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5 怨嗟の館

 朽ちた元旅館は、もはやそれそのものがモンスターだった。

 ゴーストだらけの昼間など、可愛いびっくりハウスだ。

 いまは館全体が慟哭を上げている。夜の訪れとともに、その目を醒ましたかのように。それは怒りの呻きにも似ていた。

 低く地の底から響く怨念の声は、いやでも不快感を憶え、精神を掻き乱す。

不死者の叫びアンデッドスクリームだ。まともに聴いてるとメンタルがやられる。恐慌パニックを起こすよ。心を強く持って」

 灰児はそう静かに言うと同時に、ハルバードの刃先を上に向け、杖のようにまっすぐ突き立てた。

 ハルバードの柄と矛先を繋ぐ部分には、淡く煌く魔石が嵌っている。

「――死者の甘言に、我らは耳を貸さない。生者の確かな歩みを、虚ろな魂のざわめきで、止めることは出来ない」

 ターンアンデッドでは無い。灰児の詠唱と共に、変わらず聴こえているはずのアンデッドスクリームが、本当にざわめき程度にしか感じなくなった。

「いまのは?」

 桜の問いに、灰児がこともなげに答える。

「精神魔法の霊術バージョンってかんじかな。魂に直接プロテクトをかけるから、ソーサラーの精神魔法より使い勝手がいい。名前はそのままソウルプロテクト。効果は、怖い話が怖くなくなる。しかも嬉しいパーティー全体効果」

「便利だわ」

「効果には個人差もあるけどね。ビビリならそれなりに。元より豪胆な人はますます豪胆に。桜の精神なら、いまはダイヤモンドコーティング状態かな」

「素敵」

 口許ににやりと笑みを浮かべ、桜は背負った剣の柄に手を添えた。

 軽く顔を傾けると、短いポニーテールが跳ねた。 

 勝気な女戦士といった風情だ。

「じゃあ、いまあたし、なんにも怖くないわね」

「ああ、怖くないよ」

 鳥亜人ガルーダの特徴がよく出た無視質に思えるほどの淡い色の瞳が、静かに桜を促す。

「後ろは気にせずに、君は行け」


 ぺろっと下唇を舐めると、桜は気合の声とともに詠唱した。

「よっし。――全体三割、下肢五割強化、っと!」

 魔力が減り、力が漲る。その一瞬さえも無駄にせず、桜はすでに駆け出していた。

 大剣を背負ったまま、しなやかな獣のように身体を前に傾け、息ひとつ乱さず長い廊下を一気に駆け抜ける。


「――光よ、大きく、大きく、大きくなぁーれ」

 やえの間延びした声とともに、四階の廊下が一気に明るくなる。一行が目指す階段までの道が、煌々と開ける。

「わぁー、あかるいね、お昼みたい!」

 彼女と手を繋いだエリナが、はしゃいだ声を上げる。

 壁や天井や廊下から現れるゴーストを、桜は無視して駆け抜けていく。廊下のところどころに散らばる剥がれた壁の破片や、床に落ちて壊れた調度品を、軽々と避けていく。

「ウオオオッ!」

 と鯛介が雄たけびを上げ、巨大なハンマーを両手に構え、その後ろに続いた。硬い瓦礫も平然と蹴飛ばし、大きな足音を響かせていく。

 その背後で、夜は残ったパーティーの一番前に立ち、右手で腰の剣を抜くと、左手の指で刀身に触れた。

「この身のうちに迸る、打ち砕く力の激流よ、封じられた怒りの咆哮よ、剣となれ、刃となれ」

 魔力が付与エンチャントされた刀身が、淡く光る。

 ズボンのポケットから、小さなメモ帳を取り出す。そこには彼が咄嗟に思い出せない呪文の数々がメモしてある、大事なカンペだった。今日使いそうな呪文には付箋も付けてきている。

 短い詠唱は憶えやすく発動も早いが、威力は落ちる。長い詠唱ほど精度も威力も上がる。

 威力は絶大だが、長くややこしい呪文で有名な、《森塔式詠唱呪文》のページを開く。

「――世界を循環する魂よ、あるべき姿を取り戻せ。絶えることなき生死の円環を外れし邪道の魂よ。留まるな。流れよ。抗うな。息絶えよ。器無き魂にこの世の安息は訪れず、彷徨い続けるは永遠の牢獄。囚われるな。その生はすでに此処に無し。その死も此処に無し。受け入れろ。その逡巡を断ち切る、二度目の刃を!」

 言い終わらないうちにメモを仕舞い、一番近くにいたレイスに斬りつける。

 二度目の死を与えられたレイスが、断末魔の声を上げて消える。

 先に先にと進んで行く桜の後を片付けるように、彼は魔法剣を振るってゴーストを片付けていく。攻撃が効きさえすれば、ゴブリンの群れを片付けるより容易い相手だ。

 再び殺されるという感覚は、ゴーストアンデッドにもっとも苦痛を与える。どのレイスも苦悶の声を上げ、消滅していった。


 ゴースト自体には恐怖心の無いエリナが、その死の悲鳴が上がるたび、小さく身を震わせた。

 そのか細い手の骨を、やえの柔らかい手がそっと優しく包み込んだ。

 少女が顔を上げると、にこりと微笑む。

「大丈夫」

 と言ったのは、後ろに立った灰児だった。

 一見冷たくも見える彼の静かな表情を、エリナの窪んだ眼窩が見上げる。彼女の生前の顔を、灰児は憶えている。いま、きっと不安げに目をしばたたかせているだろう。

「消えなければいけないわけじゃない。僕たちは君を否定しない。君には身体があり、いまも生きている」

「でも、わたし……」

 やえから貰ったケープを肩に羽織り、ウサギのポシェットを肩にかけたスケルトンの少女が、かくんと首を下に向けた。

「わたしの体、こんなになっちゃった。わたし、きっと死んじゃったんだ」

 灰児はもう包み隠すことなく、エリナに告げた。

 彼女は、自分が死んでいると自覚しているのだから。

 だが、その認識がすべて正しいわけではない。

「君のように強い心を持ったアンデッドなんて、そういない。僕はシャーマンだ。君の魂が清らかにそこに存在していることが分かる。それは本物の心だ」

「ほんものの、こころ?」

「そう。本当の心を持つということは、君の魂は生きている。君のその身体もね。いまはスケルトンだとしても、生きる術はある。この世界には、人も亜人も動物もモンスターもいる。人に危害を加えず、共存しているモンスターも、保護すらされているものもいる」

「エリナちゃんは、きっとすごい魔法使いになるよ~。あたしが、魔法教えてあげるね」

 片手に光るロッドを振り、やえが子供のように微笑む。

「君に教えてもらうのもどうなんだろう……」

 かなり正直に灰児は言って、苦笑した。

「ヒドーイ。でもそうだね」

 ぴょんとエリナが飛び跳ねた。

「おしえて! おしえて! わたし、がんばるよ! がんばって、魔法使いになる! スケルトンの魔法使いになるよ!」

「じゃあ、スケルトンソルジャーじゃなくて、スケルトンソーサラーだねー」

「わぁ、かっこいいね! 魔法で人間に変身できるようになるよ!」

 飛び跳ねる小さなスケルトンの姿もすっかり見慣れると、無いはずの表情さえ見えるような気がするから不思議だ。

 スケルトンソーサラーどころか、彼女がその資質を極めれば、死後はワイトやリッチさえにもなったかもしれないと、灰児は思った。


 いずれも高位のアンデッドモンスターだ。高い魔力と霊力を併せ持って生まれ、死した者は、そういったアンデッドとして生まれ変わることがある。

 不死者の頂点に君臨するリッチは、死した自らの肉体さえ操って、生者と変わらず振る舞うことすら出来る。世界に何人か、そうして生きていることが認知されているアンデッドがいる。誰にも危害を加えないことを条件に、かえって手厚く保護されている者もいるのだ。

 浄化の必要など無い。彼女はアンデッド化しても、強く理性を保ち、強靭な魂を持っている。充分に生者と認められるだろう。

 他の人間の少年少女に比べれば、特別で、苦しい生き方になるかもしれない。けれど、容姿が特異なくらいで、生きるのを諦める必要も無い。

 自分たち亜人も、人と獣の混じった歪な形ながら、この世界で生きているのだから。




 階段を駆け下りるのも面倒で、桜は段差を飛ばし、跳躍した。

「アンタらって、階段の下で待ってるの、好きよね!」

 踊り場から、血まみれで桜を睨み上げるレイスがいた。

 不条理な死を受け入れられず、生者を憎悪する目。

「でもそれって、八つ当たりよ」

 桜は空中で背中を丸め、鉄板と呼ばれた大剣の柄を持ち、一気に引き抜いた。刀身が幅広なわりにやや短めなのが気に入っている。桜の背丈でも背負いやすいし、広さ制限のあるダンジョンで振るいやすい。量産品だが、見掛けの派手さだけではない実用性も考えた、作り手の工夫がこもっている。

「今度こそ死ね!」

 怒声を響かせ、着地と同時に、冒険者らしき格好をしたレイスを斬り飛ばす。肉体があるなら頭から真っ二つにされる一撃に、レイスは絶叫と共にその死を認め、消滅した。

「じゃあね、同業者さん」

 その後ろを腰にランタンを下げた鯛介が追いかけてくる。

「レイスぶっ殺すのも慣れてきたわ。タイ、一気に下まで降りるわよ」

「うっす!」

 桜はふたたび階段を飛び降りた。

 天井の高い踊り場で大剣を悠々と振り上げ、恨みの目を向けるレイスを斬り飛ばす。物理的には無害といっても、その存在は人の精神を直接掻き乱す。だが桜は許より精神抵抗力が高く、それを更に灰児が底上げしてくれている。

「ははっ! ゲームみたいね!」

 次々湧いてくるレイスを斬り倒しながら、桜は笑い声を上げた。

 広い踊り場では豪快に剣を振り上げ、下ろし、階段上では突き殺す。レイスをぶちのめすコツは、躊躇の無い圧倒的な一撃と、必ず殺すという気迫。精神の塊であるモンスターは、死者をも恐れない彼女の殺気に怯んでいた。

「二回死ね!」

 叫びとともに、桜は剣を振るった。

 首が折れた冒険者は、首を斬り飛ばし。

 はらわたを裂かれた女は、はみ出した臓物を押し込むように突き。

 両腕を失った子供は、脳天から右半身と左半身を分断した。

 かつての死を再現させるような殺し方に、死者への哀れみなど無い、無慈悲な一撃が、生への執着と憎悪しか残っていない魂を、打ち砕いていく。

 彼らに欠片でも心が残っていれば、桜は手を止めただろう。そしてエリナにそうしたように、気軽に声をかけるだろう。本来の彼女は、見知らぬ他人にも人懐こい。それがモンスターであっても、言葉が通じるなら話してみたい。

 だが、これらはもう死んでいる。心が。

 それなら殺す。

 桜の思考は、常にシンプルだ。すみやかに、簡単に、敵とそうでないものを分けてしまえる。

 そして敵と決めれば、どんな姿だろうと斬ってしまえる。

「うらっ!」

 涙を流して縋ってくる、エリナと変わらないような少女のレイスに、桜は躊躇無く、二度目の死を与えた。


 階段を下りると、一階はエレベーターホールに出る。

 そこには地階への侵入を阻むように、屍人ゾンビが出現していた。

 そこまで勢いよく下りてきた桜は、二階の踊り場で立ち止まった。

「くっさ! 出やがったわね、定番が」

 片手で鼻と口許を押さえ、顔をしかめる。

 ゾンビはその耐久力と敵に喰らいついてくるしつこさが厄介とされているが、桜にしてみれば雑魚だ。二度と動けなくなるほどミンチにすれば良いだけだ。しかしその腐った臭いが苦手だ。特に胴体を真っ二つにしたときの、内蔵の臭いはヤバい。大嫌いだ。むせるどころか吐きそうになるほどの異臭は、何度か経験し覚悟はしていても、どうにも耐え難い。一応ポーチにマスクは入っているが。たまたま家にあった花粉用のが。持ってはきたが気休めでしかない。

「あっ、ゾンビっすか! オレが行きます!」

 と元気のありあまっている鯛介が、桜を追い越し、一階に向かって転がる岩のように巨体を突っ込ませていった。嗅覚の鈍い彼らリザードマンには、さほど苦な相手では無いようだ。

「ウオオオオ!」

 という鯛介の気合の声を聴きながら、桜はその場に留まって、後ろから夜かやえが来るのを待つことにした。

「あれ? お前、もう疲れたのか?」

 光る剣を片手に、夜が階段を下りてくる。

「なわけないでしょ。遅いわよ」

「働きながら来たんだよ。お前が廊下のレイス無視するから」

「階段は片付けといたでしょーが」

 エリナを連れてやって来るやえたちは、まだ上のほうにいるようだ。ここまでは薄ぼんやりとした明かりしか届いていない。魔法で光源を作りだした夜に、桜は更に言った。

「ねえ、ゾンビが湧いてきてんのよ。なんとかしてよ」

「お前、ゾンビ嫌いだもんな。ちょっと待てよ」

 夜がメモを取り出し、自分が作り出した光の近くで文字を読む。

「えーと、消臭? あ、これか。防臭……あ、精神魔法なのか……苦手だな」

「何でもいいから」

 メモを手に、夜が桜に向き直る。

「よし、じゃあ桜。俺の目を見ろ!」

「イヤ」

 きっぱり断ると、夜が怒って声を上げた。

「何でもいいって言ったじゃねーか!」

「ハイジみたいにスマートにかけらんないの? それか、あたしに魔法かけるんじゃなくて、空間から臭いを消し去る魔法とか、無いわけ?」

「あるかもしんねーけど、これしかメモしてねーよ。あったとして、大量の風を送り込んで臭い吹き飛ばすとかか?」

「そうねー。どれだけゾンビ出るか分かんないのに、ずっと風起こしなんてしてらんないわね。風強い中戦うのもやだし」

「そんな魔法ずっと使ってたらあっという間に魔力無くなるって。精神魔法で感覚を和らげるのが、一番実用的な方法なんだろ」

「まー、そうかもね」

「不快なものを不快と感じない暗示をかけなきゃなんねーんだよ。な、俺ただでさえこういう魔法苦手なんだから、かかるほうも協力してくれ」

 と夜が手を合わせて頼む。

 どんな精神魔法だ。

「アンタって絶対魔法で悪事働けないわね。うーん……でも、あたしって精神魔法かかりにくいのよね。ましてや魔法かけるときの鼻息荒いアンタの顔なんて見てたら……笑うしかないじゃない」

「笑うな!」

 下で鯛介がゾンビをミンチにしている間にも、悪臭は漂ってくる。それでも斬るよりは叩き潰して倒すほうが、臭いはマシだが。

 そうこうしているうちに、やえがツインテールと胸を揺らしながらパタパタと階段を下りてきた。

「お待たせ~。あ、なんか臭うねぇ~。ゾンビってる?」

「新しい単語作ってんじゃないわよ。ゾンビってるわよ。なんとかしてよ」

「分かった~」

 エリナを灰児に預けたのか、やえは一人で急いでやって来る。

「えへへ。こういうこともあると思ってぇ~。よいしょ」

 背負っていたリュックを下ろし、中から液体の入ったガラスの小瓶を取り出した。

「なによそれ、香水?」

「消臭剤の原液。こういうダンジョンで使えると思って、買っといたんだ」

 しっかり密閉された瓶の口を開けると、凝縮されたラベンダーの香りがたちまち広がる。腐臭を誤魔化すほど強烈な匂いは、これもこれで悪臭だ。桜たちは鼻を塞いだ。

「うおっ! すげー臭いだな」

「さっきよりマシだけど、くっさ……」

「最初はちょっと我慢してね~。これをねぇ、広げてくの。強い臭いを消すには、強い臭いだからね~。風に乗って、広がれ広がれー」

 間の抜けたかけ声とともに、ラベンダーの香りを魔法で拡散させていく。やがて辺りはその芳香でいっぱいになった。やえの言うように、臭いを臭いで消し、感覚を誤魔化しているだけだが、腐臭よりはずっといい。

「へー。いいじゃない、ありがと。アンタの魔法って、主婦の知恵袋ってかんじよね」

「えへへー。本で読んだんだけど。マスクもいっぱい用意してるから、必要だったら言ってねー」

 やえは難しい魔法は使えず、威力のある攻撃魔法も使えないが、彼女なりの発想と工夫でパーティーをサポートしている。

 ホラーダンジョンにそぐわない香りが、何だか笑える。良い感じに気が抜け、消臭効果だけでなく、精神を和らげるのにも一役買っているかもしれない。

「片付きました!」

 と下から声が響く。

「あ、タイちゃん、これ、シュッシュしてあげるー」

 と、今度はプッシュタイプの携帯用消臭剤を取り出し、やえが下に降りて行った。

 最後に、灰児がエリナを連れてゆっくり下りてきた。遅めだったのは、桜の戦い方をエリナに見せない配慮だった。笑い声を上げながら敵を倒す女戦士。レイスより怖いだろう。

 ラベンダーの香りが広がる一階のエレベーターホールに、再び集まる。エレベーターは当然壊れて動かないが、その下のほうから声が聴こえる。ゴーストの声か、それとも別のモンスターか。

 エリナの話だと、地階にはまた違ったバリエーションの敵がいる。臭いさえ何とかなれば、ゾンビは怖くない。

 ラベンダー臭に加え、夜にいちおう防臭の魔法もかけてもらった。別に嗅覚を消すわけではなく、不快な臭いを不快と感じなくさせる魔法だという。ラベンダー臭がすごいので、いまのところ効いているかはさっぱり分からない。

「この階段でこのまま行けそうね」

 地下に続く階段を、桜は見やった。

 下はまだ探索していない。だが、エリナは大体の場所を知っているという。

「地下は、三階だったわよね」

「ああ」

 と灰児がプリントアウトしてきたマップを取り出し、答えた。

「大きいおフロとかあるよ」

 エリナの言葉に、灰児が頷く。

「そうだね。大浴場は一階と二階をぶち抜いてあって、その入り口が地下二階にある。他に一階には厨房なんかの施設がある。地下三階は従業員宿舎が主で、そっちには従業員用の階段で下りるしかない」

「エリナ、アンタのパパが居そうな場所はどこなの?」

「んーとね、かいだん二つ下りたとこ」

 骨の指折り曲げ、数える。

「地下三階だね」

 灰児が付け加える。

「この階段は昔の事件で、途中から崩れてる。地下一階までは下りられるんだけど」

「じゃあ、まずここを下りて、従業員用の階段とやらに向かえばいいのね。ハイジ、マップ見せて」

「はい」

 灰児から受け取った地階のマップを、桜は頭に叩き込んだ。ずらずらと同じ客室が並んでいた上階より、よっぽど簡単だ。

「地下はもっと崩れてるのかしら」

「んーん」

 とエリナが首をふるふると横に振る。

「上よりキレイだよ」

「へー。ありがと」

「えへ」

 桜がグローブをはめた手で、小さなしゃれこうべを撫でると、エリナは嬉しそうにゆらゆらと体を動かした。

「そんじゃ、アンタのパパ見つけて、さっさと帰りましょ。タイ、行くわよ」

 桜が鯛介に、顎で階段を指し示す。

「うっす!」

 鯛介が桜の許に駆け寄る。ゾンビを滅多打ちにしたハンマーは、すでに汚れを取り去り、鈍く光っている。

「こっからは、オレが先に行きますよ。何があるか分かんねーし」

「じゃ、任せる」

「うっし!」

 と鯛介が前に立ち、階段を下りた。


 より深い闇が広がる地下に、やえと夜が魔法で光を作る。

 大きな武器を手にし、先頭に立ったリザードマンは、重厚な壁のようにパーティーを守り、戦車のように敵を粉砕していく。文字通りパーティーの盾となる鯛介が、力強く進んでいく。

 地下は上階とは雰囲気が変わり、崩れた部分はたしかに少なかった。だが、魔法で誤魔化しても判る異臭と、澱んだ空気。

 地の底から響く慟哭はこの下から聴こえてくる。

 あきらかに、ここで異質な行為が行われていた。オーガが住み着き、人を喰い殺していたなんて大昔の事件の話ではない。

「うらっ!」

 突進とハンマーの一撃が、正面から向かってくるゾンビの一団を吹き飛ばす。

 倒れても足を掴み、喰いついてくるゾンビを、鯛介本人はまったく意に介すことなく、鱗に覆われた太い足で踏み、ハンマーで頭を叩き潰す。

 頭が無くとも動いて攻撃してくるので、手足も潰す。その間に、他のゾンビが立ち上がり、鯛介の体にまとわりつき、殴りついたり噛み付いたりしてくるが、それらの攻撃はリザードマンの強靭な皮膚が通さない。肩に噛み付くゾンビの頭を片手で掴んで引き剥がし、床に叩きつけると、背中を踏んで頭と手足を潰す。

「あ、ほんとにあんまり臭わないわね」

 臭いはあるが、不快感が無い。夜の魔法が効いているのか、地下まで広がるラベンダーの芳香の所為なのか判らないが、これならいい。

 桜も剣を振るい、ゾンビの胴体を斬り離した。上と下に分かれた体を、鯛介がハンマーで潰す。

 ゾンビを潰し、レイスを斬り、道を開いていく。

 他のメンバーはエリナを守って後方からついてくる。やえが強い魔法の光を掲げながら、エリナの手をしっかり握っている。

 背後から出現するレイスやゾンビは、夜と灰児が難なく倒した。 

 そちらを構わず、桜と鯛介は先に先にと斬り込んで行く。


「従業員用の階段は、ここね」

 地下二階に下りる階段の前で、桜は足を止めた。

 ずっと館中に響いている、嘆き苦しむような唸りが、奥から響いてくる。確実に何かに近づいている。

 それよりもっと近くに、聴き覚えのあるカタカタという音。

「いるわね。スケルトンか。タイ、エリナが来る前にヤるわよ」

「うっす!」

 鯛介は階段を駆け下りながら、素早く腰からランタンを外し、途中の段に置いた。ハンマーを構える鯛介に、武器を手にしたモンスターが近づいてきた。

 地下二階の廊下に、骸骨戦士スケルトンソルジャーが三体待ち構えていた。一体は人間、もう二体は亜人の骨だ。

 ずっと響いている声は、その背後から聴こえてくる。灰児の霊術魔法のおかげか、恐ろしさは感じないが。

「大盤振る舞いじゃない。いかにも番人ってかんじね」

 これだけ立派なスケルトンを三体、しかもうち二体は亜人の骨。造るのにもコストがかかっただろうに。

「スケルトンソルジャーって、売ると高いんでしょうね。こうして家に置いてたら、防犯にもなりそうだし」

 もちろん桜たちのような庶民の家では、ペットにもならないが。エリナのような小さくて可愛いやつならともかく。

「え、魔物の売買っすか? そうすね、完全に違法ですけど」

「違法だから高く売れるんでしょ。金とヒマを持て余した奴にさ。コイツらもそのために造られたのよ」

「何の為に?」

「そりゃ金でしょ。蒲生は良くない奴とつるんで、アンデッド製造してたんじゃないの。やりたくてやってたかは分かんないけど」

 エリナの前でははっきり言えなかったことを、桜は静かに口にした。

「じゃあ……蒲生はクロっすか」

 鯛介がトカゲのような顔をしかめる。気の好い彼のことだ、エリナのことを想っているのだろう。

 実の父親にスケルトンにされたかもしれない、少女のことを。

 鯛介は背中を丸め、ハンマーを構える手に、ぐっと力を込め、そして咆哮と共に戦意を開放した。

「――ウオオオオオ!」

 普段は穏やかなリザードマン族は、戦闘時は一転して好戦的になる。巨体を震わせながら自らを鼓舞する咆哮は、聴いただけで逃げ出すモンスターもいる。

 だが、心の無いアンデッドの戦士は臆することくこちらに近づいてくる。

 鯛介は荒い息を吐き出した。

「ミノ、オレがやるっす」

 そう言って、斧と盾を持ったスケルトンに突っ込んだ。ミノタウロスの太い骨を持ったスケルトンが、その突進を盾で受け止める。

「おらぁッ!」

 鯛介はすぐにハンマーを振りかぶった。おそらく生前はファイターだったのだろうミノタウロスのスケルトンは、やすやすと盾で受けた。

 次はミノタウロスが斧を振りかぶった。その腕の骨に、鯛介が頭突きをぶつける。そのまま盾を掴んで壁まで押し込み、顎の骨に何度も頭突きしながら、斧を振るわせない。ミノタウロスの力で斧の一撃を受ければ、鯛介でもただでは済まない。一番厄介なのは、こいつだ。

 もう二体は、桜が相手をした。片手剣を手にした人間のスケルトンと、両手にサバイバルナイフを持ち、尾骨を残したワーキャットのスケルトン。

 桜にとっては組し易い相手だ。父と弟にはよく稽古に付き合ってもらっているから。そうだ、今度二人いっぺんに相手してもらうのもいい。そんなことを思いながら、桜は口許を歪めて笑い、両手に大剣を構える。

 ガチャガチャと音を立てながら、ワーキャットが素早く飛びついてくる。骨だけでもこれだけ動けるのか。亜人のスケルトンはそういえば初めて見た。

 サバイバルナイフは大振りでヒットしやすいが、弟に持たせているダガーと違い、鋭い突きは無い。素早い攻撃の先を読んで、桜は剣を振る。大振りしたところを、懐に潜ってくる。その動きを誘い、あえて接近させたところで、両手で振り上げた大剣から、左手を離す。

「全体、五割強化」

 肉体強化した片腕で大剣を持ち、空いた左腕の肘を素早く引き、飛び込んできたワーキャットの顎に、掌底を打ち込んだ。ぐらついたところを、両手で大剣を掴み、振り下ろす。

 刃先が肩と腕を繋ぐ関節に食い込み、そのまま腕を斬り離し、大きな腰の骨まで砕いた。それでも痛みも恐怖もとうに無いスケルトンは、残った腕でナイフを桜の喉許を狙ってくる。

 わざと紙一重で交わし、引き付けたところをカウンターで蹴りを入れる。膝の骨を的確に壊したが、それでもひるまず向かってくる。大剣を持っては捌きづらいので、腕の手甲をナイフに当て、刃先を逸らした。今度は胴に蹴りを入れて壁に叩き付け、もう一方の膝も割る。同時に横から斬り込んできた人間のスケルトンの剣を大剣で受け、そのまま力任せに胴を斬り飛ばす。

 桜の一撃はスケルトンを吹き飛ばしたが、太い背骨を両断することは出来なかった。作り手の魔法で強化されているのだ。

 エリナをスケルトン化した奴に。

 すうっと桜は短く息を吸った。腹筋が硬く収縮する。脇をしめて肘を引き、大剣の刃先をまっすぐ前に向かって構える。

「死んでも戦えるなんて、いいわね。でも、もう休んでいいわよ。望んでいない戦いなんて、したくないでしょう?」

 心があれば、逃げるという選択肢もあるのに。

 馬鹿正直に剣を手に向かってくるしかないスケルトンソルジャーに、桜は冷めた目を向けた。

 その太刀筋から、生前は腕のある戦士だったと分かる。だが、心の無い魂に残された、その記憶の残滓のみで戦う骨の塊に、これ以上時間をかけるつもりは無い。

 生前の必殺技だったのだろう、鋭い突きが繰り出された。その刺突のスピードは、急に剣が伸びてくるようにさえ見えたが、桜は恐怖も無くあえて踏み込み、その剣先をわざと自分の剣の腹に沿わせながら、すれ違うようにスケルトンの横を抜けた。

「オラァッ!」

 身体をねじらせ、反転させる。振り返るその勢いで、スケルトンの首を斬り飛ばす。首を失ってもゆらりと動く体にも、間髪入れず二撃目を入れる。

「八割強化!」

 息を吐くのと同時に詠唱し、その一瞬、飛躍的に上がった筋力で、今度こそ背骨ごと叩き折った。だが動きを止めず、剣を振り回す。襲いかかってくるもう一体の敵に向かって。ナイフを持ってかかってくるスケルトンが、その剣を躱す。それを桜は読んでいた。身軽なワーキャットとの戦い方は熟知している。その機動力は脅威的だが、非力さを補うため、短い得物を使い、接近戦を挑んでくる。攻撃は速くて軽い。

 ずっと桜が鍛えている弟のほうが速い。アンデッドとなり警戒心が無いぶん、その動きはもはや単調だ。弟のシオンにすら劣る。 

「うらぁっ! ガキに負けてるわよ!」

 わざと誘ってふところに入れ、再び手甲でナイフを受け流す。普通な腕が痺れる一撃も、強化した腕にはどうということも無い。

 そのまま後ろに押し出し、片手で握った大剣で、無数の肋骨を突き壊す。折れた骨が複雑に絡み、串刺しのようになったスケルトンを、桜は両手で大剣を握って、天井まで振り上げた。

「はぁっ……!」

 短く息を吐き、鯛介のほうを見やる。ミノタウロスのスケルトンと打ち合う仲間は、斧の一撃をあえてブレストアーマーで受け止め、その腕を片手でしっかりと掴み、もう片手のハンマーを敵の頭蓋に振り下ろしていた。

「ふんっ!」

 と鋭く気合の声を吐き出し、頭蓋を叩き割る攻撃を繰り出す。一撃では止まらない。二撃、三撃と加える。同じ大型亜人の強靭さを、骨だけになったとしても、鯛介は侮っていない。ガンと頭を殴られるたび、大柄なミノタウロスの骨が揺れる。

「タイ! 離れろ!」

 桜は叫び、駆け出すと、その声に従って素早く身を引いた鯛介に代わり、骨だけのミノタウロスに突撃した。

「砕けろ!」

 声を張り上げ、桜はミノタウロスの首の骨を断ち斬った。

「……はっ、……はっ」

 倒れたスケルトンたちの骨を、鯛介が叩き砕いていく。桜は大剣を手に立ち尽くし、短い呼吸を繰り返す。息が上がっているわけでは無い。

「……は、は……」

 唇が歪む。くっと笑い、桜は腰のポーチからポーションを取り出すと、口の中に流し込んだ。

 鯛介が再びランタンを手にする。

 奥を見やると、かすかな明かりが漏れていた。やえや夜が照らす光では無く、別の誰かが灯した光。

「姐さん、明かりだ。ハイジさんのマップだと、あそこは大浴場だ。誰かいるんすかね。けど、エリナちゃんの話だと、蒲生が潜伏してたのは地下三階っすよね。どうします? あそこは無視して、このまま階段を下りますか?」

「さっき、スケルトンたちは、あの奥から来たわ。地下三階に続く場所じゃなくて、あそこの守りを固めてたのよ。霊感無くたって……分かるわ。あそこ、ヤバい」

 その証拠に、哀しみとも怒りともつかない低い声は、あそこから響いている。

「……はっ……」

 異様な雰囲気とはうらはらに、桜は微笑んでいた。うっすら汗を掻いた額に、茶色い髪が張り付いている。

「ちょうどいいわ。全然、戦い足りない……ははっ、タイスケ、行くわよ!」

 笑いながら、桜は仲間を促し、剣を背負って駆け出した。

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