6 狂人と悪魔
蒲生良人は、生まれながらに特異な霊力を持っていた。
霊媒士の資質を持ち、加えて両親が魔道士であったことから、魔力もあった。
両親よりその才能を過剰に期待され、彼自身も幼いうちから自分を特別視していた。
当然、性格はすっかり捻じ曲がってしまった。態度と物言いは尊大で、そのわりに気に入らないことがあるとすぐに泣き喚く。小学校に入るころにはすでに、級友からは敬遠され、嫌がらせを受けた。
学校に行きたがらない彼を、両親も強く注意することが出来なかった。
学校生活のほとんどを自宅で過ごし、通信教育を受け、高卒の資格を得た。両親からは魔法の手ほどきを受けた。
十八歳のとき、彼の人生に最初の転機が訪れた。それまで息子を厳しく冷たい世間の外気から、ただ身を隠すことで守ってきた両親が、交通事故で急死してしまった。
魔力があっても、ソーサラーでも、ハンドルの操作ミスでガードレールに突っ込めば、あっさり死んでしまうのだ。
甘ったれだった息子は、誰より自分を愛した両親の死だけは、不思議とすんなり受け入れた。涙も出さずに、淡々と、親戚の手を借りながらも葬式から納骨まで終えた。
それらの儀式の間中、哀しみなど少しも感じなかった。
なぜなら彼らが死んだ晩、自分の枕許までやってきた両親に、とっくに別れは告げていたのだ。
全身の骨という骨を折り、肉と内臓をひしゃげさせた血まみれの姿で、息子を放っておけずやって来た両親のゴーストを、消し去ったのは自分だったから。
親譲りの魔力は大成しなかったが、蒲生良人の霊力は本物だった。
自分の力で両親のゴーストを消し去ることで、皮肉にも彼は自立した。
両親の遺した金で大学に入り、卒業まで堂々と自らの足で通った。
それまでの自分を捨て去るかのように、友人をたくさん作った。心から愛する女性と結婚した。名の知れた企業に就職し、安定した生活を送っていた。可愛い娘が出来た。
幸せだった。一度はすべて台無しになったと思った人生を、取り戻したと思った。
いや、掴み直したのだ。期待過剰で甘いばかりの両親に狂わされた人生を、自分の手で作り変えた。
それは彼の、二度目の生だった。
両親の魂を消し去ったときに、自分はふたたび産声を上げたのだ。
だから、あっては無かったのだ。
完全無欠な人生に、今度こそ間違いなどあってはならない。
自分が選び、愛し抜くと誓った妻の裏切りなど――彼女を本当の愛に目覚めさせた男が自分で無かったなんてことは、あってはならないのだ。
失踪した不貞の妻が、その恋人とともに自宅の床下で真っ白な骨になっているころには、蒲生の二度目の生はすっかり色褪せていた。
ただ一度の裏切りは、あってはならない汚点となり、曇りの無い白いシーツにひとしずく落ちた汚い染みはどんどん広がり、腐りきって死ぬまでとどまらない。
まあいい。それなら、また俺は生まれ変わる。魂は巡るのだから。気に入らない人生は何度でもやり直す。その前に、酒もギャンブルも女遊びもいままでやりたかったことを全部やろう。汚れれば汚れるほど生まれ変わったとき清々しいではないか。それを俺は知っているのだから。そうだ。子供のころなりかった冒険者になろう。シャーマンじゃなくてソーサラーがいいな。魔法を使って悪者を倒すヒーローのアニメが大好きだった。学校に行かずに毎日観ていたから。あのアニメは面白かった。絵里奈にも見せてやりたい。あの子は俺に似ずに可愛らしいが、魔法を使うヒロインのアニメに夢中だ。そんなところだけ似てやがる。
絵里奈。俺の娘。俺の汚点だらけの人生に、一人残してはいかない。一緒に生まれ変わろう。さあ、絵里奈。絵里奈。絵里奈。絵里奈。絵里奈――……。
えり、ナ。
「どうして、上階から探索したと思う?」
地下を歩きながら、灰児が呟いた。
桜と鯛介がすでに排除したモンスターが、通路に転がっている。
大剣と大槌で豪快に潰されたのだろう、ゾンビの肉片が床や壁に勢い良く飛び散り、貼り付いている。何処にでもいるオオネズミの屍骸も転がっていた。レイスは消滅するのでその姿はとうに無いが。
盾を持った灰児が先頭に立ち、その後ろをエリナの手を引いたやえと、最後を夜が歩いている。
「明るいうちに探索しやすいからだろ? 地下の探索は別に昼夜関係ねーし」
前を歩く灰児の背中に、最後尾の夜が答えた。
いや、と灰児は振り返らずに言った。
「下は良くないと思ったからだよ。来てすぐに分かった。上で事が済めば、それに越したことは無かったんだ。それに、結局地下に下りることになっても、上の敵を大体片付けておけば、後で楽になるし」
「下に何かいるって、分かってたのか? だから最初に無理してターンアンデッドしまくってたのか?」
「ああ。いままで行ったダンジョンで、多少のゴーストはいても、これほどじゃなかっただろう? ただ昔、凄惨な事件があったというだけで、この数は尋常じゃないからね」
地下への階段を下りながら、灰児が淡々と告げる。
「ゴーストはみな、寄る辺無き魂だ。ターンアンデッドであっさり消えてしまうのも、シャーマンが自分たちより強い霊力を持っているからだよ。彼らは自分たちより強い魂に従順だ。生きることも死ぬことも出来ず、縋るものを求め、彷徨っている彼らも、この世に縛られている限りは、僕たちと同じなんだよ。安息の場所を探している。何が安息なんて分からないまま、永遠にね」
黙って歩きながら、きゅっと手を握ってきたエリナに、やえは彼女を見下ろし、優しく手を握り返した。
生き物のものとは思えない唸り声が、徐々に大きくなっていく。
アンデッドのエリナ以外には、聴いているだけで胸の奥が掻き毟られるような不快感がある。灰児の魔法で精神防護していなければ、歩いて近づいていくのも苦痛なはずだ。
「……この声、アンデッドの声なんだよな?」
「ああ。生きている者の声では無いよ」
夜の疑問に、灰児がそう答えた。
「あまり見たくないものが居るんだろうなと思ってた。でも、見るしか無さそうだね。そこまでの道は、桜たちが敵を片付けてくれてるはずだ」
階段を下りたところに、桜たちが倒したスケルトンの骨があった。
エリナのことを考えて足早に通り過ぎたが、少女は大人たちの雰囲気を察してか、静かについて来た。
「この奥は、大浴場だね」
と通路の途中で灰児は立ち止まり、エリナに尋ねた。
マップは頭の中にある。そこが大浴場だと分かっていて、あえて尋ねている。
「えーと、たぶん。そうだよ」
エリナがこくんと頷く。
「入ったことはあるかい?」
「ううん。お父さんが、あっちは入っちゃダメだって」
「お父さんと最後に話したのは?」
「ええと、ええと……」
エリナは困ったように、首の骨をひねった。
「あんまり、おぼえてない……。ごめんなさい」
「灰児。ムリ言うなよ。エリナはまだ小さいんだぞ。質問ばっかりするなよ」
夜がたしなめる。灰児は無表情なまま、小さなスケルトンを見下ろした。
「気がついたら、その姿だった?」
「う、うん……」
「お父さんは、最後に会ったとき、人間だったかい?」
「おい、灰児!」
怒鳴る夜を、灰児は静かな視線で制止する。やえもマントを引っ張って、止めた。
灰児の淡く透き通った瞳が、夜の黒い目を見つめた。
「誤魔化しても仕方無い。エリナは賢い子だよ。分かっているだろう?」
「だからって……!」
「蒲生良人は、ここでアンデッドを作成していた」
「やめろ!」
夜が灰児の鎧の肩を掴む。掴まれた本人は動じた素振りも無く、言葉を続ける。
「自発的にやっていたか、やらされていたのかは、ともかく、それは許されることじゃない」
「やめろって言ってんだよ!」
「ヨッちゃん、ダメ」
やえが慌ててエリナの手を離し、夜と灰児の間に割って入った。
「僕たちが蒲生を発見し、無事保護できたとしても、その所業を報告しないわけにはいかない」
「それを、エリナの前で言うのかよ!」
「いずれ判ることだよ。もし蒲生が抵抗すれば、それなりの対応もしなければならないんだ」
「そうとも限らねーだろ!」
「怒鳴らないで、ヨッちゃん」
「クソッ、退けよ、やえ!」
「どいたら殴るじゃん!」
激情に駆られる男と、冷徹な男の間で、やえは大きく胸を張った。
「ヨッちゃんが怒るのは間違ってない! でも、ハイちゃんも悪くないよ! ヨッちゃんがそんなふうにハイちゃんを怒っても、エリナちゃんは嬉しくないの!」
「ぐ……」
やえに珍しく強い口調できっぱり告げられ、夜は反論出来ず、口ごもらせた。
「それに、サッちゃんたちが一生懸命戦ってるときに、言い争いなんてダメだよ」
「分かってるよ!」
苛々と吐き捨て、夜は自分を見つめるエリナに気づいた。
瞳の無い、黒いぽっかりとした穴が、たしかに夜を映していた。
「夜くん、あの、あのね……」
そう言い、エリナは両手を腹の前で揃えたかと思うと、深々と見本のようなお辞儀をした。
ぺこりと頭を下げたときに、可愛らしいウサギの顔のポシェットと、紐に下がったねこスライムのストラップが、少女の動きに合わせて揺れた。
「エリナ……どうして、謝るんだ?」
夜がそう言うと、エリナは頭を上げた。
「ちがうよ。ありがとう、夜くん」
「……何が?」
「あのね、あの、お父さんのこと……エリナのお父さんが、エリナをガイコツにしたんだよね? 夜くんは、だから、エリナのことが、かわいそうだから、お父さんのこと、おこってるんだよね?」
エリナの言葉に、夜は愕然とした表情を浮かべた。
まだ八歳の子供なのに、こんなふうに大人の感情を読んでしまうなんて、いままでどれほど、大人の顔色を伺ってきたのだろう。
そして、その少女に、気を遣わせてしまったのだ。
夜はその端整な顔を、哀しげに歪めた。
「あのね、夜くん。わたし、お父さんが、ケーサツに捕まっちゃっても、いいよ。さびしいけど、がまんする。だってね、いままでのほうが、きっとお父さんはイヤだったの。だから、お父さんがケーサツから帰ってくるの、サクラちゃんのおうちで、待ってるよ」
「エリナ……」
骨の少女が、無邪気な仕草で、夜の腰に抱きつく。
「みんなが、やさしくしてくれて、うれしいから、エリナへーきだよ。ぜんぜんさびしくないもん。だから、帰ったら魔法おしえてね」
「ああ……教える」
押し殺した声で、夜はなんとか笑った。
少女のしゃれこうべを撫でながら、問いかける。
「……エリナのお父さんを、捕まえて、いいんだな?」
小さく、とても小さく、エリナが頷く。
「ごめんな、エリナ。俺は、怖いとこばっかり見せてるな」
それには強く少女は首を振り、顔を上げた。
「ううん。夜くんは、ちっともコワくないよ!」
小さな子供の頭蓋骨は、表情なんてありもしないのに、微笑んでいるように思えた。
「ハイジくんも、やえちゃんも、サクラちゃんも、タイくんも、やさしいから、だいすきだもん」
幼い声が、暗く沈んだ廃墟ダンジョンで、明るく響く。資料写真で見た天真爛漫な笑顔が思い浮かんで、夜の胸を痛ませた。
すると急に、エリナは夜の腰にしがみついたまま、ぎゅっと強く力を込めてきた。ふるふると首を振る。
「だから、みんなに、お父さんをつかまえてほしい。そのほうがいいよ。あんなお父さんを見るのは、もうやだよ」
彼女の目からもう涙が出ることは無いが、エリナは目許に手をやった。
「お父さんは、お母さんがいなくなって、にこにこしなくなった。お酒のんで、遊んでばっかりだった。お父さんはダメなんだって言ってたけど、そんなことないもん。エリナは、お父さんが好きだもん。だから、お父さんをいじめる人から、お父さんをたすけてほしい」
「お父さんを、いじめる人?」
「うん。お父さん、言ってた。エリナはあの人たちに、ユーレイがコワくないってこと、おしえちゃダメだって。その人たちは、お父さんにムリヤリ、悪いことさせてたんだよ!」
エリナが珍しく声を張り上げた。
彼女はどうやら、アンデッド化した前後の記憶こそ曖昧だが、それ以前のことははっきり憶えているようだ。
華奢な骨の手が、夜の手をきゅっと掴む。
「お父さんつかまっちゃうのかなって、ほんとはずっとコワかったけど……。でも、夜くんたちは、コワくない人たちだから、お父さんのこと、たすけてほしい」
「エリナ……」
「おねがい」
縋ってくる小さなスケルトンの少女を、夜はしっかりと抱き留めた。
「分かった。お父さんのことは、絶対に助ける」
かつて大浴場として賑わっていた場所は、それまでにも増して酷い荒廃ぶりだった。
営業時代の備品である手桶やシャンプーのボトルなどが、あちこちに転がっている。そんな賑やかだったころの痕跡に混じって、そこかしこに壊れた骨やミイラ化した肉片が落ちているのだ。
場数を踏んだ冒険者でも、気分が悪くなる光景だ。
防臭の魔法をかけていても、ひときわ異様な臭いが立ち込めている。
そして、その臭い以上に異質なのは、苦しげな呻き声が浴場全体を満たしていることだった。
「ここは……?」
顔をしかめた夜の呟きに、灰児が答える。
「集めてきた死体や、作成したアンデッドの保管場所じゃないかな」
やえに手を引かれたエリナもさすがに少し怯えていたが、アンデッド化している所為か、恐怖心は生前より薄いようだ。気丈についてくる。
「この声も、〈不死者の叫び〉なのか?」
「精神を掻き乱すという意味では、同等の効果はあるだろうね。アンデッドスクリームっていうのは、獣でいうと威嚇の声みたいなものでね。多くのゴーストが集まる場所で発生しやすい。この声はそれよりも、単体のアンデッドが発する苦痛の呻きというかんじだね」
灰児が相変わらずの無表情で告げる。
不可思議なのは、電気が通っているわけでも無いのに、灯りが点いていることだった。周囲を見回すと、光源となっているのは魔石を動力源としたランタンだった。魔石は電池よりコストがかかるわりに光が弱いので、ダンジョン探索で利用することは少ないが、付けっぱなしでも長持ちする。その高価なランタンが、そこかしこに置いてあるのだ。
「遅いわね。あらかた殺っといたわよ」
タイル張りの床の上に大剣を付きたてた桜が、涼しい顔で仲間を出迎えた。
豪胆な彼女は、その場を満たす低い呻き声すら、まったく意に介した様子は無い。無視して告げる。
「せっかくたくさん作ったみたいだけど、惜しげも無く全員襲いかかってきたから、ぶっ壊しちゃったわ」
彼女の周りには、文字通り死屍累々と、ゾンビやアンデッドの死体が積み上げられていた。
「スケルトンだけで十体は居たわね。あとはゾンビ」
「スケルトン化は難しいからね。それでも十体も居たなら、立派な製造所と言えるね」
淡々と灰児が答える。
「オーガの骨混ぜたみたいな、いびつな奴もいたわよ。見た目はインパクトあったからちょっと期待したけど、弱かったわ」
「昔の事件の名残で、見つけたんだろうね。そこらで掻き集めたバラバラの骨を混ぜて作ったんだろう。寄せ集めの骨で作ったスケルトンは、あまり強くならないんだ。魂も巧く定着しないし。売り物としては欠陥品だろう。そんなものを片手間に造れるだけで、ネクロマンサーとしての蒲生の能力は高いと言えるけど」
「ハイジさん、これ」
大きな浴槽の前に、顔をしかめた鯛介が立っている。
浴槽には液体が張られていた。
濁って、異臭を発している。
「炭酸ナトリウムを混ぜた水溶液だろう。ここに遺体を沈めて、沸騰しないていどに煮込めば、短時間で綺麗な白骨死体が出来る。湯を沸かすくらいは、シャーマンでありソーサラーである蒲生には造作も無いことだ」
「本当にここは、スケルトン作成所ってことね」
「一応、写真撮っておきました」
気の利く鯛介が、太い腰に巻いたウエストバッグをぽんと叩き、言った。
大浴場には幾つもの浴槽があり、その半分くらいが炭酸ナトリウム水溶液に満ちていた。
そこで死体が溶かされていたのだ。もしかしたら、エリナも。
修羅場慣れしていても、中々に不快感のある場所だった。
「そりゃ、ゴーストも集まるわけよね」
「蒲生はここに居ないみたいなんすけど、変なモン見つけちまって。あの、ハイジさん。あっちのでかい風呂桶見てもらっていいすか?」
そう言い、鯛介がひときわ大きな浴槽に、仲間たちを案内する。
嘆き悲しむような不気味な声は、間違い無くそこから発せられていた。
「煩いのよ、これ。さっきから」
浴槽の縁に片足をかけ、桜が平然と中を覗き込む。
「お前、よく覗けるな……」
夜が嫌な顔をしながら近づく。
「大丈夫、ちょっと煩いだけよ。ほら、アンタも見てみたら?」
そこには死体の肉を溶かし、白骨化させるための炭酸ナトリウム水溶液では無く、黒ずんだ肉塊で埋まっていた。
「うっ!」
恐る恐る覗いた夜が、たちまち後ずさる。
「見せるなよ!」
「絶対見ろとは言ってないわよ。アンタが勝手に見たんでしょーが」
それは、複数の死体を溶かして混ぜ、固め直したような、奇怪なひとつの肉だった。
肉に埋もれた複数の顔が、いまも生きているかのように、眼球をぎょろぎょろと動かし、涙を流している。
歯さえ残っている口許から、苦痛の声を垂れ流し、そこにはまだ意識があるようだった。
「い、生きてんのか? まだ……オイ、大丈夫か? しっかりしろ!」
夜が声をかける。だが、浴槽いっぱいに広がった肉の塊に浮かんだ顔はいずれも夜の問いかけにまともに答えることは無く、ただただ苦悶の呻きを上げるばかりだ。
「……ユル、ユルシ……」
「イタイ……イタ……」
「……ガ、……モウ……」
ひとつの肉の塊にされた男たちは、もはやまともな思考をする能力を失い、ただ苦痛だけを感じながら、断片的な言葉を繰り返している。
「何を言ってるんだ? コイツら……。蒲生のことか?」
まさかこの中に、蒲生が居るのかと、夜はどきりとした。振り返ると、離れたところで、やえがエリナを抱きしめている。
それを見透かしたかのように、灰児が首を振る。
「蒲生はこの中には居ないよ」
「何で分かるんだ?」
「顔見れば分かるでしょ」
さらっと桜が言う。あまりのおぞましさに、一つ一つの顔なんて、はっきり見る余裕など夜には無かったが、言われてみればたしかに、写真で見た蒲生の顔はそこには無かった。
「彼らは、わざと生かされているんだ。早く、始末したほうがいい」
灰児が冷たく言い放つ。
「夜。魔法で焼き払ってくれ」
「えっ? いいのか?」
「こうなったら、もうどうしようもない。それより、これは……」
と、灰児がすべて言い切らないうちに、浴場全体にすさまじい咆哮が響き渡った。
全員、浴槽から離れ、瞬時に戦闘態勢を取る。
「……イヤダ、イヤダ……!」
「クワ、クワレル……!」
同時に、肉塊に張り付いた顔が、涙を流して訴えだす。
何かに怯えているのだ。
「これは、食料だよ」
灰児が言葉の続きを口にした。
「しょ、食料?」
「桜のカンは当たってたね。放っておかなくて良かった。スケルトン製造どころか、とんでもないものを育ててたんだな」
浴槽の周囲に、うっすらと黒いもやが集まってくる。実体の無い姿は死霊のようだが、はっきりと人の形を成していない。
「げえ……まさかだろ。この黒いのも、モンスターか?」
夜が後退しながら、剣を抜く。
「その、まさかみたいね」
桜は涼しい顔で、大剣を構えた。
小さな羽虫が集まるように、黒い霧状の何かが肉塊を覆い尽くしていく。
無数の顔から、すさまじい絶叫が上がった。
黒いもやが肉塊を侵食していくにつれ、苦痛を訴える声は激しくなる。
「イタイイタイイタイ……ッ!」
「ヤメ、ヤメテ、ヤメテ……」
肉塊と化しながらも生かされ、更に喰われる苦痛を味わいながら、無数の顔は狂ったように喚き、涙を流していた。
その凄まじい光景から、やえがエリナを隠すように、奥に連れて行こうと、手を引いた。だが、エリナは固まったようにその場から動かない。
その黒い窪んだ目は、じっと喰われる肉塊を見つめていた。
「エリナちゃん、こっち行ってよう? サッちゃんたちが、倒してくれるから」
優しく手を引いてそう促すやえに、エリナは怯える様子も無く、ただ静かに頷いた。
「やえちゃん……わたし……あの人たち、知ってるよ……」
「え?」
スケルトンの少女が、ポシェットの紐を掴み、ぐっと身を硬くする。
「思い出した……思い出したよ! あの人たちの声、知ってるよ……! 悪い人たちだ。エリナ、あの人たちにころされたんだよ……!」
「エリナちゃん……」
やえは屈んでエリナの体を抱くと、震える白い骨だけの体を、よいしょ、と抱上げた。普通の子供に比べたら、骨しか無いだけ軽い。
「大丈夫。サッちゃんがやっつけてくれる。悪い人がいなくなったら、そしたら、お父さんを探そうね」
そう言って、背骨を擦る。やえの肩をぎゅっと両手で抱き締め、何度もエリナは頷いた。
「うん……うん。やっつけて。あんな人たち、やっつけて!」
やえの肩に縋りながら、少女は自分の仇の存在を、桜たちに訴えた。
「くやしい、くやしいよぉ! わたし! しにたくなかった! こんなガイコツなんかになりたくなかった!」
うわあん、と気丈な少女が、初めて大きな泣き声を上げた。喰われる肉塊の声よりもずっと重くその場に響いた。
「おねがい、やっつけてぇ!」
「了解」
幼い叫びに、桜は振り返らずに答えた。歪めた唇の渇きを、舌でぺろりと舐めて湿らせる。
「いまから、焼くか?」
と、黒いもやに半分以上喰い尽された肉塊を見ながら、夜が灰児に尋ねた。
喰われながら、もはやまともな言葉にはなっていないが、助けてくれ、とか、殺してくれ、と訴えているようだ。
その様子を、灰児は冷ややかな目で見つめるだけだった。
「いや。もういい。この肉饅頭がエリナの仇なら、楽に死なせてやることも無いだろう」
「けど、この黒いのが、これを全部喰っちまったら、どうなるんだ?」
「あれは、穢れきった魂が寄り集まったものだ。それが人の肉を得て、物質界に姿を現す」
「なら、斬れるってことね」
桜が笑いながら、呟く。
「ああ。あの黒いのは、依り代を求めている。なら、喰わせてやるといい。いまの状態では剣で斬ることも出来ないからね」
「依り代ってのが、あの肉なのか」
「あの肉塊は、いわば生贄だ。生前に多くの魂に恨みを買ったものほど、良い材料になると言われているけど、まあ実例があまり無いから、本当かどうかは分からないな。ただ分かっているのは、そうしてこの世に再臨したモンスターは、酷く醜悪で、憤怒と憎悪に満ちた存在になる」
灰児は言いながら、手にしていたハルバードの柄を、地面に突き立てた。
「死者の甘言に、我らは耳を貸さない。生者の確かな歩みを、虚ろな魂のざわめきで、止めることは出来ない」
対アンデッド用の精神防護をかけ直す。
泣き叫ぶ肉塊の声が、だんだんと小さくなっていく。無数にあった顔も、たった一つになっていた。その目から、最後の涙の粒が落ちた。
「……タスケテ、タスケテ、タス……」
黒いもやが肉塊を覆い、喰らい尽くした。酷く小さくなった黒い塊が、突然ぶわっと大きく膨らんだ。
「生まれるよ。――悪魔だ!」
鋭い灰児の声を掻き消すように、大きな咆哮が響いた。嘆き悲しむ声では無く、怒りと恨みに満ちた声。
虫が集まったような黒い塊が、孵化の時を迎えた繭のように割れ、無残な肉塊を取り込んだ黒い怨念が実体化する。
それは、人に似た形をしていた。だが、とても人とは言えなかった。
黒ずんだ肉を集め、固めただけの、体毛の無いつるりとした体。
目の部分はそれらしく窪んでいるが、そこに眼球は無い。人間になりたくてなりそこねたように、切れ込みが入っているが、その瞼が開かれることは無い。
口はぽっかりと開き、そこから身の毛もよだつような咆哮を発している。
頭部に生えたいびつな突起は角のように見える。
背中から突き出た大きな骨と、それに張り付いた皮膚が、破れた傘でも背負っているようだ。生から解き放たれた象徴であるかのような翼が、ギシギシと音を立てる。
手足は妙に長く、先端は鋭い爪のように尖っている。
分類はアンデッドモンスターとされている。多くの魂や肉体を混然とさせ、作り出されたおぞましいモンスターは、この世に存在してはならない忌むべき存在として、その名で呼ばれるようになった。
「あれがデーモンかよ……」
名を聴いたことはあっても、見たことは無いモンスターを目の当たりにし、夜が剣を構える。長い詠唱を書いたメモを見る暇は無い。左手を突き出す。
「炎よ、燈れ。敵に向かって迸れ!」
発動が早い魔法は、そのぶん威力が落ちる。ましてやデーモンは、魔法に弱いアンデッドの中で例外的に、魔法耐性が非常に強い。
指先から矢のように放たれた炎の塊は、夜の魔力の強さもあり、決して弱い威力では無かったが、デーモンの体に当たってあっさり消えた。
「チッ、斬ったほうが早えーか!」
「魔法にも強いけど、物理攻撃にも強い。硬いし、まず痛みを感じないからね」
灰児が告げる。そのとき、離れたところで大きな声がした。
「光よ、大きく、大きく、なーぁれ」
やえが照光魔法で、大浴場全体を照らしたのだ。設置されたランタンがあるとはいえ、薄暗かった戦場が、たちまち明るくなる。
「ナイスよ」
瓦礫で足場の悪い浴場で、桜たちは四人でデーモンを取り囲むように、位置取った。
「おかげで気持ち悪い姿が、よく見えるわね」
ゆらりと立ち上がった体は、二メートルは超えている。動きは緩慢だ。見えていない目でも、桜たちの存在を知覚しているようだ。
炎を飛ばした夜に向かって、尖った指を突き出す。
「ガァッ!」
しゃがれた声のような咆哮とともに数発の炎の塊を、いとも容易く射出した。
「へっ? マジかよ! ――反発しろ!」
夜は身を躱しながら、短く叫んだ。幾つかの炎の塊が、夜の体に届く前に掻き消えた。
「魔法使うのかよ! しかも、詠唱あんだけってズルくねーか!」
「まあ、もう人じゃないから。肉の塊に宿ってる、精神体の塊だよ」
灰児があっさり答える。
今度は自分のほうに飛んできた炎を、左手に構えた盾で防ぐ。
二人が狙われている間に、鯛介が突進しハンマーで膝を打ちつけたが、並外れた腕力を持つリザードマンの一撃にも、びくともしない。
間髪入れずに二撃目を入れようとする鯛介に、デーモンは目の無い顔を向け、またも短い咆哮を上げた。
「グガァッ!」
鯛介の目の前に、炎の塊が生まれる。咄嗟に鯛介が飛び退く。同時に、夜が叫んだ。
「反発しろ!」
相手の魔法を打ち消す魔法は、専業のソーサラーでも難しい。咄嗟の発動で、詠唱時間も短く、打ち消すまでは出来ず、威力を落とすに留まった。
「ぐぁっ!」
鯛介が飛び退きながらも被弾した。しかしすぐに戦闘態勢を取る。
そのときには、桜が反対側から胴に斬り込んでいた。
魔力で肉体強化し、力いっぱいに振り抜いた一撃。鉄板のごとき刃を持つ剣で、断ち切れぬものはそう無い。だが、黒い胴体にわずかに食い込んだのみだった。
硬い。強靭のゴムの塊のようだ。
桜はそう思いながら、すぐに刃を引いた。すでにデーモンの顔がこちらに向いている。射出された炎の塊を、桜は剣を放り出し、転がって避けた。
「ねえ、ハイジ! こいつの体、肉の塊じゃないの?」
立ち上がり、剣の柄を握って、桜が言う。
追撃しようとしたデーモンとの間に割って入った灰児が、ハルバードで牽制しながら答える。
「そうだけど、肉体強化がかかってるんだ。見た目はこんなだけど、強い力を持つソーサラーだと考えて」
単純なのか、デーモンは最後に攻撃した者を必ず向いた。
「常に攻撃の手を緩めないで。複数で攻撃し続ければコイツは攻撃対象を見失う。弱いうちに畳みかけたほうがいい。だんだんと戦い方を憶えていくよ」
向けられた指先から飛んでくる火球を、灰児は最低限の動きで躱し、避けきれないものだけ盾で防ぐ。
デーモンの動きは遅い。攻撃も単調だ。灰児の言うように、まだ生まれたてで、戦い方が分かっていないかのように。
「つっても、突いてるだけじゃまったく効いてるかんじしねーな!」
夜が言いながら、剣で腹を突くが、浅い傷がついただけだ。
「まったく効かないわけじゃない。傷を増やしていくんだ」
「気が長げー話だな……」
「コイツの魔力は枯渇しないわけ?」
「しないと思っていい。僕たちと違って、体内の魔力を消費してるわけじゃない。周囲の魔素を魔力に還元してるんだ。特にここは濁った魔素だらけの場所だ。奴にとっては相性の良い場所だ」
「対ソーサラーって考えていいわけね。見た目はクッソキモいけど」
灰児が気を引いているうちに、夜と鯛介が攻撃をくわえてみるが、ダメージが通った様子は無い。
「魔法付与しても駄目なのかよ!」
魔法剣で攻撃を試した夜が、そう吐き捨てる。
「そもそも魔法が通りにくいからね。ただ、こいつは生まれたてのときは弱い」
「これでか?」
「硬いだけだよ。こいつの食料は生物の肉と魂でね。このまま放っておけば生者を求めて街に向かっただろう。そうなったら、オーガの事件の比じゃない惨事になる。人を殺して喰っていくうちに、どんどん力を付けていくからね。こんなの生み出すなんて、悪意以外の何者でもない」
その先を、灰児は口にしなかった。
しなくても分かる。
強く、深い、恨みから生み出された悪意の塊。
子供を殺された、蒲生の執念だ。
「……でもそれは、逆恨みよ」
桜はここに居はしない男に対し、静かに呟いた。
「灰児、ちょっと引き付けて。攻撃がまったく効かないわけじゃないんでしょ」
彼女は言うと、腰のポーチからポーションを取り出し、あおる。
「全開で行くわ」
「分かった」
無造作に火球を打ち出し、長い腕を振り回し、灰児を捕まえようとするが、それらを小さな動きで捌く。デーモンの攻撃はごく単純で読み易い。時折絶叫を上げるが、それもソウルプロテクトで無効化されている。
やがて、巧く戦えないことに苛立ったのか、子供が駄々をこねるように、デーモンは手足を振り回し暴れだした。
偶然瓦礫を蹴飛ばし、それが攻撃になると分かると、積極的に掴んで投げてきた。飛んできた瓦礫を慌てて避けながら、夜が叫ぶ。
「ゴリラかよ!」
「変わってるだろ? ああやって、学習するんだよ」
灰児が涼しい顔をして言う。
「まあ、これで0歳児が、二歳児くらいになったのかな」
「一番暴れるときじゃねーか!」
こんなときでもつい突っ込みながら、夜は懐から詠唱を書いたメモを取り出した。
「オレが引き受けます!」
鯛介が言い、デーモンの前に立ちはだかった。瓦礫を投げつけられては、さすがに灰児の盾でも防げない。鯛介は飛んできた瓦礫を、ハンマーで打ち落とした。
瓦礫を手にしたまま、鯛介に振りかぶった腕に、灰児がハルバードで突く。痛みは無くても、わずらわしさは感じるようだ。ターゲットが移り、今度は灰児目がけて火球を繰り出すが、それを彼は難なく躱す。
注意が反れた鯛介が横から殴りつける。リザードマンの剛腕から繰り出される一撃は、肉体強化した体にも多少堪えるのか、咆哮が上がる。再び鯛介のほうを向き、鋭い爪を振り回す。
デーモンの動きに少しずつ無駄が無くなり、攻撃も鋭くなってきている。
「でも、まだ遅いわ」
桜が声と共に跳躍し、大剣を振りかぶった。背後から襲ってきた女剣士の動きにデーモンは素早く反応し、腕を伸ばしたが、桜はその動きを読んでいた。
逆に腕を蹴って、さらに跳躍すると、背中のいびつな羽を根元から狙って、大剣を振り下ろした。突き出た骨をすべてこそげ落とすように、桜の攻撃は羽をへし折った。
「――ウグァァッ!」
痛みは無いようだが、苛烈な攻撃に自身が傷つけられたことに、デーモンは激昂したようだった。咆哮と共に、無数の炎を生み出す。飛んできたそれらを桜は冷静にひとつひとつ、小さな動きで躱した。
無駄な体力は使えない。探索から十時間以上、肉体強化をかけ続けて戦ってきたのだ。この配分を間違えたら、あたしは死ぬ。
今も本当は、体力なんて人間の女の限界をとうに超えている。ポーションと肉体強化だけで無理やり立っているだけなのだ。これが切れたとき、彼女は相棒の剣を持つことさえ出来なくなって、鉛のように重い身体を引きずって、ただ捕食されるのを待つだけの、傷ついた獲物となる。
でも、それがいい。このギリギリの、少しもしくじれない戦い方が、あたしには合ってる。こういうときのほうが、かえって冷静になる。死ぬほど暴れて、暴れて、暴れたあとで、ほんの少しだけ残った力も、最後まで絞りきるように使って。
そういうときのほうが、あたしは強い。
いつものように、桜は笑った。
「反発する力よ、満ちよ。すべての怒り、荒ぶりは鎮まり、今をもって静寂が支配する。魔道士たちよ、棺に入れ。ここでは誰もが沈黙し、抗うことは許されない」
夜が詠唱を完成させると共に、桜は鯛介に向かって叫んだ。
「タイ!」
その言葉だけで指示を理解し、鯛介は正面からデーモンに向かった。
「グガァッ……」
咆哮と共に、火球を繰り出そうとしたが、夜が発動させた高度な反魔法に阻まれ、魔法を使うことが出来ない。
その一瞬の怯みに、鯛介は躊躇無い突進をしかけた。
「うおりゃ!」
巨大なハンマーの一撃が、デーモンの肩に振り下ろされる。
攻撃魔法は封じられているが、すでにかかっている肉体強化は解除されていない。
渾身のハンマーは、デーモンの肩をわずかにひしゃげさせただけだ。彼はすぐにハンマーから手を離し、手を伸ばしてきたデーモンの身体に、がっぷりと組み付いた。
攻撃魔法が使えないなら、ただののろまな巨躯だ。人間では抑えきれない力で暴れるが、鯛介はしっかりと掴んでいる。その背中に灰児のハルバードが突き刺さり、夜の剣先が腰に食い込んだ。
杭を打たれたようにその場に釘付けにされ、デーモンが咆哮を上げる。通常なら精神攻撃になるはずのこの声も、彼らにはまったく通じない。デーモンはますます怒りの声を上げるが、ただの叫びにひるむような者は、ここには居ない。
大剣を手に、桜が走る。彼女は鯛介の背を踏み台にし、跳躍すると、大剣を振り下ろすのではなく、腕を引き、敵の顔面目がけて、突いた。
詠唱を繰り返していた口を貫き、分厚い刃が、デーモンの顔を抉った。
こんなモンスターでも、魔法を唱えるたびに、獣の声のような詠唱をしていた。
対ソーサラーで鉄板となる攻撃方法は、まずその声を潰すことだ。
「だらぁっ!」
吠え声を上げて、桜は大剣を無理やり上に向かって振り抜いた。口から脳天まで裂けたデーモンの頭から、血飛沫が上がるのではなく、どろりとした黒い液体が流れた。
「露出した部分には攻撃が効くはずだ!」
灰児の言葉に、鯛介が身を離し、素早くハンマーを掴む。割れた脳天に、何度も攻撃を加えていく。
そこには肉を潰しているだけの感覚があった。骨が無いのだ。
「マジで肉塊かよ!」
反魔法の効果は切れている。夜がメモを片手に、詠唱した。
「冷気よ、収束し、鋭き刃となれ。赤く開いた傷口さえも、容赦無く、無慈悲に痛めつけろ。我が敵よ、すみやかに停止せよ。肉も血も凍てつき、果てろ!」
黒い血の流れ落ちる傷跡が、たちまち氷結する。固まって殴りやすくなった部分に、更に鯛介がハンマーを叩き込んだ。
ふらふらと体を動かすデーモンの、頭部はすでに半分以上失われている。それでも砕けた口許から音の無い空気を漏らし、両手から火球を繰り出し爆裂させ、鯛介の体を吹き飛ばした。
桜の大剣が、デーモンの膝を裏側から打つ。
「うらあっ!」
斬り飛ばせなくとも、転ばせることは出来る。桜は限界まで肉体強化し、デーモンの足をすくい上げた。
爆発から咄嗟に身を躱した鯛介が、爆風に煽られて転がる。
その前に、盾とハルバードを構えた灰児が立ちはだかり、武器を振るうのではなく、その鉾先をまっすぐデーモンに向けた。
「死を恐れぬ不遜な魂よ、還るべき場所を失った魂よ、もはや救いは無い、破滅しろ!」
魂そのものを攻撃する、シャーマンの攻撃呪文だ。桜の剣に足を取られたデーモンが、身悶えながら背中から落ちる。
その体の上に、跳び上がった桜が、剣を振り上げた。
「全体――十割強化」
頭を潰しても生きている。
心臓も多分、無い。
だったら。
「細切れにすりゃ、いーのよね」
大剣をまっすぐに突き立て、首を落とす。
頭はすでに半分無い。魔力も巧く通っていないだろう。そう思い、魔力と体重を乗せた一撃で、硬い肉体を断ち切ったのだ。
「タイ、斬ったところから潰せ!」
火傷を負った鯛介が、すぐに立ち上がり、ハンマーでデーモンの切り離された頭部を潰す。
「ハイジ、夜、足押さえろ!」
傷口から魔力が失われていくのが分かるかのように、桜は上半身からデーモンの身体を解体していった。肩、腕、胸、と簡単に斬り落としていく。
落とした部位を鯛介が潰し、夜が焼く。
桜の顔に笑みは無い。こうなると戦いというより、ただの作業だ。
デーモンの腹を踏みつけ、黙々と斬っていく。
こんな場所で、こんな死体を扱うだけの日々が、どんなふうに蒲生を狂わせていったのだろう。それとも元々、蒲生という男は狂っていたのか。
だったら、その蒲生を利用しようとした奴らや、そいつらが商売していた相手は、もっと狂っているのだろうか。
判らないし、知る必要も無い。
ここで顔色ひとつ変えず、モンスターを斬り刻んでいる女も、見る人が見れば狂っていると思うだろう。
狂人には狂人をぶつけるのが一番だ。
冒険者センターの人選は正しい。
……だけど、今度貰う仕事は、もうちょっと明るい場所で、のん気に暴れられるやつがいいわね。
ビクリビクリと震えるデーモンの胴を、桜は真っ二つに引き裂きながら、思った。