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汝、されば何者か。  作者: シャクヤク
第一章
9/31

走れ、走れ 4

 ざあざあ、ざああ。

 先ほどまで大人しかった山の空気が、一変した気がした。穏やかにそよいでいた風が叩き付けてくるような風へと変わり木々はその枝を揺らし何かざわめいているかのように見せた。


 あやめは風に玩ばれた髪を押さえて空を見上げ、同じように亮も空を見る。

 時刻は夕方で、それに相応しい茜色が空色と混じっているいつもの夕空だ。鳥たちがねぐらへ帰ろうと列を成して飛ぶ姿が黒く染まっている光景はどことも変わらない。生温いというよりは季節柄まだ冷たい夕暮れの風にふるりと体が自然と震えた。



「なんか天気悪くなるのかもな、早く帰ったほうがいいんじゃないか。」

「……ええ。」

「夜に出歩くとここの辺には女の鬼が出てきて連れてかれちまうぞって、団子屋の婆ちゃんが言ってたよ。」

「え?」

「良くある迷信。信じやしないけど、あんま遅くなると虫とか出てきて食われちまうからさ。」

「まだ寒いから大丈夫じゃないの?」

「まあね、でも足元暗いからムカデとかに噛まれたら大変だぜ。」

「そうね。」

「………じゃ、明日学校で。」

「また明日。」



 鬼が出る。暗くなると鬼が出る。そしてふらふらしてたら連れてくよ。

 優しく甘く囁いて、おいでおいでとその手を取って。

 気がついたら、もう、戻れない。

 逃げないように足をもぎ、逆らわないように手をもいで、叫ぶようなら声を取る。

 泣いてばかりならその目を食っちまおう。


 時に眠らない子供を寝かしつける為に大人が使う方便だ。唐突に襲われるという話もあるし、騙される場合もあるし、時には待ち伏せだったり悪い事をすると鬼が仲間だと思って連れ去っていくだとか、バリエーションは豊かなものだろう。

 今よりもっと不便だった時代には、鬼は本当にいると全ての人が信じていたのかもしれないが今となっては迷信の一言で片付けられてしまう。けれどそこにはそんな言い聞かせをするだけの裏打ちされた事実が存在することを、あやめは良く知っていた。人攫い、人殺し、そういう事象を言葉にするにはあまりの出来事だからと人の中にいる『鬼』がそうさせたのだと表現するのだ、あくまで鬼がやったのであって人がやらかすにはあまりに惨いと。よくわからない事象も鬼のせいだと言っておけば丸く収まる時代もあったのだ。

 亮が何気なく話したそれに、この土地にもきっとそんな『いわく』があって――あの寺には、きっとそれへの接点があるに違いない。表の人間は最低限しか本当に情報を伝えずにあやかしをただ倒せとしか言ってこないが彼女は問答無用で戦いを挑む事を嫌っていた。妖も人を襲うに理由がある者と無い物がいる、そう彼女は考える。前者は食物として人間を見るか強い恨みを持つもので、時には気まぐれに襲うこともあるが危害を加えられたという術者を考えれば気まぐれにしては少し違う気もした。後者であればわざわざそんな真似をしたのであればきっと触れてはならないものに触れた、そう考えるのが妥当だろう。

 食物としてというならばこの山にはもっと血臭が染み付いていてもいいし行方不明者続出でもっと有名になっているに違いない。恨みかもしれない、だが恨みだとすればそれはなんなのか。触れてはならないものだとすれば、それは何であったのか。


 表の人間の何がそうさせたのか、同行者が無事だった理由は一体何なのか。まだまだ彼女にはわかりそうになかった。けれど今は急いだところで答えが出るわけでもなく、食い下がろうものなら亮も彼女に不信感を抱くに違いない。そうなれば学校生活もあの寺への接触点も失われてしまうことが危ぶまれるだけでメリットは何一つない。ここは大人しく帰るのが一番だろうと彼女も手を振ってバス停へと向かったのだった。

 山寄りの舗装された道は、少しだけ山を切り開いたのか木々がやけに近い気がした。天気の良い日中ならば良い日陰を作ってくれるであろう木々も、夕闇には少し不気味な陰を醸し出している。それに怯えるような女ではなかったが、あやめはふと小首を傾げて足を止めた。


 ざざざ、ざざざ。

 ず、ざ、ざ、



「――……危ないッ…!」

「きゃああ?!」



 何か不思議な音が、そう思ったところで茂みから飛び出すように人間が出てきたのだ、傾斜を滑り落ちてきたとしか思えないがその登場にあやめは驚いてしまったしそこに人がいるとは気がついていなかったらしい人物も大声を上げていた。幸いなことに2人が接触することは無かったが、あやめは驚きを収めて自分の隣に転げ落ちてきた人間に慌てて駆け寄った。見れば学生服の少年で、ところどころ枝で切ったのか血も出ている。大丈夫かと声をかけようとしたが、彼は転がり落ちてきた山を怯えた目で見上げ尻餅をついたまま後ずさっている。



「ご、ごめん。」



 一息ついたのか、少年は傍らで差し出されたハンカチに気がついて受け取って立ち上がる。自分よりも少しだけ上背のある少年に、あやめは手を伸ばして髪に絡んだ葉と枝を取ってやった。そのことに少し恥を感じたのか、僅かに顔を赤らめて罰の悪そうな顔を見せた少年にあやめは気がつかないフリをした。



「歩けますか、無理なようならお寺まで肩を貸しますけど……。」

「い、いや大丈夫、ごめん。驚かせちゃって。」

「いいえ、あの――」

「悲鳴が聞こえたけど何かあったか?!」

「広瀬くん。」

「広瀬……。」

「荻野?」



帰る道を取って返して来たのだろう、息を切らせた亮が2人の姿を奇妙なものを見る目で交互に見、それから口を大きく一文字に結んだ。

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