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3 白い骨

 静かになったロビーで、桜は夜からぶんどったマントを、小汚いソファの上に敷き、何故か腕を絡めてくるやえと一緒に座り、持ってきたおにぎりを貪った。

「……味、うっす!」

 食べながら、桜は何度も不平を零した。

「薄い、薄過ぎる……。やっぱり、シオンが作ると不味いわね……。父さんのは絶妙な塩加減なのに、薄いだけじゃなくて、べちゃべちゃだし。具も、何よこれ? 肉入れろって言ったけど、なんでハム入ってんの?」

 塩気は少ないのに水気は多い、力任せに握ったのかいやにごつごつとしたおにぎりに、海苔を巻いたことだけは、まあ評価する。

 しかしそれを補って余りあるマイナス要素は、適当に丸めた生ハムが入っていることだった。

「しょせん引きこもりの中学生男子か……。ダメだわ、もっと厳しく躾けないと」

 と桜は嘆息した。

 血の繋がらない弟を好きになり、その恋が叶わなくとも、姉弟の関係は永遠に続く。フラれてさよならというわけにもいかないのが、一つ屋根の下の悲しいところだ。それでよそよそしくなっては可哀相なので、今までどおり徹底的に弟らしく扱っている。それが一般的な姉弟らしいかはともかくとして。

「いや、お前が作れよ……」

 自分のマントを剥ぎ取られたというのに、女子が座る狭いソファに腰かけられるわけもなく、傍らで悲しく立っている夜が言う。

「でもでもぉ~、弟くんっていくつだっけ?」

 隣に座るやえが、気安く体を密着させてくる。肘に柔らかい胸の感触がした。

「えーと、十四かな。あたしの二つ下だから、誕生日来たら十五ね」

 もうそんなになるのか、と内心で桜はしみじみ思う。こういうときは親心になってしまう。

 弟に恋をしたというよりは、弟を自分のものにしたかった。血が繋がっていれば違っていただろうか。親にもなりたい。姉にもなりたい。それ以外のものにも、なれるなら、なりたかった。

 だがそれだけは無理だと判ったら、かえって諦めもついた。

 それなら、誰よりも一番強い姉ちゃんになってやる。

「やーん。十四歳の弟くんが一生懸命作ってくれるおにぎりって、なんかいいよねぇ。カワイイ~」

 やえが両手のひらで自分の頬を覆い、ふるふると頭を振る。ふんわりしたツインテールも一緒に揺れる。

「そぉ? アイツもアホだから悪意なのかマジなのか分かんないわ、これ」

「きっと、お姉ちゃんのために一生懸命作ったんだよ~」

「これくらいは当然でしょ。一日ゴロゴロしてるだけなんだから」

 実際には、仕事が忙しい父親の代わりに作れと、脅して作らせた。幼少期から姉の暴力に支配され、骨の髄まで弟根性が身に染みついている。最近はさすがに口では反抗期らしきものの片鱗を感じさせつつあるが、まだ反旗を翻すほどでは無い。

 猫でありながら忠実な犬のごとき弟は、文句を言いながらも渋々朝早く起き出して、おにぎりを作っていた。

「まあ、たしかに、なかなか姉離れは出来ないみたいね」

 家にいるシオンが聴いたら愕然としそうなセリフに、やえがうんうんと頷く。

「きっと、お姉ちゃんにがんばってほしくて、がんばったんだよ~」

「逆らえないだけじゃないか? レイスが恐怖のあまり消滅するような姉ちゃんに」

 夜だけが普通に突っ込んだが、女たちは無視した。

「でもさぁ、おにぎりに肉って言ったら、フツー豚の角煮でしょ?」

「それはお前が好きなだけだろ」

「照り焼きも美味しいよ~」

「せめて、生ハム入れるならマヨネーズ絡めるとかさぁ……」

「分かってないなぁ、サッちゃん。そこがいいと思うの。料理慣れしてないかんじが、男の子っぽくていいんだよぉ~。いいなぁ。サッちゃんの弟くんってさぁ、可愛いよね。やえもかっこいい弟ほしかったよ」

「いくらツラだけ良くても、引きこもりよ、ただの。おにぎりマズいし」

 と言いつつ、残りを一気にほお張る。米にいまいち味がついていないのを、一気に食べることで、生ハムの塩気で解消する作戦だ。

「はい。サッちゃん、水分も取ってね」

 やえが持ってきた水筒に、冷やした紅茶を入れてきていたのを、コップに移して桜に渡してくれた。

「ありがと」

 生ハムの塩気で喉が渇いていたので、絶妙なタイミングだ。バカだし魔法の才能は無いが、嫁にはいますぐにも行けそうである。普通の女性としての幸せが似合いそうな彼女の男運の無さは気の毒だ。

 ピンク色の水筒に入っていた紅茶は、ほんのり花の香りがして、喉の渇きを癒し、疲れをほぐす。

 やえが邪気の無い笑顔を向ける。

「サッちゃんをイメージしたローズヒップティーだよ~」

「巨大な食虫植物でも煮出したのか?」

「――下肢、一割強化」

 ふざけた口を叩く夜に、桜は蹴りを入れた。夜は咄嗟に避けたが、肉体強化した桜のつま先が、レッグガードを掠った。まともに当たったら防具にひびが入る一撃だ。

「あぶねーよ! オイ、いま、なんでエンハンスした!」

「ギャーギャー唾飛ばすんじゃないわよ。ローズは薔薇のことよ、マジでバカね、アンタ」

「分かってるよ!」

 ソファが狭いので立っている男連中は、軽く水分補給をして、やえが持ってきて配ったビスケットを食べただけだった。

 埃とカビ臭いこの建物の中で、遠くからゴーストの嫌がらせの絶叫や笑い声が聴こえてくる中、桜だけがバクバクとおにぎりを食べている。

「しっかしアンタら、よくそんなビスケットぐらいで持つわね。鳥かよ」

 そういえば灰児は鳥亜人だったが。

 その本人は、ビスケットを少し齧っただけで、壁に背を預け、休んでいる。その顔には僅かに疲弊が浮かんでいた。今のところほとんど一人で働いているのだから無理はない。

 生真面目な鯛介はハンマーを手に、出入り口付近をうろうろしている。桜たちも気を抜いているわけでは無いが、一番年下だからか、鯛介は休憩中の見張りをいつもかって出る。リザードマンは亜人の中でも仲間に対し義理堅く、上下関係を重んじる種族なので、彼には普通のことなのかもしれない。

「お前こそ、それ三つめ……」

 めげずに口を減らさない夜の冷たい視線を受け流し、桜は持ってきたおにぎり三つを全部平らげ、おやつにやえから貰ったビスケットまで食べた。

 そういえば、やえの家族の話だけは聴いたことは無い。水筒のコップに口をつけながら、ふと桜は思った。

 やえはよく喋るが、意外にも自分のことは積極的に話題にしない。彼女の話題の中心はいつも他人なのである。そういうところが、すぐ男に気を持たせるのだろうが。

「やえには、兄弟いないの?」

「ん~。いるけど、たしか一番上のお兄ちゃんは、もう七十歳過ぎてるから、あんまりお兄ちゃんってかんじしないしぃ~」

「ふーん……って、ええっ?」

「兄貴が七十っ?」

 桜と夜が思わず叫ぶ。離れたところで話だけ聴いていた灰児も、一人周囲の様子を警戒していた鯛介も、驚いてやえを見ていた。

 当のやえは、驚かれ慣れているのか、にこにこしている。

「お父さんはいま、九十二歳だったかなぁ。九十三歳だったかも。あたしはお父さんが七十過ぎて産まれた子供なんだけど、認知はしてもらったけど、お母さんは、お妾さんなのね。スナックで働いてるときにお客さんとしてやって来て、それでなんかいつの間にか、やえが出来てたみたい」

 人間どころか、遠くで聞いていた亜人たちもあんぐり口を開けていた。彼らの種族においても特殊なようだ。

「まあ、人間でもありそうだよな……どっかの部族とかでなら……」

「そうね……日本では特異ってだけで……」

 恵まれない家庭で育った夜や、亜人の弟と一緒に住んでいる桜にも、やえの家庭事情に、どう返事していいのか分からなかった。

「何度か、一族の集まりみたいなのにも行ったことあるけど、すごかったよぉ。お父さんのお妾さんとその子供がいっぱいいて、お兄ちゃんも奥さんのほかにお妾さんがいて、一生懸命働いてるお年寄りの家政婦さんがいると思ったら、おじいちゃんのお妾さんで……」

「お、おう……」

「だから、親戚は多いんだけど、家族関係は希薄なんだぁ。お母さんも寂しさのあまりそのあと五回もお父さんを変えたし」

 聞いているほうに笑えることは何も無いが、やえはふふっと笑い、桜の顔を覗き込み、その頬をつんと突いた。いつもなら突かれる前に逆に指を掴んでやるところだが、動揺していた桜は、突かれるままにふにふにと頬を弄ばれた。

「だ・か・ら、ね? サッちゃんは素敵な弟さんがいて、幸せだと思うよ?」

「ほ、ほんとね……うん、ほんと……」

 帰ったら、もうちょっと父や弟に優しくしてやろう、と桜は生まれて初めて思ったのだった。




 休憩後は、上階を探索した。

 二階、三階と、探索を続けたが、ゾンビやスケルトンのような動く屍体リビングデッドはおらず、出現モンスターは相変わらず幽鬼ゴースト系ばかりだった。

 ダンジョン自体が広いので、ゴーストの排除にあまり時間もかけられない。

 手当たり次第に灰児が、ターンアンデッドでゴーストを葬っていく。

 夜間には出現するゴーストが増えるはずだ。

 それまでにけりをつけてしまいたい。

 三階まで探索したところで、灰児はとうとう盾を背中に背負ってしまった。

 ターンアンデッド続きで疲れたのか、彼から穏やかさが徐々に失われ、不機嫌さをあらわにしている。

 あきらかに、他のメンバーと比べ、疲労がたまっている。

「おわー!」

 最上階の四階に着いた途端、腹ばいで廊下を這ってきた腕の無い女レイスを見て、夜が間抜けな大声を上げた。

 その背中を、後ろから桜が蹴り飛ばす。

「ちょっと、うるさいわね。さくっとヤッちゃいなさいよ」

 はっと夜が振り返る。

「あ、う、うん……そうなんだけど、驚くは驚くだろ?」

「声を上げんなってのよ」

 ホラー映画さながらに、腕の無い体を苦しげに身じろがせ、呻きながらずるりずるりと這ってくるレイスも、夜道で突然出会ったら驚きもするだろうが。

「ここに来るまでに何十体も見てんのに、いまさら新鮮に驚けるアンタに感心するわ。やえでさえもう見飽きてるってのに」

 やえは平然としているどころか、欠伸をしている。

「はぁ……いい加減、目障りね」

 灰児がゆっくりと腹ばいで這ってくるレイスに向かい、うんざりとした冷たい目を向けた。

「は、ハイジさーん……疲れすぎて、女言葉になってますよ……?」

 夜が恐る恐る気遣う。ターンアンデッドを発動させ、レイスを消し去った灰児が、夜を見やる。

「なにか文句でも? パーティー内にオカマ言葉の鳥人間が居たら、士気下がる?」

「あ、いえ……とんでもない。頼りになります」

 夜は引き攣った顔で笑いながら、首を横に振った。灰児の機嫌が直った様子は無く、後ずさる仲間を睨みつける。

「……別に、女言葉になったからって、何が変わるわけでもないから。安心して、ゲイじゃないし」

「わ、分かってるよ、そんなの。ただ、顔が怖いんだよ」

「どうせブスよ」

「そ、そんなこと言ってねーだろ。目が据わってるぞ」

「ほんっとウルサいわねー、夜は」

 桜が夜のすねを蹴飛ばす。レッグガード越しでも、桜の蹴りは骨まで響く。

「いってえ!」

 蹴られた片足を上げて跳ね回る夜を無視して、桜は灰児の横に立った。

 額やこめかみに汗が滲んでいる。

「ハイジ、ターンアンデッドし過ぎね。精神メンタルやられてきてるわ」

 グローブを外し、腰のポーチから取り出したハンカチで、顔から首にかけて浮かんだ汗を拭ってやった。

 ソーサラーも魔法を使い続ければ、やがて魔力が底をつく。シャーマンの霊力は減ることは無いが、ターンアンデッドの連続使用は、精神を汚染する。

 霊力の無い人間にはピンとこないが、「ちょっとずつ呪われるかんじ」だと、灰児が以前教えてくれた。

「アンタは、ちょっとお休みね。後ろに下がって」

「……ああ、そうだね。ごめん」

「アンタじゃなきゃ、ここまで持ってないわ。それと、ブスじゃないわよ。あたし、今まで会った人の中で、ハイジの目が一番好きよ。子供のとき一番大事にしてたビー玉みたいだから」

 光に透けたガラスのような淡い瞳に向かって、桜が微笑む。いつも涼しい表情をしている灰児の白い顔に、滝のような汗が流れているのを、丁寧に拭う。

「ありがとう。桜」

 時折出る女っぽい仕草や言葉遣いには、後天的な理由がある。それ以外に――よく勘ぐられるのが性的嗜好だが――自分が女性的だと思ったことは無い。それどころか男であろうと女であろうと、人に気安く触れられること自体が好ましくない。だが、桜に触れられることは、灰児は少しも不快ではなかった。

 彼女は誰にでも気安く、無邪気に触れてくる。そういう人間を自分は苦手としていたはずなのに、彼女にだけは逆に申し訳無い気持ちになる。

 埃と汗にまみれ、いやでも男の臭いを漂わせる首筋を拭ってもらいながら、跪くような気持ちだった。自分は年下で、冒険者としても後輩の少女に、畏敬の念を抱いているのだと、灰児は思った。良いところをみせようと、力の配分を間違ってしまった、自分らしくないミスを、灰児は心の中で恥じた。

「こんなになるまで、ありがとね」

 子供っぽいファンシーキャラクターのプリントが入った、可愛らしいハンカチを見て、灰児は和んだようにふっと微笑んだ。

「桜、それ、好きなの? ねこスライムだっけ」

「うん、子供のころから集めてんの。ほら」

 とポーチから携帯電話を取り出して見せた。ストラップに半透明のキャラクターがぶらさがっている。ほのぼのとした猫のキャラクターで、体半分がスライムのように軟体化している。

「でも、ねこスラって、最近また流行ってるよね。前のとちょっと顔違うけど」

 やえの言葉に、桜が頷く。

「そうなのよ。いまのはちょっと顔が可愛くなり過ぎた気もするけど」

「やえは、わたウサのほうが好きかなー。ほら、この髪型も、ウサギリスペクトなんだよ」

 と自分のツインテールを持ち上げて見せる。桜は可愛こぶった年上女を、細めた目を見つめた。

「ねえ、その髪、首にぐるっと巻きつけて左右から引っ張ってもいい?」

「やだぁ、サッちゃん。あたし死んじゃうよぅ。アンデッドになっちゃう」

 きゃっきゃっと笑うやえが、傍目に見ていた夜には、アンデッドよりも怖い目の据わった灰児よりも、更に怖かった。

「オイ、ほんとに殺されるぞ。……大体、可愛いか、それ?」

「可愛いじゃん。あたし、猫もスライムも好きなの。うちでもでかい猫飼ってるし」

「それお前の弟じゃ……」

「ところてん好きだから、スライムもなんか美味しそうに見えるし」

「やめろ! ところてん食えなくなる」

「安心して、こっからはアンタがゲロ吐くほど戦うのよ。帰ったら何でも美味しく食べれるわよ」

 夜にそう告げ、灰児に向き直ると、桜はその鎧に包まれた肩を、ねぎらうように軽く叩いた。

「ごめんね、ハイジ。頼りすぎたわね。お疲れ。あとは、あたしと夜が掃除するわ」

 灰児はハルバードを杖のように立て、よりかかっていた。

「そう……だね、あんまり穢れてるもんだから、ちょっと頑張りすぎた」

 言葉遣いを戻した灰児が、素直に頷いて下がる。

「正直、配分を間違えたよ。思ってたより、ゴーストが多かった。それも、中々に未練を残した連中がね。そういうやつほど、消すのは骨が折れる」

 そう言って、ふがいなさげに苦笑する。桜は笑いながらかぶりを振った。

「言ったでしょ? 一緒にいるのがアンタじゃなきゃ、あたしたちこんなに楽してないわよ」

「そうっす。並のシャーマンじゃ、とっくの昔にバテてますよ」

 しんがりから鯛介がフォローする。

 そのとき、やえの魔法の明かりだけが頼りの、薄暗い空間で、壁からぬっとレイスが顔を出した。

 いい加減飽きた光景だ。

「ほんっと、チョロチョロウザいわね。――死ね!」

 桜が大剣を振りかぶって、一刀両断にする。怒気を込めた一撃で、胴体を真っ二つにされ、実体は無いはずなのに、レイスは本当に胴を切り離されたように断末魔の悲鳴を上げ、消えた。

 大剣の刃を下にして、廊下のカーペットにガンと付き立て、桜は息を吐き出す。

「……ま、ホラーダンジョンの厄介なとこね。同じ大量出現でもゴブリンなら誰でもぶち殺せる。けど、ゴーストはそうも行かない。ただでさえ人材不足のシャーマンが一人や二人じゃ効かないもの」

 それだけに、レイスを剣で斬るという離れ業が使えることは大きい。

 だが、やはり誰にでも出来る技では無いらしく、鯛介や夜も試してみたが、桜のように物理だけで斬ることは出来なかった。ただ迫力を出せば良いものでは無いらしい。

 夜は結局、退魔の魔法を剣にかけて斬るという、従来のルーンファイターらしいやり方に戻した。

 奇抜な登場をするゴーストにいちいちびっくりするのが鬱陶しいが、ゴーストとはそういうものなので、いい加減慣れろと桜は思うが、彼の魔法剣技は役に立つ。

 灰児が退いたあとは、うるさく喚きながらも、きっちり仕事をこなしている。

「夜さん、ランタン係、オレがやるっす」

 あまり出番の無い鯛介だが、それでも働き者だ。夜からランタンを預かって、片手に掲げながら、片手で軽々とハンマーを持ち、崩れた瓦礫を砕く。足場の悪い場所では、運動神経の悪いやえを抱えて進む。

 やえもずっと魔法の光を切らさないでいる。彼女は並程度のソーサラーだが、言われたことは忠実に、懸命にこなす。どんなにおっかなびっくり歩いていようが、ふと気を抜いて明かりを消してしまうなんてことは、決してしない。

 使える攻撃魔力も治癒魔法も大したことは無く、今まで所属していたパーティーでみそっかす扱いされていても、そういう一途な仕事ぶりを、桜は評価していた。言動はバカだが。

「すごーい、サッちゃん!」

 何十体めか分からないレイスを大剣で魂ごと両断した桜に、やえが無邪気な拍手で賛辞を贈った。

「ねえねえ、このサッちゃん。この必殺技、名前付けない?」

「はぁ? また何言ってんの、このバカ女ちゃんは」

「もう、バカだけど、バカじゃないもん!」

「じゃあ、バカじゃん」

 彼女は口を尖らせたあと、小さな顎に可愛らしく指を当て、本当にしごく真面目な顔で考えていた。

「うーん、〈妙技・冥土送りクラッシュ〉とかどうかな?」

「イヤよ。そんなプロレス技みたいなの」

「じゃあ、じゃあ、〈ソウル・クラッシュ・バスター〉は?」

「だからー、プロレス技みたいなのやめてよ」

「そぉ?」

 小首を傾げると、ゆるくウェーブのかかったツインテールが、ふわりと揺れる。

「やえさん。クラッシュとバスターって、多分意味かぶってますよ」

 と後ろから鯛介が突っ込んだ。

「魂を壊して壊す者、みたいな」

「ええー。ウソ、恥ずかしい!」

 やえが顔を覆う。桜が優しくその肩に手を置く。

「大丈夫よ。今更そんなバカで誰も驚かないから」

「サ、サッちゃん……優しいよぉ……」

 抱きついてきたやえの胸が、大きなマシュマロのようにふよんと桜の体にぶち当たった。

「いや、バカにされてるぞ」

 と夜が突っ込む。

 もちろん桜は無視して、同じ作業が続いているせいか、だれてきている仲間たちに、気合を飛ばした。

「本来の目的、忘れてないわよね? ゴーストバスターじゃなくて、ソーサラーの親子探しよ。さくさくやって、帰ったら肉を食うわよ」

 そのとき、廊下の端に、白い陰が見えた。そんな気がして、桜はやえを胸から引き剥がし、言った。

「あっち、照らして。いま、そこにスケルトンが居たわ」

「えっ、あ、うん。――光よ、光。大きくなあれ」

 やえの詠唱と共に、光源が強くなり、フロア全体が薄ぼんやりと明るく光る。

 その中心にいるやえは、眩しげに目を瞑った。

「これ、あんまり持たないよー」

「ナイスよ。みんな、やえを守ってて」

 桜は大剣を担いだまま、廊下の端まで一気に駆け出した。


 スケルトンは、リビングデッドモンスターの中では、世間ではゾンビに匹敵する有名モンスターだが、実際には、そうしょっちゅうお目にかかれない。

 死んだ人間の骨に、魂が憑依することで、物理世界に干渉できるアンデッドなのだが、そのために全身の骨が丸々必要なのだ。骨になるまで綺麗に朽ちていく死体なんて、そうそう転がってはいない。

 よって、その有名さとはうらはらに、ゾンビと違って遭遇することは稀だ。偶発的に生まれることはほとんど無く、誕生の過程にはたいてい、外道に墜ちたソーサラーやシャーマンが存在する。

 つまり、誰かに意図的に作られたモンスターであることが多い。

 そのため、大金を出して取引されることもあるという。もちろん闇のルートであり、見つかったらその刑罰は重い。骨とはいえ、元は人間なのだから。

 珍しいモンスターだが、桜の敵では無い。殴ればダメージの通るスケルトンなど、物の数にもならない。

 白い陰が消えた奥から、からからと瓦礫が崩れる音がする。

「逃がさない」

 角を曲がると、突き当たりに崩れた非常階段と、すぐ隣に小部屋があった。〈リネン室〉と札のかかった部屋の前はひどく崩れ、瓦礫の間に小さな隙間が出来ている。細身の桜でも通れそうにない、その隙間を覗き込むと、同じようにこちらを覗く白い骸骨と、目が合った。

 いや、目が合うというのはおかしいかもしれない。生前は眼球があった部分は、ぽっかりと黒い空洞になっている。

「おわっ」

 と思わず桜は声を上げ、顔を引いた。スケルトンはその隙に、部屋の奥に逃げて行った。

「ちょ、ちょっとびっくりしたわ……このあたしを脅かすなんて、ただじゃおかないわよ……っと!」

 桜は瓦礫を、肉体強化した足で蹴って崩した。隙間が大きくなると、そこを潜って通る。

 薄暗い部屋に入ると、桜は凶悪な笑いを浮かべた。

「どこ逃げたのかなぁ? あたし、かくれんぼの鬼、得意よー? 何度もシオンを追い詰めて泣かしたんだから。見つけたら、尻尾引き回しの刑だからね。あ、尻尾は無いか。他の処刑方法を考えなくちゃ。――ほーら、そろそろ行くわよ。もー、いーい、かーい?」

 どっちがアンデッドか分からない。崩れた棚の間で、そこに積まれてあったのだろうシーツにくるまって、スケルトンが隠れている。

 しかも震えながら。

 向かってくるようなら骨を一本ずつ外して処刑しようと思っていたが、一気に興を削がれた。

 それに、冷静に眺めてみると、とても小さい気がする。

 右手に大剣を持ったまま、左手でそのシーツを引っぺがした。

 するとシーツの中に隠れていたのは、小さな子供のスケルトンだった。

 華奢な骨の腕で、小さな頭蓋頭を抱え、カタカタと全身の骨を震わせている。

 裸の――骨しか無いので当たり前だが――肩から、ふわふわとしたウサギの顔の形をしたポシェットを下げている。

 丸出しの背骨を桜に晒し、顔を伏せている。顎をカタカタ鳴らして、泣いていた。

「……こ、こわいよぉ……オーガがいるよぉ……お父さん、たすけてぇ……」

「……はい?」

 桜は顔をしかめ、小さなスケルトンを見下ろした。

「まさか、オーガって、あたしじゃないでしょうね」

「うう、食べられちゃうよぉ……こわいよぉ……」

 骸骨がぶるぶると震えている。

「カルシウムが何言ってんのよ。……いやいや、違うわ。そこじゃなくて、なんで骨しか無いのに、ベラベラ喋ってるのよ?」

 そう呟きながら、まじまじと見たことは無い、スケルトンを見下ろす。

 それにしても、見事な骨の標本だ。

 子供の小さな指の関節まで綺麗に残っている。

 白い美しい骨だった。

 多少汚れているが、真新しい。

「考えてみたら、骨しか無いのに動いてるんだから、声くらい出るのかもしれないわね」

 そう呟くと、背後から夜の声がした。

「桜、大丈夫か?」

「大丈夫だけど、オーガが出たみたい」

「ええっ!」

 瓦礫の向こうで、夜が剣を構えたようだった。

「それもどうやら、メスのオーガみたいよ」

「お前のことかよ!」

「アンタ、ツッコミ慣れてきたわね」

 メスのオーガと聞いて、どうしてすぐに桜と発想したのかは、あとで関節を外しながら訊くとして。

「鯛介に、瓦礫をどけてもらって。子供がいるから、怯えさせないように、優しくね」

「子供? 捜索者か!」

「判んないけど、子供は子供ね。まあ、もうあたしが、骨の髄までビビらせちゃったんだけど……」

 スケルトンを見下ろしながら、桜は多少悪ノリし過ぎた自分を反省した。

「良かった、生きてたんだな! 待ってろ」

 夜が嬉しそうな声を上げる。内心、見知らぬ子供のことを誰より心配していたに違いない。残念なイケメンであるが、心はとても優しい青年を、哀しませることになりそうだ。

「アンタ、もしかして、エリナちゃん?」

 夜が去ったあと、背中を丸めて怯えるスケルトンに、そう尋ねた。

「え?」

 ちいさなスケルトンが、桜を振り返った。

 顔があったら、目を見開いているのだろう。

「あたしは、オーガじゃないわ。冒険者よ」

「ぼーけんしゃ……?」

 スケルトンはぽかんと口を開けている。小さく並んだ歯はところどころ欠け、乳歯と永久歯が混ざっていた。

「センターから頼まれて、蒲生良人というソーサラーと、その娘の絵里奈ちゃんって子を探してんの。アンタがそのエリナちゃん?」

 桜は大剣をしまったが、スケルトンはまだ身構えている。

 まあ、当然だ。幼い弟をかくれんぼ恐怖症にした桜の鬼っぷりを、大人バージョンでやってしまったのだ。しかも女の子相手に。

「あー、さっきはごめんって。悪いモンスターと間違っちゃったのよ。あたしは、正義の冒険者なの。えっと、キャラメルあげるから、許してよ」

 と、ウェストポーチに入れているおやつを出そうとした。が、スケルトンはとても哀しそうな声で、言った。

「そんなの、わたし食べられないよ……」

「あ。そ、そうね……。じゃあ、これあげるわ。ねこスライム」

 と、慌てて携帯電話を取り出し、ぶら下がるストラップを見せた。おそるおそる覗き込んだスケルトンが、全身の骨を鳴らして体を起こす。

「うわぁ、ねこスライムだ! それも、冒険者バージョンだ!」

 腰のポシェットのウサギが、ゆらゆらと動く。この《わたあめウサギ》は、《ねこスライム》に並ぶ人気キャラクターである。

 やはり、桜と同じくなかなかのファンシーキャラクター好きだ。よっしゃ、と内心で桜は勝ちを確信し、たたみかける。

「そう。アンタも通ね。中央冒険者センターの献血ルームで、二十回献血しないともらえないのよ。うちのオヤジが去年一年かけてゲットしてきたの」

「これ、欲しかったんだぁ。クラスのお友達で、お父さんが冒険者で、持ってる子がいたんだ。でも、エリナのお父さん、ぜんぜん冒険者してないから……」

「んじゃ、あげるわよ」

 グローブを外し、桜は不器用な手つきで、ストラップを取った。細かい作業は大嫌いだ。途中で引きちぎりたくなったが、また怖がらせてはいけないので、堪えた。

「ええっ、いいのっ?」

「いいわよ。その代わり、さっき脅かしたのは、チャラよ。いいわね?」

 笑顔で念を押しまくる。

 細く白い指が、おずおずとストラップを受け取った。手のひらに乗せて眺める様子に、嬉しそうな顔をしているかは判らないが、桜に怯える気持ちは薄れたようだ。

「うわぁ……わぁ」

 しばらくストラップを眺めたあと、小さなしゃれこうべが、カクッと上を向いた。

「ほんとにくれるの? えーと、お姉ちゃんのパパに叱られない?」

「大丈夫よ。うちのパパは世界一、子供に甘いパパなの。またたくさんレバー食べて通ってくれるから」

「えー。いいなぁ。知ってる? これね、毎年変わるんだよ」

 スケルトン少女が、表情は分からないが嬉しそうに、貰ったストラップをぱっと掲げる。さっき桜があげたのに、もう自分のものを見せびらかすような、無邪気な仕草だった。

「じゃあ、レバー二倍食べてもらって、アンタのぶんも貰ってきてあげるわよ」

 そう言って桜は、自分の胸より低い位置にある、白い頭蓋骨を思わず撫でた。


 ほんの数日前にはきっと、女の子らしい髪の毛がたっぷりと生えていたのだろう。グローブを外した手の下で、いまはさらさらとした骨の感触がした。

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