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「明日夜7時に来客があるからその前に来られるか?」
今日の授業は早めに終わったのでそのまま事務所に行き指示された封筒の宛名を書いていたら、一之森先生に声をかけられ顔を上げる。
「はい、大丈夫です」
「相談に来るのが女性一人なんで、出来れば出雲にいてもらった方が助かる」
「思わずナンパしちゃうのを、私がいれば我慢できるんですか?」
私の軽口を、先生が鼻で笑った。
「何を勘違いしている?逆だ、逆。
こっちは初対面なのに突然結婚申し込まれたこともあるんだ。
この俺を相手によくそんなことが堂々と言えるものだと感心したけどな」
「わぁサイテーですね」
このイケメンである俺にお前ごときが、という不遜な態度を前にして、目が据わりながら棒読みで返す。
「俺みたいにイイ男は大変なんだよ、出雲にはわからんだろうがな」
「日頃遊んでいるんですね、サイテー」
「遊んで何が悪い」
胸を張るように当然のように返され、思わず絶句する。
きっと私のような平凡な人間には、イケメン弁護士様のイケメン故の苦労など想像もつかないし、関係ないし知りたくない。
「知りませんよ?そのうち後ろから刺されても」
「鍛えてるし、何とかなるだろ」
さも気に留めずにパソコンに向かう先生を見てため息をつく。
イケメン俺様の思考、私にはやはり理解できない。
確かに先生は身体を鍛えているらしくいわゆる細マッチョという部類なのかもしれないが、動脈切られたら一発なのに、というのを思っていたら、仕事しろと注意されて私は宛名書きを再開した。
翌日。
早めに来て来客準備をしていると一之森先生が近寄ってきた。
「今日の来客、会っても驚くなよ?」
「どういう意味ですか?」
「ドラマとか見る方か?」
「うーん、あまり」
「それでもおそらく知ってる相手だ。いつもと同じ来客対応をむしろするように」
「もしかして女優さんなんですか?」
先生は、口の端を上げただけで答えてくれない。
くぅ、本当は私が驚くの楽しみたいんじゃ無いのかな。
とりあえず、失礼の無いようにしなければ。
時間ぴったりに現れたのは帽子を目深に被って薄いストールを首に巻いた女性だった。
高そうなお洒落なバッグに綺麗な爪。
背も高く、きつい香水の匂いが一気に事務所に広がる。
応接に案内して彼女が椅子に座り帽子を外すと、ふわりと緩やかなウェーブの長い髪が広がって彼女は手でそれを整えた。
『あのドラマシリーズの女優さんだ!!!』
確か京都を舞台にした有名なサスペンスドラマのヒロインをされていた人だ。
お母さんより年齢は遙かに上のはずなのに、若々しいし色っぽいし実際見てもこんなに綺麗な人だなんて。
驚いたがそれを顔に出さずお茶を用意してから、少々お待ちくださいと応接のドアを閉めた。
名前が出てこないので今すぐ検索したいところだが事務所のPCをプライベートで使用することは禁止、仕事中にスマホをいじるのも原則禁止だし、先生に聞こうと興奮しながら先生の席に呼びに行く。
「せんせ!あの女性!」
奥でまだ他の仕事をしている先生のとこに小走りに行って小声で言うと、あん?というような面倒そうな顔をされた。
「だから言っただろう?失礼な対応してないだろうな?」
「し、してないです、多分」
先生が眉を寄せる。
「近藤先生の紹介で来てるんだ。今後もこういうことは多い。
顔に出さないようにする訓練でも鏡見てしておけ」
そう言うと席を立ち、スーツを軽く整えると応接室に入っていた。
名前は聞けなかったけどあとで聞こう。
あんな有名芸能人がどんな相談に来ているのだろうか。
私は気になって仕方が無かった。
かなり長い時間応接室から話し声は漏れ聞こえ、気が付けば夜の9時を過ぎている。
応接の中で椅子の音がして、帰るのだとわかりお見送りのため応接の近くに待機した。
「また何かありましたらご遠慮なく」
「えぇそうさせてもらうわ」
先生は仕事用の無表情にも思える顔つきで冷静に声をかけ、女性は涙声なのに安心したような笑顔を見せた。
あんな綺麗な女優さんが泣いてしまうほどの相談、きっと辛い内容だったのだろけれど、先生に相談したことで安心したのかと思うと純粋に凄いな、と思ってしまう。
エレベーターのドアまで見送り事務所に入ると、先生が息を吐きながら肩を大きく回した。
私が応接に入ればむあっとした香水の匂いにむせかえりそうになって、急いで窓を開けて換気する。
「そこの書類はそのままでいい」
応接に顔を出した先生がペットボトルのカルピスをグビグビ飲みながら言った。
「コピーとか良いんですか?」
「男女の性行為が大量に写ってる写真、見ること出来るか?」
机の上にある書類を整えようとしていた私の手が止まる。
「今回の相談は夫の不倫だ。
先に興信所で調べたらしいが、その証拠が大量にそこにあるんだよ。
なかなかにハードな内容だが、見たいか?」
思わずぶんぶんと首を振る。
先生はペットボトルをテーブルの隅に置き、書類を自分でまとめだした。
「だがそのうち仕事なら嫌でもやってもらう。
ご遺体の写真も見ることになるだろう」
「えっ?!」
私は驚いて思わず声が出てしまった。
それを聞いても先生は特に反応せず片付けをしている。
「弁護士の仕事ってのは幅広い。
企業が依頼者になることもあれば、罪を犯した者の側に立ち戦う者もいる。
うちは近藤先生が顧問を持ってる会社から依頼が来たり、個人的に近藤先生を頼ってくる人も多いから仕事内容は多岐にわたる。
それこそさっきのような有名人も来る。
離婚などの家庭相談から、交通事故の被害者や加害者。
企業の顧問も抱えているから、企業トラブルを税理士と組んですることもあれば、芸能人のスキャンダル対応もすることもある。
出雲も法曹を目指すならそういうことから逃げられないんだ。
今のうちに耐性をつける良い機会にもなるだろう。
今まで彼氏もいないだろうから、特にこういうのは刺激が強すぎるとは思うがな」
緊張しながら話しを聞いていたけれど、最後の言葉にむっとする。
「なんで勝手に彼氏がいないって決めつけているんですか!」
「ん?何か間違いを言ったのか?」
上から見下ろすように言われ、むぐ、と押し黙りそうになったが、腹が立って思わず言ってしまった。
「私には、素敵で素晴らしい旦那様が待ってるんです!」
先生が面食らったような顔で、ムキになっている私を見ている。
そして、自分の言った言葉がもの凄くアホらしい内容だと気が付いた。
「なんだ、婚約者がいるのか」
真面目に返されて言葉に詰まる。
つい、あの閻魔庁にバイトに通うきっかけの要因、いや、その一つを馬鹿正直にバラしてしまった。いや、落ち着こう、先生にそれがバレたわけじゃ無い。でもお前など誰も相手にしないだろうと言われているようで気持ちが収まらない。
「ま、まぁ、そんな感じです」
思わず意地を張ってそういう風に返すと、先生は私をしげしげと見て軽く笑った。
「そうか。その歳で言い切れるとはよほど良い相手なんだな。
まぁ変な恋愛重ねるよりその方が良いかもしれないな」
先生は特に馬鹿にするような言い方でも無かった。
それが妙に違和感を感じたのは何故だろう。
「もう遅い。俺も帰るから途中まで送っていこう」
私は頷きつつ、何を馬鹿な話しをしてしまったのかと後悔していた。
閻魔ちゃんの言葉を疑うと言うより、そんなうまい話があるわけ無いと内心では思っているからだ。
こんな特に取り柄も無い私に、二次元の王子様のような素敵ポイント全部盛りみたいな男性が結婚相手になるだなんて実感が湧かないし現実的じゃ無いだろう。
でも否定しつつその可能性に期待してしまう。その時点で馬鹿だなとは思うけれど。
二人で片付けを終え、事務所を一緒に出ると外はもちろん真っ暗だ。
外では一切仕事の話は禁止と言われていたので学校のことを話すけれど、先生は聞いているのかいないのかわからない曖昧な返事を時折するだけでむっとしてしまう。
バス停に向かおうと路地を曲がったとき、向こうから歩いていた女性が目を見開いて私達の前で立ち止まった。