49.「アホにパーティリーダーは務まらない」は自明の理
《裏》
初めて【黒き狂人】の噂を聞いた時、アレックスは全くの無関心であった。より正確に言うのであれば『それどころではなかった』が正しいだろうか。
当時の彼女の関心は、全て『いかにダンジョン下層を突破するか』と『いかに【ミニアスケイジ】に蔓延る犯罪者どもを根絶するか』に向けられており、どちらもあまり上手くいっていなかったからだ。
彼女はこの街において誰もが認める【英雄】だ。神話で語られる勇者や、もはや伝説扱いされている【死力の剣】のことを考慮しない場合、彼女と彼女が率いるパーティは、人類で初めてダンジョン40階層を突破し【海中エリア】へと足を踏み入れるという偉業を成し遂げた超一流の冒険者だ。
……しかし、その偉業も今では過去の話。彼女のダンジョン攻略は47階層で行き詰まってしまっていた。とはいえ、彼女がダンジョン攻略に全てを賭ければ攻略の目はあった。それでも、彼女にはそうもいかない事情がある。
彼女はこの街に蔓延る悪人どもに対する抑止力としても機能しているのだ。一部の悪人どもの中には、冒険者でないにも関わらずどういう手段を使っているのか、かなりレベルが高い奴らが混じっている。そういった犯罪者は並の人間では対処できないのである。
当代の冒険者の中で『最強』と噂される彼女がこの街の治安維持に手を貸さなければ、この街の治安は一気にガタ落ちする――それがこの街の住人たちの共通認識であった。
たしかに、『未来』のことを考えるのであれば彼女はダンジョン攻略に専念するのが正解だろう。だが、そのために『今』を生きる人々に『犯罪者どもに何もかも奪われて死ね』などと言うのは、【善行値】がプラスに振り切れた善の極致である彼女にとっては論外なのである。
そんなジレンマに悩まされ、焦りがさらなる焦りを生むという悪循環。
闇の中をもがくような日々の中、彼女の【狂人】に対する『無関心』が『興味』へと転じたのは、【狂人】が【フェアリークイーン】を討伐し、人々から【迷宮走者】と称えられ始めた頃だった。
【英雄】と呼ばれる自分ですら断腸の思いで諦めた、【フェアリークイーン】の討伐という偉業。さらに、たった1年ほどでダンジョン下層まで到達するという驚異的なダンジョン攻略速度。そして、それらを成し遂げているのが善人……かどうかは別として、少なくとも悪人ではないらしいという事実。
自分たちと並び立つどころか追い越すかもしれない冒険者の登場は、【英雄】としての責務や人々の期待を一身に背負っていたアレックスにとっても、望外の明るいニュースだったのだ。
そのお陰で少しだけ余裕を取り戻した【英雄】は、どうにかして【狂人】とコンタクトを取れないだろうか、と考え始めた。
もし【狂人】と協力することが出来れば、自分たちのパーティか【狂人】たちのパーティかのどちらかがダンジョン攻略に専念し、もう片方がこの街の治安維持に専念することで、人々の『未来』も『今』も両方とも守ることが出来るのではないか、と。そう思ったからだ。近い内に【狂人】と会談の場を設けることは、アレックスにとって急務と言えた。
「なんと……君たちは、かの【死力の剣】殿の身内だったのかね? たしかに、アリシア君を初めて見た時は驚いたよ。アリシア君の顔は、私の記憶にある彼女のそれと瓜二つだったからね」
「えっと……もしかして、アレックスさんも姉さんと交流があったんですか?」
「まぁ『交流があった』と言える程のものではないがね。彼女にとって私は、彼女が救ってきた数多の人間のうちの1人でしかないだろうからな」
「姉さんが、アレックスさんを……?」
「ここだけの話に留めて欲しいのだが……実は私はこの街の出身でね。私のように、彼女の背中に憧れて冒険者を志した者は大勢いるのだよ」
そういう意味では、アレックスがレオンたちと知り合う事ができたのは、彼女にとっては非常に幸運だったと言えるだろう。というか、【狂人】との協力を望むのであれば最適解と言っても過言ではない。レオンたちがお願いすれば、【狂人】は基本的に二つ返事で引き受けるからだ。
また、【狂人】の橋渡しをしてもらえるよう、ダンジョン攻略のアドバイス等で交流を重ねた結果、レオンたちがアレックス同様の『善の極致』みたいな存在であると判明したことも、彼女にとっては嬉しい誤算であった。かねてより悩みの種であった『万が一、自身に何かあった時の後継者の選定をどうするか』という問題に解決の兆しが見えたからである。
それはともかく、だ。
「私の名はアレックスという。君と会える日を楽しみにしていたよ、ハルベルト殿」
「…………」
「(……何でわたしのこと無言で凝視してくるんだろうこの人……?)」
何度目かのレオンとの交流の後、なんとか【狂人】との会談を取り付けることに成功したアレックス。一世一代の賭けに出たかのような気持ちで会談に臨んだ彼女が【狂人】に抱いた第一印象は、『よく分からない』であった。
無理もない。【狂人】が『原作で好きなキャラがいきなり目の前に現れて狂喜乱舞している』など、そんなことはアレックスの想像の埒外である。
アレックスに話しかけられた人間の反応は、たいていの場合レオンたちのように緊張するか、悪人のようにビビリ散らかすかのどちらかである。そんな反応に慣れている彼女にとって、何のリアクションもなく無言でガン見してくる【狂人】は、ぶっちゃけ変な人でしかないのだ。
……しかし、そんな印象はすぐに覆されることになる。
「……つかぬことをお聞きしますが、妹さんがいらっしゃったりしませんか?」
言うまでもないことだが、ダンジョン下層まで到達できるような冒険者パーティのリーダーはアホには務まらない。アホがリーダーを務めるパーティの末路は『尊厳破壊の後に死』のみだ。
なのでアレックスが『【狂人】は数々の偉業を打ち立てるほどの優れた人物であり、それ故にこの会談は一筋縄ではいかないだろう』と考えるのは自然な流れであり。
そして頭がいい人間というのは、仲間内でワイワイやっている時ならともかく、少なくともこういう『軽はずみなことをすれば今後のダンジョン攻略に影響が出るような場』においては、脈絡もなければ意味もないようなことなど決して言わない。【狂人】の一挙一動には全て意味がある、と考えるのは当然の帰結である。
それを踏まえてた上で、【狂人】の発言の意図を考えればどうなるか。
「!?(えっ!? うそ!? もしかして言外に『お前の秘密を知ってるぞ』って言ってる!?)」
『よく分からない』が『得体のしれない』に変わった瞬間である。
「(いったいどうやって わたしの秘密を……。ううん、いま考えるべきはそれじゃない。『お前の秘密を知ってる』と言外に伝えてきた意味……)」
「そうですか、申し訳ございません。知ってる人かと思ったのですが、勘違いだったようですね」
「(『勘違い』……つまり、わたしの秘密を広めるつもりはない? 『警告』、いや『牽制』かな。わたしが武力に物を言わせて彼に命令したりすればその限りではないぞ、ってことね。わたしと対等な条件で交渉する為の布石……にしては、ちょっと威力がありすぎるな〜……)」
【狂人】の『原作キャラに似てるけど性格が違うし別人だろうか?』とかいうアホの極みみたいな発言も、高度な頭脳戦に早変わりである。もっとも、争いは同じレベルの者同士でしか発生しない。これはアレックスの独り相撲である。もちろん『アレックスの想定しているほど【狂人】は頭がよくない』という意味で、だ。
「すみません、少し失礼します。……アーロン、どう思う?」
「アレックスについて、か?(うへぇ、【英雄】サマ相手でも容赦ねーな大将……。さすがに見てて可哀想だし、ちょっとくらいは【英雄】サマのフォローしとくか……)」
「(しかも付き添いの名目で連れてきたのは、【イカサマ師】の異名で呼ばれてる彼か〜。……どう考えても参謀として連れてきてるよね。ガチ過ぎない???)」
そうして、【狂人】といくつかのやり取りをした後、アーロンと共に去っていく【狂人】の背中を見送ったアレックスが、最終的に下した【狂人】の評価は――
「ふぅ……すまない、レオン君、カイン君、アリシア君。君たちには『彼との橋渡しをする対価として、彼の復讐を止める手伝いをして欲しい』とお願いされていたが……どうやら私では叶えられそうにない」
「……やはり、かの御仁には僕らの考えなど筒抜けでしたか」
「ああ。『俺の邪魔をするな』と釘を刺されてしまったよ」
「えっ!? 裏でそんなやり取りが……!?」
「ふ、普通に『これからは協力しよう』で終わったと思ってました……」
「いや、我々と協力関係を築いていこうという気持ちがあるのは本当だろう。だが、それはそれとして私が復讐の邪魔をすれば、彼はどんな手を使ってでも私を排除するだろうな」
もちろん勘違いである。アレックスやカイン、アリシアの言うような言外でのやり取りなど欠片も存在しない。レオンが言った『これからは協力しよう』が普通に正解だ。
だが相手は謎の情報網を持つ得体の知れないブッチぎりでイカレた男である。そんな奴がいかにも参謀役っぽい人材まで連れてきておいて、まさか普通の約束をして満足気に帰っていくとかあり得ないだろう。
【狂人】のことを先輩として慕い、【狂人】からも後輩として可愛がられていることで、【狂人】のことを信頼してしまっているレオンたちならともかく……初対面でお互い信頼関係ゼロのアレックスは希望的観測などしない。そんな脳内お花畑野郎は【狂人】くらいのものである。ただそれだけの話であった。
「すまない……君たちとの約束を反故にするようなことを……」
「……いえ、いいんです。きっと、これは俺たちの手でやるべきことだったんだと思います」
「センパイが【先輩】と慕ってた姉さん……その家族である私たちがこうしてセンパイと出会ったのも、きっと理由があるんはずなんです」
「もとより、僕らはアレックスさんからご厚意でダンジョン攻略のアドバイスをいただいている身ですから」
「……君たちは強いな。そんな君たちだからこそ、私はアドバイスを惜しまないとも。これに関しては私の意思だ。それを対価とするのは烏滸がましいさ。この借りは、また別の機会に返させてくれると嬉しいのだがね?」
「センパイもそうでしたけど、アレックスさんも律儀ですよね……。分かりました!じゃあ今度メシでも奢ってください!」
「はぁ……レオン、お前という奴は……」
「センパイにも謝っとかないとだし、その時はセンパイも誘いましょ!」
「お前もか、アリシア……。ご無礼を申し訳ございません、アレックスさん。コイツらには後でよく言い聞かせておきますので……」
「ふふ……なに。君たちが気を遣ってくれているのは分かっているとも。君たちとは、長い付き合いになりそうだな」
こうして、【狂人】と【英雄】の邂逅は波乱の幕開けを予感させるものとなったのであった――