45.「英雄」は当代最強の冒険者
《裏》
ある日の昼下り、レオンは冒険者ギルド内に併設されている図書館にて、本を読みながら何やらウンウン唸っていた。
「なあに? どうしたのよレオン? アンタが読書だなんて、明日は槍でも降ってくるんじゃないでしょうね?」
「うっせ、俺だって本くらい読むっての」
「バカねえ、エロ本を読むのは『読書』とは言わないのよ?」
「あっ、てめっ! もしかしてベッドの下に隠してあったのを机の上に広げやがったのアリシアか!? お前は俺の母親かよ!」
「馬鹿はお前もだ、アリシア。図書館で騒ぐんじゃない」
そこへアリシアがやってきて、レオンに軽くヘッドロックを仕掛けて軽口を叩く。それを鬱陶しそうに払いのけつつアリシアの軽口に反応し、そんな二人をカインが注意する。幼馴染というよりかは家族を思わせる遠慮のないやり取りが、彼らの日常であった。
「まったく……どうせ『今は周りに誰もいないから少しくらいなら騒いでも大丈夫』とでも考えたのだろう?」
「はいはい、悪かったわよ」
「お前という奴は、また適当な返事を……。とにかく、談話スペースへ移動するぞ」
もしここに【狂人】がいれば、【アヘ声】では主人公を注意する側であったアリシアが逆に注意される姿を見て新鮮さを感じると共に、感動の涙を流して尊死したことだろう。
なにせ、【アヘ声】における『アリシア』は、【フェアリークイーン】どものせいで仲間を失い、たった独りでダンジョンを攻略していたのだ。それはつまり、たった独りで冒険者としてやっていくため、早々に大人になるしかなかった、ということである。
そんな『本来の歴史』を知っている【狂人】にとって、しっかり者でありながらも年相応の未熟さを見せる少女の姿は、かつて【狂人】がこの世界へと転生する前に何度も夢見た光景なのだ。
それはともかく、図書館の談話スペースに移動する三人組。談話スペースにはいくつもの円卓が設置されており、そこで冒険者パーティが本を片手に議論を重ねていた。
この図書館は冒険者の支援を目的として設置されており、ダンジョン攻略に役立つ書物が納められている。しかし過去にここの書物を悪用した冒険者がいたせいで貸出不可となったため、冒険者たちがここの本を使いながらダンジョン攻略の作戦会議ができるよう、談話スペースが増設されたのだ。
「で? なにを読んでたのよ?」
「【モンスター図鑑】だよ。ホラ」
適当な席につき、二人に読んでいた本を見せるレオン。彼が読んでいたのは、図書館に納められている本の中で最も数が多く、最も利用する者が多い本だった。
この【モンスター図鑑】は、その名の通りダンジョン内に生息するモンスターどもの情報が挿絵付きで書かれている本だ。この本は『後から内容を書き換えることができる魔術』が掛けられた、いわゆるマジックアイテムというやつである。
モンスターの情報は日々更新されており、通常の本だと改訂だらけになってしまって使い物にならなくなるため、それならいっそマジックアイテムとして作成してしまおう……というわけである。
ちなみに、このモンスター図鑑こそが例の悪用された本である。
かつてこの本は攻略Wikiのように冒険者であれば誰でも編集が可能だったのだが、気に入らないパーティを謀殺するために偽の情報を書き込んだ冒険者がいたため、現在はギルドのみが編集可能になっている。冒険者から情報提供を受けてギルドが編集する形だ。
また、情報提供の際には悪意を以って偽の情報を提供していないかどうか確認するために色々と工夫がされていたりもする。
「この前、大幅な情報の更新があったって告知されただろ? それで気になって更新されたページを見てたんだよ」
レオンがアリシアとカインに開いていたページを見せる。そのページには、ダンジョン下層のモンスターについてかなり詳細なデータが書かれていた。
「そういえば、ダンジョン下層のモンスターについて大量の情報提供があったのだったか。だが僕らは中層の攻略中だろう。なぜ下層のモンスターを調べている?」
「知らないのカイン? 情報提供をしたのはセンパイらしいわよ?」
「……なるほど、そういうことか」
最初は怪訝な顔をしたカインだったが、アリシアの言葉を聞いてすぐに納得する。彼女の言った通り、情報提供を行ったのは【狂人】であり、だからこそレオンは【モンスター図鑑】を読んでいたのである。
ようするに、レオンは特定のモンスターの情報を求めて【図鑑】を調べていたわけではなく、お世話になっている先輩の『活躍の軌跡』を眺めていたのだ。
「これは……まさか、海中エリアに生息するモンスターの情報か? もしこれらの情報が正しいとすれば、まさしく偉業だな」
今まで全くと言っていいほど解明されていなかったモンスターどもの情報を眺め、カインが感嘆の溜め息を吐く。なにせ、これらの情報が正しいとすれば、【狂人】は海中エリアに生息するモンスターを片っ端から倒していったということになるからだ。
なぜ海中エリアに生息するモンスターを倒すことが偉業なのか。それを説明するためには、まずこの世界の冒険者たちがどういう戦い方をしているのかを知る必要がある。
この世界の人間は、HPの減少を極端に恐れている。そのため、可能な限り防御性能が高い装備品に身を包み、スキルスロットに防御性能を高めるスキルをたくさんセットしてダンジョン攻略に挑むのが基本である。
ただし、防御性能だけを上げればいいかというとそうではない。いくら防御性能が高くとも、モンスターどもを殲滅できなければ数の暴力に晒されて嬲り殺しにされるだけだ。ダンジョン上層ならともかく、下層を攻略するような上位の冒険者ともなれば、防御性能だけでなく攻撃性能も高めることを求められる。
しかし、【狂人】を見ていれば分かる通り、攻撃性能と防御性能の両立は非常に難しい。【狂人】とて、攻撃性能を犠牲にして防御性能に特化してなおカスダメ――すなわち、わずかなダメージを食らっているのだ。特化型ではない冒険者ならばそれ以下の防御性能しか発揮できないのは明白だろう。
では、攻撃性能と防御性能を両立するためにはどうするのか。その答えは、『魔術による一時的なステータスの上昇』である。すなわち、この世界の冒険者の基本戦術とは、バフを掛けまくってステータスを盛りまくることなのだ。
ここで最初の話に戻る。海中エリアとは『魔術が使えない場所』だ。それはすなわち、この世界の冒険者にとって、海中エリアとはまともに戦闘することができない場所なのである。
そのため、海中エリアではモンスターと出会っても逃げるしかない。この世界には『当代最強の冒険者』として【英雄】の二つ名を持つ冒険者が存在しているが、その冒険者ですら海中エリアを突破できていないのは、そういう理由であった。
今まで海中エリアのモンスターどもの情報が全くなかったのは、この世界の冒険者はそもそも海中エリアのモンスターどもと戦おうという気すら起きないからである。
さらに悪いことに、この世界のモンスターどもはAIで動くゲームと違って自分で考え自分で行動するうえ、長く生きていればその分だけ学習する。【フェアリークイーン】ほど悪辣な罠を張るモンスターは稀だが、海中エリアには冒険者によって討伐されるモンスターがいないため、長く生きたことで雑魚モンスターですら罠を張ってくるのだ。
例を挙げると、【狂人】が倒した【シーレックス】は、実のところ『冒険者がどこから海中エリアに侵入してくるのか』を学習した個体だった。なので、あの【シーレックス】は定期的に41階層入口へとやってきては冒険者を出待ちしてくるとかいう、正真正銘のクソモンスターだったのである。
それらの事情が重なったことで、この世界の冒険者にとって海中エリアの攻略は【狂人】が想像する以上に難易度が凄まじく高いのだ。海中エリアのモンスターと戦って連勝するだけでなく、情報まで持ち帰ったとなれば、それはまさしく偉業と言えるだろう。
「こいつは……【シーレックス】に関する記述か。今まで【ユニークモンスター】だと思われていたのに、まさか通常のモンスターだったとは」
【狂人】からは『HPが高いだけ』とボロクソに扱き下ろされた【シーレックス】だって、たとえ出待ちとかしてこず普通に遭遇したとしても、この世界の人々にとってはその高HPというステータスだけで十分すぎる脅威である。
HPが高いということは、それだけ倒すのに時間が掛かるということだ。バフが使えない以上、ただでさえ【シーレックス】単体でも脅威だというのに、倒すのに時間が掛かればそれだけ他のモンスターどもが集まってきて囲まれてしまう危険性が高まる。そうなってしまえば『詰み』なのだ。
そうでなくとも、HPが高くていくら殴っても効いてるように見えないモンスターなど恐怖でしかない。凄まじい巨体というビジュアル面での恐怖も相まって、【ユニークモンスター】扱いもやむなしである。
……なお、『殴っても効いてるように見えず、ビジュアル面でも恐ろしい存在』というのには【狂人】も当てはまっているのだが、【狂人】がモンスターどもからどう見えるかはあえて伏せておく。
もっとも、【狂人】が今までほとんどモンスターから【拘束攻撃】を食らったことがない、という事実がある時点でお察しであるのだが……。
「すごいな、センパイも、【迷宮狂走曲】の人たちも。俺たちも負けてらんないな!」
「――失礼。君たちは【迷宮狂走曲】の関係者なのか?」
そんな話をしていた時だ。いきなり横合いから声を掛けられ、なんだなんだと振り向いた三人は、その先にいた人物に驚愕することとなる。
「んなっ……まさか、【英雄】アレックス!?」
「やめてくれたまえ。君たちの目の前にいるのは、ここ数年間で全くと言って良いほど戦果を上げていないような、そんな落ちぶれた冒険者だ。【英雄】などというのは、もはや過去の称号だよ」
レオンのほとんど絶叫じみた声に、苦笑とも自嘲とも取れるような表情で応えたのは、中性的な美貌を持つ青年だった。
窓からの光を反射してキラキラと輝く橙色の髪。垂れ目ではあるが瞳には強い意志が宿っており、むしろ眼光は鋭い。全身からは凛としたオーラが立ち昇っているかのようだ。
そして、トレードマークである鎧と一体化した純白のコートは、この青年が【英雄】の異名を持つ、「当代最強」と謳われる冒険者パーティのリーダーを務める者であることを示していた。
「いやっ、そんなことは……!?」
「その気持ちだけで十分だとも。――ここ、座っても良いかね?」
「も、もちろん!!!」
かつては頻繁に話題にあげていたくらいには憧れていた【英雄】の登場に、ガチガチに緊張した様子で対応するレオン。今でこそ【英雄】よりも【狂人】を先輩と呼び慕っているものの、だからといって【英雄】への尊敬の念が消えたわけではないのだ。
「……それで、僕たちに何か御用でしょうか」
レオンとアリシアが緊張によって『はひぃ』だの『ほわぁ』だのと人間の言葉を話せなくなったため、仕方なくカインが【英雄】に話を切り出す。……もっとも、カインとて『他の二人よりはマシ』というだけで、いつも以上に固い表情なのだが。
「最短踏破で言えば、君たちに【迷宮走者】と私の仲介をお願いしたい」
空いていた席に座り、レオンたちと対面した【英雄】は、そう会話を切り出した。
「君たちも知っての通り、我々冒険者は長い間ダンジョン下層を突破できないでいる。世界が滅びる前に、一刻も早くダンジョンを攻略せねばならないというのに、いまだかつて下層を突破したとされる冒険者はたった1人だけだ」
「……姉さん」
アリシアの口から呟きが漏れる。そう、冒険者という職業が誕生して以来、唯一ダンジョン下層を突破したとされる冒険者であり、その戦いぶりから【死力の剣】と呼ばれていた冒険者こそが、亡くなったアリシアの姉であった。
当時はまだギルドの制度が整備されきっていなかったため、冒険者とギルドの情報共有も上手くいっておらず、マップデータも残されていない。そのため、本当に下層を突破したという証拠はないものの……半ば伝説として語られているのが、アリシアの姉なのだ。
「だからこそ、私としては、一度【迷宮走者】の彼と話がしてみたくてね。……いや、この言い方は傲慢だな。今までずっと足踏みしていた我々と違い、彼の攻略速度は破竹の勢いなのだから。私は、彼に教えを請いたいのだよ」
突然そんなことを言われて戸惑った様子を見せる三人に、『無論、無理にとは言わない』と続ける【英雄】。
「そもそも、こういうのは直接出向いて頼むのが筋ではあるからね。ただ……私はどうにも他の冒険者たちからは恐れられているようでね。そんな私が彼の店に押しかけては、営業妨害になる恐れがある」
それはそうだろう、と思いつつ、カインはサッと周囲に視線を走らせた。先程までは多くの冒険者で賑わっていた談話スペースだったが、気づけば半分くらいの冒険者がいなくなっており、残った半分も遠巻きにこちらの様子を窺っている状態だ。
というのも、この【英雄】という青年は、長年ダンジョンに潜り続けて何度も地獄を見てもなお【正道】を貫き続ける稀有な冒険者であり、かつ『人間同士で奪い合うなど許さない』『私の目が届く範囲で犯罪者がのさばれると思うな』と公言する【善】の極致みたいな存在である。
【英雄】の手で断罪された悪人は数知れず。冒険者による犯罪への抑止力として機能してすらいるこの青年を前にすると、少しでも心の中に後ろめたいものを抱えている者はこぞって逃げ出し、そうでない者も大半が萎縮してしまうだろう。
「とまあ、私の用事はこんなところだ。断ってくれても構わないし、それによって君たちの不利益になるようなことはないと神に誓おう。すまないが、考えておいてくれたまえ」
最後に『邪魔をしてすまなかった』と頭を下げると、【英雄】は他の冒険者たちにも謝罪の言葉を口にして談話スペースを出ていった。
そんな【英雄】を見送った後、同時に顔を見合わせる三人。おそらく、今日の出来事は瞬く間に冒険者たちの間に広がるだろう。自分たちが【英雄】の頼みを聞こうが聞くまいが、何も起きないなんてことはあるまい。
レオンたちは、波乱の幕開けを予感せずにはいられなかったのだった――