15.「モンスターが人化する」は理解不能の行動
《裏》
「それじゃ、よろしく頼んだぞルカ」
【狂人】がルカをそっと肩から地面に降ろすと、ルカはコクリと頷いてノーム畑に立ち、ゆっくりと沈むように土中へと潜っていった。
男は知らないことだが、ノームは群れ全体で記憶を共有している。ノームは定期的にノーム畑に潜ることで記憶をノーム畑に伝達し、ノーム畑がそれらの情報を集約・整理して群れ全体に共有する。
このように、ノームとノーム畑はコンピューター染みた生態をしているのだが、ルカはそこに目をつけた。
“裏切り者が何のつもりかは知らぬが、愚か者め。母なる大地である我に逆らえると思うたか”
“はっ、何が「母なる大地」だよ。たかだかダンジョン15階層の1区画にも満たない規模の畑じゃないか。ボクは知っているぞ。ダンジョンの外にはお前なんかとは比べ物にならないほどの広大な大地が広がってるんだ”
初めて聞くノーム畑の思念波に、しかしルカは狼狽えずに失笑をもって応える。ノーム畑に意思が存在することくらいは想定の範囲内。そして次の行動も読めている。
“ふん、口先だけは達者よな。しかし我の中に侵入した時点で貴様の命運は決まっておる。記憶を吸い尽くしてあの化物の対応策を構築したのち、ドロドロに腐敗させて養分にしてくれる!”
ノーム畑の思念波によって、ルカは記憶を強制的に伝達させられそうになる。しかも記憶をコピー&ペーストするのではなく、記憶を丸ごと吸い出そうとするような強引な手法だ。
“残念、今のボクは主の忠実な僕でね”
――俺に害を為すの禁止
“ぐっ……!? 我の命令を弾いただと!?”
しかしそれはルカの失笑を嘲笑に変えただけに終わる。次の瞬間、【隷属の首輪】が光ったかと思うと、【狂人】が出した命令に従ってルカの身体が勝手に利敵行為を封じるよう動き出したのだ。
“でも、そんなにボクの記憶が見たいなら見せてあげるよ”
そしてノーム畑の意思が怯んだ隙に、ルカは「主との素敵な思い出」を叩きつけてやった。
『【絶刀】』『ハハハハハ! 経験値! 金! 宝箱!』『おらおら首と経験値と金と宝箱おいてけ!』『クズ運引いて【バンガード】発動しなかったわ』『お前のHPを上回る即死ダメージだあああああっ!!』『【シールドアサルト】! 【シールドアサルト】! 【シールドアサルト】!』『まあまあ、試しに1回だけでも! 【七星剣】!』『その前に【七星剣】』『【七星剣】だ!』『【七星剣】!』『そういえば瀕死にするの忘れてた。【七星剣】!』『あちゃー、罠の解除失敗か。猛毒ガスだ』『いてて……見事に爆発したなあ。ルカは大丈夫か?』『あぶねっ! おい、無事か? それ食らうとHPが1桁になるから次からは気を付けろよ』『おーい、聞こえてるかー? ダメだ、完全に石化してやがる』『つまり今の俺に接触したノームは問答無用で【延焼】状態になる!!!』
“ギャバァーーーーー!?”
あまりにも冒涜的な記憶の奔流に、たまらずノーム畑の意思が悲鳴をあげた。
ノーム畑は、ノームを使役してあらゆる行動を肩代わりさせ、自分からは何もしないモンスターだ。また、戦死したノームからは記憶を吸い出せないため、敗北の経験もない。つまり、今まで戦ったこともなければ痛みを感じたこともないのだ。
なので、下手すると人間よりも苦痛に耐性がない存在かもしれなかった。そんなモンスターにとって、ルカの記憶は毒でしかない。そんなものを一気に叩きつけられたらどうなるかは、考えるまでもないだろう。
いくらレベルやステータスが高かろうが、マインドクラッシュしてしまえば無抵抗になる。ルカはそれを【背信の騎士】で学んだのだ。
“ ”
ノーム畑の意思がコンピューターウイルスのせいでフリーズしたパソコンみたいになっている隙に、ルカは送られてきた思念波を辿ってノーム畑の意思に接続、逆に記憶を吸い出し始めた。
“じゃあね、自称「母なる大地」。君から得た力、せいぜい有効活用させてもらうよ”
そうして最終的にほとんど白痴となったノーム畑の意思にトドメを差し、ルカは完全にノーム畑を掌握して新たな「ノーム畑の意思」となった。
“さてと……”
【狂人】のオーダーは「ノームの発生を止めること」。ルカがノーム畑を掌握した時点でそれは達成されており、このまま放っておいたとしてもいずれノーム畑に残っている「養分」が拡散していき、そのうち完全に機能停止するだろうが……。
“それだと養分になった生き物たちが報われないね。なんのために腐り果てていったのか分かったもんじゃない。だからボクが有効活用してあげようじゃないか!”
今のルカが抱く望みは、「主と一緒に特別な存在となること」だ。
【狂人】は今の時点でもすでにあらゆる面でオンリーワンの存在だ。しかしルカは違う。精神は全くの別物に変わっているものの、身体はノームのままだ。
ルカはそれがたまらなく嫌だった。ルカがノーム最後の生き残りなので、オンリーワンといえばそうなのだろうが……それでも、自身の身体が「量産型」として製造された事実は変わらないのだ。
“ボクは、絶対に「特別な存在」になる……!!!”
だからこそ、ルカはノーム畑に残っていた養分を全て使って新たな身体を造ることにした。
“でも……どんな姿なら「特別」と言えるんだろう?”
しかし、そこでルカの思考は停止してしまう。そもそも今まで外見なんてどうでもいいと思っていたのだ。最低限、人間を騙すための疑似餌として機能すればそれでよかったのだから。
そのため、「ノームの身体が嫌だ」という気持ちは強くとも、「じゃあどんな身体ならいいか」と考えた時、ルカは明確なビジョンを持ち合わせていなかったのだ。
“……まずはノームの身体を思い浮かべてみよう”
となれば、ノームの身体をベースに、そこから変更を加えていく方針となったのは、ある意味で当然の帰結だろう。
“……とりあえず、黒い髪と黒い瞳かなぁ……?”
ルカにとって「黒」という色は「特別」の象徴だ。これは外せない。全身真っ黒にしようかとも思ったが、あまりにも外見が人間から離れすぎると、うっかり経験値と間違えられて首が飛んでしまうかもしれない。それは怖いので却下である。
“主と全く同じ姿というのもいいかもしれないけど、それじゃあオンリーワンじゃなくなっちゃうよね。となると……主は男だから、その反対の女に寄せてみよう”
“ふむふむ……ノーム畑の記憶によれば、人間の女は髪が長いのが多いんだね。正直、長い髪なんて無駄だと思うけど……まぁいっか。適当に一纏めにしておけばトレハンの邪魔にはならないかな”
“顔については、「可愛い」モンスターは冒険者と遭遇した時の生存率が高いって統計があったから、疑似餌としての効果を検証した時のデータから流用しよう。より多くの人間の男に効果的だった顔が「可愛い」ってことだろうし。まぁ主はそれでも躊躇いなく首をはねるだろうから気休め程度だけど……”
“胸が大きいと男からは好意を持たれ、女からは殺意を持たれる傾向にある、だって? 人間ってのはよく分からない生き物だなぁ。胸部に邪魔なものがついてるとトレハンに支障が出ると思うんだけど。でも全くないと男と間違われるというデータがあるし、それなりでいいか”
“身長は……今のままだと不便だね。身体が小さいとあらゆる面で不利だ。でもあんまり大きすぎると主に叛意ありと思われるかもしれないから、主よりかは小さく設定しておこう”
“身体が大きいと鉢植えに入れなくなるなぁ。でも主と一緒に生きる以上、生態も人間に寄せた方が便利だよね。土から養分を吸収できる能力はそのままでいいとしても、人間の解剖データから消化・吸収器官を再現しよう”
……二言目には主、主、と言いながら作業を進めるルカ。そのため、必然的に「主と一緒に『特別』となる」ということを前提とした身体が造り上げられていく。ルカは徐々に人間でもモンスターでもない存在になりつつあった。
このままではモンスターとして生きていくことが不可能になり、かといって【狂人】がいなければ人間社会にも受け入れられず、ルカは【狂人】なしではどこにも行き場がなくなってしまうだろう。
それでもルカは止まらなかった。それでも構わないと思ったのだ。
「……月だけは、故郷で見たのと変わらねえんだな」
いつだったか、ルカが真夜中にふと目を覚ました時、【狂人】が窓から夜空を見上げ、独りで月を眺めていたことがあった。
「……帰りてえなあ……」
恐らく、本来なら口に出すつもりはなかったのだろう。【狂人】はすぐにハッとした様子で頭を振り、何かを振り払うかのように月から目を背けてベッドに潜り込んだ。
翌日にはいつものようにダンジョンのことばかり考える【狂人】に戻っていたが……あの夜に見た、目を離すとその瞬間に消えてしまいそうな【狂人】の姿は、ルカの脳裏に焼きついてしまっていた。
【狂人】は死ぬまで冒険者としてダンジョンで生きるものとばかりルカは思っていたが、もしかするとそれは違うのではないか。
【狂人】がいなくなったら自分はどうなる? 決まっている、ノームなどという無価値な存在に逆戻りだ。そうしていつかはただのモンスターとして狩られ、ゴミクズのように打ち捨てられてしまうのだ。
そんな嫌な考えが頭から離れず、ルカは焦燥に駆られた。
今のままでは駄目だ。もっと「特別な存在」にならなければ。最低でも【狂人】から無価値だと思われないようにしなければならない。彼に不要だと断じられてしまえば、自分はどこかで置き去りにされてしまうかもしれないのだ。
“ボクが「特別」になるためには……ボクが「特別」であり続けるためには……”
「特別な存在になるために主と一緒にいる」のか、それとも「主と一緒にいるために特別な存在になる」のか。その境界が曖昧になりつつあることに気づかず、ルカは自身の身体を造り変えていったのだった……。
──────────────────────
《表》
「は??? えっ、どういうこと???」
なんかルカがノーム畑に潜っていったと思ったら、数時間後に美少女が畑の中から生えてきた。何を言っているのか分からねえだろうが、俺も何を言ってんのか分からん。
……いや、服装はルカが身に付けていた【狩人】用の装備品そのものなので、つまりはそういうことなんだろうが……。
「(ふむ、ダンジョンで入手した装備品は装着者に合わせて勝手にサイズが変わるというのは本当なのか。それにしても、視点が高いというのは不思議な感覚だね)」
自身の身体をジロジロと眺めている少女だったが、ふと何かに気づいたように首もとに手を当てた。
「(……!? れ、【隷属の首輪】は!?)」
そして無表情ながらもどこか慌てた様子で地面に這いつくばり、何かを探し始めた。
「(あ、あった! よかった……! これがないとボクはただのモンスターだ……!)」
そうして少女が拾い上げたのは、見覚えのある小さな【隷属の首輪】だった。少女はそれを指輪のように指にはめると、どこか嬉しそうに【首輪】を撫で始めた。
「え、えーっと……ルカ……なのか?」
「(そうだよ。どう? ボクの造形の腕も中々のものじゃない?)」
少女は無言でコクリと頷き、俺に見せつけるかのようにふわりと横に1回転してみせた。信じられないことに、この少女は本当にルカのようだ。
今のルカは人形のように整った容姿をしている。黒絹のような長い髪をポニーテールにしており、顔立ちはどちらかというと「綺麗」というよりかは「可愛い」といった印象だ。外見だけを見るのであれば、完全に中~高校生くらいの少女にしか見えない。
ただし相変わらず表情が1ミリも動かないので、この美少女の外見はノームだった時と同じく「作られた顔」「文字通り皮一枚」の可能性もある。
「(……ふむ、ちょっとだけ養分が余ったなぁ。もったいないから持って帰ろっと。持ちきれない分は身体に蓄えておこう)」
なにより、ノーム畑の土を袋詰めにして【拡張魔術鞄】に入れて持ち帰ろうとしているあたり、どれほど見た目が変わろうとも中身はモンスターのままなのだろう。つーか今、さらっと土を食わなかったか???
「……そういえば、【隷属の首輪】が外れたんだったら、わざわざ着け直したりせず逃げればよかったんじゃないのか?」
俺がふと思ったことを呟いた瞬間だった。
「(!? な、なんてことを言うのさ!? イヤだ! ボクはもうノームじゃない! ようやく完全に『ルカになった』んだ! 『特別な存在』になるためのスタートラインに立てたんだ! それなのに主はモンスターに戻れって言うの!?)」
なぜかルカは過剰とも言えるほどの反応を示した。指にはめた【隷属の首輪】を胸に抱くようにして隠し、何度も首を横に振っている。
「お、おい……!?」
そしていきなり俺の腕をかき抱くと、全てを呑み込む闇のような真っ黒の瞳で俺の目をガン見してきた。引き剥がそうとしても、意外と力が強くて離れない。
「(主はボクを『特別』にしてくれるって言ったじゃないか! このまま無価値な存在で終わるなんてイヤだ! 2度とモンスターには戻らないぞ! 主がボクを『特別』にしてくれるまで――いいや、ボクはずっとずっと『特別』であり続けるんだ! だから! いつまでもこの手を離さないからな! 絶対に!!!)」
……ルカから強い感情が伝わってくる。これは……「特別な存在への渇望」?
ルカの見た目が完全に人間と同じになったことで、俺が彼女(?)のことをわずかながら「人間」として認識してしまったからか、どうやら転生者として俺に標準搭載されていた言語翻訳機能が若干働いたらしかった。
今のルカからは、まるで自我に目覚めたロボットの悲哀みたいなものを感じる。それがどうして俺から離れたがらない理由になるのかまでは分からないが……。
……いや。「特別な存在」、か。つまり「最強」を目指してる俺についていくことがその近道と考えたのか? 確かに「最強のモンスター」ともあれば「特別な存在」と言っても過言じゃないだろうし。
「……分かったよ。俺は君と一緒に『最強』を目指すことを約束する。これでいいか?」
「(……っ! うん!!!)」
何度も頷いているところから察するに、とりあえず的外れな答えではなかったらしい。
まあ、そういうことなら……俺の「最強の冒険者パーティを作り上げる」という目的と一致するし、ルカは俺の指示に従うつもりはあるということみたいだから、別に問題はない……のか?
しかし、何となく気分が落ち着かない。気づかないうちに何か取り返しのつかないことをしてしまったような気がする。致命的なミスという訳ではなさそうなんだが……。
「(ボクはどこまでも主についていくからね……)」
ダンジョンから帰還した後もずっと俺の腕に抱きついたままのルカに、何とも言えない微妙な気持ちになる。
振りほどこうとすると過剰な反応をするので、諦めて好きにさせてはいるものの、どういう意図があっての行動なのかさっぱり分からん。
そりゃあそうだろう。ノームは畑から生えてくるような生き物だ。性別が存在しないので男女の仲なんてものを理解しているとは思わないし、それどころか生殖の概念すらあるかどうか怪しい。なにせノームは奉仕種族だ。増やすも減らすもノーム畑次第だっただろうからな。
端から見ると恋人同士で腕を組んで歩いてるように見えるかもしれないが、これは決して愛情表現などではない。
「(……どうしたの?)」
俺がじっと見ていることに気づいたのか、コテンと首を傾げるルカに「なんでもない」と返しておく。まあ可愛いのは可愛いんだけどさ……でも中身はモンスターなんだよなあ……。
まるで人食い熊の子供にじゃれつかれてるような気分になりながら、俺は帰路についたのだった。