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巫女姫と銀の  作者:
舞台『巫女姫と銀の獅子』
8/9

終 幕:巫女姫と三百年

 それから更に時は経ち、一ヶ月後のことです。


 あの記録を読んだ後、わたしはすぐさま神官長様に願い出て、ある物を取り寄せて頂きました。それが今、届いたのです。わたしは息せき切ってシシア様の元まで走りました。


 神の間ではシシア様が窓辺に寄りかかり、うたた寝をなさっておいででした。あれから無気力に拍車がかり、近頃では寝てばかりでいらっしゃいます。


「そんなに寝ていては身体が錆びてしまいますよ!」

「うん……」

「シシア様、新しい絵が届いたんですよ。ご覧になってみませんか?」

「いい」

「まあまあ、そうおっしゃらずに、さあ!」


 少し勇気を出して、常にない強引さでシシア様の前に三つの絵が飾られた額縁を掲げました。


「雪景色の絵はなかったでしょう? 今、丁度冬ですから描いていただいたんですよ」


 雪の降り積もった深い森に小さな村。凍り付いた湖。雪化粧に彩られた尖塔と町並み。ルクサンズのトルヴァン。北の国。


 そしてラズモア様の故郷。


 でもそれはわたしの勝手な推測にすぎません。手記と以前のシシア様のご様子から、きっとそうなのだろう、と思ったまでです。


 抜け殻になってしまったシシア様の御心を動かせるとしたら、ラズモア様でしかありえません。

 以前のシシア様は例え身体を引き裂かれようとも、生き生きとした表情を浮かべて、今よりも余程輝いておりました。そのお姿は、ラズモア様の為に生きていたと言っても過言ではないでしょう。


 どうかこのお方の心を動かせますように、と願い見守っていると、シシア様の目に光が宿りました。力なく垂れていた腕をゆっくりと伸ばし、額を手に取ります。


 言葉もなく、食い入るように絵を見つめておいででした。そしてシシア様はおもむろに唇を開きました。


「……会いたいな」

「ラズモア様に、ですか?」

「うん……」


「では会いに行きましょう!」


 シシア様が呆然とわたしを見上げます。


「何、言ってるの」


 理解できない、というお顔をしていらっしゃいました。それもそうでしょう。ラズモア様はあの日、光の粒となって消えたのですから。


 ですが全てが消えてしまったわけではないのです。きっとあの方はまだ、どこかに――


「法話の時、いつも神官様が仰るではありませんか。お忘れですか? 魂は旅をするもの。一度生を終えた魂は、まず最初に故郷に帰るって」

「あんなの、嘘だよ」

「何故そう言い切れるのですか? シシア様はこの世のすべてをご存じなのですか?」


 とても生意気なことを言っている、という自覚はありました。ですがこの時のわたしはとにかくシシア様の心を動かしたい一心で我を忘れておりました。


「全部じゃないけど、リノスよりは知ってるよ」

「では何故時は流れるのですか? どうやって生命は生まれたのでしょう?」

「そんなの分かるわけないじゃない……」

「でしょう? シシア様ですらご存じないことがまだまだあるんです。この世にはまだまだ不思議なことが沢山あるんですよ」


 わたしは尚も必死に言い募りました。


「諦めなければ、絶対叶うんです。シシア様はラズモア様を解放することを決して諦めなかったでしょう? 毎月のように毒を飲み、武器を探し、文献を探して。それを幾度も幾度も諦めずに繰り返して、そしてあなた様は見事心臓に辿り着き、果たしました。だから今回だって、きっと」

「そう、かな……」

「そうですよ! ね、シシア様、トルヴァンに行来ましょう。ラズモア様を探すんです」


 わたしを見上げる瑠璃色の瞳が潤み、光を湛えて揺蕩いました。やがてそれは珠となって流れ落ち、一線の筋となって煌めきます。 

 わたしはシシア様にそっと身を寄せました。肩口にシシア様のお顔が触れ、暖かい温もりがじんわりと伝わってゆきます。まるでシシア様のお心までもが伝わって来るようで、わたしの目にも涙が溢れました。


 悲しくて、寂しくて、嬉しくて、そして心細い暗闇の中で、一筋の光を見つけた時のような救われた気持ち――。


 わたしたちは言葉もなく、ただ静かに涙を流しました。


 ひとしきり泣き終えた頃、シシア様は仰いました。


「……行く。トルヴァンに行きたい」

「はい……。では、明日にでも発ちましょう」

「急だね」

「こういうことは早い方がいいんです!」


 両こぶしを握ってニッと笑うと、シシア様も微笑んでくださいました。瞼は腫れあがっておいででしたが、わたしにはその笑顔がとても眩しく尊いもののように感じられました。


 その日の夜、わたしたちは早速旅の準備に取り掛かりました。不要な物ばかりを持っていきたがるシシア様に対して、わたしはまるで親のように窘め、甲斐甲斐しく旅支度を進めます。時には姉妹のようにふざけ合いもしました。シシア様にお仕えして一番楽しい時だったように思います。わたしはこの日のことを決して忘れることはないでしょう。




 翌朝、予定通りにわたしはシシア様を起こしに伺いました。

 まず名を呼びかけ、お身体に手を触れます。ですがシシア様に反応はありません。

 いつもならば、名前を呼んだ時点ですぐ目を覚ますお方です。わたしは訝り、もう一度呼びかけました。


「シシア様?」


 何度呼び掛けても、身体を揺り動かしてみても、シシア様は目覚めません。それは昼になっても、夜になっても変わらず、一日経ち、二日、そして一週間たってもシシア様が目を開けることはありませんでした。

 

 シシア様はお役目を終えたから天に還られたのだ。皆、口を揃えてそう言います。ですがわたしにはそうは思えません。


 長い苦難の時を過ごしてきたシシア様。その間にどれだけの血を、涙を流したことでしょう。彼女が眠りに就いたのは、きっと休息のため。


 その証拠に、シシア様のお姿は年月がどれだけ過ぎようとも変わることがありません。


 目覚めの時はいつか必ず訪れるでしょう。その時まで、わたしの美しい主は神殿の最奥で眠り続けるのです。

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