第7話:おもいで
エレベーターの扉が開くと、そこにはこの前見た暗い通路が伸びていた。
「真菜、方角は?」
英利羽が真菜に尋ねる。真菜はスマホでコンパスを開き、スマホを水平に保った。
「えっと、南東150°」
「わかった。じゃあ、始めるわよ」
英利羽はできる限り、歩幅を一定に保ちながら歩き始める。英利羽とみこは一歩一歩、声に出しながら歩数を数えていった。
通路の中では、英利羽とみこの声が響き、3人の足音がかすかにこだましているようだった。
100歩、200歩と歩くが、まだあの鉄の扉は見えてこない。
英利羽は一歩一歩、歩数を数えているせいか、以前よりこの通路が長く感じた。
英利羽は歩みをいったん止め、振り返らずに真菜に尋ねる。
「今、どう?方角が徐々に変わっていることない?」
「いや、ずっと150°のままよ。この通路の形からして、今までに行く方向が変わったこともなかったわ」
「ありがとう」
3人はまた歩き始める。460歩を超えたとき、あの黒い鉄の扉が見えてきた。
470歩、480歩、490歩……。
「494、495。ちょうど495歩ってところだわ。みこ、あのカギでここを開けて」
みこは誠司からもらったカギを取り出すと、鉄の扉に差し込んだ。
軋みながら開く扉。ここからはフローリングになっている。
英利羽は目の前に見える階段まで、歩測を再開した。
「……73歩ってところかしら。ここからは階段だからうまく歩測できないけれど、だいたいの位置関係はわかったわね」
3人は階段を上って玄関の扉の前までくる。みこは部屋から持ってきたメモ帳を取り出す。英利羽はそのメモ帳を受け取ると、計算を始めた。
「わたしの歩幅ってだいたい70cmぐらいなのよ。あの部屋からここまで南東方向に一直線。歩数は合わせて568歩ってところだわ。だから……」
「39,760cm……だいたい40mってとこね」
「真菜、計算速いのね……40mから5mぐらいズレていたとしても、わたしたちのいた建物がなにかぐらいは分かるはず」
玄関から外へ出ると、この前感じたような湿気は薄れ、その代わりに照り付ける太陽が肌をじりじり焦がし、少し痛くなるような暑さを感じた。
「なにこれ、こんな暑さじゃ、さすがのみこでも立っていられないわ。それにこんな日差しの中歩いたら、日焼けしちゃうじゃない」
地下二階の部屋のどこを探しても、日焼け止めは置かれていなかった。
それにこの暑さを緩和してくれる冷感グッズもない。まずは建物だけでも探して、戻ってこなければ……。まず3人は今出た一軒家の周りを確認してみた。
目の前には北東から南西方向に幹線道路が走っており、かなり交通量も多い。
その家から南西に少し下るとすぐに小さな脇道が現れた。
その脇道を超えると大きなショッピングモールが立っている。
3人はまず脇道の方へ入っていった。
脇道を進んでいくと、左手の方に小さな白い建物が見えてきた。
そこには「湊脳神経外科」と書かれた看板が立っていた。
「どうやら、この病院の可能性が高いわね。方向や距離的にもちょうどだと思うわ」
と英利羽は言う。
周りには、車が数台止まっており、待合室にはある程度人がいるようだった。
待合室の中では、一人で待つ高齢の女性から、楽しそうに話している母親と小さな娘であろう2人組もいた。中では冷房が効いているらしい。
一方、中の様子を見ている、みこは顔から汗がしたたり落ち、口を開けていた。
「も、もう……はぁ……中に入っちゃえば……みこはもう……限界」
いつのまにか、真菜も店先の影の中で休んでいるようだった。手で仰いでいるが、そんなに涼しくないらしい。顔から汗が止まらないようだ。
英利羽はもう少し、様子を伺いたかったが、2人がこんな様子であるため、しょうがなく中に入ることにした。
3人は中に入ると、待合室を見渡す。受付の看護師が3人のことを気にしているようだった。
真菜はそれに気が付くと、受付の方に向かった。
「ちょっと、真菜!」
英利羽は真菜に小声で呼び止めるが、真菜は気にせず受付の方へ向かう。
真菜は受付で何か話しているようだった。
2人は心配そうに、真菜のことを見つめる。
受付の看護師と真菜は2人の方を一回見るとまた話しこんだ。
しばらくすると、軽く会釈をして真菜は、タブレット端末をもらってきた。
「みこたち、ここにいてもいいの?」
「一応、私が患者ってことにして、誠司に見てもらうことにしたわ。これは問診票だって。私が適当に埋めとくから、2人は座ってて」
2人は顔を見合わせた。真菜の手際の良さには驚きだ。
真菜は問診票を返しに行くと、2人の座っているところまで戻ってきた。
改めて見回してみると、本当に普通の診療所である。
本当にここは、いつも暮らしている施設の真上なのだろうか。
英利羽はさっきみこからもらったメモ帳を取り出すと、ここまで歩いてきた道のりを描いてみた。
もし距離がもう少し長いとすると、この診療所の目の前にある大きなショッピングモールということになる。
しかし、もしショッピングモールの地下だとすると、地下のスペースの小ささがおかしい。
逆にもし距離がもう少し短いとすると、民家と民家の間である。それもおかしい。
英利羽は窓からきょろきょろと周りを見回していた。
それに気が付いたみこは、
「何しているの英利羽。怪しまれたらどうするの」
英利羽に小声でささやく。
仕方なく英利羽は前を向いて、呼ばれるまで待つことにした。
少しずつ患者が減っていった。さっきまでいた親子もいなくなっている。
「山吹真菜さん、どうぞ」
3人は受付のそばを通って、その先のドアに進む。
真菜はノックすると、ごくりと唾を飲み込んだ。
ゆっくりドアを開いていく。
するとそこにいたのは……
「誠司!」
誠司は、3人を中に連れ込むと、急いでドアを閉める。
3人をとりあえず椅子に座らせると、誠司は低く小さな声で話し始めた。
「ちょっと、何してるの」
「いや、診察に来ただけだけど」
みこが強気になって言う。
誠司は立ち上がって、少し部屋の中をぐるぐると回った。
3人の方に近づいて、誠司は3人を立たせる。
「とりあえず……この部屋入ってて!」
誠司は院長室に3人を押し込むと、受付に入っていった。
院長室の中を真菜は見て回っていた。医学書や学会の雑誌、小説などが棚に入っていた。すると、カレンダーを見つけた。ヤンバルクイナの写真が載っている。
「英利羽!ほら、これ」
そのカレンダーが示していたのは2037年7月だった。英利羽はカレンダーに書き込まれたことを見ていく。
カレンダーには、診療所や学会の予定など3人には全く関係ないことが書かれていた。
「20年後の未来っていうのは本当だったらしいわね……」
英利羽はカレンダーをめくりながら、確信に変わっていく。
真菜は棚の中から一冊雑誌を取ってみた。それは学会のジャーナル2036年6月号だった。
パラパラと真菜はめくってみるものの、よくわからないことが書いてある。
少し雑誌を見たかと思うと、真菜は閉じ元あった棚の中にしまった
しばらくすると、誠司が院長室に戻ってきた。
「困るよ……。俺が考えなしに了承したのが悪かったけどさ」
「ほんとに町医者やってたんだ……。本当に未来だったらしいし……」
英利羽はカレンダーを指さしながらそう言った。
「それ、疑っていたのかよ。そう、俺はここの院長として働いている。ていうか、ここのもの下手に触ってないよな?」
「壊したりしてないわよ。部屋の中を歩き回ったり、カレンダーを触ったりしただけ……」
「みこと真菜は?」
「みこは、何一つ触れてないよ」
「私はここにあった学会誌を少し手に取ったけど……」
「それぐらいなら、まあ……」
誠司は部屋の中を少し見て回ると、少し落ち着きを取り戻して、イスに座った。
「ここはね、俺の祖父が始めた病院なんだよ。だから俺で3代目」
「最初から地下に大きな施設が作られてたの?」
とみこが言う。
「いや、ここをこんな風にしたのは、俺が引き継いですぐの時かな。俺が改修して、新しく地下に建設したんだよ」
「ずっと、この病院の院長を務めているの?」
と今度は英利羽が聞く。
「結構最近かな。といっても、4年前ぐらいのことだけど……。その前は、大学の医局にいたな。それに、少し研究にも携わっていた。俺の伯母さんが辞めることになって、俺が引き継ぐことになったんだ。」
すると、院長室に近づいてくる足音が聞こえてきた。
誠司は3人に、閉まっているドアの裏に隠れるように合図をした。
3人は、みこ、英利羽、真菜の順に院長室のドア近くの壁に張り付く。
誠司はドアを少しだけ開けた。
ドアの隙間にみこの手が挟まってしまう。
「いてっ」
みこは思わず小さな声をあげる。
誠司は、ドアを戻してみこの前でごめんごめんと謝るしぐさをすると、改めてドアを少し開けた。
奥の方から、看護師が歩いてくる。
「どうしたんですか?多田さん。私に用ですか?」
誠司は平然をできるだけ装って、対応する。
「山吹さんとお連れの方は、もう帰られましたか?」
「はい、帰られましたよ。山吹さんの親御さんは面識があるので、後日親御さんと一緒にお見えになられたときに、改めて診察を行うことにしました」
「そうでしたか」
看護師の多田さんは院長室から去っていった。
4人は胸をなでおろす。
「そういえば、なんでみこたち隠れなきゃ、いけないのよ」
みこが誠司に歩み寄る。
誠司は思わず後ろに下がった。
「まあまあ。とりあえず一安心ってことで」
誠司は、壁にかかっている時計のところまで行くと、時計の針を5時きっかりまで進める。
時計横についているボタンを押すと、時計の下の壁が四角く少しへこんだ。
へこんだ壁がスライドして、壁の中に収納される。壁のあった場所に暗い入り口が現れた。
3人は近寄ると、入口の先は下り階段となっている。
「ここから帰れるから」
誠司はそういうと、3人を入口の中へと追い立てる。
みこは階段へ踏み出してみる。中は暗く足元の階段がやっと見えるほどだった。
みこは階段を下りていく。こんなに暗いと踏み外して落ちそうだ。
真菜は壁に手をついて、ゆっくり下へみこに続いて下りて行った。
英利羽も真菜に続いて、入口の中へ入ると、誠司は「じゃあね」と言って、開いていた扉を閉めようとする。
「ちょっと待って……」
英利羽は慌てて、ドアに手をかけようとするも、その前にドアは閉まってしまう。
院長室からの光も消え、足元もよく見えなくなってしまった。
3人は階段の途中で立ち止まるしかなかった。
まばたきを何回かすると、やっとみこは階段の様子が見えるようになってきた。
少しずつ目が慣れてくると、暗いが通路の中も明かりがついていたことに気が付く。
3人は再び下り始める。恐る恐る3人は下へ行き、その階段を下りきった。
そこは、最初の出発地、地下一階の狭い地下通路であった。
3人は今日の探索は終わりにして、中央の部屋へ戻っていくことにしたのだった。
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(今回、所長さんが提出してきた管理対象人物候補のリストは、と……)
リストフォルダを開くと、私の頭の中に情報が流れてくる。
危険度AからEまで、またたくさんの人物が候補に挙がっている。
(まだまだ先は長そうだな……。今回の収容も所長が挙げた人物が最適解であるな。危険度もAだしな)
私は最適度の再計算が終わり、この名簿の最終チェックを行った。
すると、危険度Cに最適解の人物とは異なる一人の名前を見つけた。
確認のため、私は一応、保管されているデータベースにアクセスをした。
(間違いない……。)
私は所長への助言フォームを開き、その名前を記載した。
――――――今回はこいつだ
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日曜、誠司は平日より遅く起きると、のんびりと自室から出てきた。
3人は、先日誠司が渡したアニメをテレビで見ているようだった。
誠司は冷蔵庫からお茶のボトルを取り出すと、コップの中にそそぐ。
誠司は、キッチンの棚から中を見ずに適当に菓子パンを一つ取り出す。
お茶の入ったコップとその菓子パンを持って、一つ余っている席に座った。
どうやら、アニメはエンディングの最後の方だった。
誠司は目が覚めないまま、ぼんやりと菓子パンを口に運ぶ。
そのアニメが終わり、一覧が表示された。
英利羽が話し始める。
「はあ、面白くて、すっごく笑っちゃった」
「みこは、このエンディングの曲も気に入っているんだよねぇ。なんか頭に残る」
真菜の目は少しうるんでいた。おそらく、笑い泣きというところだろう。
最初はアニメしかないようで不満そうだったが、真菜もかなり楽しめているらしい。
みこは誠司の方へ向いた。
「ねえ、誠司のなんかオススメのアニメとかある?」
「そうだなあ……」
誠司はアニメ語りができることを察知してか、まだ半分夢の中にいた頭が一気に目覚めて、エンジンが入ったようだ。
誠司はオタク特有の早口で語り始める。
「そうだな、オススメの作品といっても、いろいろあって選ぶのが難しいし、見たいジャンルによってオススメ度も変わってくるんだよね。たとえばさ、今の『おっちゃんは魔法使い』に似たギャクアニメだと『佐藤さんは田中先生のお友達さん』とか、おなかが痛くなるほど笑ったこと、覚えてるねぇ。ほかには……」
「みこは、今度はストーリーが重めがいいわ。もちろん伏線とかで面白い感じの」
「『神巫女物語』とかどう?主人公は夢に出てくる少女を自分の妹だと思い込んでいる、『シスコン』の高橋。ある日、高橋は本当にその妹が存在したことを知ることになる。実は、その妹は世界を救うため、時空の狭間に取り残されていたんだ。高橋が妹を救うために奮闘するっていう物語なんだけど、どう?」
「なんか、面白そうじゃない。それにするわ」
「ちょっと待ってて。少し古いんだけど、この間神巫女見つけたから、このテレビで見られるようにしてくる」
誠司は自室に入ると、キーボードをカタカタ打っている音が聞こえた。
しばらくすると、誠司の部屋の扉が開いて、誠司が出てきた。
「実はね、このアニメ、俺の友達のくにぴょんが好きでさ」
「くにぴょん?」
「そうそう、神野邦宏だからくにぴょん。彼の父親がね、俺の浪人時代の恩師で知り合ったんだよね。くにぴょんは、この神巫女見て、自分の研究したいことができたって言ってたよ。俺はくにぴょんの分野、あんまし詳しくないからよくわからないんだけどね」
「へえ……。てか、もう見られるの?」
「見られると思うよ」
みこは早速、『神巫女物語』を選んで再生ボタンを押した。
誠司は一度見たことがあるものの、ついつい一緒に見始めてしまう。
それから数日後、誠司が中央の部屋に行くと3人が『神巫女物語』を見ていた。
誠司は、一つの話が終わったところで、近くの真菜に話しかける。
「今何話目?けっこう見てるよね……」
「今2期目の21か22話目だったと思うわ」
「え?この数日でほとんど2期見終わってんじゃん」
みこも英利羽も真菜も、かなり身を乗り出して、『神巫女物語』を見ている。
『神巫女物語』の主人公 高橋は、妹 乃々と再会を果たすものの、そのせいで世界の調和が崩れてしまう。世界を救いたいという乃々の願いを助けるため、高橋は世界の混乱のなかに身を投じるが、そのさなか乃々が殺されてしまったのだった。高橋は絶望に打ちひしがれるが、なんとか世界を救うためまた立ち上がるというシーンだ。
みこも英利羽も、さらに真菜も目から大粒の涙を流しながら見ていた。
誠司はこのシーンが好きだった。しかし、毎回涙で視界が遮られよく見えない。
誠司は、今からやろうとしていた洗濯を忘れ、涙を流しいつまでも真菜の隣で見入っていたのだった。
極秘調査報告書 7
おっちゃんは魔法使い
クリスマス当日の朝、52歳の会社員おっちゃんは、パンを咥えた女子高生イブキと交差点でぶつかる。すると、おっちゃんとイブキは入れ替わってしまった。おっちゃんは女子高生として、イブキは会社員として、生活することになるというギャグアニメ。そうして生活するうちに、おっちゃんの一人部屋にイブキやその教師、おっちゃんの会社員仲間が来るようになり、退屈な日常が変化していく。2032年冬放送。
(ツーヨルゥ協定世界調整機構ミスリム山脈収容所所蔵)