走れ、走れ 3
時刻は既に夕方だ、校長にも連絡が取れて2人の安否も確認できたのであやめは再度頭を下げて、礼を言った。そのことについて諒寛はふんわり笑って皆無事で良かったと言って、亮に向かって「バス停まで送ってあげるといい。」と言った。
寺があることもわからなかったのでその言葉にあやめも恐縮しつつ従って、亮もまた頷いて了承して見せた。彼女が少しだけ気配を探ってみても、この寺の中には諒寛と亮の気配しかいないしとても空気は清浄で穏やかだ。あまり大きな寺とは思わないが、多くの人の『願い』を守ってきた神仏がいるのだろうとあやめは思う。
再び住居側から出て境内に足を踏み出し、あやめはくるりと振り返った。
すでに本殿の戸は閉められており、ご神体は見えそうに無かった。
「なんか気になるの?」
「ううん、ここにお寺があるって知らなかったから。」
「そうなんだ。まあ寺に興味あるって人のほうが少ないから当たり前かも。俺のオヤジも先輩僧侶っていうの? その人からここ勧められるまで知らなかったみたいだし。」
「結構大きいお寺なのに誰もお坊さんがいなかったなんて不思議ね。」
「……そうだね。行こう、暗くなるからさ。」
「あ、うん!」
「ちょっと珍しくは、あるんだ、ここは。」
「え?」
「なんでもない。」
ぽつりと呟かれたその言葉の意味は、もう亮の口から出ることは無かった。後で調べてみる必要があるだろうかとあやめは少しだけ思う。それにしてもこの辺りで『表の人たち』が死傷者を出すほどの事故を起こしたという割には事故があったということを知るものは少ないようであったしおかしな気配も少ない。なんと奇妙なことだろうか。彼女が今まで経験してきた現場周辺は少なからず陰気な何かを感じ取ることもできたし、周辺住民の事故に不安を隠せない様子もあったはずだ。表の人間に操作された情報であっても幽霊だとは言わず、ただ機械事故だとか野生の動物が、だとかに変換されるだけであって怪我人が出たという事実には変わらない。特にその現場に足を踏み入れられては困るからだ。
今までも依頼を受けたことはある、その時だって警察やそういった機関が調べるからとそこいらは周辺住民に注意まで回っていた。別に裏の一族にやりやすいように、という配慮ではなく被害が増すことへの懸念からであることをあやめも承知しているが、今回はそんな雰囲気が一切無い。情報にも能力者が到着と同時に入山、調査しなにも得られなかった後ホテルにて苦しみだし山へ戻ると言い出したのだという。
その後ほんの少し同行者が目を離した隙に姿を消し、山の奥、滝近くで死体で発見された。表向きは登山中の野生動物との遭遇により安全柵を越えての落下死とされたが現実は正直あやめにも今よくわからない。
イノシシである原因は無いとは言えないものの低いと思われた。確かに亮が言っていたように、イノシシは臆病で物音に敏感だと言われている。あやめたちが通る道は人間の道と彼らもよくわかっていたようであまり通った痕跡が無かったことは彼女が上ったときに確認した。だが自分が襲われた状況を考えれば、突発的に遭ったことで双方が動揺し――というの状況を考えるのが一番妥当と言えたけれども。
「ほら、こっからならもうバス停わかるだろ?」
「あ、こっから繋がってるのね……ありがとう、広瀬くん。」
「いいって。俺も転校してきたの去年だからあんまり詳しくは無いけど。一緒にいて迷子になったってのは誰?」
「田中さんと浜野さん。怪我してないといいんだけど……。」
「ああ…あの2人ならいっつも元気なのが有名だからきっと大丈夫だろ、うちの檀家さんがアイツらの祖母ちゃんとかでいっつももうちょっと大人しくならないと嫁の行き手がなくなるってうちで愚痴ってるくらいだし。」
「ふふ!」
「バスの時間平気か?」
「うん、まだ明るいし大丈夫じゃないかな……。」
「逃がすと大変だからな、まだこの時間なら何本かあるからマシだけど。」
「そうね。」
「前にいたとこ1時間に5本とかざらだったからさ、1本とか2本とかビックリしちゃったよ……休日だと無い時間もあるなんてな。」
「そうね、朝は寝坊できないよね。」
「俺はこの通り学校そばだから問題ないけどね。」
「……広瀬くん、どうかしたの?」
「え?」
「さっきから、ずっと後ろを気にしてる。」
「いや……。」
それは、寺を出て直ぐだった。
寺が木々で隠されて、その姿が殆ど見えなくなった頃から亮がちらちらと後ろを気にするのだ。何かが迫ってくる様子はないし、動物だって気配は無い。それらをわざわざ口にはしなくとも、あからさま過ぎるその様子にあやめはそっとさも自然かのように聞いた。けれど亮はその言葉にぎくりとしただけで、口を閉ざして彼女を見ただけだ。
夕闇に乗じてあの世とこの世の境目が曖昧になるとはよく耳にするし、彼も実家が寺ならば迷信めいたものを信じているのかもしれないとあやめも少し強引に納得することにした。今回の件に彼は関わっていないでほしいと思うのだ、表の人間が血なまぐさいことになったのならば、少しでも関わった友人に類が及ばないほうが好ましい。
とはいえ、彼はきっと何かを知っているのではないか。そう思わずにはいられないのも確かだったのだ。