生命を奪うということ
わな猟の免許を取った。
狩猟免許を取るということは、法定猟法を用いて狩猟をできるようになるということだ。つまりおれは、学生でありながらわな猟師になったのだ。
免許を取りたいと思ったきっかけは覚えていない。けれど、鹿や猪を自分の手で捕まえて、その肉を食べてみたい。そんな思いはあったように思う。
とはいえ、まったくの初心者だ。
インターネットで調べてわなは自作したし、仕掛ける場所も、鹿の足跡すらろくに見たことがないのにいろいろと探して回った。幸いにもバイト先の常連に猟師の人がいたので、その人から話は聞いた。鹿と猪の足跡の区別の仕方、鹿の仕留め方など、最低限必要なことを教わった。
猟期が始まってしばらくは手探りだった。いま思えば、わなもまだまともな物ではなかったし、仕掛ける場所もてんで的外れだった。
一ヶ月経って、鹿の通る場所をなんとなく見抜けるようになり、わなを仕掛ける位置を変えた。鹿が実際に通っているかを確認するために、餌として糠も撒いた。
大学に通いながら、少なくとも週に二度は猟場に通う。急な坂道を壊れかけのロードバイクで三〇分。正直言って辛かったが、通い続けた。
また一ヶ月ほど後、一月も下旬にさしかかってから更にわなの配置を変え、数を増やした。改良も施した。
正直、今年は無理だろうなあと思っていた。新米ハンターのブログなんかを見ても、一年目から獲物を獲れていない人は多くいる。特におれは猟友会にも所属していないから、個人的なつてでごく簡単なことを教わったのみで、師匠と呼べるような人を持っていない。相手だって知能を持った生き物なのだ。そう簡単に掛かるとは思えなかった。
だから、わなが空弾きして周囲が荒れていたときは興奮した。いままで糠が無くなっていることでしか実感できなかった鹿の存在を感じた。獲物に指先が掛かったと思った。
しかし、その後すぐに獲物が掛かるはずもない。
二月十五日になり猟期が終わった。しかし、鹿と猪に限っては一ヶ月延長されているので、引き続きわな猟をおこなった。
二月の末日、バイト先の大将と狩猟の話をしていた。
「どうや、獲物は掛かりそうか?」
「駄目ですね。今年はもう無理だと思います」
そんな会話をした。六連勤の初日だった。
次の日、午前中に精米所に糠を取りに行って、昼過ぎから三日ぶりの山に向かった。いつも通り、糠を撒きに行くだけのつもりだった。
猟場に入る。わなの近くで何かが動く気配がした。最初は何か、鳥でもいるのかと思った。違った。
鹿が、いた。
小ぶりな、しかし鹿の子模様はない、牝の成獣。
牝鹿はおれの姿を見て、じっと佇んでいる。おれが少し動くと、牝鹿は距離をとるように動くが、無闇に逃げようとするような様子はない。
相当暴れたらしい。あたりの細木がぐちゃぐちゃになっていた。
予想していなかったことに、焦った。
ほんとはすぐに仕留めずに、準備を整えてからやるつもりだった。でも実際に掛かると無理だ。「逃げられるかも……」と焦って、近くに生えてた木を切って棍棒にして、頭を殴って気絶させた。でも一発じゃ気絶してくれなくて、何度か殴ってようやくヘロヘロと倒れてくれた。
ここまでは、自分が生命を奪うんだという意識がまだあまりなくて、興奮してハァハァ息を荒げていた。鹿は意外にも、頭を殴られたときに鳴き声を上げない。たぶん殴りかたが悪かったんだろうけれど。
慌ててナイフを持ってきて、倒れた鹿の左胸あたりに刺した。ここでようやく、自分が何をしているのかを自覚して、泣きそうになりながら自然と「ごめんな、ごめんな」と声が漏れ出してた。ちゃんと動画で予習してたはずなのに、頭の中が真っ白で、どうすればいいかわからない。とにかく心臓を刺さなければ、ということだけが頭を巡っていた。
ナイフを刺した瞬間、ピィィ、と鹿が鳴いた。これがトドメになってくれれば良かったのだけれど、そうはならなかった。ナイフを抜くと、ひゅうひゅうと空気の抜ける音がして、「ああ、肺を刺してしまったんだ」とわかった。無駄に苦しませるのは、猟師としては一番やってはいけないことだ。それを、やってしまった。
それから何度か刺した。頸動脈を狙って、首の付け根あたりにも刺したし、もう一度心臓を刺そうとして胸にも刺した。でも血がたくさん出てくることはなくて、刺すたびに鹿が鳴いて。「ごめんな、苦しませてごめんな。一発でやれんくてごめんな」と涙声で言いながら、ナイフを刺した。
ピィィ! とひときわ大きく鳴いて、鹿がだらんと首を垂らした。まだ生きてはいるけれど、それが最後の力を振り絞ったひと鳴きだったのだと思う。少しして鹿がほとんど動かなくなってから、おれは手を合わせて解体用のナイフを手に取った。
毛皮があって刃が通りにくかったけれど、薄く腹の皮を裂いて筋膜を露出させた。前にマウスの解体で見た白線があった。そこをまたナイフで軽く裂いて、腹膜を露出させた。内臓は腹膜ごと取り出すのが良い、というので、そのままごっそり取り出した。
肛門をくるっと切り取って、膀胱と大腸をうまく取り出せたのは良かったと思う。膀胱を裂くと小便が腹腔内に零れだして臭くなるから。
内臓を抜くときは、腹腔内に手を突っ込んで引っ張り出す。そのときにすごく温かくて、生温いとかじゃない、本当にさっきまでこれが生きてたんだとわかる体温がそこにあって、言葉にできないのだけれど、それがおれの冷めた手を温めてくれているように感じて、なんだろう、本当になんて言っていいのか分からない。罪の意識とかでもなくて、生命への感謝ともまた違う。生命そのものを感じたとでも言えばいいのかな。じいんと胸の内に湧き上がるものがあって、涙が零れ出た。
そのあと横隔膜を切って、心臓と肺を取り出した。心臓と肝臓は食べるために別で取り置いて、あとは土に埋める。マメ(腎臓)も食べられるそうだけど、そもそも野生動物の内臓は危険だという意識があるので捨てた。取り出した肝臓は、綺麗な赤色をしていた。
血抜きをするために逆さ吊りにしようと思ったのだけれど、うまい具合の枝がなくて、諦めて斜面に横たえた。全然血は出てこなかったけれど。右前脚に罠が掛かっていて、ワイヤーを外そうとしても歪んでいて外すことができなかった。それだけで、この牝鹿がどれだけ生きようとしたのかが伝わってきて、また涙が出そうになった。
まあとにかく血抜きの体勢にして、一度山を降りた。自転車では流石に持って降りられない。心臓と肝臓は冷蔵庫にぶち込んで、今度は諸々の装備を携えて再び山へ。バイト先には休みの連絡を入れた。一時間ほど歩いて狩場に到着したら、すぐに鹿を袋に入れて台車に縛り付けた。時間が経つほど血の臭いが染みついて、肉の味が落ちる。
また一時間かけて山を降りた。日が沈んで、すっかり暗くなっていた。すぐにシカを浴槽に放り込んで、泥と血を洗い流した。水を張っていたのだけれど、すぐに真っ赤に染まった。綺麗に洗い落とせたら、コンビニで買ってきた氷を内臓のあった場所に突っ込んで、浴槽にシカが浸かるくらいに水を張った。
もうこの頃には鹿も死後硬直していて、首は曲がったまま動かないし、脚も同じくびくともしない。よれて外れなかったわなはワイヤーカッターを使って切断したが、足首にワイヤーを残したままになってしまった。この頃になるともうすっかり冷静で、鹿を死体として見れていた。浴槽に蓋をして、横でシャワーを浴びた。
身についた泥も血も、すべてを洗い流した。
汚れた手は、綺麗にはならない。
でも、それが生きるということだと思った。
この日、おれは猟師になった。
ノンフィクションです。特に鹿を仕留める部分は当日書きつけた、生々しい血のついた文章をほとんどそのまま載せています。文体を揃える程度の改変しかしていません。