02 異世界の洗礼
「うそでしょおおおおおおおおおおおおお!!!」
でかい。かなりでかい。大型のイノシシ、いや、熊と同じくらいでかい。しかも結構速い。
羊のような獣に襲われ、その距離が近づくにつれてその大きさがよくわかる。
農道にたどり着いたところでゴールではないのはわかっているが、走らずにはいられない。
「ひいいいいいいい!!!」
必死で走る。とにかく逃げなければ。
―――スキル「逃走」を会得しました。
あああ追い付かれちゃう。足の速さには自信があるのに、羊のくせにめっちゃ速い。
―――スキル「健脚」を会得しました。
いつの間にか持っていたファイルがどこかに行ってしまった。後で拾わないと。今は知ったこっちゃないけど!
―――スキル「アイテムボックス」を会得しました。
羊との距離が数メートルまで近づいてきた。なぜこうも自分は運が悪いのか。もう少し人生に運が欲しい。
―――スキル「幸運」を会得しました。
せめて羊と話ができれば。
―――スキル「コミュニケーション」を会得しました。
あ。あかん。これ死んだわ。
「死にませんよ」
羊に跳ね飛ばされたと思った瞬間、体がふわりと浮いて、足元を羊が通り過ぎていった。
―――風神の加護を授かりました。
システムメッセージのような低い声が頭の奥に響く。
それとは別に、透明度の高い声が目の前から響く。
「大丈夫ですか?」
「ゼェ…ハァ……水、くだ、さい…」
目の前には、ギリシャ神話風な衣類をまとったスレンダーな美人のお姉さんが、浮いていた。
全力ダッシュ後の酸欠でくらくらする。これが幻覚というやつだろうか。
腰が抜けて思うように立ち上がれない。いや、空中だから立ち上がれないのか。
自分の足元には地面を踏んでいる感覚が一切なかった。
「いいですよ。どうぞ」
差し出された手を取る。
―――水神の加護を授かりました。
「?」
「?」
不思議そうな顔をしたお姉さんが、少し間をおいて、ああ!と手を合わせる。
何かの勘違いに気づいたようだ。
「すみません、飲み水ですね。どうぞ」
お姉さんから白い陶器のようなものでできたワイングラスを受け取り、ごくごくごくと一気に煽る。
……うん、水。ミネラルウォーター。軟水。おいしい。
渡された水を一気に飲み干し、口元を服の袖口でぬぐう。
「ぷはぁっ!おいしい……生き返った……」
「うふふ、まだ死んでいないじゃないですか」
お姉さんがくすくすと笑う。
「はぁ……死ぬかと思いました……。ありがとうございます」
「どういたしまして」
お姉さんにワイングラスを返却する。
「おかわりはいりますか?」
「あ、いえ、大丈夫です。ありがとうございます。……あの、すみませんが、落ち着かないので、地面に降ろして頂けると助かります……」
「そうですか?」
お姉さんが人差し指をこちらに向けて、すっ、と下におろすと、浮いていた体がふわりと地面に着地する。近くに先ほどの羊は見当たらない。ほっと息をつく。
「ありがとうございます。助かりました」
「うふふ、どういたしまして」
高所恐怖症ではないが、流石に地面に足がつかないのは落ち着かないので降ろしてもらった。
楽しそうにしているお姉さんは、いわゆる女神様というやつだろうか? そうでなければなかなか高度な幻覚だ。
「あの、あなたは、女神様でしょうか?」
「ええ。風の女神ダフネと呼ばれておりますわ」
薄い黄緑の透明フィルムのような長髪に、古代ギリシャのような白いゆったりとした服。
金色の瞳は楽しそうに笑っている。長い脚をしたスレンダーな美女だ。
「風の女神様……私は御園春香と申します。ここは、どこなのでしょうか? 私は車に乗っていたはずなのですが……」
「ここはあなたが暮らしていた世界とは異なる世界。第4989次元に存在する世界です」
四苦八苦な世界。
「なんとも不穏な世界ですね…」
「わかります? 流石、異世界の方ですね。ご覧の通り、怨嗟が滞留しているんですよ」
「は、はぁ」
ご覧の通りと言われても、さっぱり何にも見えないのだけど。
「こう、紫色でモヤモヤしたものは見えます? これが怨嗟なのですが」
「うーん?」
「ちょっと失礼しますね。少しだけ目を閉じてください」
女神ダフネの言う通り、目を閉じる。ダフネは私に近づくと、左目の瞼にキスをした。
―――闇神の加護を授かりました。
―――精霊の祝福を授かりました。
「ひぁっ!?」
「うふふ、もう開けていいですよ」
目を開けると、左目だけ紫色のモヤモヤしたものが見えた。なるほど、これが怨嗟か。
「見えるようになりました?」
「はい。なんか、ケミカルな色していますね…」
「けみかる? というのがよくわかりませんが、怨嗟が滞留しているのが見えますか? 怨嗟が溜まりっぱなしだと、稀に次元に亀裂が入るので、こうして私の力で適度に浄化して散らしていたのですよ」
女神ダフネが手で払いのける動作をすると、キラキラとした風の微粒子があたりに広がり、紫のモヤが消え去った。
「今回、どうやら一歩遅かったようでして。あなたは運悪く、次元の亀裂に飲まれてしまったようなのです。滅多にないことなのですが……」
「……えーと、元の世界に帰ることはできますか?」
「残念ながら」
女神が首を横に振る。
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