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「・・・・・・さて」
先生が椅子を下げて、長い足をどかりと組むと、ゆっくりと腕を胸の前で組んだ。
「この書類に署名したと言うことは全てに同意したと言うこと。
では、これから俺の質問に答えて貰おうか」
は、と人々を鼻で笑いそうなほど、横柄に思える人が目の前に誕生した。
さっきまでの冷徹そうで『私』って自分を呼んでた一之森先生はどうした?!
「君は、裏で、何を、している?」
す、と細まった目と、低い声に、ぞわっと鳥肌が立った。
怖い!この人の正体はこっちだ!!
真の魔王降臨。
ゴゴゴゴゴという背後に文字が見えるほど、目の前の人が王宮の遙か頭上に伸びる階段の上で豪華な椅子に座る魔王にしか見えない。
「俺の質問には素直に答える、秘密は持たないとあの書面には書いてあったんだだがなぁ」
顎をあげ、こちらを見下げるように先生が言った。
私は地獄で最初味わったものに近い物をこの生者の世界で味わっていた。
どうしよう、まさか閻魔庁でバイトしてますなんて言ったら余計に魔王の怒りを買いそうだ。信じてもらえるわけ無いし。
私はぐっ、と力を込めて先生を見る。
「何もありません。
少なくともこの事務所の不利益になることは、私は何もしていません」
「それは聞いてからこちらで判断する」
「さっきの契約書はこの事務所に関わることですよね?
それ以外のプライベート全てを報告しろとでも?」
「当然だ」
当然なんかい!!
速攻で返され、キレそうになるのを我慢する。
「とりあえず何もありません。
何か疑問があるなら探偵でも何でも雇ってお調べ下さい。
それともそこまで不審に思うのなら、ここでバイトの件は無かったことにして頂いて結構です」
段々と目が据わりながら言い放つと、先生は腕を組んでじっと私を見たまま。
目をそらした方が負け、それが動物の世界では当然みたいなのが頭をよぎり、負けるものかと私もその鋭い目を睨み付けた。
しばらくして、ふ、と先生の口元が緩まったように見えた。
「良いだろう。むしろそれくらい度胸がある方が良い。
まぁそのうち、わかるだろうしな」
最後の先生の言葉を警戒しつつ、私は黙っていた。
「出雲」
初めて苗字を呼ばれ、私は未だ伺うように先生を見る。
「まぁそう警戒するな。
明日の授業は?」
「夕方で終わりですけど」
「なら終わり次第こちらに来てくれ」
私は今ここで辞めますと言おうか悩んでいた。
だってこの冷徹魔王は本当に性格の悪い魔王だとわかり、上手くやっていける自信が無い。
あとで揉めるよりも今断るのが良いだろう。
私は意を決して断ろうとした。
「弁護士費用」
急な言葉を投げかけられ、私は小さく口を開けたまま固まる。
「馬鹿共に怪我させられた件の示談、俺がやることにしたがあれはもちろん、『うちの大切な事務員に危害が加えられたから』無料でやってるんだ。
だから、費用のことは、気にするな」
一部をいちいち聞き取りやすいほど区切って言ってきた。
笑顔だ。笑顔だがどす黒い。
ようは、バイトやらなきゃその費用出せよ、という脅しか!
本来それなりに弁護士を頼めばかかると言っていたけれど、無料で引き受けるというのはここまで計算していたのか!この鬼畜!
もう、逃げられない。
いや、これ閻魔庁でも味わったようなやつじゃないの。
私はうぐぐ、と奥歯を噛みしめ先生を上目遣いで睨むが、先生はふふん、と私の悔しげな顔を楽しんでいるかのようだ。
だめだ、私には抵抗できる方法が思い浮かばない。
仕方なく白旗を揚げる気分で、
「よろしくお願いいたします」
と小声で返した。
その時先生は勝ち誇ったように笑みを浮かべた気がした。
そうやって、日中は法律事務所へ、そして夜は閻魔庁へバイトすることが決まった。
こんなバイトのかけ持ちをしている人は日本で私一人だろう。
あぁ、酷く疲れた。
とりあえずなんか甘い物でも食べないとやってられない。
コンビニに寄って甘い物を買って、魔王と対峙した自分にご褒美をあげなくては。
より前途多難になった大学生活に私は法律事務所の入るビルを出てから大きなため息をつくと、とぼとぼと京都市役所方向に歩き出した。