竜破斬《ドラグ・スレイブ》における「我」とは誰か?
スレイヤーズに、魔王の力を借りる魔法がある。
黄昏よりも昏きもの
血の流れより紅きもの
時の流れに埋れし
偉大な汝の名において
我ここに 闇に誓わん
我等が前に立ち塞がりし
すべての愚かなるものに
我と汝が力もて
等しく滅びを与えんことを!
というのが、その魔法の呪文だ。
疑問に思ったことはないだろうか?
この呪文の本来の「我」は、だれなのか?
「汝」は、言うまでもないだろう。赤眼の魔王のことだ。古の時代、神と戦い、七つに分かたれた魔王。
だが「我」は、単なる人間の術者ではありえない。この呪文に散りばめられた言葉の端々を精査するなら、ここに想定された本来の「我」は、単なる人間の術者ではない。それでは、卑小すぎる。
ここでの「我」と「汝」は、共に並び立つ者として想定されている。人間として最高峰の力を持とうと、魔族に比べればちょっと力があるだけの人間が、魔王と「等しく」滅びを与えることなど、できはしない。
人間と魔族の格差については、作中において何度も明示されている。例としてスレイヤーズ13におけるミルガズィアさんの言葉を引用しておく。ミルガズィアさんはリナたちに対してこう言う。
「たしかに、お前たちのような一部の例外を除けば、魔族に比べて人間の力はあまりにも小さい。
いや、おぬしたちとて、人間である以上、魔力という面だけで見るならば、下級の魔族にすらも遠く及ばない」
その力量差を鑑みれば、人間が魔王と並び立つことなど、ありえない。
では「等しく」滅びを与えることができるのは、誰か?
それは、七つに分かたれた、魔王の欠片自身にほかならない。
この呪文を作ったのはレイ=マグナスであると作中で明言されている。そして、彼は魔王の七分の一をその身に宿した人間だった。そのことは、作者公認FC『めが・ぶらんど企画』のホームページにおける作者インタビューにおいても明言されている。これは公式の出版物によるインタビューではないため、絶対不変の情報とは言い難いが、確度の高い情報ではある。
この呪文は、「時の流れに埋もれし」古の魔王と自分自身とを結びつける言葉。レイ=マグナスは、自分の愛する人を奪った魔族を、人間を憎み、そしてこの空っぽの世界が存在することを憎んだ。彼は、古の時代に分かたれた自分自身に呼びかける。自分たちの前に立ち塞がるすべてを壊してしまおうと。
これは、魔王宣言。人間であるレイ=マグナスが、魔王としての自分を覚醒させていく第一歩。その誓いの言葉。
人間と魔王の狭間。レイ=マグナスは黄昏に立っている。彼は人間としての場所から後戻りのできない暗い場所に歩んでいこうとしている。その迫真性こそが、この呪文を特別なものにしている。
だから彼の後にこの呪文を使う術者にとっては、この呪文は借り物の言葉にすぎない。
それを借り物でないものとして唱える資格を持っていたのは、作中では、レゾとルークだけだった。だが彼らがこの呪文を唱える場面は、作中では描かれていない。少なくともリナからの視点においては。
作中で、この呪文は、魔王の力を借りる呪文だと説明されている。だが、リナたちは、この呪文の内奥にまでは、到達していない。だから、レイ=マグナスがこの呪文を開発したのだというような言い方ができる。ただ単に誰かの力を借りるのに「闇に誓う」までのことをする必要があるだろうか?この呪文は、失望と激情の果てに行き着いた呪いの言葉。実験のような、冷静な試行錯誤の末にできた出来上がったものではない。本来的には、チンピラがチャカを振りかざすような気軽さでもって唱えられていい呪文ではない。
この呪文の名は、「竜破斬」
この竜は、だれか?この呪文によって、滅せられようという竜は誰か?アークドラゴンか?黄金竜や黒竜、あるいは、そのへんの野良竜を殺すために、この呪文は作られたのか?
ただ目の前のモンスターを排除するためだけに、この呪文作られたのか?
答えはノーだ。
この竜は、魔王を七つに分けた赤の竜神スィーフィードのこと。それが象徴する、この世界を存続させようという意志のすべて。
だからこれはまさしく、生きとし生けるものに対する呪詛。自らの無力さを知る人間は、自らを闇に堕としてでも、世界を変えることを望む。
だがスレイヤーズのいいところは、リナが、世界を真っ黒に染め抜くような恨みとは無縁でいるところ。
巨大な歴史と、それに接続した人間、そして、ここにいる私。
この小説が最初に出た段階で、スレイヤーズはこの重層性を作りあげていた。そして一人称の視点によって、その世界にある現実を巧妙に覆い隠していた。それは恐ろしく優れたこと。
歌物語という形式がある。場面状況を説明する散文と歌から成る文章で、歌はそれまでを状況を端的にまとめたり、ある種の力を持って、主人公の行動、行く先を決めたりする。
歌というものには客観の力がある。自らを巡る状況を詩的にまとめあげることが、物語において、独特の力を持つ。
伊勢物語などがその形式を持った物語の代表である。
小説というものは、『ドン・キホーテ』がそうであったように、その形式が出来上がった初期の段階から、詩の引用を含んでいた。
散文と、短い詩の組み合わせは、効果的な手法として現代まで残った。
この形式を、物語の必然性として組み込んだのが、ファンタジー小説における呪文だ。
散文を主とし、物語の場面を決定づける詩として呪文が提示される。
つまりは、そういったスタイルを持つファンタジー小説は、現代の歌物語としての側面がある。
スレイヤーズは、その典型である。
引用
神坂一『スレイヤーズ3 サイラーグの妖魔』富士見ファンタジア文庫、平成11年5月15日、三九版、p.237-238
神坂一『スレイヤーズ13 降魔への道標(新装版)』富士見ファンタジア文庫、平成20年11月25日、電子書籍版
参考文献
神坂一先生公認FC『めが・ぶらんど企画』のホームページ
における作者インタビュー
URI: http://t-trap.la.coocan.jp/otameshi/blaster9.htm
続きとして、「重破斬「我」を取り戻すということ」
URI:https://ncode.syosetu.com/n4235ft/ を作成しました。