第1話:20年後の君へ
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酉 真菜
twitter:@writer_mana2
少女は焦っていた。
階段の終わりが見えてくる。ここを上りきれば、図書室に着く。
少女は階段を駆け上がり、図書室の中へ駆け込んだ。
少女の栗色の髪がふんわりと飛び跳ね、紺色のスカートがひらりと少しだけ開いた。
この学校の図書室は少し変わっている。
かなりうるさくしてしまった時でも、怒られることはそうそうない。
今日も弁論部の部員が談笑しているらしい。
といっても、図書室に今しがた入ってきたこの少女、山吹真菜を含めて4人しかいないのだが。
真菜は3人に軽く謝りながら、空いている席に腰掛ける。
「おそい、5分遅刻よ」
「ホームルームが長引いちゃって……」
まあまあとみこを海南と未希がなだめた。
海南はカバンの中から分厚い黒いファイルを取り出した。
「それはそうと、これが昨日話したエビなんだけど、これ真菜の立論に組み込めない?」
何も海南はファイルの中に、海老を集める変人コレクターなわけではない。
『エビ』とは、エビデンスの略で弁論部の中では記事や本の引用のことを指す。
「少し待って」
と真菜が言うと、自分のカバンの中から、クリアファイルを取り出す。
その中からプリントを取り出すと、真菜は少し読み返した。
海南は続ける。
「実はね、真菜を待っている間、このエビについて話していたの。昨日RINEでは、江口の反駁に使えると思ったんだけど、立論に組み込んだ方が強くなると思うんだよね」
そこで真菜と海南の会話に、みこが入ってきた。
「みこは、立論に組み込むより反駁に使った方がいいと思う」
そこに未希も入ってきて、海南の意見に賛同する。
この様子を見る限り、真菜が来る前に意見がまとまることはなかったらしい。
4人はディベートの全国大会に向けて、準備をしているところだった。
エビもかなり集まってきて、後はより良いものにするため、磨き上げているところだ。
私立日枝女子高校は、ディベート全国大会でも、かなりの強豪校である。毎年トップ10に入り、優勝も経験した。
真菜は弁論部のみんなと、大会に向けて議論を交わす毎日が、とても好きだった。
――――――よし、正常だ。
突然、おじさんの声がして、真菜は後ろを振り向く。
しかし、誰もいない。
「ねえ、今なんか変な声聞こえなかった?」
「へ、変なこと、言わないでよね。聞き間違いとかじゃないの」
「みこ、もしかして怖いの?実は学校の七不思議のひとつだったりして……」
真菜は苦笑いをしながら、みこを脅かそうとする海南を見る。
みこ、海南にはどうやら聞こえていないらしい。
未希の顔を見るが、未希にも聞こえていないようだった。
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下校時刻になると、4人は資料をまとめ、図書室を出た。
未希と海南は横須賀線であるため、東横線を使う真菜とみこは早々と別れてしまう。
帰りの電車の中、真菜はまた不審な音に気が付く。
――――――カタカタ
「なんかこの電車、変な音聞こえない?」
「そ、そんなこと言って、みこを怖がらせようなんてひゃ、百年早いわ」
みこは周囲をきょろきょろと見回している。
謎の音は鳴り続けているが、みこには全く聞こえていない様子であった。
その音は鳴りやまないまま、中目黒駅に到着した。
「じゃあ、また明日ね」
「みこを今度怖がらせようとしたら、ただじゃ置かないからね。べ、べつにそんなの怖いわけじゃないんだけど」
電車を降りると、真菜の頭の中からその音は消えた。
ホームドアが閉まり、電車が動き出す。
東横線はスーと動き出して、特に異常もなく走り去っていった。
――――――やっぱり、イスかなにかの軋みだったのかもしれないわ
ホームのアナウンスが鳴ると、ホームの反対側に青苧線が入線してくる。
真菜は青苧線に乗り込むと、席の一番端に座った。
少し、イスを弾ませてみる。この小さなキシキシ音だったような気がしないでもない。
そうこうしている間に、青苧駅についてしまった。
青苧駅前には大きな公園があり、その公園を抜けたその先に真菜の家がある。
その公園の中には大きめの図書館があり、たまに部活で利用することも多い。
――――――土曜にもう一度あの図書館に行こうかしら
真菜の頭の中はいつのまにか全国大会のことでいっぱいになり、変な音のことはすっかり忘れていた。
公園を抜けると大きなタワーマンションが見えてくる。
ピピッと音が鳴ると、自動ドアが開き、コンシェルジュの人がおかえりなさいませと言ってくれた。
真菜は軽く会釈をし、エレベーターに乗る。
エレベーターの中でも、ピピッと音が鳴ると、ボタンを押さずともエレベーターが動き出した。
真菜の家はそのマンションの最上階にあった。
ただいまというものの、誰もいないらしい。
リビングに進むと、真菜を犬のロボットが出迎えてくれた。
「ロボちゃん、ただいま。ママとパパはまだ帰ってきていないの?」
真菜はロボちゃんをこれでもかというほどに撫でまくる。
ひとしきりロボちゃんと遊ぶと、真菜はお風呂へ向かった。
お風呂から上がると、真菜の両親は帰ってきていた。
すぐに夕飯の準備をすぐにするからと、真菜の母親は言う。
真菜はそれまで、ロボちゃんと遊ぶことにした。
夕飯を食べ終わると、眠気が出てきてしまった。
自分の部屋の扉を開けると、自分の体がベッドに吸い寄せられていく。
ベッドで横になると、ますます眠気が襲ってくる。
「今日の立論のところ、もっと吟味しなくちゃいけないのに……」
真菜は暗闇の渦の中へ、ずーんと沈んでいった。
体全体が落ちていく。心地よい夢の世界へ落ちていく。
まぶしい光が顔に当たるのを感じ、顔をついそむけてしまう。
まだ眠い目をこすり、目を開けようとするが、光が強すぎて目が開けられない。
暖かい日差しが……と思ったが、なんとも肌寒い朝である。
手探りで掛け布団を探すが、あるのは自分の肌だけであった。
自分の肌だけ……そう、服すらも見当たらなかった。
寝ている間に服さえも脱いでしまったらしい。
ようやく恐る恐る目を開けると、真菜を覗き込む知らない男の顔がそこにはあった。
おはようとその男は真菜にニタニタと笑いかけているのだった。
極秘調査報告書1
私立日枝女子高等学校
新日枝天満宮駅と大きな池を挟んで建つ丘の上の女子高。一般的に、日枝女と略されている。運動部、文化部ともに全国大会に名を連ねる強豪校。この学校の弁論部は山吹真菜、九十九里みこ、西井海南、谷山未希の4人が部員となっている。
この学校は、……(以下、機密レベル4に該当するため、閲覧は制限されています。)
湊誠司供述より(ツーヨルゥ協定世界調整機構ミスリム山脈収容所所蔵)