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巫女姫と銀の  作者:
舞台『巫女姫と銀の獅子』
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第五幕:巫女姫のお願い事

「リノス、天還の儀式を行うって神官長に伝えてくれる? それが終わったら、この石を砕いて粉にして欲しいの」


 神殿に着くなり、シシア様からそう申しつけられ、わたしの不安はいよいよ増しました。


 天還の儀式とは一体なんだろう。その名の如く天に還る儀式なのだろうか。シシア様はやはりご自身の命を絶つ決断をしてしまったのだろうか。


 わたしは重い足取りで神官長様の元へと赴き、シシア様のお言葉を伝えました。

 すると神官長様は重々しく頷かれました。神官長様ですから、当然この後に行われることはご存じなのでしょう。すぐさま神官たちをお呼びになり、彼らと共に神の間へと向かわれました。


 それからわたしは自らの部屋に戻りました。シシア様から託された赤い石を粉にしなくてはなりません。

 一見すると何の変哲もない赤い石です。ですが槌を振り下ろすとあっけなくも崩れ去り、濃厚な血臭を放ち始めました。これは、一体……。


 心臓と呼ばれていた赤い石。もしもこれが本物だとしたら、あの昔話も本当にあった出来事ということになります。だとすると、化け物というのはマルディシオンのことではないのでしょうか。


 シシア様はこれ以上この石には触れないと仰っていました。あのお方は約束を違える様なことはなさいません。だとするとシシア様が使おうとしているのは、マルディシオンに対して……?


 そうであればよい。と、この時のわたしは白状にもそう思ってしまいました。

 マルディシオンとて、この国を護り続けてくれた偉大なる神には違いありません。しかしシシア様とは言葉を交わし、笑い合い、共に過ごしてきたのです。わたしの大切な主なのです。そんなお方の身を案じ、心を寄せてしまうのは当然の事なのではないでしょうか。


 さて、仰せつかった通りに粉を作り、神の間に赴くと、部屋の様子は一変しておりました。祭壇を取り囲むようにして神官たちが立ち並び、中央にはシシア様、祭壇にはマルディシオンが寝そべっています。


 マルディシオンの四肢と口の周りには、不思議な文様が描かれておりました。その文様は鎖の絵の様にも見えます。まるでマルディシオンの動きを封じて、身動きを取れなくしているかのような。


 恐々と祭壇に近寄ると、シシア様がわたしをみてふんわりと微笑み、頷かれました。そして毅然とした表情を浮かべて、神官たちを見渡しました。


「これから何が起ころうとも手出しは一切無用です。リノス、神官長に粉を」

「はい」


 神官長様の手に渡った粉は、彼の手によりマルディシオンの口に注がれました。

 

 やはり、わたしの思った通りでした。だとしたら、この後マルディシオンは――


 全てが口の中に収められた時、マルディシオンの目がカッと見開かれました。すかさずシシア様が獅子の口に飛びつきます。口を開けさせまいとしているような仕草でした。


 次の瞬間ぶわり、とマルディシオンから風が放たれました。そして神の間全体が揺れ始め、全身にピリピリとした痛みが走ります。

 わたしは恐怖に震えました。怒っているのです。これはあの獅子の怒りなのだと、誰に教えられたわけでもないのに、そう思いました。

 それ程に獅子の形相が凄まじいものに変わっていたのです。目は爛々と光り、血走っております。ここに居る全ての者を屠らんとするが如くの眼光でございました。

 しかし文様に縛られている所為か、その場から動くことは叶わぬようでした。苦悶の唸り声が響き、口端からは泡が零れ出します。


 そしてそれは一瞬のことでした。どうしたことか、動けないはずのマルディシオンが抱き付いていたシシア様の腕に鋭い牙を立てたのです。


 神官たちの間に動揺が走ります。わたしは恐怖のあまりに腰を抜かしてしまいました。


 何故、どうして――!?


「口の文様が――」


 誰かのもらした呟きにより、理由は判明しました。口の文様が、零れ出た泡でほんの少し消えていたのです。


 鎖から解き放たれた獅子は、そのままたおやかな体を床に押し倒し、再び凶牙を付きたてました。


 神官たちはシシア様のお言葉に従っているのか、誰一人として手を出そうとはしません。いくら死することのないお方だとしても、このままではあんまりです。そうは思っても、わたしの身体は動かず、情けなくもガタガタと震えるだけでございました。


 しかし程なくして凶行は終わりを迎えました。


 唸り声が突如として止み、マルディシオンの身体が淡く光り始めたのです。

 獅子の身体から力が抜け、眠りに落ちる時のように瞼が徐々に落ちてゆきます。閉じたと同時に、片眼から赤い雫がぽろり、と一粒。


 シシア様がマルディシオンを見上げ、白くほっそりした手を伸ばしました。そして震える指先で、あふれ出た雫をそっと拭います。


「ラズモア、ごめんね。今まで、ずっと……」


 お傍に居なければきっと聞こえなかったであろうごくごく小さいお声で、シシア様は呟きました。


 やがてマルディシオンの身体は砂となって崩れ去りました。床に散らばった砂礫はきらめきを放ち、光の粒となって消えてゆきます。


 嵐の最中にあったような神の間に、静寂が訪れました。



 これで、やっと終わったのです。シシア様が苦しむことはもうないのです。



 わたしは何とか震えを治め、血に塗れたシシア様に這いよりました。


「シシア様、今身を清めますので……」

「ありがとう」


 力なく呟いたシシア様の視線は、天井に固定されたままわたしを見ては下さいません。どこか遠い目をして仰います。


「でも、いいの。しばらく一人にしておいて。皆、帰って」


 弱弱しいお声なのに、有無を言わせぬ響きを伴っておいででした。当然、わたしは食い下がることなど出来ず、シシア様を一人残して神の間を後にしたのです。




 それからのシシア様は、日がな一日ぼうっとして過ごすことが多くなりました。優しい光を湛えていた瞳は精彩を欠き、魂が抜け出てしまったように虚ろです。


 無理もない事です。荒ぶる神とはいえど、長い時を共に過ごしてきた伴侶を失ったのです。大切な者を失った喪失感というものはすぐに癒えるものではありません。

 いずれ時が解決してくれるだろう。年配の神官様はそう仰っておいででしたが、一か月が経ち、二か月が経っても、シシア様のご様子が変わることはありませんでした。以前お好きだったことをお勧めしてみても、何一つとして手に付けようとはなさいません。


 以前の快活なお姿を知るだけに、今のシシア様のご様子にはとても心が痛みました。何とか元気づけて差し上げたい。良い方法はないものだろうか。そこでわたしは祖母に訊ねたり、以前の記録を読み漁ることにしたのです。


 結果、わたしは二つの記録に辿り着きました。それは以前読むことのできなかった古代神官文字で記された物と、初代世話役の記録です。


 それを読み終えた頃、わたしはお二方の不思議な関係をようやく理解するに至ったのです。

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