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広い宮殿で、60過ぎに見える男が白い死に装束を着て一人立たされている。
私は自分用の机の上にある巻物に書かれた内容を確認し、椅子に座って御簾ごしから男の様子をうかがう。
「お前は生前、多くの邪淫を行ったな?」
「はい」
閻魔大王の大きな声が響き渡り、男は特に動じることも無く返事をした。
「あのー、邪淫って何ですか?」
側に立っている私の補佐をする人の形をしている男性に聞くと、一瞬顔の表情を止めた後、私に顔を近づけた。
「配偶者以外との性的行為や非常にふしだらな性行為の事です」
「あ、はい」
小声で言われ、私は内容に驚き恥ずかしくて思わず顔を手で覆いたいのを必死に我慢して顔を引き締めた。
向こうに見える男性は、なんというか失礼ながら冴えない男性だ。
浮気をする人は顔が良いとか金がある人だと思っていたので、彼は実は会社社長とかなのかと経歴を見ると公務員。
妻もいて、子供が三人もいたようだ。
「何か理由があるのかなぁ」
淡々と閻魔大王の質問と、亡者の返答が続く。
とても彼には後悔している、という感じは受けない。
私は疑問をぶつけたくなった。
それにすぐに気づいた閻魔大王が私に、
「何か、あるか?」
とふってきた。
「その亡者に質問をしても宜しいでしょうか」
閻魔大王は、頷く。
ここで質問をしていいか問いかける相手は亡者ではない。
ここを取り仕切る裁判官である閻魔大王に対してなのだ。
「お伺いします」
亡者が御簾のある私の方を向く。
「あなたは何故、浮気を繰り返したのですか?」
亡者は驚いたような顔をした後、大きく身体を動かし笑い出した。
「ははは、そこには子供がいるらしい」
まさかこんな質問でそう返されるとは思わず、私はたじろいだ。
「理由?そんなものはいくらでも、どうとでも言える。
物事の全てに理由があるなんて思っているのが子供の証拠だ。
衝動には勝てない、性欲というものは食欲や睡眠と同じもの。
それが理解できてないなら、そこにいるのもしかしてあまり経験の無い女だな?
娘さん、坊さんだって浮気の一つや二つするんだ。
何一つ汚れないの無い綺麗な者など、赤ん坊以外この世に誰もいるわけがない。
みな、最後は地獄に堕ちるんだよ」
亡者はこちらを見たままそう言い切り、彼は何故か歪んだ笑みを浮かべた。
私は何も言葉を出せずにただ御簾ごしにその亡者を見ているしか無く、そんな姿を閻魔大王は見ていたのか、
「ではここでの裁きを言い渡す」
と声を出した。
「お前を『衆合地獄』行きとする」
亡者は頭を下げることも何も反論もせずに獄卒達に付き添われ、部屋を出て行った。
大きなドアが閉まり今日の仕事が終わりなのだと他の者が知らせている声がしているのに、私はもやもやした気持ちで一杯なまま座っていた。
「小夜子」
気が付くと御簾の中に、閻魔ちゃんが入ってきて声をかけてきた。
「ごめんなさい。今署名して渡します」
側にいる補佐の者に巻物へ署名をしてそれを渡せば、
「疲れたであろう?甘い物の時間じゃ」
そう言って閻魔ちゃんが私に笑いかけた。
今回は和風喫茶の様相で、掘りごたつのようなテーブルセット、テーブルの上には大きな花器に菊の花などが飾られている。
出てきたのはお抹茶と平たい少し焼いたあとのあるお餅のようだった。
「おお、やきもち、か」
「やきもち?」
私の声に、閻魔ちゃんは、うむ、と言うと、
「これは上賀茂神社前にある『葵家のやきもち』じゃ。ほら温かいゆえまずは食べよ」
仏教でも神社って口にするんだなぁと思いつつ、急かされて私はとりあえず口にした。
平べったいお餅の中にあんこが入っているが、少し焼き目の付いたお餅がとてももっちりしていて、あんこも嫌な甘さじゃ無い。
一緒に置かれたお抹茶を飲めば、よりその味わいが楽しめてほっとした。
「うむ、少し表情がよぅなったの」
「すみません・・・・・・」
閻魔ちゃんが私の様子に気づいて気遣ってくれたことがわかり謝れば、
「小夜子が謝ることなど一つも無い。
まずは何か話してみよ。疑問でも何でも良い。
正しく伝えようと考えず、まずは口に出すことじゃ」
閻魔ちゃんは二つ目に手を伸ばし、よもぎ入りのやきもちをかじりながら私に言う。
せっかくなのでまずは思いついた疑問を聞いてみた。
「『衆合地獄』ってどういうとこですか?」
「『衆合地獄』とは、生前、殺生、偸盗、ようは窃盗じゃな、そして先ほどの邪淫の罪を犯した者が堕ちる地獄じゃ」
「殺生だと、他にもありますよね?等活地獄とか」
「殺生は大抵の地獄で含まれておる。
ようはその者が生前犯した罪の軽量、そしてそのものに相応しい地獄に堕ちるのじゃ。
『衆合地獄』にはな、美女のいる刀葉樹という樹木があっての」
にや、と面白げに閻魔ちゃんは私を見て、私は新しく持ってこられた緑茶を飲みつつ話しを聞く。
地獄に美女。嫌な予感しかしないだろう普通。
「その美女が木の上から下を通りかかった亡者に「何故私をここまで来て抱かぬのか?」と笑みを向けるのじゃ。
亡者は愛欲に囚われ必死にその大きな木をよじ登る。
もちろん地獄にある木が普通な訳もなく、葉は刃物のように鋭く、それに身体を切り刻まれながら必死に亡者は木を登る。
じゃが、やっと美女のいた所まで来たと思ったらそこにはいない。
その女は何故か地上にいて、「来るのが遅い故、あなたを迎えに地上まで来てしもうた」と、迎えに来いとばかりに木の上にいる亡者へ手招きする。
亡者がまた必死に身体を切り刻まれながら地面に降りれば、美女はまた木の上。
それを延々繰り返すというところじゃよ。
さっきの者に相応しいであろう?」
これ、亡者が女性ならイケメンが樹の上にいるのかと思うとなんとも複雑だ。
そしてなんて嫌らしい地獄なのだろう。
「そういえば、小夜子の結婚したい男は浮気をしない男であったな」
閻魔ちゃんが三個目のやきもちを食べようか、手を出したり引っ込めたりして悩みながら話しかけてくる。
「そうですけど、どんなに愛しててもそういうことって起きちゃうものなんでしょうか」
ニュースで芸能人の不倫なんかを見ると私は嫌悪感を持ってしまう。
なんで好きな人がいるのにそういうことが出来るのだろう、と。
「小夜子はまだ子供故、そういう世界をより汚らわしく思うのはおかしな事では無い。
ただ人というのはそういうもの、ということだ」
「大人になればわかると言うことですか?」
「人の弱さ、理性では理解できないこと、そういう物を見聞きすることが増えるだけで、それをどう取るかは小夜子自身による。
その者が本気で好きだったはずが、その後より好きになる相手に出逢うこともあれば、欲望に溺れる者もいる。ただそれだけのことじゃ」
「私は、やだな、結婚したら私だけ好きでいて欲しい」
ぽつりと呟くと、
「言うたであろう?
小夜子の夫となるものは小夜子の事しか考えぬ、そういう相手だと」
「本当にいるんですか?そんな人」
私が弱気になって聞けば、閻魔ちゃんは豪快に笑う。
「そういうドキドキハラハラも恋愛のスパイスというやつじゃ。
小夜子はまだまだ経験不足故、スパイスはもう少しかけたほうが良いぞ?」
「遠慮しておきます」
真顔で返すと、小夜子は可愛いのぉと閻魔ちゃんが笑う。
私は確かにまだまだ子供なのだろう。
だけど色々知っていって怖くなって、好きな人なんて欲しくないと考えてしまわないだろうかと気持ちが重くなってしまった。