3話
日が沈み始めたころ、ようやく家に着く。
長くて充実した一日が終わろうとしている。
今思えば、多分今日が人生の中で初めて、家族以外の人と話した時間が長かった気がする。まぁ、話すと言っても、柳さんの能力と気遣いがあってこそだった。俺は常に受け身に回っていたから、会話ができた、と胸を張っては言えない気がする。
「ただいまー」と慣れたドアを開け靴を脱ぎ、自分の部屋に向かう。
少し汗をかいてしまった制服を脱ぎ捨て、部屋着に着替える。日差しが差し込む床を見て、窓のカーテンを閉め、リビングに向かう。
階段を下りている最中に、足音が聞こえた。母は大体この時間、買い物にいっているから恐らく師匠だ。父がこの時間に帰ってくることは滅多にない。
そんな事を自分なりに、推理していると廊下で予想通り師匠と会う。
「おぉー。結構いい感じに変わったね」
「おかげさまで」
「やなさんいい人だったでしょ?てか、パーマかけたの?」
一気に二つの質問をするな。どれを答えればいいか分からない。対人コミニュケーションの経験を積んでいない俺にとっては捌ききれん。だからって諦めて話を逸らすのはチャンスを無駄にしている気がする。こんな事、陽キャなら難なく捌くことができるのだろう。陰キャを卒業するためにはこんな事くらいは出来ないとダメだよな。
よし。
多分、やなさんとは柳さんのことだ。残るはパーマをかけたのという疑問。うん。落ち着いて考えれば中々簡単じゃないか。
「柳さんが俺の話を聞いてくれてパーマかけない?って言ったからお願いした」
「そうなんだ」
よし。すまんが師匠は、これからは実験台であり、練習相手にってもらおう。弟が前に進もうと頑張っているのだから姉もこれくらい協力してもらわないと困る。
「でも、パーマってお金かかったんじゃない?あそこ普通に高いし」
「千円で済んだ」
「はぁ!?千円?なんで?」
まぁ、こうなるよな。薄々分かっていたけど。結局でも、俺がミラージュのモデルをやる事は遅かれ早かれ言わないといけないのだし、ちょうどいいか。
「えっと、柳さんに誘われてあそこのモデルすることになった」
「え、えぇ!?あ、あんたが?」
「うるさ!ご近所さんに迷惑だろ」
「そ、そうだけどさ……」
師匠の言いたいことも分かる。自分自身、モデルなんて一生関わることのない事だと思っていたし、十数年間筋金入りの陰キャである俺に務まるかどうか心配だ。けど、変わりたいと決めたのだから逃げてばかりじゃいられない。
「ま、とりあえずそういうことで」
「ちょ!」
これ以上話していると、あれこれ言われそうだったからリビングに逃げ込む。師匠はまだ頭を処理しきれていないのか廊下から動く気配がない。多分、母も同じようなリアクションをするだろう。俺が髪を切ると言ってお金を貰ったときでさえ「千円カットじゃないの!?」と驚かれたし。まぁ、俺が今までそう思われる事しかしてこなかったから文句は言えないけど。
「あとは、目と服か」
服は学校だと制服だし、まだいいか。そうなると、目か。
調べてみると、目はタオルで温めて血行をよくしたり、目力をいれて目の筋トレをするといいとか。多分これって一日でどうにかできる問題じゃないよな。日々の努力ってやつか。それなら、これからはお風呂で忘れずに目のトレーニングをしよう。
……ってことは、俺にできることはもうないってことか?師匠に言われたのはこの三つだし。
あ、柳さんに聞いてみようかな。あの人は絶対に、天性の陽キャだから、俺に分かることは少ないかもしれないけど、聞かないより断然いいだろう。
そうと決まれば早速……いや、待てよ。俺なんかがLINEしていいのか?こいつちょっと調子乗ってね、とか思われないよな。そう考えていると、携帯が音を鳴らしながら揺れた。
柳さんだ。
恐る恐る、LINEを開き内容を確認する。
「七海の反応どうだった?」
ふぅ。心臓が破裂しそうだった。
とりあえず、返信しよう。内容を早く確認したい気持ちが強すぎて既読をつけてしまったし。
「ビックリしてました。あと、俺がモデルさせてもらうって言ったらもっとビックリしてました」
すぐに既読がついて、返信がくる。
「そっかー。見たかった」
「写真撮っておけばよかったですね」
LINEだとこうも舌が踊るのはなぜだろうか。現実でもこんな風に話せればいいのだが。
「今度は頼んだよ」
「分かりました。あと、一つ聞きたいことあるんですけどいいですか?」
「ん?いーよ」
「陰キャと話す時感じることを教えてほしいです」
美容師は必ず他人と話さなければならない仕事だ。そこで、感じることは多々あるはず。それに、柳さんも学生時代を過ごしていた先輩だから経験も豊富だろうし、陽キャ側の目線はいい参考資料になる。
「うーん。姿勢とか、声の大きさとか、表情とかかな。後、聞く側になりすぎなこととか」
「なるほど。ありがとうございました」
確かに、柳さんの姿勢は真っ直ぐで綺麗だったけど、俺は常に下を向いているような猫背だし、声の大きさも柳さんの方が断然聞き取れやすいだろう。
表情は自分からじゃあまり分からないけど、明るくはなかったと思う。最後に聞く側になりすぎなこと……。うん。
やっぱり俺陰キャの才能しかないかも。
「全然いいよ。頑張ってね」
「はい」
改めて考えると、人と話す時に意識しないといけないことが多いな。
こればっかりは実践を積まないと、得るものが無い。
今出来ることといったら、イメージトレーニングとかぐらいか。一人二役で実戦形式とかでもいいかもしれないけど、他人と全くといって話したことがない俺にとって、相手側を演じられるとは思えない。
「うーん」
唸る他ない。とりあえず、明日は学校だしもう一つ付け焼き刃がほしいな。でも、明日いきなり誰かと話すことなんてあるか?今この時期、誰と話すとかクラスのカーストとかは、ガチガチに決まっているわけだし、ド底辺にいる俺と誰かが話すことなんてない気がする。
「うーん」
やっぱり唸るしかない。そうな風に、考えては却下して、考えては却下してを繰り返しているうちに、母が帰ってきた。
「ただいまー……ど、どちら様!?」
はぁー。説明するのもめんどくさいな。
とりあえず、明日学校に行ってから決めよう。そんな楽観的な考えが俺の気を楽にさせた。