っても既読にならない。
寝る間際になって確認しても未読のまま。
寝たのか、彼女のことで色々起きているのか。
私は断ることすら許されないまま翌日になった。