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7 父と娘

 細切れの肉片にしても、悪魔デーモンの体は生きて動いていた。

「なんつー臭いだよ……」

 夜が顔をしかめながら、ポーションを口に含んだ。

 ミンチにした肉片をそこらに転がっていた手桶に集め、夜が魔法で焼いていった。

 肉を焼くとも腐臭ともつかないような独特の臭いは、防臭の魔法で感覚を鈍らせてもかなり鼻につく。

「もう限界だ……。やえ、マスクくれ」

「はぁーい」

 やえがバッグからマスクを取り出し、夜に手渡す。

「考えてみれば、俺は俺に防臭の魔法かけられないんだよな……」

「ごめんねぇ、やえがもっと魔法上手だったら~」

 と言いながら、やえは辺りで集めてきた燃えそうなものを、手桶にくべ、魔法で小さく風を起こし、火を煽っていた。口許にはしっかりマスクをしている。

「こんなもんすかね」

 肉片を集めた手桶やバケツを、鯛介が運んで来る。中でまだ肉が蠢いているのが不気味だ。

「……これ、集まって蘇ったりします?」

「いや、それは無いよ」

 灰児が答える。

「ただ、このまま置いておくと、この場所をどんどん穢してしまう。そうするとまた大量のゴーストが集まってくるしね。片付けるなら片付けたほうがいい」

「ヨッちゃん、ちょっと強めの風起こして換気しない? 地下で煙出してたら、一酸化炭素中毒になっちゃいそう」

 とやえが言う。

「本来それ、お前の役目だろ」

「やえはそよ風しか起こせないからぁ~。臭いのが広がっちゃうだけかな~」

「俺もそろそろガス欠するぞ……」

 と言いながらも、夜はメモを取り出し、ブツブツを魔法を唱え始める。

 なんだかんだ言っても、ソーサラー顔負けの魔力量を持っている。

 

 死体のほとんどを燃やし尽くすと、灰児が片膝をつき、口上を述べた。

「――無垢な御霊よ、巡る魂の円環に連なる同胞よ、仮初の生より今解き放たれ、ひととき、安らかな場所へと還れ」

「それは? ターンアンデッドか?」

 夜が尋ねる。

「鎮魂の言霊だ。まあ、気休めだよ。魂が迷うことなく、死を受け入れてくれるようにね。お経みたいなものかな」

「ふーん……安らかに、か」

 複雑そうな顔をする夜に、灰児が小さく笑いかけた。その気持ちは痛いほど分かるからだ。

「彼らがエリナの仇であっても、その死を持って魂の罪は濯がれた。どちらにせよあの死ぬ前の苦痛は、想像を絶するものだっただろうしね」

「悪いことしたら、地獄に落ちたりしねーのか?」

「さあ。落ちてるかもね。魂は巡るとは言われているけれど、死後の世界のことなんて僕たちが知るすべも無い。シャーマンであってもね。それに悪いことっていうのも、僕たち知性のある生物の概念でしか無いよ。あの世の理では、空気を消費するのさえ罪悪かもしれないよ」

「んな極端な……」

 夜はまだ少し納得出来ていないようだったが、この激情的な男はすっかりエリナに同情し、肩入れしているので、無理も無かった。

 あんなに思いやりのある少女が殺されたのだ。

 敵を倒しても、仇を討ったという気はしない。少女の体は還らないのだ。そこにはただ、やるせない思いだけが残った。

 エリナは離れたところで、桜と並んで壁に背中を預けている。

「……さあ、もう終わりだね。あとは、蒲生だけだ」

 灰児が相変わらずの無表情で告げる。細い体に鎧を重たげに着込み、ふうと息をついた。

 いつも冷徹なこの男も、霊力を消費しっ放しで、疲れているのだ。

「だな」

 夜は頷き、灰児の隣に立った。

「あのさ、灰児」

「うん?」

 ポリポリと指で頬を掻き、夜は少し言い難そうに言った。

「何回も突っかかって、悪かったな」

「ああ。ちっとも気にしてないよ」

 と、本当に気にしていなさそうな、感情のまったく無い顔で告げる。

「お……おう。そうか……いや、俺、お前のことムカつくとか言ったしよ」

「分かるよ。僕も、君のような短絡で暑苦しい男とは、基本的に相容れないと思ってるから」

「えっ、んなこと思ってたのかよ!」

 ショックを受けたような顔をする夜に、灰児は硝子玉のような目を向けた。

「け、けっこう傷ついたぞ……?」

 そう言い、本気で悲しそうな男を慰めるでもなく、淡々と告げる。

「性格そのものは合わないという意味だよ。けれど、仲間として信頼しているし、君の強さは買っている。君のような奴が居るから、バランスが取れてるんだと思うよ、このパーティーは」

「そ、そうなのか……?」

「君は桜のことを好きだが、信奉者じゃない。そういうところがね。僕たちは桜が黒だと言えば黒だし、白と言えば白だ。間違っていても、桜の好きにさせてやりたいと思う。桜がもし、道を踏み外したとしても、僕は桜についていくよ」

「真顔でコエーこと言うなよ」

「本気で言ってるからね。だが、そういうところだよ。君だけは違うんだ。君は君の考えで、桜や僕たちを止める。たとえ四対一になってもね。……意外と、そういう人間は少ないと思うよ」

「えーと……それは、褒められてるのか?」

 夜はよく分かっていない顔で、首を傾げた。

「ああ。信頼しているよ」

「……とりあえず、俺たち、友達だよな?」

「そこ?」

「だってお前、仲間として、って強調したからよ……やっぱり俺にムカついてんのかと思って……」

 どうやらそれが一番引っかかっていたらしい。灰児は苦笑し、頷いた。

「もちろん、友達だよ」





 死体の始末は仲間たちに任せ、桜は壁にもたれかかっていた。

 何本めかも分からないポーションを飲む。

 ポニーテールにまとめた髪は埃と血で汚れ、ゾンビの肉片でも付いたのか変な臭いがする。

 だがもう気にならないほど、全身が汗と泥と血の臭いに包まれている。

 黒く汚れた顔を、隣でエリナが見上げていた。

「サクラちゃん」

 ポシェットを開き、キャラクターもののハンカチを取り出して、桜に見せた。

「お顔、よごれてるよ」

 デーモンが消えたことで、少し落ち着いたようだった。

 多少でも、彼女の気が晴れたのなら良いが、きっとそういうわけではないだろう。

 ただ、受け止めたのだ。幼い彼女なりに。

「いいのよ。ハンカチ、汚れるわよ」

「だいじょうぶ。帰ったらあらうもん。エリナね、せんたっき自分でまわせるよ」

「えらいのね」

 ハンカチを受け取り、桜は額の汗を少しだけ拭いた。

「あたしは、家事なんて全然出来ないわ。ていうか、出来てないって言われるんだけど」

「だれに?」

「家族よ。あたしの作るメシはマズいらしいわ」

「でも、サクラちゃんはつよくて、やさしいよ。エリナも、サクラちゃんたちみたいにつよくなりたいな」

「アンタ、強いわよ。すごくね。あたしがもし殺されたら、こんなふうに他人に優しくなんて出来ないわ。拗ねて、暴れてるわね。アンタがちゃんと話してくれるから、あたしたちはずいぶん助かってるわよ。ありがとね、ハンカチ」

「うん」

 返したハンカチを受け取り、エリナは再びポシェットに仕舞った。

「アンタのパパも、きっと見つけてやるわよ」

「うん。パパ、きっとコワがってると思う」

 こくんと頷く少女の骨が、小さく鳴った。

 そんなエリナを見て、安堵したように桜は笑い、深い息を吐き出した。

「サクラちゃん、つかれた?」

「戦いってのは疲れるもんよ。特別辛いわけじゃないわ」

 答えて、エリナの白い頭を見下ろす。

「あたしのは、武者震いっていうのよ。戦い出したら、なんか止まんないの。どっかぶっ壊れてんのかもね。疲れてても、もっともっと戦いたい。別に、人やモンスターを傷つけるのが好きってわけじゃないんだけどね。ただ、戦うのが好きなのね。戦って勝つのがさ」

 八歳の子供に言っても分からないだろうことを、桜は笑いを浮かべながら、興奮のままに口にした。

 そんな変わった女に、エリナは怯えるでもなく、真剣に話を聞いている。

「こんなの、スポーツみたいなもんよ。体動かすのは好きだしね。すごく疲れるのがあたしは好きなのよ」

「エリナも、ドッジボール好きだよ」

 無邪気に少女が声を上げる。桜は笑って頷いた。

「あたしも得意よ」

「でも、お父さんは、お外で遊ぶの好きじゃないの。だから、あんまりお外では遊んでくれなかった」

「それでよく冒険者になったもんね」

「お父さんは、冒険者はかっこいいって言ってた。エリナみたいな子供のとき、学校行かないで、テレビとか、ご本とかで、いっぱい読んでたんだって。冒険者のお話が好きだったんだって。エリナにも話してくれたよ」

「父親ってそんなもんかしらね。あたしが冒険者になったのも、うちの親父の影響だと思うわ」

 仲間たちはせっせとデーモンの死体を処理している。その姿を桜は目で追った。

「エリナはね……冒険者になって、お父さんと一緒にお仕事してあげたかったんだ」

 頭を下げ、エリナが小さな声で言う。

「でも、もうできないね」

「そんなこと無いわよ。タイスケもハイジも人間じゃないけど、冒険者やってるし。センターに行ってみたら、人間じゃない奴がゴロゴロしてるわ。エリナは子供でもスケルトンでも、あたしの弟よりは賢いわよ」

「サクラちゃんのおとうと?」

「そ。血が繋がってない、ワーキャットのガキ。親父が拾ってきたの。昔のアイツに比べたら、エリナなんてちっともモンスターじゃないわよ。ホントに獣みたいでね。凶悪だったわよ。噛んで引っかかれて、あたしが死にかけたこともあったわ」

 今でも背中に大きく傷が残っている。幼い弟に付けられた傷だ。

 モンスターの仔が、人間に拾われたからといって、すぐに人間らしくなるわけではない。彼なりの本能と習性に従っただけだ。だが、毎日じゃれつかれる桜には命の危険が何度も伴った。人間よりも鋭い爪と牙。子供でも高い身体能力。彼にとっては同種の兄弟と遊んでいる感覚でも、桜は人間の子供だ。

「まだガキだったのに、不思議ね。殺されるって本気で思った。その恐怖は憶えてる。まあ、結局はぶちのめしてやったけどね」

 力で勝てないと気づいた桜は、持てるものは何でも手にして、弟をぶちのめしたのだ。ほうきの柄が折れるまで殴った後には、弟は桜に完全に服従していた。本人は憶えていないようなので、言うつもりは無いが。

「ガキのケンカでもあんなに怖かったんだから……アンタも怖かったわね。あんな奴らに、殺されたんだもの」

 桜の言葉に、エリナは表情の分からない顔を、デーモンを燃やす煙のほうに向けた。

「……うん。エリナ、あの人たちが、お父さんをいじめるのが、イヤだった。あのときも、おうちでケンカしてたんだ。お父さんは、もうやりたくないって、ゆった。エリナを、ちゃんと大人にするんだって。そういってた」

 死ぬ直前の記憶を取り戻した少女は、しっかりと告げた。

 蒲生がどういう経緯で悪事に手を染めたかは知らない。きっと、桜には考えられないような、心の弱い男だったのだろう。だが、そんな臆病でだらしの無い男が、少しでも娘のために生まれ直そうとした。

 人には、そういう瞬間がある。どうしようも無い悪党が、ふとしたきっかけでほんの少し良心を取り戻したりもする。

 それが結果としてエリナを死に追いやってしまい、蒲生自身も壊れてしまったのだ。

「わたし……あいつらが、お父さんをいじめるの、やめてほしくて、とめようと思ったんだ……」

「蒲生を、助けようとしたのね」

「うん……お父さんが、いっぱい、たたかれてたから……」

 やえが着せたケープの下で、小さな肩が震えていた。

 肉体があれば、泣きたいだろう。もっとも辛かった記憶を、思い出したのだ。

「たたかれて、どっかにぶつかって……あとは、おぼえてないよ。あのとき、エリナはしんじゃったのかな。おとうさんとたくさんあそびにいったのは、ゆめだったのかな……」

 きっと、蒲生が哀れな娘に植え付けた、偽の記憶だ。現世に再び蘇るために、辛い記憶を覆い隠した、幻想だったのだ。

「それからは、あたまがぐちゃぐちゃで、よくわからないよ……」

「アンタは、よくやってるわ」

 桜は身を屈め、エリナの顔を覗き込んだ。

 穢れの無い真っ白な骨。

 その魂と同じように、美しいスケルトンの体。

 その肉体は、大切なものを守るために戦って、果てたのだ。

 大の大人でも、そんなふうに死ねる者が、一体どれだけ居るだろう。

「夜より頭良いし、ソーサラーになったらあたしのパーティーに入りなよ」

「えっ、いいの?」

 ぴょんとエリナが飛び跳ねる。この動きは彼女の癖なのだろうか。そのたびにうさぎのポシェットと、桜があげたストラップが揺れる。

 こうして跳ねられるうちは、まだ彼女は立ち直れるだろう。

 桜はエリナの頭に手を置き、撫でた。しかしグローブに返り血が付いていることを忘れていた。エリナの白い頭に、血の痕が付いてしまった。

「あ……ごめん。血が付いちゃった……」

 慌てて桜が彼女の頭から手を離すと、エリナは顔を上げ、小さく首を振った。

「ううん。いーよ」

 そのとき、自分に向かってにこりと笑いかける少女の面影を、桜は白い骸骨の姿に重ねて、見たような気がした。




 後始末が終わると、桜が告げた。

「さあ、地下三階に行きましょう」

 大剣を担ぎ、全員の顔を見渡す。どいつもこいつも疲れ果てた酷い顔で、それでも平静を装った笑顔で、頷く。

 やえが手を引くエリナに目を向けると、そのしゃれこうべには、桜が付けてしまった血の痕がうっすら残っていた。

 桜は申し訳なさげに笑い、言った。

「さっさとパパを見つけて、帰ってフロに入るわよ」




 従業員用の狭い階段を使い、地下三階に下りる。

 明かりの付いていた大浴場と違い、また闇が広がっていた。

 ただ、それまでと違うのは、酷く静かなことだ。

 デーモンを倒したからなのか、建物中の敵をすべて排除したからなのか、ゴーストの声一つ聴こえない。

 静寂の中、一行の足音だけが響く。

 ランタンと魔法の明かりで、照らされたまっすぐな廊下は、崩れた箇所が少なく、これまでで一番綺麗なものだった。

「お父さんは、こっちだよ」

 やえの手を引っ張りながら、エリナが廊下の先を指差す。

 やはり父親が心配で仕方無いのだろう。気持ちがはやるのか、ぴょんぴょんと跳ねながら、桜たちを促した。

「はしっこのおへやだよ。はやくみつけてあげて」

 握っていたやえの手をするりを抜け、エリナは両手をぶんぶんと大きく振って、先に先に誘導しようとする。

「こっち、こっち。はしっこ、曲がったとこにね、おへやがあるの」

 そう言って、突き当たりに向かって、先に走って行く。

「お父さんね、きっとね、黒いのがコワくて、かくれてるんだよ」

 エリナの言葉に、全員の顔が険しくなる。

「黒いのって、さっきのデーモンじゃないの?」

 桜が尋ねると、エリナは首を振った。

「ううん。もっとちがうの」

 エリナを追ってきたと言っていた。それは、デーモンが実体化する前の黒いもやのようなもののことを言っていたのだと思っていた。

 まだ、敵が居るのだ。

「エリナ、戻ってきなさい!」

 桜は鋭い声を飛ばしながら、すでに駆け出していた。重い大剣を捨て、武器も持たずに、最速で、少女の許へ駆け寄ろうとした。

 先を歩くエリナが、その声に足を止め、振り返る。

 その小さな体はすでに、廊下の分岐点に差しかかっていた。

 何の根拠も無い、戦士のカンで、桜は叫んだ。

「下がって!」


 桜がエリナを引っ張ろうと手を伸ばしたとき、彼女は見た。

 こっちだよ、とさきほどエリナが指差した左側とは逆の方向に、黒い人影が佇んでいるのを。

 エリナと同じ骸骨の体に、黒いローブを身に纏ったアンデッドが、その手をエリナのほうに伸ばし、桜よりも早く、その細い首を掴む。

 スケルトンの娘が、驚いたように顔を上げる。

「おと……」

「やめろ!」

 意味は無いと分かっていても、桜は静止を求める声を上げた。

 エリナよりもずっと太い大人の骨に向かって、桜がその身を突っ込ませるより早く、彼はいとも容易く、華奢な子供の首に力を込め、へし折った。

 物言わず、エリナの頭が廊下に転がり、砕けた首の骨がパラパラと落ちる。頭部を失った体だけが立ち尽くしていた。

「――エリナ、駄目だ!」

 大声を張り上げたのは、灰児だった。

「君は、死んでいない! 骨が壊れても、君の魂は死んではいない! 死んだと思っては駄目だ!」

 それこそが、アンデッドの本当の死。

 だが、エリナの体は力を失くし、ふらふらとよろめき、そしてゆっくり、崩れ落ちた。

「エリナ!」

「エリナちゃん!」

 夜たちが叫び、駆け寄る。だが、どんなに声をかけても、エリナの頭部も体も、もうぴくりとも動かなかった。

「――クソッ!」

 灰児が吐き捨てる。

 首をへし折られても、心の無いスケルトンなら、恐怖も何も感じず、動き続けただろう。

 だが、エリナには心があった。

 生まれながらに高い霊力と魔力を持つ少女の、稀少な魂を使ったからこそ生まれた、豊かな心を残したままのアンデッド。

 そこに付け込まれた。

 生きているときと同じ心を持つからこそ、彼女はその死を受け入れてしまった。

 首を折られ、死んだと感じてしまったのだ。

「クソ野郎がぁ!」

 桜は残った魔力を振り絞り、腕を強化した。握った拳で、黒いローブの骸骨に殴りかかった。

 骸骨はローブから伸ばす手に、エリナの骨片を残していた。その手のひらを、静かに桜の目の前に差し出した。

 それだけで、桜の体が吹っ飛んだ。

「姐さん!」

 桜の大剣を手に、鯛介が駆け寄る。

 受け身を取りながら廊下に転がった桜は、すぐに立ち上がった。鯛介から剣を受け取り、間合いを取る。

 魔法だ。しかも無詠唱で。人間では有り得ない力だ。

 桜の足許に、小さな頭蓋骨が転がっていた。黒い穴の開いた目に、さっきまで感じていた少女の心は、もう少しも宿っていなかった。

 もう一度手をかざした骸骨のアンデッドが、桜に追撃の魔法を加えようとした。

「お前、蒲生か!」

 夜が叫び、魔法剣で斬りかかる。魔法はキャンセル出来たようだが、胴体を斬り裂いた剣はローブを揺らしただけだった。

「ワイトだ! 体を実体と精神体に切り替えることが出来る」

 ハルバードを握り締め、灰児が告げる。

 高い霊力を持つ者が死亡することで、稀に誕生するアンデッドモンスターだ。それより高位と言われるリッチは、霊力も魔力も高い者が転生すると言われ、理性を残し、生前とほぼ変わらない振る舞いをすると言われるが、ワイトは霊力か魔力のどちらかが足りず、精神に異常をきたしている。

「……リな……えり、ナ……」

 くぐもった声が、呪詛のように繰り返しているのは、娘の名だった。

「……ころ、ス……」

「何言ってんだ! テメーは親父だろうが!」

 夜が怒号を上げ、なおも斬りかかった。だがその攻撃は、すべてワイトの体をすり抜けた。

「エリナは、テメーを心配して、探してたんだぞ!」

「……無駄よ」

 桜は大剣を手に、静かに告げた。

「もうそれは、モンスターよ。蒲生じゃない」

 人間じゃない。人の親じゃない。

 死の直前の絶望だけを抱えて、蒲生の心は逝ったのだ。空っぽの魂だけを残して。

「……資質を持つ者が自殺して、ワイトになる。エリナを殺した連中を殺したあとは、その恨みと絶望を外に撒き散らすつもりで、デーモンを造った。そして、自らもアンデッドになることを望んで、死んだんだ」

 灰児が歯噛みし、ワイトと化した蒲生を睨みつけた。

「すまない。油断していた。充分考えられることだったのに」

「お前の所為じゃない。悪いのは、このバカだ!」

 夜が叫びながら、剣を振る。

「親が、なんで子供を殺すんだ! 子供は親の物じゃねーんだよ!」

 それでも、エリナは蒲生を慕っていたのに。

「お前がしっかりしてねーからだろ! 親のくせに、子供に甘えてんじゃねーよ! あんだけしか生きてねーのに! なんで、二回もっ……二回も死ななきゃ、なんねーんだよ!」

 咆哮を上げ、夜が斬りかかる。

 冷静さを欠いた剣はワイトに通じず、空を斬った。そこに魔法を打ち込まれ、桜と同じように後ろに吹っ飛んだ。

 それを灰児が支えた。

「……す、すまん」

「いや、大丈夫。だけど、このまま斬っても無駄だよ。実体と精神、両方同時に捕まえるんだ。夜、まだ魔法は撃てるかい?」

「あ、ああ」

拘束バインドを頼む。鯛介は、詠唱の間だけ引き付けてくれ。無詠唱で魔法を撃つが、必ず身振りがある。それをさせなければいい。注意するのは、宙を浮くことだ。やえ、サポートを」

「ん、分かった」

 やえが頷く。

「おう!」

 鯛介は叫び、ハンマーを手にすぐさま殴りかかった。

 魔法を出す隙を生まないように、ハンマーを振り続ける。だが、彼の巨体と得物では、狭い廊下で思いきり戦えない。時折ワイトの魔法を喰らったが、踏ん張って耐えた。攻撃の合間を縫い、やえがその体に触れ、弱々しい治癒魔法ヒールをかける。

 夜は急いでメモ帳をめくっていた。

「えーと、バインドバインド……あー、どうして俺は覚えてねーんだよ!」

 悔しげな夜の隣に立ち、灰児が静かに言った。

「焦らなくていい。鯛介とやえが足止めしてくれる」

「クソ……ッ」

 夜が顔を歪める、その後ろに、エリナの頭と体が転がっている。傍らで、桜が大剣を手に、呼吸を整えていた。

「あった! 唱えるぞ!」

 夜が声を張り上げる。潤んだ瞳で、ワイトを睨みつけた。

 別の攻撃を察したのか、ワイトは低く咆哮し、鯛介の体を天井近くまで吹き飛ばした。

「タイちゃん!」

 後ろに居たやえが、素早くスカートをたくしあげ、右の太腿に隠し持っていた魔法銃を抜き、構えた。

 一瞬で狙いをつけ、魔力を込めて引き金を引く。

 浮き上がろうとしたワイトの体に、出発前に購入し、セットしておいた退魔の弾丸が、惜しみなく全弾撃ちつくされた。幾つかが的の大きなワイトの体に当たり、実体を傷つける弾丸と、精神に撃ち込まれる魔法に、高位のワイトにもダメージが通った。

 その間に、夜が魔法を完成させる。

「敵対者よ、屈服しろ。肉体よ、魂よ、我が支配に下れ。我が魔力よ、縛鎖となれ!」

 ソーサラー同士の対決だと、拘束魔法バインドは相手の魔力で無効にされることもある。だが、蒲生の霊力は高くとも、魔力では夜のほうが上だ。剣を捨て、ソーサラー一本でやっていたなら、夜のレベルは今より10は上だっただろう。

 彼の張り上げるような声に、灰児は別の詠唱を添わせた。

「傷つき、疲れた魂よ。その心を横たえよ。目を塞ぎ、思考を閉じ、停止せよ。苦痛に目醒めることの無い、暗く優しき世界に堕ちてゆけ」

 魔石をはめたハルバードの矛先を、夜が剣を向ける先に、同じく向けた。

 ワイトが宙に張り付けにされたように、静止した。

 だが、取り乱す様子も無く、はためくローブの間だから、骨だけの手を揺らめかせる。

 その手の動きが、いやでもエリナを思い出させた。


「……エリ……おレの、……むす、メ」

「そうね」

 武器を構えた夜と灰児の間を、桜は大剣を手に通り過ぎ、蒲生に近づいた。

「オ、れの、えり、ナ……」

 壊れた機械のように、モンスターが喋っている。

「お前のじゃない。アンタが、エリナのものだった。たった一人、アンタだけがあの娘の父親だった」

 床に落とされた鯛介が膝をついている、その前に庇うように、やえも屈み込んでいる。その横を通り過ぎ、桜はゆっくりと大剣を引き上げた。

「え……り、エリ、な。えリ、ナ。エリ……な」

 自らの過ちで死に追いやり、自らの外法でスケルトンとして蘇らせ、そして自ら葬った娘を、心を失った父親は、そうなってようやく素直にその存在を探し求めている。

「……ど、こ?」

「もう、逝ったわ。アンタも、消えな」

 宙に浮かんだ骨だけの体が、魔法によってその動きを止められ、骨格標本のように無防備に身を晒している。

 心の無いアンデッドの、瞳の無い目の前に、か細い女が、平然と歩いてくる。鉄板のように分厚い剣を携えて。

 もう誰も、死さえ恐れることの無いアンデッドとなった蒲生に、か弱い命しか持たない生者が、堂々と近寄ってくるのだ。

 あれは、少女の姿をした死神なのだろうか。あの凶悪なほど分厚い刃は、死神の鎌なのだろうか。

 でなければ、何故、あの人間は自分を恐れない?

 崩壊した精神の奥底で、ほんの少し残った人間だったときの心の欠片が、蒲生に恐怖を呼び起こした。


 ずっと。

 死が怖かった。

 生きる意味を失くすことが、存在を失うのが、怖かった。


 愛してくれた両親を失い、愛した妻を奪われ、そのたびに、まったく違う自分に生まれ変わった。


 子供のころに憧れだった冒険者になったが、上手くいかなかった。やはり才能が無かったのだ。霊を操る力など、少しも欲しくは無かった。娘が憧れるような魔道士ソーサラーになりたかった。

 仕事で知り合った男たちに、使えないソーサラーだと罵られ、ついカッとなった。それまで霊力があることを、誰かに言ったことは無かったのに、シャーマンとしての力を誇示し、見せ付けてしまった。


 それが、更なる転落の始まりだった。


 男たちは、闇の世界にも通じていた。どこからか死体を調達し、蒲生にアンデッドを何体も造らせた。ことさら必要とされたのがスケルトンだった。穢れてゴーストだらけの放置ダンジョンを、根城にして、彼らはアンデッド作製を強要した。

 一度手を貸してしまったら、あとはなし崩しだ。蒲生は被害者では無く、共犯者だと言い含められ、素直に従ってしまった。

 仕事だと娘に告げて、出かけて行く先は、ゴーストだらけの呪われた館。

 そこでただひたすら、蒲生は運ばれてくる死体の肉を溶かし、骨だけを取り出す、汚れた仕事。いや、犯罪だ。

 いやに綺麗な死体は、一体どこで手に入れたのか、知りたくも無かった。


 幼い娘に胸張って言うことの出来ない仕事。憧れた冒険者は、こんなものじゃなかった。これじゃ、自分がいずれ正義の冒険者に、討ち果たされる立場じゃないか。

 そんな自分が惨めで、情けなく、悲しかった。

 気晴らしにギャンブルをし、酒に溺れ、無駄な借金を重ね、ますます抜け出せなくなった。

 どうして、自分の生はいつもこうなのだろう。


 またすべてを壊して、やり直せはしないか。

 そう思っているとき、娘の絵里奈の才能に気づいた。

 割った酒瓶で手を切った自分に駆け寄り、心配げに手をかざした。


(いたいの、いたいの、とんでいけ)


 かつて母親が生きていたころ、怪我をした娘によくそうしていたのを真似たのだ。それだけのことだった。

 だが、それは子供騙しのおまじないなんかじゃなく、立派な詠唱だった。わずか八歳の少女が、何の手ほどきも受けず、魔法で蒲生の傷をすっかり治したのだ。

 自分譲りの霊力と、先祖代々受け継いできた魔力。

 真に才能があったのは、自分ではなく、娘だったのだ。


 その瞬間、新しい人生の始まりを感じた。

 歳も取り、汚れきった自分とは違い、娘はまだこれからだ。

 これからいくらでも、素晴らしいソーサラーに出来る。

 それは蒲生に、新しい生きがいを与えた。いままでより、もっと、もっと鮮烈な輝きを持って、目の前に広がった。

 あとは、蒲生を犯罪者へと引きずり落とした男たちを、どう始末するかだ。足抜けしたいと言ったところで、許されるわけはない。

 かつて殺して床下に埋めた妻とその愛人の死体を使い、スケルトンソルジャーを作成し、家に隠していた。暴力的な男たちに対抗するために。男たちは肉体的に弱い蒲生を暴力で支配したつもりになっていた。

 いつか本当に身の危険が迫ったら、こいつらを使って殺してやろうと思っていた。だが、娘のために、新しい生のために、それを実行することにした。


 あの日も、男たちは蒲生を殴った。

 彼らは蒲生を精神的に支配するために、定期的な暴力を振るっていた。

 やるならやればいい。お前らも死ぬ。

 殴られながら、蒲生は新しい生の始まりに、胸を躍らせていた。

 

 だが、少し遅かった。もう娘には、耐えられなかったのだ。

 彼らとは仕事をしたくない、新しい人生を生きたいと、前の日に景気づけの酒を飲みながら、溜めていた想いをぶちまけたからなのか。

 幼い娘が、それを本気に取るなんて、思っていなかった。

 たった八歳の娘が、殴られる父親を庇って、男たちの間に割って入ったのだ。


 誰の手か、足か、どんなふうに娘を打って、殺したのか、跳ね飛ばされた娘が、散らかった部屋の何にぶつかって、いつ息をしなくなったのか、憶えていない。


 二体のスケルトンに命じ、男たちが虫の息になるまでいたぶった。

 反撃に遭って、蒲生も傷ついた。二体のスケルトンも失った。死んだばかりの娘と死にかけた男たちを車に積んで、蒲生はこの館にやってきた。


 やりたいことは、もう無い。

 娘の遺体をアンデッド化しようとした。肉体を保持したまま、リッチとして蘇らせるつもりだった。

 しかしすでに遺体となり、才能はあってもまだ何の教育も受けていない彼女は、リッチどころかワイトにすらならなかった。

 そこで、スケルトン化した。

 死ぬ直前の娘の辛い記憶を消し去り、生きたいという心を蘇らせた。娘は驚くほど良質のスケルトンとなったが、それは蒲生の望んだ姿では無かった。

 失望の中、蒲生は御しきれない怒りを、死にかけの男たちにぶつけた。

 ただの肉の塊にして、醜悪な化け物に喰わせてやろう。

 その化け物は、蒲生の絶望を、更にもっと多くの人間に振りまいてくれるだろう。

 悪魔はいくつもの人の街をゴーストタウンに変えるだろう。アンデッドで溢れる世界でなら、エリナも安全に生きられる。

 中途半端に心を残し、ちっぽけなスケルトンにしかならなかった、可哀相な娘を、同じアンデッドと化した人間たちが、傷つけることも無いだろう。



 ――ああ、でも、結局、俺が殺したのか。


 死神の女が、巨大な剣を構える。

 そんな剣では、アンデッドは死なない。魂は傷つかない。

 だが女は、何も疑うこと無く剣を掲げる。

 恐ろしいほど眼光の強い女は、その細腕ではありえないほど軽々と大剣を持ち上げ、切っ先を真っ直ぐに蒲生に向けた。

 蒲生の壊れた心に、女の姿は強く、眩しく、焼きついた。

 ああ、そうか。この死神は、エリナが呼んだのか。あの娘が憧れた、強い女戦士の姿を借りて、悪いアンデッドのボスを、倒しにきたのか。

 迷いの無い瞳が、静かに蒲生を見据える。

 力よりも、あんな目が、強い心が、欲しかった。それがあれば、エリナは死なずに済んだのか。

 俺は何度も、死なずに済んだのか。


(おとうさん、エリナね)

 膝に乗せた娘が、蒲生が話すアニメや小説の冒険者の物語に、目を輝かせる。

(つよい、おんなの人のお話が、いっちばんすき!)


 一人で逝くのは、やっぱり寂しかった。

 ずっと、死が、本当の孤独が、怖かった。


 死神が、短く告げる。


「死ね」





《竜胆館》を出ると、夜が明ける直前の、青紫色の空が広がっていた。

 昨日、日の昇らないうちから車で出発したときに、車窓から眺めていた空と同じ色だ。

「サッちゃん、重くない?」

 夜のマントで包んだ小さな骨を抱えた桜に、小さな頭蓋骨とポシェットを抱えたやえが尋ねる。

「軽いもんよ。剣よりはね」

 彼女の大剣は鯛介が抱えている。実はもうほとんど魔力が尽きていて、持っているのもキツいので、助かった。鯛介は何も言わずとも、それを察してくれた。

 桜はダンジョンの外まで、少女の骨を抱えてきた。

 ちっとも重くは無いが、それを壊れないように持って来るのには、ひどく気を遣った。エリナの魂を宿し、動いていたときには、生きている人間の体同然に力強く感じられたのに、いまは本当に軽い、ただの骨だった。

 バラバラになった骨に、桜は声をかけた。

「長かったわね。帰るわよ」

 後ろから、男たちがダンジョンを出てきた。夜は地下三階の最奥で発見した、蒲生の死体を背負っていた。

 損傷した体は、魔法で治せば助かっただろうに、それをせずに、衰弱死したようだ。食事も採らず、眠りもせず、壮絶な自死を遂げた男の遺体は、短期間でミイラのように変化していた。

 そのまま置いて来ても良かったが、夜が連れて行くと主張して、背負った。彼が身に着けていた剣やランタンは仕方なく灰児が運んだ。

 エリナは最期まで父親を探し、一緒に帰りたいと言っていた。自我を失ってエリナを殺した張本人だが、それでも夜には置いて行けなかったのだろう。

「簡単にだけど、彼女たちを送ろう」

 東の空から、白んで来ていた。日が昇る前に、灰児が言った。

 エリナの骨と頭蓋骨を包んだマントに、蒲生の遺体を並べ、灰児がその前に片膝をつき、アンデッドが二度と迷わぬよう、鎮魂の言霊を送った。

「無垢な御霊よ、巡る魂の円環に連なる同胞よ、仮初の生より今解き放たれ、ひととき、安らかな場所へと還れ」

 やえと鯛介が手を組み、目を閉じる。

 一人、まだ割りきれない様子で、険しい顔を二人の遺体を見つめる夜の背中を、桜がぽんぽんと叩いた。

「しゃんとしなよ」

「……出来るか」

 ぐすっと鼻を啜り、夜はくしゃりと顔を歪め、目許をごしごしと擦った。

 感情に正直な男だ。

「じゃあ、気の済むまで泣きな」

 桜はそう言って微笑み、夜の背中をさすった。

 その手の動きがぎこちないことに、ふと夜は気づいた。

 鼻を啜りながら、顔を上げる。

「……お前、手、怪我してんのか?」

「最後らへん、魔力がちょっと足りてなかったのよ。無理やり剣振ったから、捻挫でもしたのかしらね。別に痛くないわよ」

「治してやるよ」

「アンタも魔力スッカラカンでしょーが。やえにやってもらうからいいわ」

 と、ひらひらと手を振る。しかしすぐに、顔をしかめた。

「イタタ……」

「そりゃそうだろ。無理に動かすなよ。見せてみろって」

 そう言って、夜が桜の手を掴む。

 その手の上に、小さな手の影が重なった。


(いたいの、いたいの、とんでけ)


 聴き覚えのある声が穏やかに響く。

 桜と夜が目をやると、夜の手に小さな手を重ねる、少女のゴーストが佇んでいた。

 長い髪を三つ編みにした、可愛らしい笑顔の少女だ。

「エリナ……」

 夜が声を詰まらせ、呟く。その目にまた涙が溢れていた。

 二人の後ろで、仲間たちも立ち上がり、目を見開いていた。灰児でさえも、魂さえもこの世から消え失せたと思っていた少女の、高い霊力に驚いた。

 いや、霊力なんかじゃ無い。心優しい少女の、その想いの強さに。

 少女のゴーストが、ぴょんぴょんと跳ねる。


(また、おとうさんにあえたよ。ありがとう)


「……よかったね。エリナちゃん。よかったね」

 やえが呟く。化粧が流れるほど、涙を零していた。

 ちっとも良くはない。彼女の人生はあまりにも短く、報われなさ過ぎた。

 それでも笑って礼を言う少女の、その人生を肯定してやりたかった。

「ふえーん」

 とうとう声を上げて泣いたやえの背中を、鯛介が支える。


(やえちゃん、タイくん、ハイジくん、ありがとう)


 彼らに深々とお辞儀をしたエリナは、それから桜と夜に向き直る。


(夜くん、おとうさんつれてきてくれて、ありがとう。サクラちゃん、けがしてるのに、エリナをつれてきてくれて、ありがとう)


 またちょこんとお辞儀をし、顔を上げる。

 それから、残念そうに言う。


(サクラちゃんのけが、エリナが魔法使いだったら、なおしてあげるんだけど)


 夜が目許を擦りながら、声を上げる。

「治せるぞ」

 子供のように鼻を啜り、夜は泣きながら、少女の霊体に微笑んだ。

「さっきみたいに、俺の手に、エリナの手、重ねてみろ」


(こう?)


 エリナがぴょこぴょこと桜に駆け寄り、その腕を取る夜の手に、おずおずと小さな手を重ねた。

 顔を見上げてくる少女に、夜は優しい笑みを向けた。

「呪文、唱えてみろ。さっきの。痛いの、痛いの……とんでけ」


(いたいの、いたいの、とんでけー)


 少女と夜の声が重なる。

 そして、桜の腕から熱と痛みが引いた。


「痛くないわ」

 手をブラブラと振って、桜が呟く。

 ぱっと、エリナの顔が明るくなった。


(わあ……)


 にこりと、桜も笑みを向けた。

「ありがと、エリナ」


(うん! あのね、みんな! また、あそんでね!)


 小さな体が踊るように桜たちから離れ、くるくると回ったり、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら、歳相応の子供らしく、少女は嬉しそうにはしゃいだ。


 解き放たれたかのように、軽々と身を翻した先に、背の高い男が佇んでいた。

 生まれたときから何一つ、汚れたことの無いかのような笑顔で、娘に向かって手を伸ばす。

 死ぬことで、魂の罪をすべて濯がれた男は、子供のように笑い、その姿は昇ってきた太陽の光にまぎれ、溶けた。それを追うように、エリナも光の中に駆けた。


 最後に振り返って、大きく手を振る。


(また、ぼうけん、してね!)





 エリナの遺骨と蒲生の遺体は、その場で引き渡した。

 いくらなんでも、桜たちが持ち帰るわけにはいかない。

 後は地元の行政と警察、そして冒険者協会が連携して、事後処理をする。

 いつもながら、探索や戦闘よりも、疲れた体で彼らに事件の話をするほうが、よっぽど堪える。


 帰る前に、車の中で全員爆睡し、気づけば昼過ぎだった。

「……なんか、寝たら元気になったわ」

「マジかよ……スゲーなお前。オーガ並みのスタミナだな……」

 まだ眠たげに目を擦りながら言う夜のみぞおちに、桜は素早く拳を入れた。

「うげっ!」

「うん。キレがあるわ」

 と、自分の拳を見つめ、桜は笑って言った。

「なんか、もうちょっと暴れたいわね。やっぱりアンデッドって、暗いし、臭いわ。ちょっと木之下に電話して、この辺にゴブリンの駆除依頼無いか、訊いてみるわ」

「は、はあっ?」

 仲間の意向など聞かず、さっさと携帯電話を取り出す桜に、夜は目を見開き、止めようとした。

「やめとけ! お前、魔力空っぽだろーが!」

「ちょっと戻ってるわよ。それに、別にゴブリンくらい素手でもイケるわよ」

「う、うげー」

 素手でゴブリンの首をへし折ったり、引き千切る姿を想像し、夜は青ざめた顔をした。

「お前らも、止めろよ!」

「桜がそうしたいなら、僕は付き合うよ」

 助手席でまだ目を閉じている灰児が、平然と答える。その隣で、運転席の鯛介もあっさり応じた。

「オレもっす」

「バ、バカだろ! オイ、やえ、起きろ! オレの味方をしろ!」

 夜が後部座席を振り返ると、やえはまだぐうぐうと寝息を立てていた。

「起きたところで、四対一だと思うけど」

「夜さん、車で待ってていいッスよ?」

「そ、それはそれで寂しいだろーが……!」

「うっさい、夜! ――あ、木之下さーん? なんか今すぐ手頃にれる仕事無い? ああ、別にデカくても凶暴でもいいわよ」

「よ、良くねえ……!」

 上機嫌で電話をかける桜から、またもみぞおちに的確な一撃を喰らい、夜は悶絶した。


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