表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

本の妖精の十余年後

作者: ドリルメロン

  



 シャワーを浴びながら、今日の日をぼんやりと思い返す。

 シチューの鍋も洗ったし、特にやり残した家事も無いはず。

 とりとめのないことを、頭をからっぽにしながら思い浮かべる。

 なかなか悪くない。


 一日の終わりのこの時間が、私は嫌いじゃなかった。

 放って置いたら鼻歌でも口をついて出てきそうな具合だったが、深夜と言えるであろう時間帯を考えて自制しておいた。

 この時、年齢のことが頭をよぎった訳では決してない。

 世間ではアラサーと呼ばれる年代に差し掛かっている年齢のことが。


 アラサー。

 アラウンドサーティ。

 大体30らへんの年齢を差す意味合いのこの言葉はここ数年で広く世に行き渡ることとなり、三十路という言葉からその市場競争力を奪いつつあった。

 聞くところによると、17歳と〇〇ヶ月で押し通し続ける17歳教なる過激派も存在するらしい。

 婉曲的表現は貴族的文化の嗜みなのである。


 シャワーの後はいつものように寝支度を調える。

 着慣れて若干くたびれた感のある寝間着を身に着け、コップに並んだ二本の歯ブラシのうち黄色い方を手に取り口にくわえる。


 主人はもう眠ってしまっただろうか。

 起こしてしまったらかわいそうだと思い、普段より念入りに髪にタオルを撫で付ける。

 気休め程度だが、ドライヤーに掛ける時間を短縮するためである。

 ありがたく思え、主人。


 諸々の寝支度を済ませ寝室に入ると、ベッドの上では布団を被ってまるまるとふくらんだシルエットがひとつ在った。

 その隣に、なるべく音を立てないように、私はこっそり潜り込む。


「ん……」


「あーごめん。起こしちゃった?」


「大丈夫……まだ起きてた」


 しかし、そう話す声は今にも眠りの中に溶けてしまいそうで、ひどく弱々しかった。

 眠いなら早く寝ちゃえばいいのに。

 もしかすると、私がベッドにやってくるのを律儀に待っていたのかもしれない。

 よく出来た主人である。


「ねえ、三十路でお風呂で鼻歌歌うのってアリだと思う?」


「別にありなんじゃないか?」


「じゃあ、アラサーがお風呂で鼻歌だとどう?」


「うーんちょっとキツいかもな……」


「ふうん」


 軽く就寝前の会話を交わしたところで、一冊の文庫本がベッドの片隅に置かれていることに気付く。

 スタンドライトにぼんやり照らされたその本の表紙には、『黒猫について』とタイトルが銘打たれている。


「あれ、この本……」


「それ、今日帰りに買ってきたんだ」


「へえ。どうだった?」


「面白いよ。まだ途中だけどね。眠いから続きは明日読む。知ってる本なの?」


「……うん、ちょっとね」


 ちょっとどころじゃない、とても好きな本だった。

 学生だった頃に初めて読んで、私はそのあまりの面白さに直ぐ夢中になった。

 この本に導かれて読書するようになったといっても過言ではない。

 そういう意味で、思い入れのある本なのだった。

 たぶん実家の本棚のどこかに、当時読み古したものが今も眠っているだろう。


「久しぶりに見かけたな」


「結構古い本だよな」


「だよね。なんでまた今になって買ってきたの?」


「あぁそれがさ、このサイトの記事に載ってたんだよな。それで、絶賛されてたから気になって買ってきた」


 そう言いながら、主人はスマートフォンを取り出し、件のサイトを見せてくれた。

 さらっと目を通した所、書評や感想の記事が中心の個人運営のブログのようだった。


「へえホントだ、べた褒めされてるね。お、別記事のこの本も読んだことあるな。この本もだ」


「お前も結構本読むもんな。趣味合うんじゃないか?」


「そうかも……」


 いや、趣味が合うどころの話では無い。

 これも……これもそうだ。

 どの記事を読んでも、読んだ覚えのあるタイトルばかりが目に入る。

 おかしい。

 偶然の一致と呼ぶにはあまりに出来すぎている。


 私にある疑念が生まれる。疑念はしかし、間もなく確信へと変わる。

 まずい、まずいことになった。

 例えば同じサイトでも、pcで見るのとスマートフォンで見るのとでは大分表示の雰囲気が変わってしまうことはままある。

 そのせいで気付くのが遅れた。

 これはいけない、いけないぞ……。

 スマートフォンを操作して、ブログのタイトルへとページを移動させる。


『本の妖精~JKの読書レビューブログ~』


 私がかつて運営し、せこせこと記事を書いては更新していたブログだった……。


「ほんの、ようせい……JK……」


「ははは。攻めたタイトルのブログだよな~」


「だっ、だよね~! もうイケイケでしょみたいな若さ的なあれを感じるよね」


 こいつ、気付いているのか? どうなんだ……? 

 いや、私はこのブログのことを誰かに話したことはないし、そもそも私自身ですらその存在を忘れていたほどだ。

 主人と出会った頃にはもうとっくの昔に更新を止めていたし、よって主人にはばれる要素はないはず。

 テンパった頭でなんとかそう算段付ける。

 そうとなればあとは……知らんふりだ。

 知らぬ存ぜぬ。

 全ては秘書の……いや、妖精のやったことである。


「ねえ、このブログさあ……結構読んでんの?」


「いや、見つけたばっかだし全然。でも絶賛してた『黒猫について』が結構面白かったから、他の記事も読もうかなって思ってる」


 まじか……。


「駄目。そんなのだめよ! いけないわ……」


「え、なんでだよ」


 えぇ、なんでかと言いますと、それは私が『本の妖精~JKの読書レビューブログ~』を書いた超本人であるからです。

 許して。

 一体誰に対して謝ってるんだろうと思うがしかし、懺悔の内容を目の前の主人に向かって洗いざらい白状することは出来ない。

 こんな頭がお花畑としか思えないタイトルのブログを書いていたのだと知られる訳には絶対行かない。

 いくら若さ故の過ちとはいえ、物事には限度と言うものがある。

 かくなる上は――。


「あなた、アレでしょ。どうせタイトルのこの"JK"ってところに惹かれてるんでしょ」


 いいがかり作戦の発動である。


「そんなことないよ。ちょっとしかない」


 ちょっとあるのか。私とは違い正直な旦那であった。


「ほらやっぱり! これは深刻な浮気行為です。浮気ったら浮気なのです。よって妻の名に於いて、今後このサイトを見ることは禁止します」


「えー別にいいじゃん」


「駄目です。それにネット上の自称JKなんて、99割はおっさんなのよ」


「おっさんなら良くないか? サイト見ても……」


「屁理屈言わないの。駄目なものは駄目です。面白い本なら、私がいくらでも教えてあげるんだから。はい、この話は終了! 終わり! じゃ、おやすみ~」


「……おやすみ」


 まだ何か言いたそうな主人を横目に、私はスタンドライトの灯を落とし布団の中に潜り込む。

 主人もまあいいかという風に寝返りを一度うった後、すぐに寝息を立て始めた。


 どうにかなったか……?


 一呼吸ついて、ほっと胸を撫で下ろす。この難局を切り抜けたのだという安堵感と共に、私も眠りについた。


 翌日、ブログをあのまま放置しておくわけには行かないと思い立ち、私は十余年ぶりに件のサイトへアクセスした。

 管理者パスワードをああでもないこうでもないと入力し、なんとかログインまでこぎつけ、さあブログを閉鎖しようとした所で、私は一件のコメントが届いているのに気がついた。

 それは『黒猫について』の記事に対して、たった今朝寄せられたばかりのものだった。


「きのうのシチュー美味かった。いつもありがとう」



――――――――――――――――――――――――――――



「ねえ、いつ気づいたの?」


「初めに記事読んだ時に、もしかしたらって思ったんだ。その時は半信半疑だったけど、昨日ベッドで話してて確信した」


「なんで分かっちゃうの……」


「分かるよ。結婚してるんだからな」


 そう言って、主人は得意げに微笑むのだった。



 お終い。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ