夢のハードルを下げようかと思うんです。
夢を追いかけていたことがあるんです。
ほんとうは、過去形でなく、追いかけていると云いたいのですが、これが挫折というものかと、そのような気分になってしまったのです。
学問を勉強していたことがあるんです。
与えられるものを吸収することから、手ずから作り出す段階への成長が、使っていい時間の中では成し遂げられなかったのです。
研究者を目指していたことがあるんです。
研究の土台となる知識の回収を慎重にしているうちに、研究者ではなく愛好家になっているのではないかと、ふと思ってしまったのです。
でも、それは必要な力をつけることができない、私のせいです。
なんだかんだ、一年ほど、私にはかくかくしかじかの能力が足りていないと、丁寧に指導して下さる方がいらっしゃいました。現在、ご期待に添えておらず、申し訳ありません。私ののびしろの存在が信じられなくなったのです。
同期がいたこともあるんです。でもそれぞれ別の道に入ったり、足踏みをしたりしているようです。
愚痴を聞いてもらったこともあるんです。大変だねと励まされるたびに、相手に申し訳ない気持ちと、私に対する情けなさがせめぎあいます。
たまには休めばどうかと言ってもらえたこともあるんです。でも、しばしば何もできない日がぽっかりと、何日も続いてしまっているので、前向きに休めないのです。
親に頼み込んで大学院を受験させてもらい、籍を置いている身分なのに、覚悟が足りていなかったのだと、悩むくらいならかじりつく程の覚悟が足りていなかったのだと、自分を責める時間のみ増えるのです。
たくさんある物語の中の人々は、成功したり、失敗したり、いろいろです。努力に見合う成功ですら、喜ばしい陰には少しの嫉妬も感じてしまう私は、あらかじめ逆境に立たされる主人公に憧れるような軟弱者です。結局は成功するんちゃう、と。
こうして私が貯めたような、ドロドロしたものを、他の人が持っているのなら、その色や形、大きさや曲がり方の一部でも共感したいというのが、私の傲慢な、小さい夢です。
その共感には少し嫉妬も交じってしまうのはご愛敬です。なぜなら、私から見れば、あなたの経験と感情は私とは全く異なる形をしていて、綺麗に見えるだろうからです。
あなたも、少しくらいは私の悩みに嫉妬してくれませんか。
自分語りなんぞやるものでは無いですね。承認欲求の塊です。恥ずかしい。