1.「死ななきゃ安い」は狂人の発想
《表》
時が経つのは早いもので、俺が転生してからすでに数ヶ月が経つ。
転生した直後は軽く絶望したものだ。なにせ俺が転生したのは、かの有名な陵辱モノのエロゲ【あの深淵へと誘う声】、通称【アへ声】に酷似した世界だ。ヒロインが強○されるのは当たり前、異種○からの産○、エログロ満載のリョ○まで網羅した、かなりアレなタイプのエロゲである。
その反面、【アヘ声】はタイトルに「ダンジョン」とあるように、ダンジョンRPGとしての要素も併せ持つゲームでもあり、そのRPG部分のクオリティがものすごく高いことでも有名だった。
それは一部のファンからは「エロはオマケ」とまで言われるほどだったという事実からも分かるだろう。かく言う俺も【アヘ声】にドはまりしたファンの1人であり、エロそっちのけでハクスラに興じたプレイヤーだったりする。
まあ、いわゆる「ゲームとしてプレイする分にはいいけど、実際にこの世界で生きてみたいか? と言われるとちょっと遠慮したいかな……」というやつだな。
とはいえ、転生してしまったものは仕方がない。というか気づいた時にはダンジョンに潜ることを生業とする「冒険者」としてすでに登録されていた後であり、しかも今まで俺が何をしていたのかといった記憶が全くなかったので、どこにも逃げ場がなかった。
前世に対する未練がないとは言えない……というか、ぶっちゃけ未練タラタラなんだけども、この世界で悩んでいる暇などない。まずは冒険者として強くならないことには話にならず、弱者に待ち受けるのは何もかも奪われて死ぬ未来のみ。ならば強くなるしかない。
そして、どうせなら目指すは「最強」そして「全ダンジョン制覇」だ。何を隠そう、俺は【アヘ声】でパーティメンバーに最強育成を施してステータス画面を数字の9で埋めつくし、かつダンジョン制覇率100%を達成した男なのだ。
そのために必要な知識は全て俺の頭に入っている。ここ数ヶ月で行った検証の結果、俺の知識がこの世界においても通用することは実証済みだ。ならばやるしかないだろう! 座して絶望の明日を待つくらいなら、俺はこの世界を攻略し尽くすことを選ぶぜ!
と、いう訳で。
「――はい。ダンジョンへの入場、承りました」
俺は今日も今日とて「冒険者ギルド」へと足を運ぶのだった。
ギルドというのは異世界における定番の設定だろう。それはこの世界においても例外じゃない。
ただ、この世界のギルドはシナリオライターがオリジナリティを出したかったのか、なにやら変な設定が付与されていたような記憶がある。まあそこらへんは本編には登場せず公式が出版した設定資料集でチラッと公開された裏設定なので、詳細は覚えてないんだが。
とりあえず、ギルドの地下にダンジョンの入口がある……というか、ダンジョンに勝手に入れないよう入口の上にギルドが建てられているので、ギルドにメンバー登録した後でさらに受付で入場記録を取らないとダンジョンに入れない……ということだけ分かってれば、今はそれでいいんじゃねえかなってことでこの話は棚上げになっている。
「気をつけて行ってらっしゃいませ」
ベテランらしき受付の女性に定型文と共に見送られながら、俺は意気揚々とダンジョンへと足を踏み入れた。
最近の俺が何をやっているのかというと、まあ順当にモンスターを倒してレベル上げと金稼ぎだ。「最強」は1日にしてならず、初期の頃はレベルを上げていくくらいしかやれることがない。
転生したての頃は「この世界はゲームに似た世界であってゲームそのものじゃないんだから、現実にステータスとかレベルなんてあるわけないじゃん」と思っていたのだが、この世界にはマジでレベルとかステータスの概念が存在するんだよな。なんなら日常会話で「レベル」とか「HP」とかって単語が飛び出すくらいには常識として浸透してる。
とりあえず、目標としては初級状態のままでレベルを10まで上げる。その頃には必要なものが全部揃っているだろう。
「おらっ、経験値おいてけ!」
最初にダンジョンに潜った時にサービスで貰った安物の剣を構え、啖呵を切って自分を奮い立たせながら目についたモンスターに片っ端からケンカを売っていく。
「とっととくたばれや!」
剣術の「け」の字もないような力任せの攻撃だが、ここはダンジョン上層でモンスターも弱いのしかいないため、今はこれで十分である。まあお互いに攻撃力が低くて泥試合になることも手伝って、非常に見苦しい戦いになってしまうけどな。
最初は「平和な日本人に荒事なんか無理に決まってんだろ!」とモンスター相手にビビりまくっていた俺だが、今では戦闘にも慣れたものだ。
どうやらこの世界ではHPが残っているうちは痛みが軽減されるらしく、一定以上の痛みは感じない。腕をナイフでチクチク刺されるのと、棍棒で思いっきり頭を殴られるのとでは、HPの減り方に違いはあれど痛みはあんまり変わらないのだ。
なので前世ではケンカすらしたことがないような俺でも、慣れればこうして殴り合いができるという訳だ。もっとも、HPが0になった瞬間に俺は痛みのあまり失禁しながら昏倒して無抵抗状態に陥るハメになるだろうから、HPの残量には常に気を配る必要があるんだけども。
冒険者になった直後、ゴブリン(緑色の小人みたいなモンスター)に棍棒でブン殴られて「うわぁぁぁ!? ……あれ、あんまり痛くないな」ってなって、調子に乗って殴り合いしてたらいつの間にかHPが2割切ってて慌てて逃げ出した……というのは、今ではいい思い出だ。
……そういえば、最近ゴブリンを見ていない気がするな。虫型のモンスターばかり相手にしている気がする。まあこの辺りのモンスターは経験値もドロップ品も似たり寄ったりなので構わないんだけどな。
「死ねぇ!」
俺のHPが1割ほど削られたあたりでモンスターが死に、経験値と金を強奪する。やはり時間効率はよくないが、まあそれも強い武器を買うか、パーティメンバーを増やすかするまでの辛抱だ。どちらを選ぶにしても現状では金が足りないので無意味な悩みだ。
「うーん、不味い」
何度か戦っているうちにHPが半分を切ったので、腰に巻いたバッグから【回復薬】を取り出してイッキ飲みし、HPを回復しておく。
幸いなことに、レベル10まではギルドから最低品質ではあるが【回復薬】が支給される。まあ初心者応援キャンペーンみたいなもんだろう。ありがたく利用させてもらっている。
このペースなら、あと2日間くらい3階層のモンスターを狩れば、ワンランク上の武器を買える計算だ。うーん、この「少しずつ強くなってる感じ」! たまんねぇなぁ!
HPが全快した俺は、今後のダンジョンライフに思いを馳せてワクワクしながら次のモンスターを探し始めたのだった。
──────────────────────
《裏》
そろそろ日が沈むだろうという頃、ダンジョンから1人の男が帰還する。その途端、一瞬だけ冒険者ギルド職員の間に奇妙な緊張が走った。
「すみません、モンスターの素材の換金と【回復薬】の補充をお願いいたします」
「えっ!? アッ、ハイ……少々お待ちを……」
何故かビクリとした受付の青年に怪訝な表情を浮かべつつも、何やら勝手に納得した様子の男はそれ以上は反応することはなかった。
「お、お待たせいたしました。確認をお願いいたします」
「はい、大丈夫です。ありがとうございました」
金と【回復薬】を受け取って去っていく男。その後ろ姿が完全に見えなくなった後、受付の青年は思わず呟いた。
「はあぁぁぁ……き、緊張したぁ……」
「お疲れ様です」
隣の窓口で他の冒険者を案内していた先輩の受付嬢が苦笑いで労いの言葉を掛けると、青年はようやくといった様子で肩の力を抜く。
「……あれが、最近ウワサになってる【黒き狂人】ですか……」
【黒き狂人】ハルベルト。本人は知らないが、男はギルド内でそう呼ばれている。
ギルドでは有名な冒険者に異名をつけるという文化があり、多くの場合は【赤髪の剣士】や【氷結の爪牙】といった風に、身体的特徴や得意な武器、得意な技などから異名がつけられるのだが、男に付けられた異名は少し毛色が違った。
なにせ、男はこの世界の人間から見ればやることなすこと異端も異端、思想からしてぶっちぎりでイカれた奴なのだ。あまりにもイカれた奴なせいで、普通ならもっとベテランになってから徐々に有名になっていくところを、ギルドに登録してからわずか数ヶ月という最短記録で異名を持つに至ったほどだ。
しかも最初はこの世界と【アヘ声】との違いを検証するために時間を費やしており、他人の目を引くような奇行はしていなかったので、実質的にここ最近の活動で有名になったということである。
男のイカれた思想について例をあげると、特にHPに対する考え方がこの世界の人間にとってはぶっちぎりでイカれている。
この世界では、あらゆる生物の能力が「ステータス」という形で数値化されている。それはHP――体力も同様だ。
この世界においてステータスとは神が定めた絶対の法則であり、どんな生物であってもこの法則からは逃れられない。一説によると、被創造物がまかり間違って自らを超える力を持たないよう完全なる制御下に置くために神がそういう風にデザインしたのだろう、などと言われているが……とにかく、この世界では人間だろうがドラゴンだろうが、HPが0になれば指1本動かせなくなる。
そして、このエロゲに酷似した世界において、そのような状況に追い込まれた生物の末路は凄惨極まる。人間がどうなるかなんて言うまでもないだろうし、モンスターとしても自らの命を経験値に変えられた上に亡骸まで素材として利用し尽くされるのだ。
つまり、この世界の生物は「自分があとどれくらいで尊厳を破壊し尽くされた上で死ぬか」を具体的な数字として見ることができるのである。HPがジワジワ減るというのは、自身の破滅へのカウントダウンに他ならない。
そのせいか、この世界では種族によって程度の差はあれど、少しでも知性がある生物ならばHPが減ることを嫌う傾向にある。
少なくとも人間であればHPが8割切っただけでも焦るし、HPが半壊しようものなら恐怖のあまり半狂乱になり、残り2割を切ればどんな悪人だろうと泣いて命乞いをするレベルと言われている。
なので、「HPが0にならなければ問題ないな!」などというのは狂人の発想に他ならない。
しかも男は【回復薬】を頻繁に補充していく。それはつまり、何度もダメージを受けてHPが減っているということに他ならない。冒険者はそもそもダメージを受けないように立ち回るのが普通であり、ギルドからしてみれば【回復薬】はぶっちゃけ「お守り」として持たせているようなものである。
「いや、ウワサには聞いてましたけど……マジでダンジョンに潜る度に【回復薬】使い切ってるんですね……」
「しかもここ1週間はあんな調子で、レベルも1だったのが一気に8まで上がったそうですよ」
「えぇ……マジでなんなの、あの人……」
なので、男のように【回復薬】をフル活用して効率よくレベルを上げるのなんて想定外もいいところである。普通ならば最初から複数人でパーティを組み、安全を確保しながら3ヶ月くらいかけてレベル10を目指すところを、「パーティ組むと取得経験値が分配されちゃうし、経験値が美味しい階層まで降りてからパーティ組まないと効率悪いだろ」と単独でダンジョンに突撃してわずか1週間でレベル8まで上げたため、ぶっちぎりでレベルアップ最短記録を更新している。
本人はこれで「慣れたプレイヤーなら初日でレベル10までいけるから、これでも遅いくらいなんだけど……」なんて思っているのだから始末に負えない。もっとも、それはゲーム内時間で24時間ぶっ通しで戦った場合の話なので、さすがに男も「この世界はゲームじゃなくて現実だし、まあこんなもんか」と諦めたらしい。
もっとも、それでも異常な早さであることは言うまでもない。
「まぁ、ギルド職員や他の冒険者の方々との間にトラブルを起こすような方ではなさそうなので……いえ、でもある意味では危険人物ではあるのですが……」
この世界では珍しい黒髪であること以外は平凡な容姿であり、人と接する時は口調も丁寧だし態度も常識的。ダンジョンの外では至って普通の人間ではあるのだが……いや、だからこそ、何度も「自分から地獄に飛び込んで行った」にもかかわらず「普通を保っている」という精神力が化物すぎる。ギルドの職員たちはそう判断していた。
もっとも、この世界の冒険者は死と尊厳破壊と隣合わせであるため、ギルド職員は最初に「冒険者に肩入れせず、あくまで仕事上の付き合いを徹底すること。冒険者と親しくなると、そいつが死んだり、モンスターの苗床になったりした時に辛くなる」と上司から教え込まれる。
なので職員から男に交流を持ちかけることはなく、そのせいで両者の間にある認識の差が埋まることはないのだった――